第58話:緊張感が解れた果てに
私はぱっと両手をフレディから離した。
苦笑するフレディ。
周囲をみれば、うなだれた父以外の家族から温い目を向けられている。
やらかしたことは明白だ。
ぶわっと体が熱くなり、恥ずかしくなった。
祖母が咳ばらいをする。
「ルーシー……」
「はい」
呆れ声で名を呼ばれて、熱くなった体が緊張した。
「あなたの気持ちはよく分かりました」
「……はい」
私は両手をひざにつけ下を向くと、顔をあげられなくなる。
「妃殿下から三日休みをもらって、二人で出かけていると聞いていたけど。本当に良くしていただいたのね」
「はい……」
母の冷静な声音が痛い。
思い返せば、食事から始まり、滅多に泊まれない部屋への宿泊や、男性から初めてドレスを買ってもらうなど、楽しいことばかりで、嫌な思い出など一つもない。
「お嬢さんを私に下さいという前に、ルーシーにお株を取られてしまったね」
「……すいません」
フレディの声は楽しそう。呆れるを通り越して、楽しまれているわ。
私一人、ますます小さくなってしまう。
「お母様、これはもう、了承するしかないわ。フレデリック様のおっしゃる通り、アナスタシア様の好奇心であるなら、私たちが懸念したことはひとまず大丈夫そうですもの」
「そのようね、アンナ。フレデリック様もルーシーのことを守ってくださる心づもりであるなら、私たちが反対するのも、無粋だわ」
おずおずと顔をあげると、母と祖母が、頬に手を寄せてため息交じりに語りあう。
私とフレディは黙ってその会話に耳を傾ける。
「本当に今は恋愛で結婚することもあるのね」
「時代が変わってきていますもの、お母様。茶葉を購入いただく貴族の家々の結婚事情も、恋愛関係から家同士のつり合いを見て、婚約するということも増えましたし。つい先日なんて、侯爵家が子爵家の優秀な男性を婿入りさせたんですよ。子爵家から侯爵家なんて昔なら考えられない組み合わせですよね」
「時代の流れなのねえ……」
理解できないわと言いたげに、祖母は左右に首を振った。
「集めた釣書も不要でしたね。妃殿下からのご紹介で婚約が決まったとあればだれも何も言えませんもの。ご縁が無かった旨を伝えるのも心が軽く、ありがたいですわ」
「数日前に紹介されて、この数日で気持ちが固まるものかしらね、アンナ」
「そこは、お母様。ルーシーの発言を覚えておられて」
「なにかしら」
「この家を出て寮生活を始める前に、『気になる方がいる』と話していたでしょう」
「そうだったかしら」
「ええ、お母様、私はしっかりと覚えています。フレデリック様も同じ職場ですものね……」
母がちらっと私と見た。
フレディのことを以前から知っていたのではないかと疑っているのだろう。違うけど、もうどちらでも良い。フレディは殿下の仕事を補佐していたのだ、接点があったと誤解されても当然な気がする。
(うん、黙っていよう)
下手にしゃべってボロが出ては身もふたもない。
その時、フレディが語り始めた内容に私はぎょっとした。
「確かに、妃殿下より紹介を受ける以前から私はルーシーのことを知っていました」
私の身が再び固まる。
(フレディが私を知っていた! 嘘でしょ)
私はフレディを知らないのに。
いったいどこに顔を合わせる機会があったというの。
「あら、あら」
「そうでなくては、これだけ早く気持ちは傾かないわよね」
祖母と母がうんうんと頷き納得する。
「はい。夜会で妃殿下の護衛をしている時や、裏の食堂で遅い昼ご飯を食べている時など、直接話す機会はなくとも、姿や顔は見たことがあり、私にとっては気になる方でした」
(見合いの席が、初対面じゃないの!?)
驚愕の事実に私の口はパクパク動き、声も出ない。
「あらいやだわ。それでは、妃殿下の紹介というのも、外堀を埋める手段だったの。ルーシーをたぶらかすことも含めて!」
「たぶらかすってなんですか、お婆様」
さすがの私も噛みついてしまう。彼は親切で優しかった。そんな風に言われるのは不本意だ。
「お母様、それは言いすぎですよ。
ルーシーがこれだけ心酔しているのですもの。とても良くしていただいたのよ。見てくださいな、この衣装とアクセサリー。ルーシーが用意したとは思えません。これはフレデリック様からのプレゼントでしょう。
ねえ、ルーシー、そうでしょう。これはフレデリック様のプレゼントでしょう」
「ええ……、彼が見立てて、くれたの」
「よく似合っているわよ」
「ありがとう」
褒められてもどういう顔をしていいかわかないわ。
ワンピース二着、アクセサリー一揃い、さらには、ドレスまでもらっているんですもの。
「衣装なのですが、実はこのワンピースの他にも色々。例えば、ドレスも彼女にプレゼントしています。そのドレスを結婚式の披露宴で着たいとルーシーも希望しておりまして。
婚約や式などはまだまだ先ななかで先走るようで申し訳ないのですが、つきましては、こちらで保管いただけないでしょうか」
「あらあら、もうそんな話にまで進んでいるの。気が早いわね」
「ちっ、違うわ。お母様。ドレスがあまりに素敵だったから、一回袖を通して手放すより、私の記念日に着たくなったのよ」
そういう理由がないと受け取れないぐらい高価なドレスで、初めてもらったドレスだし、彼と寄り添って並んだ思い出もあって、手放せないだけなのよ。
ああ、全部説明しきれなくて辛い。
「妃殿下からの紹介、殿下からの後押し、トワイニング家からの手紙と色々気をもんでいたのに、蓋を開けてみたら、もう出来上がっているのね」
「お母様、出来上がっているってなんですか」
「私たちに反対する余地もなく、すすめてしまっているということよ。そうでしょう、フレデリック様」
「私はただ、私の示せる好意を彼女に見せたかっただけです。彼女の気持ちを砕くため誠心誠意努力したまでです」
「物につられるなんてねえ」
「ちっ、違うわ。お婆様、フレディが傾けてくれる誠意が心地よかったのよ」
「あらあら。ほだされちゃったのね。年上の男性ですものね、上手にリードしてくれたのね」
「お母様!」
その時、盛り上がる私たちの横から、小さなくぐもった嗚咽が響いた。
場がしんと静まり、声の方を向くと、父がうつむいたまま、男泣きしている。
(なんで、なんで、ここでお父様が泣くの!?)
意味が分からず、私が閉口していると、横にいたフレディがすっと立ち上がり、私の前を通ると父の足元に跪いた。
「お義父様、どうぞ顔を上げてください」
父の顔が傾き、涙目が光る。
フレディが父の手を取り、もう片方の手を自身の胸に添えた。
「私はルーシーを愛しています。
先ほど述べたように、全力を持って彼女を守り、彼女を大切にします。
お義父様、どうぞ、あなたの最愛の姫君を私にください」
父の両眼からぶわっと涙がふきだした。
目も当てられないほど太い涙の線が頬に光る。
ぐしゃっとつぶれた顔で父がうんうんと二度頷いた。
そして、言葉にもなっていない涙声で言った。
「よろじくだのむ(よろしくたのむ)」
私はざっと周囲を見た。
母と祖母、それに祖父が薄笑いを堪えている。
号泣する父を前に、フレディは、それこそ王子様のように跪き真顔で父を見つめる。
泣きはらす父こそが、まるで姫のようだ。
私の婚約話の席なのに、最後は父に持って行かれた。




