第49話:その意味分かってる?
「なるほどねえ……」
「意味、分かる」
「もちろん」
なにを考えているんだと、言いたげに、フレディは天井を見上げた。
「そうなると、俺はいよいよ、この状況から逃れられなくなるんだな」
「こんな、結婚、嫌かしら」
こめかみに指を押し当て、大仰にため息をつき、フレディは頭を左右に振った。
「いいや」
フレディは冷静な顔を前方に向ける。背もたれに体をあずけ、足を組み、腕を組んだ。
「うちは貴族としては求心力がないことは知っているでしょう。現状、どの勢力に与するわけでもないの。そんな私の事情を妃殿下はよく知っている。
さらに彼女は特定の派閥とは距離をとっていたいわけで、私が丁度良いみたい」
「利用されるみたいで嫌じゃなかったのか」
「裏があるのに隠さないところは、正直でいいと思ったわ。理由が明確で納得できる。なにより、妃殿下の傍は面白いもの」
「それを面白いだけで片づけるとはねえ、あの妃殿下に、この侍女ありだな。失礼、近衛騎士だったね」
「フレディこそどうなの? こんな話を聞いて、嫌にならない?」
「いまさらねえ。嫌ならとっくに逃げ出しているよ。俺、それほど、我慢強くないから」
「嘘」
「ほんとだよ。嫌なことは嫌だ。嫌だったら、殿下の元からとうに去っている。
この見合い話だって、嫌なら承知しないし。寝不足覚悟で、三日分の仕事を早回しだってしない。食事にも連れていかないし、家族にも会わせない。
っていうかさ……」
フレディが首を傾いで私を見た。
「どんな男か見ないで、乳母になるって前提で了承するって……、それもすごくないか」
変なところを突かれて私の目が点になる。一瞬、フレディの言葉の意味が分からなかった。
「えっと……」
「乳母になるってことは、あれだろ。
婚約や結婚を飛び越えて、子どもを産む前提も含むだろ」
「そうね。私の子どもと一緒に育てられたら楽しそうだとも、話されて……」
意味を解した私は血の気が引いた。次いで足先から沸騰するように熱に襲われる。体が火照り、耳の先まで熱くなった。
「あっ、あのね。誰でもいいってわけじゃないのよ、それは、違うの……」
私は身が縮む思いで、肩をすぼめて、下を向いた。
実感がなかったから、ああそうですか、と流せていたのだ。
「ルーシー……、うろたえるのに話を受けたのか。これはないという男性を紹介されていたら、どうするんだ」
「ええっと……ちゃんと断る、かな?」
「そこで疑問形か」
「妃殿下の提案ですし、逃れられないと思いましたし、妃殿下の考えることも面白そうだなと思って、いまして……他意はなく、それだけ、なんです……」
真っ赤になっているであろう耳に髪をかけながら、私は言い訳する。どう答えたらいいのか分からなくて、変な敬語もまざってしまう。動揺し、さらに動悸が早くなる。
重々しいため息が耳に届く。
「分かっているようで、分かっていないか」
「家のこともあるし、いずれは結婚しないといけないことは変わりなくて。家族と約束した明日という期限が差し迫っている状況でして。そのなかで妃殿下の申し出だったものだから、これもご縁と思ってしまいました……」
考えなしの私が恥ずかしくなる。
「勢いも大事なのはわかるよ。そうじゃないと結婚なんて踏み出せない。
特に、俺なんて、兄貴二人の状況をまぢかで見ている。まあ、色々、あるからな」
「私、そういうの、知らない……」
「知ったら、結婚するって決断しにくくなるだけさ」
「結婚しないと言っていたのは、そんな理由もあるの」
「どうだろ。縁がなかっただけかな。良い面も見てるから」
私は恐る恐るフレディを見た。
「うちは領地もあるし、茶葉で生計を立てている領民もいるから、どうしても安定志向なのよ。
それでも、祖母や母は私に誰か想う人がいるならと、時間をくれたの。いずれは家族のためにも結婚して、子どもをもうけるのは普通だと思っていのよ」
「貴族のお嬢様、さらには一人娘の継嗣なら、責任を感じるのは当然だよね」
「そうなの。具体的にどうとか考える前に、それが当たり前だと思っていたわ。結婚するのも、当然だと思っていたなかで、妃殿下が提案してくれて。その示された未来も興味深かったのよ。
あの方、本性は見た目とちがうじゃない」
フレディに呆れられているかのように感じて、多弁になる。言い訳がましいことは分かっていても、止められなかった。
「賢そうに見えても、ひょんなところで小娘だよなあ」
フレディはぶはっと吹き出して、そのままお腹を抱えて笑い出した。
「笑わないでよぉ……」
情けない私の一言に、フレディはさらに笑う。ひとしきり、笑い終え、涙目になった目じりをぬぐう。
もう、泣きそうなのは私の方よ。
「恋愛なんて諦めてたの。これ以上悪いことなんて、もう起きないと思って、受けたんですよ。妃殿下のお役に立つならいいかなって!」
「なにかあったの?」
「なにかって……」
「あったんでしょ」
フレディが覗き込んでくる。
私はちょっと身を引いて、顔を上げた。
「……」
「言いたくない?」
「……、それは……」
言わずに済むなら、済ませたい。
「振られた」
「……」
否定もできないけど、沈黙したままだと、それも肯定になってしまう。
「言いたくない? なら言わなくていいけど。
先に言っておく。俺、ルーシーにどんな過去があっても気にしないから」
気にしない?
本当に……。
誰かと付き合っていたことも?
振られたことも?
フレディを凝視していると、彼の手が伸びて頬に触れた。
「あっという間に進んで行くけどさ。結婚なんてこんなものかもしれないよね」
独り言のような呟きとともに、フレディの顔が迫る。
私はきゅっと唇を引き結ぶ。
フレディの指が頬を優しく撫でるごとに、体が強張る。
緊張のあまり、固まって、動けない。
彼の顔が傾いだと思うと、唇にあたたかく柔らかい感触がのる。
思わず、ぎゅっと目を閉じて、息を止めてしまった。
ふわっと唇の上を風が凪いだ。
ぱっと目を開くと、フレディが苦笑いしている。
頬に触れる手が離れようとした時に、彼の親指が唇の中央を撫でた。
「先が思いやられるね」
言葉とは裏腹に、フレディはどこか楽しそう。
なんで!?