第53話:その意味わかっている? その2
「俺、そんなに信頼ないかな……」
困り顔のルーシーは戸惑いを露にしている。
俺は天井を見上げた。
(俺も大概だよな)
彼女が男に振られる場面に出くわし、隠れ見ていたうえに、居合わせた夜会で二人の顔を見ているというのに。
日常は忘れていても、ルーシーの反応とすれ違った男とその連れの女の顔を見れば、否応なく思い出した。
知らないふりをしてあげるのが本当の優しさだろうが、俺はルーシーの口から聞き出したい。
男の名と、その過去を君がどう捉えているのか。
目線を降ろす。果物を切っていた手も降ろした。料理は一時中断。
「俺は、ルーシーになにがあっても気にしない。俺にだって、後ろめたいことはある。実家で父がちょっと話した内容、覚えているだろう」
ルーシーは頷く。
「俺の縁談について伺いがくると、いつも実家が断りを入れている。それでも、引き下がらない家や女性には、見合いの席を設け、俺からじかに断っていたんだ。断られる見合いになると噂が立った今では、呼び出されることもなくなった。
商家の集まりに出れば、昨日のように娘連れの挨拶もひっきりなしだった。主に参加していたのが学生時代だから、顔合わせのつもりで挨拶する者も多かったが、押しが強い家もあった。
商家にとっては取り込みやすい三男であり、女性たちにとっても、取り入りやすい立場に見えていたんだろう」
まっすぐに彼女が俺を見た。
「フレディならそれぐらい当たり前だと思うわ。なにもないと言われた方が信じられない」
「俺だって、同じだよ。ルーシーだって、十代前半の子どもじゃないんだ。誰かと付き合いがあっても不思議に思わない。騎士養成機関卒業式後のイベントは有名だからね」
一般的に知られている小話を挟む。
ルーシーは考えあぐねている。
見られている自覚、俺の寛容さを天秤にかけているのかもしれない。
「すれ違った亜麻色の髪の男は知り合い?」
ルーシーが視線を横に流した。
少し苦しそうな顔になる。男に振られたことを思い出しての苦しさか、彼が身重の妻を連れて歩いていたことへの嫉妬か。
「そうよ。隠しても、いずれ会う時もあるから話すわ。
私は彼にふられているのよ。突然、身を固めるから、と言って、去っていきそれっきり。
ちょうど、私が近衛騎士になった前後ね。
でもね、もうマシューには何の感情もないのよ。彼が、今の奥様と一緒に歩いているところを見てもなにも感じなかった。
彼が彼女といても何も気にならなかった。
ただ、私は……。
フレディ、あなたに知られることが嫌なだけだったのよ」
ルーシーは真っ直ぐに俺を見つめてくる。
彼女の意志を伴う眼光は、罪悪感に変化し俺を刺した。
建前という本心を隠す黒いベールを彼女の意志が照らし、暴く。霧散した寛容という建前の奥にある感情は、黒かった。
闇よりも沼に近い、どろりとした黒。
嫉妬しているのは俺の方か。
彼女のなかに、まだ男の存在が残っていないか気になった奥底には、ふった男への嫉妬と、ルーシーへの恋慕を越える執着がねばりついていた。
真に寛容であるなら、彼女がどう思おうとも、彼女を信じることだろう。
ルーシーを信じていないわけではない。
ただ、今ここにいる彼女は俺のものだと、言いたいのだ。
それを、ポーリーンのように駄々をこねられないから、年相応にかっこつけて建前で覆いつくし、あたかも、冷静さを装っていたに過ぎない。
男の名を知りたがり、彼女のなかの男の存在価値を計りたいと思った時点で気づくべきだった。
彼女の凛とした光は、俺の狡さをうきぼりにする。
凛とした彼女のあり様はまさに騎士。彼女の強さが眩しい。
悪い俺は、男の名を知れて、心底でほくそ笑んでいた。
「マシューとは、彼の名前か?」
「そうよ。マシュー・バロウズ。バロウズ子爵家の次男よ」
「ああ……、なるほど」
マシュー・バロウズ。
数回、頭の中で繰り返し、名を記憶に刻んだ。
俺の中で、顔と名前が一致する。
(バロウズ……)
その家名は知っていた。
今は他部署へ異動したが、宰相の執務を補佐する上級文官にバロウズという苗字の男がおり、彼もまた子爵家だった。
ルーシーがふられた男が彼の縁戚か? だとすると、なんの因果か。
彼女が振られた現場に遭遇したのも、宰相宛ての文書を届けるためだった。ルーシーを見送った後、宰相の補佐室で書類を手渡した。その時受け取ってもらったのが、その上級文官だ。
名はハリス・バロウズ。年齢は三十は超えており、オーガスタスに年齢は近い。
おそらくマシューとハリスは縁戚。いや、もしかすると兄弟かもしれない。
あの時、彼に、俺は告げたんだ。
『ご結婚おめでとうございます』
あのハリスの弟か……。
「フレディ……、嫌じゃない?」
不安げに覗き込むルーシーに我にかえる。
「いや。まさか」
「私のこと、どう思う。嫌にならない。不快にならない」
眉間に皺をよせ、苦し気な表情なルーシーが不憫に見えた。
俺は元々君がふられた場面を見ており、男の顔も知っていて、告げずにいるというのに。
ルーシーの気持ちと男が誰か知りたかったという本心は、心底深く埋めた。
俺は真に寛容な男ではない。そんな自分が正直、意外でもあった。
「ならないよ。なるわけがない。さっきも言っただろう。俺は気にしないと。
それに、俺にだって、触れられたくない過去ぐらいあるさ」
「さっきの見合いの話?」
「そう。ルーシーが一人なら、俺なんて何人いると思う?」
断った数なら、両手を越える。
父が『その中で、一人、なかなか、納得してくれないお嬢様がいらっしゃった』と誤魔化した相手は、さらに言えたものじゃない。
商家の令嬢のなかにそんな女性がいたように父は伝えているが、実態は違う。
相手は、トワイニング公国を治め、辺境伯を名乗るトワイニング家の長女。
(俺が結婚するとなれば、からかい半分に横やり入れてくるかもしれないよな。邪魔するほど無粋ではないが、大人しい女ではない)
なにせ、あの王太子妃ジュリエットの異母姉である。
現在は結婚し、伴侶と仲良くやっているとはいえ、俺が結婚するとなれば、どこかで嗅ぎつけてきてもおかしくない。
(ましてや、グレイス家の一人娘の継嗣となれば、面白がられることは必須だよな)
過去を蒸し返されて、面白くないのは、ルーシーより俺の方だ。
ルーシーが片手をぱっと広げた。
「これぐらい」
「もう少し多いかな」
ふうんと彼女は目を丸くする。実感を伴わないからだろう。
「もう断っているんでしょ」
「もちろん」
「関係だってないんでしょ」
「そうだね」
「なら、フレディは私のものよね」
反応に窮する。
その意味分かっているの?
そう聞きたくなったが、悪い気はしなかった。
ルーシーの懸命な表情が愛おしくなる。




