第69話:食事の続き
「なにから食べたい。スープはまだ熱そうだよ。パンも焼きたてみたいだね。さっき、卵料理から食べていたよね。
夜の料理にはしっかり火を通していたけど、このプレーンオムレツは半熟だ。
どう、ルーシー。卵料理から食べるか。それとも、パンかスープにする?」
会話から察してしまう。
(あっ、この人、また私に食べさせてあげる気でいる)
甲斐甲斐しいフレディ。
断りを入れたいけど、誰も見ていない二人きりの状況で、余所余所しいのもどうかと思う。
このまま、食べさせてもらう? どうしよう。
いやいや、そこまで甘えられないわよ。
私は軽く顔を背け、視線だけフレディに向ける。ちょっと不満げな声で、察してくれないかなって願う。
「いっ、いいよ。一人で食べられるから」
とたんにフレディは眉を歪めて、さびしそうな顔をする。
なんで、なんで。なんで、そこでそんな顔になるの。
カトラリーを添えて、私にそのオムレツがのっているお皿を渡せばいいだけなのに!
フレディは何も言わない。
沈黙のひと時。
いたたまれなくなるのは私の方だ。
「フレディ、私……」
一人で食べられるから、と言えばいいのに、声が小さくなる。フレディは寂しそうに私を黙って見つめている。
ぎゅっと目を閉じる。脂汗が浮いてきそう。
「……卵料理から、お願いします」
沈黙に敗北した。
卵料理を一口食べたら、ぱっと気持ちが華やいだ。
「おいしい」
スプーンですくって、トマトソースを絡めて食べたら、もう止まらない。昨日、朝ご飯を食べて、馬車のなかで軽食を食べてから、なにも食べていないのだ。半日以上の空腹が食欲を自覚したら、止めどなく食べ物を体が欲した。
フレディが食べさせてくれて、もぐもぐ食べて飲み込んで、また、あーんと口をあける。
食べることしか考えていない顔はまぬけかもしれないけど、そんなことにかまっていられない。
飲み物も、搾りたての果実ジュースとミルクつき。紅茶だけでなく、チョコレートドリンクもある。
どれも、食べたいし、飲んでみたい。
ソーセージも絶品だった。食むとぱちっと良い音がして弾け、肉汁がしたたり、香辛料がきいた肉のうまみがひろがった。これは、たまらない。飲み込むと、すぐにまた食べたくなる美味しさだ。
根菜が裏ごしされたスープも甘くておいしい。
食べさせてもらっていると体を動かさなくていい。傷を気にしないで、食べることに集中できた。
へたに動いて、傷がずきっと痛んだら、食べるどころではなくなってしまうもの。
パンも温かいうちに食べたくて、フレディにお願いする。小さくちぎって、口まで運んでくれた。
バターの香りが立つパンは、咀嚼するごとにうま味が増した。
なにを食べても美味しくて、自然に笑みがこぼれてくる。
パンを手にするフレディが、ちぎっては、私の口へ運んでくれる。
お腹いっぱいになってきた。再びフレディがパンを口に寄せてくれる。もういいよという意志表示のため、口をつぐんで、軽く顔を左右に振った。
彼はちょんと私の唇に、勢い余ったパンを押し当る。行き場を失った一つまみのパンは、フレディの口の中に消えた。
ノック音が鳴った扉が開く。
殿下と妃殿下が入ってきた。
「ルーシーの容体はどうかしら……、あら」
「おや、これはまた、随分仲が良いことだね」
「ジュリエット様! 殿下も……」
だらしない恰好をしている私は居ずまいを正すため、ベッドの上で姿勢を整えようとした。
ずきりと傷が痛み、手をつく。やっぱり、昨日の傷はまだ痛い。
「ルーシー。無理しないでいいよ」
横からフレディの手が伸びてきて、私の身体を支えてくれた。
座り直した私は背筋を伸ばす。
「ルーシー、いいのよ。体を休めてね。もう数日したら国へ帰るから、傷を癒すことに専念してちょうだい。」
「帰りの馬車はゆれるぞ、傷口が開いたら、とても痛くてのっていられないだろう」
「はい」
「困ったら、フレディに頼めばいい。今ならきっと、なんでもしてくれるさ」
殿下がにやりと笑う。
フレディはあまり表情を変えない。
そのつもりだよ、なんて思っていそう……。
殿下付の文官なら、仕事もありそうなのに、いいのかしら。
「私も殿下と一緒に寛ぐつもりでいるのよ。折角の里帰りですもの」
「ルーシーがフレディを押えておいてくれたら、その分、俺はジュリエットと一緒にいられるんだ。おおいに、わがままを言ってしまえ。何なら、そう命じようか」
妃殿下と過ごしたいから、殿下は私にフレディを押し付けようとしているのね。あからさまな打算たっぷりで、笑ってしまうわ。
その後もう少し、四人で他愛無い話をしてから、殿下と妃殿下は部屋を出ていった。
夫婦水入らずの時間を楽しむつもりなのだ。お二人とも、仲がよろしいことで。
お腹もいっぱいになり、体はほっとした。怪我をしていることもあって、気だるい。
殿下と妃殿下を交えて話すのも気疲れした。
心身の疲労感が重なり、眠気が盛り上がってきた。大きなあくびをすると、フレディからも寝るように促される。
私は言われるまま、横になった。
「色々、ありがとう」
「気にしなくていい。今は休むことだけ考えて……」
体力も気力も回復途上のため、あっという間に、意識は途切れた。
傷ついた体は栄養と休息を欲していた。
目覚めると、フレディはいなかった。
代わりに、脇で妃殿下が本を読んで待っていた。
彼女は目覚めた私にすぐに気づく。
「おはよう、ルーシー。
フレディは、今、殿下と所用で出ているの。あなたの様子を見ていてほしいと頼まれて、代わりに私がここにいるのよ」
妃殿下に頼むなんて何事! と、思っても、フレディの裏の立場を考えれば、普通なのものしれない。
「汗をかいているでしょう。目覚めた時のために、体を拭ける湯を用意してもらっているの。一度、着替えましょうね。
鞄から下着と寝衣を出してもいいかしら」
「じゅ、ジュリエット様、良いです。私が……」
体を起こそうとすると傷がずきりと痛んだ。
起き上がりかけた体を肘で支えたまま、痛みを堪える。ジュリエット様の手が私を支えて、もう一度寝かせてくれた。
「私は、ここでは下働きをして、侍女もしていたのよ。一通りのことはできるの。あなたと私しかここにいないのだから、誰も見ていない。誰も咎めないわよ」
「でも……」
「気にしないで。鞄を開けさせてもらうわね」
有無を言わせない圧を感じて、私は頷く。
ジュリエット様が、鞄から下着と新しい寝衣を運んできた。
ベッド下に湯を張った桶があったようで、屈んでタオルを絞り始めるジュリエット様。あまりの手際の良さに、私もあんぐりと口を開け、間抜け顔になってしまう。
寝ていた体は汗ばんでいた。下着もじっとりと湿っていた。
ジュリエット様の手をかりて、体を起こす。着ていた寝衣を妃殿下の手で脱がされる。
私の身体を斜めにすると、下着の下からタオルを持った手を入れて、拭きはじめた。
「ルーシー。このまま、黙って聞いてほしいの。
この前、馬車で話していたことの続き……、正確には話し切れなかったことを話すわ」