第72話:ゆっくりと二人で過ごす
頭を撫でてくれたフレディの手を握った。
ぎゅっと握って頬ずりして、目を閉じる。
温もりにほっとしているうちに寝てしまい、朝になった。
まだ眠いなあ、と思いながら、薄目をあける。
朝日が部屋を白々しく染める中央に、着替え終えたフレディが立っていた。
綺麗な立ち姿で、衣装の細部を整える。
袖口、襟首、前身と順に、丁寧に整えていく所作に見惚れてしまう。
最後に、灰色の髪を手櫛で整えていた。
もぞっと動くと、見惚れていた私に気づき、こちらを向いて笑った。
とたんに恥ずかしくなり、掛布をぐいっと口元に寄せる。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん、眠れたよ」
ベッドに座ったフレディが頭を撫でてくれると、それだけで、体中が嬉しくなった。
いつまでも寝ていられない。今日は体を動かすことにした。
ベッドから立ち上がって、部屋中を歩き回った。体を捻らないようにだけ、気をつける。
傷を見に来た医者からも運動は良いことだといわれたので、部屋だけでなく、フレディと一緒に庭へ出た。
手入れされた庭は草木の香りに包まれ、胸いっぱいに空気を取り込むと、湿った芳醇な空気が体内に広がった。それだけで癒される。
アナスタシア様が、夫と散歩しているところに出くわした。
立ち話のなかで、ねぎらいの言葉をかけていただいく。
背後に控える、穏やかそうな表情を浮かべる彼女の夫は、雰囲気が少しフレディと似ていた。
公女夫婦は、私の後ろに立つフレディと無言であいさつし、城へと戻られていった。
(私の顔を見られればそれで満足だったのかしら。ジュリエット様やフレディが言うような難しい人には感じられないわ)
私には、威光を纏うアナスタシア様は良識と分別を備えた立派な方に見えた。
無理をしない程度の散歩を終え、部屋に戻る。散歩により体を動かしたことで、清々しい気だるさを感じた。
食事はいつも通り部屋でフレディと食べた。
その夜も、彼は私の部屋に泊るという。二日連続、長椅子では疲れないかと心配になる。
怪我も癒え切っていないのだから、休むことが大事だと早めに寝る用意を終えて、ベッドに入った。
昨日と同じように、ベッド脇に座るフレディの手を握って、おずおずと彼を見上げた。昨日はすぐに寝てしまったが、今日はまだ元気。
「ねえ、フレディ。二日連続、長椅子だと疲れない? 私も元気だから、部屋へ戻って寝た方がいいわよ。ベッドの方がすっきりするでしょう。明日には戻るのだから」
「ルーシーは気にしないでいいよ。長椅子で寝ても、俺は慣れているから」
私はちらりと彼が寝る長椅子を見た。
どくどくと心音が早くなる。
フレディの指をきゅきゅとにぎる。
昨日は、この手に安心して寝てしまったのよね。
なのに、今は寝れる気がしない。部屋にフレディも一緒にいるだけで、そわそわしてくる。
寝返りをうちたいけど、傷が気になる。
フレディの指で遊ぶ。気持ちがなかなか整理できない。
「どうしたの」
「……」
「眠れない?」
「……、フレディがここにいると気になる」
ぶっきらぼうに呟いた。彼の手を見つめて、遠くに見える掛布と枕が添えられた長椅子を見た。
「離れようか」
「そういう意味ではないわ」
「邪魔?」
きっと悲しそうな顔をしているんだろうなと、見ないまま想像する。
フレディの狡いところは、そうすることで、私の気持ちが変わる瞬間を待っているところだ。
狡いけど、優しい。
優しいけど、狡い。
なのに、長椅子で寝ると言ったら、ずっと長椅子で寝て一晩過ごす。昨日そうしたように、今日もだ。
「……」
私は、眼球だけ動かして彼を見た。
黙っている、憎い人。
「このベッド広いの。隣で寝ない?」
フレディが両目を瞬かせる。
「椅子もいいけど、疲れるでしょ。それに、今夜は、なんか……。そこに、フレディがいると眠れなさそうなのよ」
「いいの」
「横になるだけでしょ」
「……分かった」
フレディが手を放し、掛布と枕をもってきた。その間に私は、ベッドの片側に体を寄せた。
持ってきた枕を私の枕と並べて置き、足元には畳んだ掛布を置いた。
フレディは、横に寝ている私の掛布をしっかりと、包むようにかけなおしてから、私の横にごろんと寝ころんだ。
足元に置いた掛布の端を掴んで引き、自身の身体を包む。
並んだ枕に頭部を預けて、向き合った。
「こうやって一緒に寝ているだけだよ」
フレディはそう言って笑ったけど、私の方が彼に触れたくて、芋虫みたいにちょっと動いて、彼の首元に額をおしつけて、ぐりぐりした。
フレディの香りは、石鹸の香りだ。
風呂場で洗った残り香に包まれて目を閉じる。あったかくて、ほっとしてきた。
体の方が先に眠りについていく。指一本動かせなくなったなかで、意識と耳だけがまだ周囲を捕らえていた。
フレディの呟きが耳朶を打つ。
「先が思いやられるねえ」
なにが? と声はでず、体に引っ張られて意識も闇に落ちた。
翌日、出立のために馬車に乗ろうとした時だった。
「ルーシーは俺とだよ」
「なんで、私はジュリエット様の護衛で……」
「俺と殿下で話し合って決めたんだ。ジュリエットからも了承を得ている」
にこやかなフレディにあんぐりと口を開けてしまった。
私が怪我を気にしている間に、男二人でなにを話していたのよ!
「待ってよ、待って。それでいいの」
「うん、いいんだ」
「気にしなくていい、ルーシー。ジュリエットとは私が乗る」
にこにこしながら殿下が近づいてきた。
決定事項とばかりに納得させられそうになる笑顔だわ。
「アルフレッドはジュリエットと乗りたいんだよ。ここは譲ってあげて欲しい。ジュリエットも楽しみにしているようだよ」
フレディの笑顔も眩しい。
ジュリエット様を見ると、アナスタシア様と別れを惜しむように話し込んでいる。
どうしよう。わかりましたと言えばいいのかな。
話終えたジュリエット様が近づいてくる。彼女も安定の笑顔。
「王国に戻りましょう」
「行こうか、ジュリエット」
「はい、殿下。
また王国で会いましょうね、ルーシー」
腕を組んで、二人は同じ馬車に乗りこんでいく。
仲良しの二人に私は置いていかれてしまった。
主人に捨てられたわんこの気分に陥るわ。
「またせてもいけないからね、早くのろう」
フレディに導かれ、同じ馬車に乗った。
パタンと扉が閉じれば、二人きりだ。
(もういいわよ!)
腰を曲げないために足を座面に載せて、フレディと向き合った。
驚いた彼の脇が浮いたところで、私は彼の胴に腕を回す。ぎゅっと彼にしがみつくように、抱き着いた。
「こんな密室に二人きりになろうとするなんて、悪い人ね」
ちょっと怒ったように言うと、フレディは困ったように笑った。