第68話:目覚めと食事
瞼に光が滲み、目が覚めた。
ぼやける視界。
見知らぬ天井。
(ここ、どこ……)
一瞬で、記憶がつながる。
(ジュリエット様は!)
かっと目を見開いた。
そうだ、あれは公爵家のご令嬢。
彼女がジュリエット様を襲ったんだ。
私は盾になって、ジュリエット様を守ろうとした。まさか夜会で淑やかにドレスを着た女性が襲ってくるなんて思っていなくて、驚いて、ひるんだんだ。
捕縛した時に、怪我をしていたのはなんとなく覚えている。
そうだ。ご令嬢の手に握られていた刃は私の脇腹を傷つけたのだ。
脇にちくりと痛みが走る。気づくと、ずきんずきんと痛みはさらに広がった。
寝具を軽くめくって、首をもたげ体に視線をなげる。侍女の制服は脱がされ、下着姿になっていた。腹には包帯も巻かれている。
(治療してくれている)
視界に人の頭部がうつる。
ベッドの端に上半身を横たわせて寝ている人がいた。
灰色の髪色に陽光が反射し、キラキラ光る。
(フレディ……)
肘をつき、体を起こそうとすると途端にずきんと腹が痛んだ。
堪えきれずに、まくらにぽすんと頭部を落とす。
(起きるの、辛いかも)
体をゆっくりとくねらせ、彼の頭部に手を伸ばした。手探りで、フレディの髪を探し当て、さわさわと撫でる。
くすぐったいのか、彼が身じろぎした。
「フレディ……」
名を呼ぶと、彼はモゾッと動いた直後に、がばっと体を起こした。
あまりの勢いにびっくりした。思わず、手を引っ込める。
上体を起こしたフレディと目があった。
起き上がってくれたおかげで、寝ている私にも彼の顔が見え、嬉しくなる。
今までそばにいてくれたんだ。
安堵するフレディに私もほっとする。ほっとすると、大事なことを思い出す。
「目覚めたか……、良かった」
「ジュリエット様は?」
「ジュリエット……」
「無事?」
「無事だよ。安心して」
「良かった」
私は仕事をまっとうできた。ほっとする。
訓練と違い、なにが起こるか予想なんてできない。相手を見た瞬間に、身が固まったのは、未熟な証だ。
反省は次に生かそう。
誰が襲ってくるのか、本当に分からないものね。つくづく、現実に起こることは、予想の斜め上を行くわ。
フレディが泣きそうな顔で覗き込んできた。
「目が覚めて、本当に、良かった……」
「ごめんね、心配かけて」
フレディが左右に頭をふる。
「目が覚めてくれさえすれば、もういいよ。
ルーシー。お腹、空いていないか」
「そうねえ……」
痛みが残る腹部を摩ると、ぎゅーっと胃が縮む音がした。
「夕食が残っているんだ。今朝方までは食べられるよう、昨夜から用意してくれている。
体、起こせる?」
「ちょっと、難しい……」
さっきは一人で体を起こそうとしてできなかった。今度は、フレディの手を借りて、体を起こす。
枕だけでなく、クッションも持って来て、彼は私が座りやすいように整えてくれた。
下着姿はちょっと恥ずかしくて、掛布を体に寄せて隠す。
「先に水を飲むかい。長くねていたんだ。喉も乾いているだろう」
テーブル席の水差しからコップに水を注ぎ持ってきてくれた。
掛布をもちいて片手で胸を隠し、空いた手でコップを受け取る。
水を喉に流すと、渇きに気づかされ、一気に飲んでしまった。お代わりをお願いすると、水差しを持ってきてくれて、コップに水を注ぎ入れてくれた。
料理は冷めても美味しく食べられる品を用意してくれているという。お皿に見繕って持ってきてくれた。
水の入ったコップと交換しようとすると、いいから、とフレディはベッドの脇に座った。
「なにから食べたい?」
「えっ?」
「好きなものが分からなくて、色々載せてきたんだ。ちょっと食べて美味しかったら、また持って来てあげるから。
まずは、なにが、食べたい?」
「えっ……」
お皿もフォークも渡さないの?
これって……。
これって、いわゆる、食べさせてあげる、つもりなんじゃない!
左右に視線が揺れる。
自分で食べられると言って、お皿を取り上げるには、お腹の傷が気になる。つまらないことで暴れて、塞がった傷が開くのも恥ずかしい。
何をしてたんですか、と医者に聞かれても説明できないわよ。
怪我人なんだから安静にしていてください、と叱られるのがおちよ。
冷静になるように、深呼吸をする。
腹部はまだじんじんする。
冷静にみても、動くにはちょっとつらい。
自分で食べられるから、と言って、お皿を取り返せるほど元気もない。
フレディは柔和な笑顔で待っている。
「……」
「ルーシー、どれがいい」
「卵料理からお願いします」
観念して、フレディに食べさせてもらうことにした。
フォークですくい、口元まで寄せてくれたところで、ぱくっと食べた。
甘みのある卵が美味しい。
舌の上で溶けて、飲み込む。
フレディが楽しそうに皿にフォークを戻す。
「次はなにがいい。これなんか、美味しそうだよ」
甲斐甲斐しい彼の好意を受け取ればいいだけなのに、なんでこう、気恥ずかしいのかしら。
一口ずつお皿に載せてくれた料理をぺろりとたいらげる。一皿食べ終えると、心身が落ちつき、体の底に残っていた緊張がほどけた。
残ったコップの水を飲みほし、ほっと一息つく。
「まだ、食べる?」
「ううん、楽になったから、服を着たいの。今、下着姿でしょ。せめて、柔らかい寝衣を着たい」
フレディに鞄を持ってきてもらうように頼むと快く運んでくれた。なかから、柔らかいスカートの寝衣を取り出す。
鞄を元の位置へと戻してもらう。彼が背を向けている一瞬で、上から被るように寝衣を着た。スカート部分を掛布のなかに押し入れ、整える。
やっぱり下着姿は、恥ずかしいのよ。
せめて寝衣でも着ていないと、誰かが入ってきた時に慌てふためくことになるわ。それで傷が痛んだら、つらい。
泣きっ面に蜂みたいでしょ。
鞄を置いてきたフレディがベッド横の椅子に座った。
「傷は痛むか」
「うん、ずきずきする」
「帰るまでには数日ある。それまでによくなればいいな」
「そうね。馬車の振動に耐えられるぐらいにはなりたいわ。ここに一人で残されるなんて、嫌だもの」
「振動が辛いなら、抱っこして帰っても良いよ」
「なっ、なに言っているのよ。そもそも、馬車が違うでしょ。私は妃殿下の護衛よ、職務中なの。昼休みでもないのに、ふざけないでよ」
「たぶん、それぐらいなら、殿下に頼めば……」
「やめてよ。また、こんなところで殿下を引き合いに出さないで。なんど頼っているのよ」
「そう? 殿下も妃殿下と一緒の馬車に乗りたいかもしれないだろ。なにせ、馬車内は密室なんだから」
ぼわっと頬が熱くなり、言い返す言葉が見つからなくなる。
フレディだけ、涼しい顔で楽しそう。この優しそうな微笑が、詐欺に見えちゃうわ。
そんな他愛無い話をしていた時に、扉がノックされ開かれた。
食事をお持ちしましたと、給仕が入ってくる。
昨夜の料理を片づけ、ベッドから起きることが辛い私のために、テーブルをベッド横まで、フレディと持って来てくれた上に、そこに暖かい料理を用意してくれた。