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「俺の家が、この近くにある。婚約者の家だ。問題ないだろう」
「はあ……」
穏やかな人だという初見を崩したフレディの素の顔はルーシーの予想斜め上を行く。上流貴族並みの生活をし、気難しい性格をのぞかせる。早々にぞんざいな素をさらす潔さに悪い気はしなかった。隠されて、結婚後に明かされ、驚かされても困惑しただろう。
「俺も、ルーシーと一緒だ。からめとられるなら、それはそれでいいとしている」
「……はあ……」
フレディは頬杖をついて笑む。
「ルーシーが妃殿下の手駒になって良いと思うのと同じように、俺も殿下の手駒になることを楽しんでいるよ。俺たちは似ているんだろうな」
「……はあ……」
さっきから、返事しかしていないルーシーは、フレディをどうとらえていいか分からないでいた。似ているという結論は、初対面でルーシーが得たフレディへの印象と同じではある。
仕事を理由に振られたと知られたら、自分の方がルーシーより出世すると言い切る。恋愛はこりごりだと言ったら、そんな振り方はしないと言う。殿下や妃殿下にからめとられることを楽しむ境地にいることを共感し、互いに似ていると確信すれば、近所に自宅があると言う。
見ず知らずの男性の家に突然上がり込む気にはなれないが、婚約者だと言われたら、断ることもどうかと惑う。
ルーシーはフレディとの距離感を計りかねていた。
「行こう」
財布から紙幣一枚机に置き、フレディは立ち上がる。店員がすかさず、彼に寄っていき、耳打ちするが、片手をあげて「いいから」と言う。
フレディの所作に、ルーシーは、貴族とか平民などという身分の違いより、彼が年上の男性であるとつくづく思い知らされる。
慣れた王宮ではそこそこ対等にふるまえる素養は備えていても、このような場ではただの小娘でしかない。
店員が、置かれた紙幣を受け取り、礼をし去った。
フレディの視線がルーシーに向けられる。
戸惑っていることを察してか、手を差し述べてくる。
「ここね。実家の店の一つなんだよ」
彼の手のひらをまじまじと見つめた。
手をのせ、立ち上がったら握られて、ルーシーの指先は困った。
「行こう」
フレディはどこか楽しそうだった。
ルーシーには彼がよく分からない。穏やかそうだと思ったらぞんざいで、かと思えば、なぜか優しい。
『この手を握り返していいのだろうか』
少し前を歩くフレディの背と、彼が握っている自身の手を交互に見つめた。
そのままいくつかの店を渡り歩く。
数件隣の肉屋に顔を出す。
多種類の肉が干されていた。ウサギ、ネズミ、鹿、豚、牛、馬、鳥など。生肉より加工された肉の方が多い。日持ちするように、干し肉にされたり、腸詰めにされた品が細長く巻かれつり下がっている。
ルーシーはしばらく生肉などお目にかかっていなかった。養成機関中に野外調理は経験あるものの、王宮勤めになってからは、料理は料理人の仕事であり、実家に戻っても専属の料理人がいるため台所に立つこともなかった。
フレディは腸詰めにされた品を購入していた。
その間も、手を離さない。買い物をするには不便だろう。
自分から手を離そうと言うのがいいのかさえルーシーは分からない。不意を打たれたまま、ぼんやりと後ろからついていく。
次に野菜屋に入る。
オレンジ、赤、緑、白。土がついたままの根菜。艶やかな黄色い果実。赤いベリーにオレンジの柑橘類。色鮮やかな野菜と果物がならべられていた。
ここでも手をつないだまま、店主に見繕ってもらって、購入する。荷を入れた袋を受け取った。
『どうして、手を離さないのだろう』
慣れない状況にルーシーは心細くなっていた。年齢以下の小娘になりはてて、隣に立つフレディがものすごく大人に感じてしまう。
貴族と平民という垣根より、男女差や年齢差の方が際立ち、ルーシーは何をよりどころに立っていればいいのかも分からなくなっていた。
「パン屋に寄ったら、家にいこう」
戸惑うルーシーをよそに、フレディはどこか楽しそうだ。
前をむくと、親子連れがむかってくるのが見えた。ルーシーがびくんと緊張する。
フレディが小さな彼女の反応に気づくも、涼しい顔を崩さない。
すれ違う時に、ルーシーは男をちらりと見た。男もちらりと見て、目をそらした。妻が目ざとく、「知り合い」とささやいた。
背後から「同期の騎士だよ」と妻に男はささやく。
抱いていた子どもはぐっすりと父の肩で眠っていた。
ルーシーはフレディの手をぎゅっと握った。
フレディはパン屋の扉を開く。カランカランと扉に括り付けられたベルが鳴った。
「いらっしゃい」
三角巾をつけた女の子がいた。並んだパンを置いたカウンターの向こうに立っている。
フレディは慣れた様子で、カウンターに肘をかける。
「丸パン六つおねがいします」
「ティン、パンが焼きあがったよ」
フレディの注文に、奥からの呼び声が重なった。
「フレディさん、焼き立てでましたよ。ちょっと持ってきますね」
ティンと呼ばれた女の子がピンと立ち、店奥に下がる。ほどなく籠一杯に詰められた丸パンを持ってきた。
「良かったですね。焼き立ての丸パン、六つでよろしいですか」
元気の良い女の子が、熱々のパンを紙袋につめる。フレディは硬貨をカウンターに置いた。
フレディの両手がふさがっており、パン屋の女の子は受け渡しに戸惑う。
「この娘に、パンを渡してね」
ルーシーは、まだ柔らかさが残るあったかいパンが入った紙袋を受け取った。
フレディに連れられて、店を去る。
「また、お待ちしております」
カランカランとベルが鳴り、扉が閉まると、ベルの音は消えた。
ルーシーはフレディがいて良かったと思った。男とすれ違っても、彼が幸せそうにしていることに引け目を感じ、言い知れない沼へと落とされることをとどめたのは彼の手だ。
ありがたいと心底思った。
フレディはしゃべらない。ただ、買い物をして、ルーシーを連れていく。
「あの……、これから、どこへ」
こんな不安げな声がでるのかとルーシーは驚く。まるで怯えているかのような自分に戸惑った。
「どこって、うちだよ」
「うち?」
「俺の家ね。ご飯作るから一緒に食べよう」
「作るんですか」
「作るよ」
「使用人は?」
「一人で暮らしているからいない」
あんなに使用人も料理人もいるお屋敷で育って、王宮の高給取りでありそうな仕事をしてて、独り身用の宿舎に入るでもなく、一人で暮らすとは……。
ルーシーはますますフレディが分からなくなった。