第45話:招かれた彼の実家
がたがたと揺れる狭い車内に隣り合って座る。
車窓には薄手の黒いカーテンがかけられており、外から光は通しても、内部は見られない仕様になっていた。
フレディがどう感じているか分からないけど、私は終始ドキドキしていた。体の方が彼に対し、緊張とほてりをもって反応する。平静ではなく、心身がどこか浮ついていた。
薄暗くて狭い空間も悪いと思う。
彼を見てしまうと、視線が逸らせなくなりそうで怖い。
私は、車窓から景色を見ているふりをしたり、車内の装飾に視線を向けていた。
ドキドキしてても、話すのは楽しい。耳朶を震わすフレディの声も明るい。
仕事や家族を経て、個人的な話題に移っていた。
どの季節が好きか。猫と犬はどちらが好きか。好きな食べ物はなにか。
個人的な趣味嗜好について、話しては相槌を打つをボールを投げ合うように繰り返す。
話しているうちに、隣にいるフレディの体温が近くなる。肩が触れ合う。彼の手が座面に添えた私の手を包んだ。
うわっ。
見ないようにしていただけに、気配は感じていても、ここまで近づいてくるとは思わなかった。
逃げるような空間もないけど、逃げるような関係でもない。
触れられて嫌と言うこともなかった。
ちらっと横目で、眼球だけ動かして見上げる。フレディが口元をほころばせた。
優しそう。人前で会う時は紳士ぶって真面目を装っているけど、二人きりとか家族の前では人懐っこい。
時折、狡そうな顔をするのも、実はちょっと、いいな、と思う。本人には言わないけど。
まだ三日前に会ったばかりなのに、まるでもっと長い時間一緒にいるような感覚さえある。それだけ、昨日一日の時間が濃かったからだろう。
フレディの実家に着くまで、話していた。
話しながら、彼の実家が気になる。
(絶対に、想像以上の家が出てくるんだ)
今までの傾向から確信する。
気構えだけは整えておこう。
かたんと馬車が止まった。
フレディが身を乗り出して、外を眺めて、もう一度座り直す。
「ついたよ」
「降りるの」
「いや、もう少し乗っていて」
ああ、これは、あれですね。
さすがの私もぴんとくる。
門があって、お屋敷まで道が伸びているんだ。うちみたいに、門から十歩ほど歩けば屋敷につくような規模じゃないのよ。
(一日で慣れたわ。心構えができれば、そうそう驚かされないわよ)
私は胸を張って、少し肩をいからせる。
私の家も、庭も広いし、花壇もあるし、定期的に庭師もくるし、侍女も侍従も料理人も雇っている。貴族の家としてはそれなりに体面を保っている。フレディの家は、その規模が大きいのだ。
再び、馬車が止まった。
「ついたのかしら」
「うん。ついた」
程なく、馬車の扉が開く。
フレディが先に降りて、私を迎えるように降ろしてくれた。
見上げれば、伯爵家の屋敷と比べようもない豪邸がそびえていた。
(やっぱりねえ……)
三階建ての建物。左右の造りはシンメトリー。入り口は二階のなかほどまで届く大扉。窓や壁、屋根の造りはシンプル。特徴の無い形状美は流行を追っていない分、どんな時代にも適合しそう。
古い建物のようにも、新しい建物のようにも見える。
フレディに誘われ、手を繋いだまま、進む。
背後で馬車が走り去る音がして、音につられて振り向いた。走り去った馬車の向こう側に道が見えた。長い石畳の向こうに、模型のように小さな正門が青空に滲む。
芝生は丁寧に刈られ、青々としている。左右の奥から樹木が植えられているものの、こちらも手入れが行き届いていた。樹木さえも左右対称に植えられ、庭師の手により同じ形に整えられている。
(どれだけ広い敷地なのかしらねえ……)
維持するのもけっして簡単ではない。おそらく専門の庭師がいるだろう。
月に数回庭師を呼んで手入れしてもらううちとは比較にならない。
入り口をくぐり、広間に通される間も、飾られている調度品や絵画などに驚かされた。ここは美術館ですかと問いたくなって、口をつぐむ。これ以上何を言っても、詮無いことだ。
階段をのぼり、通された大広間は、入り口の真上にあたる。
窓から見下ろす左右対称の庭が美しかった。
部屋の端には、大型の楽器類が固めておかれている。
反対側には暖炉と応接セットがある。
中央部には縦長の大型テーブルがあり、二十脚ほどの椅子が並ぶ。
私は改めて、フレディが用意してくれた衣装の袖を引き、眺める。
そこかしこに美術品があるような家に招かれるなら、フレディが用意してくれたぐらいの衣装を身につけなければ、見劣りする。
こういう一つひとつにあらわれるフレディの思いやりにじんわりあたたかくなる。
「ありがとう、フレディ」
「なにが」
「フレディの実家だから、きっと豪邸だとは予想していたの。でもね、まさか、ここまですごい家だとは思わなかった。
調度品や絵画はもう美術品じゃない。廊下に飾られている絵のサインを見たら、有名画家の絵ばかり。一般的な貴族の家でも、一枚あれば家宝になるような絵が、ここには何枚あるのかしら。気が遠くなりそうよ」
「気後れする?」
私は左右に頭をふった。
「まさか。だから、ありがとう。
この場で私が浮いて、恥ずかしい思いをしないように配慮してくれて」
「どういたしまして」
フレディが嬉しそうに目を細めた。
少しは私、受け取り上手になれているかしら。
「ねえ、フレディ、食事はここでするの」
「そう。ここだよ。もうすぐ、父母と祖父母が顔を出すと思う。両親たちと挨拶してからの食事だ。食事が始まれば、ゆっくり挨拶もしていられないからね。兄貴や兄さんとは昨日挨拶しているから、二家族とも食事時に来るはずだよ」
「わかったわ」
私が思うより準備万端のようだ。
なにもかも、行き届いており、フレディの家の手際の良さに驚かされる。
「この部屋を使うとは思わなかったな。ここ、うちの迎賓室でも、眺めが良い部屋なんだ。庭が綺麗な左右対称に見えるうえに、それなりに広い。たぶん、家族全員集まる気がするよ」
「フレディが結婚する気になったことを喜んでいるのかしら」
「結婚する気がないと思われていた俺だからな。物珍しさに集まるんだろう」
窓際で話していると、大扉が開き、人が入ってきた。
扉を開いた執事風の男性が導きいれたのは、初老の夫婦と老年の夫婦。
フレディの両親と祖父母だとすぐに分かった。




