第65話:示される方向性
運ばれてきたルーシーがベッドで寝かされている傍らに座り、俺は唇を噛んだ。
ここはルーシーの寝室。
ジュリエットを守るさなかに刺され、治療を受けて後、部屋へ運ばれてきた。
幸い傷は浅く、出血のわりに、内臓の損傷もなかった。相手が素人だったからか、ルーシーがうまくよけたか。これで手練れ相手だったらどうなっていたことか。
心痛が込みあげ、ため息が漏れる。
彼女の家族に、どう釈明するか。守ると言っていて、このざまか。
状況は、職務上のことととれる。彼女の家族なら、凛とし、俺を責めない気がする。
廊下で刃傷沙汰を起こした公爵令嬢はとらえられて幽閉された。ジュリエットも自室で待機を指示され、今に至る。
突如襲われたことによる緊張と出血により、気を失ったルーシー。今はこんこんと寝ている。
俺は、再び、深いため息を吐いた。
彼女の傍らで、俯く。
こうなる可能性はあると思っていた。
アナスタシアは分かっていただろう。
ジュリエットも薄々勘づいていたはずだ。
俺だって、なにかある可能性を考えていた。
何事もなければいい。ただのアナスタシアの好奇心だけで呼ばれたと思っていたかったのに。
しょっぱなからこれか!
ぶわっと怒りがそこから押し寄せて来て、俺は太ももを拳で打ちつけた。
じきに目を覚ますと言われても、悔しいことこの上ない。
両の拳を太ももの上で握りしめ、天井を見上げた。気持ちを落ち着かせるために、二度瞬きし、深い深呼吸を数度繰り返した。
部屋の扉がそっと開かれる。
王太子夫妻、アルフレッドとジュリエットが入ってきた。
俺は力なく、二人を睨む。
八つ当たりは、お門違いだとわかっていても、心は怒りと不機嫌に染まったままだった。
「フレディ、ごめんなさいね。
でも、これが一番、傷が浅いと感じていたの。おそらく、アナスタシアお異母姉様はもっとはっきりとそう見えていたと思うのよ」
「なら、なんで、止められなかったんだ!」
「フレディ……、アナスタシアやジュリエットは万能じゃない。害の少ない方向性を示せるにすぎない。それは分かっているだろう」
アルフレッドの言い分は頭では分かっている。
トワイニング家が、長らく中枢として機能してきたのは、アナスタシアのような予言の聖女が産まれるからだ。
「だからって、これはないだろう……」
「ごめんなさい、フレディ。私もルーシーが傷つくのは嫌だった。
でも、これはどこかで、起こる未来なの。早いか、遅いか。激しいか、穏やかか。そんな違いしかないのよ。
ここでなければ、ルーシーはもっと大きな怪我を負ったはずなの。
これ以上良い道は見えなかったの」
俺は座っている椅子の背もたれに体をあずけ、足を組んだ。
ジュリエットとアルフレッドは寄り添って立っている。
「それは、熟れた桃の茶葉をジュリエットに与えた女性騎士や、今回の公爵令嬢も、すべてを守る道として、最善ということだろう」
「そうね。私たちが望むのは、静かな変革ですもの。荒々しいことは望まないわ」
「フレディ。急きょ、明日以降に予定されていた話し合いが早められた。俺はお前を迎えに来た。トワイニング家公主がお待ちだ、会議室へ急ごう。
ルーシーの傍にはジュリエットが残る。お前より、ずっと世話上手だ。任せても問題はないだろ」
「……わかった」
俺は立ち上がり、椅子を退いた。ジュリエットが近づき、椅子の背もたれに手を添えた。
「娘が刃傷沙汰を起こした公爵は動揺しているわ。考える時間を与えず、承諾の密書にサインをさせれれば成就よ。
ここで変革を成し遂げることができたら、公爵家と侯爵家の無用な政権争いが起きない。城内で戦闘が生じれば、ルーシーがどうなるか分かるでしょ。
