第62話:幻の恋敵
淡々と語られる内容に耳を疑う。妃殿下の背景が予想を超えていた。
滅多に表に出てこない公国の令嬢という、何不自由ない方と想像していただけに語られる内容のギャップに仰天した。
殿下に見初められなければ、どうなっていたことだろう。
下働きの侍女として生涯を終えたのだろうか。あれだけ華やかで愛らしいジュリエット様が?
ああそうか、無垢は、仮面なのだ。
彼女にとって、知って知らないふりをして、愛らしい人形のように構える姿が鎧であり、時にふと見せる猛禽類のような目こそ、彼女が心底に隠す、本来の世界を見る目なのだろう。
フレディとアナスタシア様の関係性も知りたかったけど、それを飛び越えるほど、ジュリエット様の生い立ちに、私はあんぐりと口をあけてしまった。
極めつけは、熟れた桃の香りの茶葉は避妊茶……。それを知っていたということは、妃殿下自ら子どもが産めないようにしていたということだ。
そもそも、あれは私の前任者が持ってきた茶葉。
では、前任者が妃殿下に避妊茶を……。
なんで?
「大丈夫、ルーシー。話についてこれてる?」
私は頭を左右に大きく振った。あまりのことに声も出ない。
「ねっ。初めて聞くと驚いてしまうでしょ。トワイニング公国に入ってから、突然知ることになるよりは、事前に私の口から告白しておいた方がいいと思った理由もわかるわよね」
機械仕掛けの人形のように、瞬きも出来ずに私は、再び大きく頭を上下に振る。
「避妊薬を飲んでいた事情も簡単に伝えておくわね。
あれは、あなたの前任者が用意した茶葉で、彼女もその茶葉の効能を知っていたわ。
あの方は、とある公爵家とつながりがある方で、私の妊娠出産などを望まない側の方だったのよ。
ほら、夜会で自分の娘を連れていた方がいたでしょう。殿下とも毎回必ずお話している、あの方よ。現宰相の公爵様ね。
彼女はあちら側の方だったの」
「……そんな。でもあの茶葉は、女官長は承認されています。冷静に考えて、そんな茶葉を承認するとは思えません」
「なぜってねえ。その女官長も公国から遣わされている間者の一人ですもの。表向きは、忠実な官僚でも、本質は裏方の調整役なのよ。
あっ、これはフレディも知らないのよ。だから、彼は殿下が休みを調整したと思っているけど、実権を握っている方がこっち側なの。だから、休みをもらうのも、見合いの部屋を秘密裏に借りるのも簡単だったのよ」
もう、言葉もない。
まるで、公国にゆかりのある人々が、国の要職にはびこっているようにさえ感じてしまう。
たぶん、実際にそうなのだろう。
(公国から出てきた初代王は、公国の分家筋にあたり、その血縁関係をもって、クリムフォード王国はトワイニング公国の配下にあるとすれば。まるで裏では主従逆転じゃない)
世界がひっくり返るようだった。
王を頂点とする王国と思っていた国が、一領地を治める公国の支配下にあるなんて!
つまりは、世界の中心はトワイニング公国、いいえ、違うわ。トワイニング皇国であり、その皇国をいただきとして、我が王国が……、まるで支店のようにあると見えてしまう。
まさか……。
「周辺諸国も、と言うことはありませんよね」
「さあ、どうかしら。色々あるみたいだけど、私は深くは知らないわ」
にっこりと笑う妃殿下。
知らないと言いながら、それは肯定。きっと周辺諸国ともなんらかの繋がりがあるということね。
恐ろしいわ。妃殿下の言うように首を突っ込む話じゃない!
「では、私は、これから、世界の要人が集まる会に行くことになるのですか」
「うーん。今回はそこまで大々的じゃないわよ。王国内の内部バランスの調整と、やっぱり、アナスタシアお異母姉様がルーシーの顔をみたいだけなんじゃないかしら。
むしろ、後者がメインかもしれないわよ。
異母姉はフレディのことを本気で好きだったと思うもの」
それも怖い。公国の継嗣に目をつけられているようで、私の全身から血の気が引いた。
「心配しないで、取って食べられたりはしないと思うわ。もう、旦那様もいらっしゃる身ですもの、異母姉も変なことはできないわ」
聞きようによっては、伴侶がいなければ、ちょっかいを出す可能性があったということよね。恐ろしいわ。
ジュリエット様のお姉様でしょう。
絶対に一筋縄ではいかないわ。
真正面から恋敵になるなら、逃げだしたくなる相手よ!
気が遠のきそう……。
フレディへの気持ちが、そんな小さなことでしぼむものではないとしても、相手が結婚していると聞いてほっとしてしまう。
誰かと一人の男性を取り合う経験なんてないもの、なりふり構わず、フレディを引き留めようとできるものかしら。
その場にならないと分からないわ。
それから、妃殿下の驚く幼少期の話を聞きながら、私は馬車に揺られていた。誰にも言えなかったであろう過去を妃殿下は淡々と語り、私もそれを黙って聞く。
(もう、妃殿下の護衛という立場から逃れることはできないわ)
そんな自覚が芽生えた。
過去を共有することで、私は彼女にこれからずっとついていくことになる未来への道が見えた。
フレディにとって私と婚約することが未来を限定する側面があるように、それは私にとっても同じだったのだ。
たとえ縛られたとしても、これは私の選択だ。
フレディがいいと宣言し、彼に『結婚しよう』と告げた私の意志。
ともに生きることを決めた私は、その清濁すべてを飲み込む。
願わくば、どうかその道が、なだらかで豊かな道でありますように。
妃殿下から驚く話を聞かされながら、馬車は公国内へ入る。初めて足を踏み入れるかの領地は、静かだった。
人々が淡々と暮らしているようで、騒がしさとは無縁のように見えた。寂れているわけではないけど、活況も呈していない。
妃殿下の言うように、平民のなかに稀に彼女と同じ髪色の人を見かけた。
村をのぼり、町になり、公国の城に近づくごとに街並みは整えられて行く。
私たちの馬車は公国の中心に位置するという、トワイニング公国の公主が住まう城に到着した。
フレディとアナスタシア様の関係はどうあれ、私は妃殿下の護衛として赴いたのだ。彼女の身辺を守ることが第一と、気を引き締める。
馬車を降りた時だった。
「ジュリエット。よく帰ってきたわ、久しぶりね」
妃殿下によく似た快活な声が飛んできた。