第42話:与えられたら、与え返せばいい
私が悩んで止まっていると、フレディの顔がこちらをむいた。僅かに開いた扉の小さな変化に気づいたのだろう。
私はゆっくり扉をあけながら、「おはよう」と小声で言った。フレディが近づく。心もとなくて、取っ手に手を添えたまま、扉側に体を寄せ、彼を見上げた。
「おはよう。よく眠れたかい」
「おかげさまで。広いベッドでびっくりしたわ」
「だよね。古き良き時代に王妃が実際に使っていたベッドなんだよ」
うわっと思ったけど、フレディと一緒にいる限り、この繰り返しなんだと、胸に手を当てて、自分をなだめた。
「あの……、服が欲しいの。昨日着ていた服はどこに置いてあるのかしら」
「ちょっと待っていて」
フレディは早足で、昨日飾ったドレスの後ろに回り、紙袋を持ってきた。歩きながら、中身をちらっと確認する。
昨日脱いだシャツとパンツは紙袋に入れて運んでくれている。いつもの服に着替えられると私は軽い安堵感を覚えた。
ありがとうと受け取って、元の部屋に戻る。
ベッドまで距離があるので、ちょっと横にずれて、その場で着替えることにした。
紙袋を開く。
中身を見て、私は固まってしまった。
(違う服!)
昨日、私が脱いだ服でもなければ、こちらに着てきた服でもない。見たこともない衣装が畳まれておさまっていた。
パール女史が用意してくれていたのか、これもフレディの周到さなのか。両方か。新品の服を着る喜びよりも、してやられたという敗北感が勝る。
しかし、今さら、これ違うと突き返すわけにもいかない。
素敵な服、と喜べない私も残念過ぎだろう。
綺麗な品を綺麗、可愛い品を可愛い、もっと素直に受け止められた方が幸せなのに。
慣れないことには、戸惑いと警戒心、拒否感が未だ勝ってしまう。
フレディより、私の内面の方がずっと問題ありだ。
(こういうことにも、慣れていかなくちゃいけないのね)
涙目になりながら、服を着替えるなど、一生のうちにそうそうない。
煉瓦色の髪に合う黒を基調としたワンピース。そでぐりやスカートの裾、襟首などに赤のポイントがあり、一緒に入っていたアクセサリーは赤い宝石がついたネックレスとイヤリング。黒いミュールにも、赤いリボンの飾りが添えられている。
(この石は、ルビーかしら)
宝石だけでも相応の価値がある。縫製も丁寧で、刺繍も細やか、生地の手触りも滑らかだ。日常着でも、これだけの衣装はなかなか揃えない。
服を着て、泣きそう、という感想もないよね。
パール女史が用意する衣装は、ワンピースであっても、私の給料では買うのにためらう品ばかり。アクセサリーも含めたら、総額幾ら? 私の給料、何か月分?