フレディ。あなたなら、ちゃんと未来を選ぶことができるわよ。護衛騎士の彼女が城内で私を守り、取り返しのつかない傷を負う未来を回避できる。今だけは、感情に流されずに、態度と言葉を選んでください」
「……そのつもりだ」
俺はぐっと奥歯をかんだ。
「行こうか、アルフレッド」
「うん、行こう」
俺はルーシーをジュリエットに任せて、部屋を後にした。
会議室では、トワイニング公国の公主が憮然とした顔で上座に座っていた。その表情や態度も、半分は演技だろう。
これから公爵家に畳みかけるように責任を取らせていく手筈は整っている。
幽閉された公爵令嬢が、色々と自白した体をとるつもりだろうが、実際はすべて、彼女がしゃべる前に把握されている。
クリムフォード国内に潜む間者は優秀だ。正体知れない内通者が逐一報告していることだろう。
現宰相の公爵も、娘の行為を知っていながら、知らぬ存ぜぬを通すはずなので、おあいこだ。
丸いテーブル席には、各人用の水差しが置かれている。席は決まっており、案内された座席に座る。
今回、召集されたのは、殿下であるアルフレッドと俺、現宰相の公爵と、次期宰相候補の侯爵だ。
続いて入ってきた無表情の侯爵。壮年の男性で、次期侯爵を継ぐ長女に子爵家の婿をとらせている。
今回の一連の出来事は権威譲渡とともに、侯爵家と俺への楔。間接的な、見せしめの意味もある。
アナスタシアとの関係から距離を置くため、下級文官になって以降、公国には足を踏み入れないようにしていた。アルフレッドは王を支える殿下という立場上、何度もこちらへ通っている。
おそらく、俺の待遇についても助言があっただろう。詮索はできない。ここに予言の聖女がいると知っているのは、血縁者と認定されている者だけだ。
侯爵や公爵では、つまるところ、そこまでは知らされていない。
今後の体制は公国、いや、予言の聖女を抱える皇国の威光をもって決する。俺たちは、ただその予言をつつがなく実行する表の顔に過ぎない。
所詮、俺も分家。下位に属する。平民の文官だ。
静かな会議室に、神妙な面持ちの公爵が入ってきた。
公爵令嬢の刃傷沙汰を皮切りに、彼女が自白したとされる、ジュリエットへの行為を責め立てられた。
彼女の出自はどうあれ、現在はトワイニング家の次女。娘に手を出したとなれば、父として怒りをあらわにするのは当然とばかりに責める。
(本心はどこにあるか、知れないともね)
これだけのことをしているとあげつらい、名誉も権威もすべてを失墜させる過程をほのめかして後、恩情を与える。
公爵は、不名誉を恐れ、私財の没収を免れるために、承諾の密書にサインをした。反故すれば、一族郎党命はない。
クリムフォード王国へと戻り次第、健康上の理由をもって宰相を辞職し、殿下が承認する流れが確認され、幕引きした。
公爵令嬢は、一年の謹慎を申し渡すにとどめた。
公爵がしょっ引かれるように退出する。
彼もまた幽閉される。こちら側の手筈が整うまで、不穏な動きを封じるために。
俺と侯爵の役回りは、クリムフォード王国の体制制度の改変。その密命を承った。
殿下は結託の顔。
侯爵は変革の顔。
俺は、二人の影に潜むフィクサー。
(結局、俺も手駒だ。権威を得て、隆盛を極めたと思い違いを起こせば、公爵と同じ憂き目にあう。
公爵失脚を見せることで、自覚しておけということだ)
ただ、この公爵、すでに失脚の可能性は考えていたようで、長女である公爵令嬢は手元に置いていても、社会を学ぶ、力試しという名目で、長男はどこぞの商家へ修行に出させている。
どうなろうとも道を残しているところが、さすがだよ。
息子を商家として勃興させてゆく道を残しながら、自身もまた中央にしがみつく意志をもっていたということだろう。だから、私財没収はさけたかったのだ。
(まっすぐなグレイス家は、こういう雰囲気が馴染まず、権威と距離をとっていたのかもしれないな)




