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押し黙るルーシーの頭部を見ながら、『この娘でいいか』とフレディは思った。
ルーシーは二十三歳。年頃の娘が仕事優先というからには、それ相応の過去があっても不思議はない。一度や二度の出来事で、もう恋愛なんてまっぴらだと早急に結論付けるところも、素直と言えば素直。初心な娘なのだろうと年上のフレディは思う。
今回の断れない婚約話は、王太子の策略というより、王太子妃の目論見だ。
王太子であれば、もっと華やいだ娘を選ぶ。妃の見目麗しさを見ていれば、蝶よ花よと愛でるような娘を好むタイプだと知れる。男は表面的に可愛らしければ、中身も可愛いだろうととらえるきらいがある。かと言って、王太子妃のような見目と性格がねじれている女などそうそういてたまったものではない。あれもあれで、曲者過ぎて、扱いに困る。
中身の知れない見た目が似通った女を紹介されると思い、フレディは断る言い訳を思案していた。
普段押し隠している自身の性格に癖があると認識するフレディは地味な娘が好みだった。
面倒くさい女はごめん被る。一方的に尽くさなくてはいけないのは苦痛だし、してもらって当たり前、これぐらいしてくれてもいいでしょうなんて言われたら、嫌気がさす。自立していない、甘えるだけの女も、足を引っ張られるようで嫌だった。
ルーシーは根が素直だ。数時間一緒にいて、言葉を交わし、嫌味がないことに好感が持てた。素のフレディも、それほど驚くことなく受け入れている。家に帰ってまでも、自分を隠す関係が待っていることは、さすがのフレディにも耐えられない。
男の好みの違いを把握し、王太子妃はこの娘をよこしたとすれば、手玉に取られているような、掌で踊らされているような、不快感もある。
それでも、王太子から変な貴族令嬢を紹介されるより、万倍マシだとフレディは納得する。
「俺とルーシーが結婚したら、確実に俺の方が出世する」
「なに言って……」
「冗談抜きだ。俺と伯爵家の令嬢を組み合わせた王太子にも意図がある。
もっぱら俺の実務は裏方だ。表立っての功績はない。将来、ゴリ押しで爵位を与えてもいいが、それでは遅いと踏んだんだろう。現王に、言えるわがままでもないしな。俺も実家にねだるものでもない。
王太子は王になる前に、俺を重用しやすい環境を整えたいんだ。立場を与えて、俺の首根っこをつかんでおきたいんだよ」
単純なルーシーの目が見開かれる。
「俺は平民でもいいし、家業に戻って働いてもいい。そこに楔を打ちたいから、伯爵家の縁談を持ち込んできた。
それに、俺はルーシーが仕事をしていても気にしない。近衛騎士と文官では違いすぎて、どちらが出世したかなんて比べようもないだろう」
「……そっか……」
両目を伏して、紅茶に視線を落とし、ルーシーはカップに口をつけた。
「ルーシーこそ、どうして俺との婚約を了承した」
「それは……」
ルーシーが少し恥ずかしそうに、もぞもぞする。カップをソーサーに置き、少し身をかがめる。
「あのね……」
あまりにも言いよどむので、フレディも身をかがめて、小声でも聞こえるように、テーブルにもたれるような体勢をとる。
「妃殿下が、あの……私に乳母になってほしいんですって……」
言ってから、ルーシーは机に額を伏して、耳まで赤く染めた。
フレディは冷静な顔で、身を起こす。背もたれに体をあずけ、足を組み、腕を組んだ。こめかみに指を押し当て、大仰にため息をついた。
「……なるほどねえ……」
「意味、分かります」
「もちろん」
「うちは貴族としては求心力もないですし、現状、どの勢力に与するわけではないのです。乳母にしろ何にしろ、特定の派閥とは距離をとっていたいのではないでしょうか。
後は、私の子どもと一緒に育てられたら楽しそうだともおっしゃってます」
「……そうなると、俺はいよいよ、この状況から逃れられなくなるんだな……」
「……こんな、結婚、嫌ですよね……」
ルーシーは、さらに小さくなる。
フレディは嫌かと言われたら、それほど嫌ではなかった。
敬遠するならすでに王太子から逃れる努力をしている。
男ばかりの世界に片足つけるルーシーの、一人で肩肘張っている姿は、小動物が一生懸命走ろうとしているように可愛らしくもある。年若いだけでなく、変に男に媚びることを知らず、自立しようともがく様もいじらしい。あのへんてこな王太子妃が、よくこんな素直そうな娘を選んだと感心する。
「嫌なら、俺は承知していない。ルーシーこそ、これぐらいのことで動揺するのに、婚約を受けたのか」
「……ええ、逃れられないと思いましたし、妃殿下の考えることも面白そうだなと思って……」
乳母が何を差すか分かって受けていても、いざ男を前にすると照れる姿にフレディは苦笑する。賢そうに見えて、ひょんなところで小娘なのが面白い。
「面白いか……」
つぶやきはルーシーの耳には届かない。
「ただ働いて、年を取るだけしか、考えられなかった私には、妃殿下の示される未来の方が興味深かったのです。すでに妃殿下の本性を知る一人です。彼女の手駒にどっぷりつかるのもいいかなと……」
フレディはぶはっと吹き出して、そのままお腹を抱えて笑い出した。
「何がそんなにおかしいんですか」
悲鳴を上げるルーシーに、フレディはさらに笑う。
ひとしきり、笑い終え、涙目になった目じりをフレディはぬぐう。
「あの王太子妃にして、この侍女ありだな」
ルーシーは困り顔のまま、泣きそうな顔だ。
「恋愛なんて諦めてました。これ以上悪いことなんて、もう起きないと踏んで、受けたんですよ。妃殿下のお役に立つならいいかなって……」
「何があったか、知らないが、俺はそんなおかしな後を引く振り方しない」
ルーシーと同様、フレディもそれほど結婚願望が高い方ではなかった。兄二人が結婚し子どもがいる。親は一人でいることを心配するものの、それほど強くまくし立てることもない。
三男の動向については、諦めている節もある。ルーシーを同情する素振りさえあった。
『この娘でいい』フレディの中にすとんと落ちた。
「結婚なんてこんなものかもしれない」
独り言ちた。
ルーシーが、えっと顔を向ける。
「まだ、時間はあるか」
「ありますけど……」
「今日は夕食も一緒に食べないか?」
「……はあ……」
「俺の家が、この近くにあるんだ。婚約者の家だ、問題ないだろう」
「はあ……」
ぽかんとするルーシーを、半ば有無を言わさず、フレディは連れ帰ることにした。
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