自問していたら、胃が痛くなりそうだわ……。
(これ、プレゼントなのかなあ。昨日のドレスやワンピースを含めたら、責任取って買いますなんて言えない金額なのよね)
責任をもって買い取ります、なんて言ったら、フレディも傷つくだろう。それは悪い遠慮だ。自分にできないことや、相手を傷つけることを考慮したら、受け取るしかない。
(やっぱり、一晩で慣れるものじゃないわ。……つらい)
脱いだ寝衣を紙袋に入れて、私は部屋を出た。
フレディは扉の横で待っていた。私の衣装を見て、笑む。
そういう反応するだろなと予想できる笑顔を向けられ、面映ゆい。
「ねえ、フレディ。このワンピース、昨日のとも違うわよね」
「うん。うちの実家へ挨拶に行くためのものだよ」
にこにこして、当たり前の口調で告げるものだから、ああそういうことね、と納得させられそうになる。
「昨日の服はどうしたの」
「洗濯を頼んだよ。終わったら、寮まで届けるように手配しておいた。きっと今日の帰りも遅くなるし、寮で受け取って、持ち帰ればいいよ」
「ええ、そんな。そこまで……」
「昨日のワンピースは、実家に挨拶に行く時にもいいだろう。洗って届けておけば、明日はそれを着ればいいだけだ」
用意してもらえるのはありがたいと思っていいものか。甘え過ぎと叱咤した方がいいのか。受け止め方に未だ迷う。
「ねえ、ルーシー。言いたいことがあったら言って。
我慢するのは良くないよ。俺に遠慮することはないんだ」
「でも……」
「どんな気持でも、率直に言ってくれよ。俺と君は違う人間だから、伝えてくれないとなにもわからないんだ。
どんなに憶測で、こうだろう、ああだろうと思っても、それは思ったことでしかない。結局は、偶像の肥大だ。実態と差が広がれば、誤解につながる。
俺だって、内側にある君の偶像を君という実態に近づけたい。要は、君を理解したい」
「フレディ……」
どうしよう。言っていいのだろうか。
折角、好意を寄せてくれても、実際の私が、フレディが語る偶像とかけ離れたものだったら、呆れられてしまう気がして、怖い。
「なにを言ってもいいの」
「うん。言ってくれないと何もわからないだろう」
ためらいが不安を呼ぶ。
結婚したいと思う相手に、嫌われたくない。
フレディのなかに私の良いイメージがあるならそれをなぞっていたくなる。そうしたら、最低限、嫌われなくて済むのだから。
「ルーシー。不安にならなくていいよ」
「顔に出てた?」
「出てる。保守的な気持ちから我慢しても、出るものは出てくるんだ。
俺だって、俺のことや実家のことを、驚かせないように伝えようと画策していたのに、まったくうまくいかなかっただろう。出る時には、出てしまうんだ。
初っ端から、兄貴に会うとは思わなかったからね。
結果、ルーシーに警戒され、結婚はなしにしようとまで言われただろ」
「そうね。それも、恥ずかしい限りだわ。自分から言っておいたことを、すぐさま覆すなんて」
「そう? 急激に近づこうとすれば、一度は強く反発するよ。徐々に仲良くなるぐらいが本来はちょうどいいんだ。
試し試し、相手を確かめるように。
そうしないと、我慢していた方が、急に相手を拒否するような、行き違いで大変なことになる」
ふとマシューと私の関係を思い出す。
マシューもなにか我慢することがあったのだろうか。
本心を明かせなかったから、あんな唐突な別れとなって吹き出したのだろうか。
相手を我慢させていたことに、私は気づかなかったと言うことなのかしら。
「俺を見て、ルーシー。今、目の前にいるのは、俺だよ」
視線を上げる。見つめ合って沈黙する。フレディは私の言葉を待っているようだ。
そわそわしてくる。
なにか言わなくちゃと、気が逸る。
「……あのね。色々あるの。色々あるのだけど。
例えば、このワンピースも、とても高価だわ。私の給料では日常着として買うことをためらう金額だと思うの。黙って、着ていていいのかなって。
でも、買い取りますとは言えないわ。そんなことを言ってしまっても、フレディは傷つくでしょう。だから、この場合は黙って、もらっておくのが正しいとは思うの。ただ、ちょっとだけ、そうね。心苦しいのよ」
本心を言い切ってから、ちらっとフレディを見た。
彼の表情は変わらない。返答もない居心地の悪さに、私はさらに言葉を続けてしまう。
「昨日からドレスにしろ、なんにしろ、色々してもらってばかりなんだもの」
してもらったことには消せない。受け取ってしまったものは、今さら突き返せない。
気持ちを切り替えるための、深呼吸を一つ。戸惑いと迷いを口にしたことで、その奥に潜んでいる、ほのかな本心が花開く。
「色々……。本当に、ありがとう」
変に遠慮しても、拒否しても、してもらったことは変わりない。
してもらったことを断るよりも、これからの付き合いで返していけばいいのだ。
「どういたしまして」
フレディは笑顔で受け止めてくれた。