第54話:のたうつ気持ち
「なら、フレディは私のものよね」
言葉を失うフレディの顔を見て、血の気が引いた。
(変なこと言った!)
口に出してしまった失言は取り消せない。
弾みで出たとはいえ、女性が男性に告げるには、はばかられる一言だわ。
言い訳をしたくても、あわあわして次の言葉が紡げない。
なのに、フレディは笑顔になる。いつもの優しそうな表情だ。
「そうだね。俺は、ルーシーのものだよ」
がんと頭を叩かれたようだった。
失言を肯定されては、言い訳もできない。
フレディがまた果物をむき始める。
楽しそうに口元をほころばせながら、するすると皮をむいていく。その慣れた手つきに見入ってしまう。
(器用……)
実を手でつまめるサイズに切り取り、包丁にのせて私に差し出す。つまんで、食べた。甘酸っぱい果実を頬張る私は、少しいたたまれない。
フレディも果物をひとかけ口にほおり、咀嚼する。彼は飲み込んでから話し始めた。
「偶然ってすごいな」
「なにが」
「すれ違ったこと。
あっちも幸せそうだったけど、ルーシーだって向こうから見たら、幸せそうに見えたかもしれないだろ」
「どうかしら」
少なくとも、私はフレディが気づくぐらい変な顔をしている。相手がそれをどう受け止めたかは分からない。
マシューは去り際に言っていた。
『同期の騎士だよ』
そのセリフはそっくりそのまま、私のなかにある、今のマシューの位置づけと被る。
(私にとっても、マシューは過去の人になったのだわ)
フレディがいてくれたからだ。彼が一緒にいてくれたから、良かった。
私一人ですれ違っていたら、そのように受け止められたか分からないもの。
「俺は、あっちが幸せそうで良かったと思うよ。これで、ルーシーが引け目を感じることはなにもない。心置きなく、幸せになれるね」
「意味が分からないわ……」
「俺が、ルーシーを幸せにしてあげるって言っているんだよ」
涼しい顔でしれっと言ってのけるフレディに、私はきょとんとしてしまう。
(幸せにしてあげる?)
言葉を理解し、ぼわっと体が燃えるように熱くなった。
「幸せにって……」
「順番は食い違うけど、子どもができるまでは楽しくやろうね」
ぴきっと体が固まってしまう。
(こっ、子どもって、気が早くない! そりゃあ、乳母の話を持ち出した経緯はあるけど。あれだって、妃殿下の提案をそのまま伝えただけなのに)
果物をむき終え、小皿にまとめて乗せたフレディが私にそれを差し出す。
「すぐ作るから、果物をつまんでまっててね」
「ありがとう」
果物が載った小皿を両手で受け取った。キレイに切り分けられ、均等に並んでいる。
ふきんで手をふいたフレディが材料を並べる。野菜類を軽く洗い、切り始めた。
どうしよう。ここにいてもいいのだろうか。
私は、果物がのった小皿を手に、身の振り方に困る。
「ルーシー、一つちょうだい。果物」
作業を続けるフレディが顔を傾げ、軽く口を開けた。
「あっ、はい」
私は一切れつまんで、彼の口に寄せた。少し首をひねって、上手に食むフレディ。咀嚼して飲み込む。器用にも彼は料理を続けている。
「ルーシーも食べなよ。甘いよ」
促され、私も果物をつまみ口にする。さっきと同じ甘酸っぱい果実。香りがふわっと口内に広がった。
甘くて、美味しい。
「ルーシー」
呼ばれて、なにと声をかけようと顔を上げる。
フレディの顔が近づいてきて、ふたたびふわっと唇が暖かくなる。
(また!)
ふいを打たれて、全身のうぶ毛が総毛だつ。
またすぐに離れる。
硬直した私をよそに、フレディは楽しそうに口角を片方だけあげた。
「今回はやっぱり果物の味だ」
にっこり笑うフレディに、私はかっと体中が再び熱くなる。頬も耳も熱い。あわあわする口は、また声も出ない。
(ねえ、これって、反応を楽しまれているだけじゃない!)
フレディといると、恥ずかしくなったり、焦ったり、嬉しくなったり、いたたまれなくなったり、照れくさくなったり。
目まぐるしく変わる感情に身が持たない!
フレディに夕食をご馳走してもらい、食べ終わる頃には暗くなっていた。
送ってくれるというので、一緒に外へ出ると、雨も上がっていた。雲もなく、雨が降った痕跡一つ残ってはいなかった。
使用人のいない一人暮らしについて、フレディと話しながら歩いた。週に二度屋敷から掃除に来てくれる使用人がいること。一人は気楽であり、やめられないこと。ポーリーンや子どもがいる家だと落ち着かないから、出て良かったと思ったこと。夜遅くなるために、帰宅時間が惜しかったことなど、話が聞けた。
寮につくと、「また明日」と別れる。
昼頃に待ち合わせる約束を交わした。寮に一番近い通りに伯爵家の迎えの馬車が来るので乗って行こうと約束した。
寮の一人部屋へ戻る。
昨日から今日まで、まるで夢のようだった。
ものすごい長い旅をしてきた気分。
部屋に戻る前に、寮母から届いている荷物を受け取った。中を確認すると、昨日着たワンピースがきれいに畳まれていた。
(ああ、夢じゃないのね)
今着ているワンピースとレッド・ベリルのアクセサリーも、夢じゃないという証。
寝間着に着替えて、ワンピースを片づける。アクセサリーは机の引き出しにしまった。
夢うつつのままに、寝る用意を終え、ベッドに横になる。
昨日からの一連の出来事が、ぐるぐると蘇ってきた。
思い出すことは、一つや二つじゃない。フレディの一人暮らしの家に行き、彼の実家で彼の部屋で二人きりになり、宿泊施設で朝は寛ぎ、昨日の夜を思い出す。
記憶が巻き戻され、最後に思い出したのは、優しそうな印象を受けた文官のフレディ。初対面の印象が忘れられない。
やさしそう、これも縁、そう感じた時には、彼を好きになっていたのかしら。それとも、これは錯覚?
今の私が彼を好きだからそう思うのか、あの時から好きなのか。判別できない。
私はごろんごろんと左右に体を転がした。
「どっちでもいいか……」
今、私がフレディを好きであることが、すべてだ。
こんなことになるとは思わなかった。
妃殿下から紹介された、ただの見合いだと思っていた。
祖母や母がすすめる婚約者候補と大差ないぐらいにしかとらえていなかった。
形式的な見合い、互いに条件が納得できれば、婚約へと進む。ただそれだけのはずだった。
私はもう一度、体を捻る。
誰かを好きになるとか。
恋慕の情がわくとか。
相手の顔を見ると、途端に恥ずかしくなるとか。
そんな感情とは無縁の見合いだと思っていたのに。
現実は真逆だ。
体中が火照ってくる。
フレディの内面に触れて、けっしてそれが嫌ではなく、むしろ心地よく感じている。
(俺が幸せにするなんて、言っている意味がわかっているのかしら)
あのフレディが言うのだ。本気以外にあり得ない。
わかっていないわけないわ。
殿下に重用される男性がそんな馬鹿なわけがないのよ。
ごろんごろんともう一度のたうった。もだえるほど、恥ずかしくなる。頬が緩みそうになる。我慢しようとして口角が上がる。目じりが下がる。
絶対におかしな顔をしている。
私は両手で顔を覆った。
フレディと出会っただけで、世界がくるんとひっくり返ったようだ。
恋情があふれて、困り果てることになるなど想像もしていなかった。
変化は一瞬で訪れ、私のすべてをかっさらっていった。
翌日、寮まで来てくれたフレディと、迎えの馬車に乗り、実家へと向かった。




