第34話:相手選びに慎重になるにも事情がある
妃殿下となったジュリエットの境遇は殿下も知っている。
しかし、表向きは、辺境伯の正妻との子になっている。いわゆる養子だ。しかも、それは殿下が彼女を見初めたことで急きょ対応した急ごしらえ。
そんな境遇を微塵も感じさせずにジュリエットは、さも妃殿下になるために教育を受けたかのようにふるまっている。
事情を知る俺や殿下とのひと時は、ジュリエットにとって、仮面を脱ぐことができる貴重な時間だ。
俺は妃殿下の自室にあるソファ席にて、殿下と一緒に座った。
そそくさと、侍女が行うように手際よく、ジュリエットが茶を淹れる。
俺と殿下に茶をふるまうのは、彼女なりの息抜きでもある。
できることも、出来ないふりをして、人にまかせているのも、なかなか難儀なことだ。
それでも、最近の彼女はすごぶる機嫌が良い。
一杯の茶をすすりながら、俺は訊ねた。
「最近、楽しそうですね」
「わかるかしら。新しい、侍女が来てくれて、お茶の種類が増えたのよ。今日のそれも、彼女のご実家の茶葉なのよ」
「お茶が本当にすきだね、ジュリエットは」
「ええ、殿下。大好きです。自分で淹れるのもすきですけど、そこは立場もありますもの。常なら、自分で淹れた方が早いし、美味しいんです。
ところがですよ、今回、私についてくれた侍女。正確には、近衛騎士の方なのですけど、自領が茶葉の産地で、お茶の淹れかたもとても上手なのよ」
「へえ……、彼女だろう。ジュリエットが候補の中から選んだという」
「そう、殿下の口添えで、数人の候補の中から選ばせてもらった方よ。性格も素直で、真面目で、堅実。本当に良い方だわ」
微笑む妃殿下に、殿下も満足そうだ。
自ら傍に仕える人を選びたいと言った妃殿下の意向を汲んだ殿下にしてみれば、彼女が喜んでくれるだけで満足なのだろう。
「侍女姿の近衛騎士というと、煉瓦色の髪をした娘ですか?」
ルーシーの姿が思い出され、俺はふと妃殿下に問うた。
「ええ、そうよ。グレイス伯のお嬢様。茶葉の産地として聞いたことはあるでしょ」
「あのグレイス家か。あそこは武門を誇った家系だったが、今はその面影はないなあ」
「そうね、殿下。お茶の産地としての方が、今ではとても有名よね」
殿下と妃殿下が笑いながら話す様を、黙って聞き、飲み終えて後、先に退室し帰路に就いた。
茶葉の産地であるグレイス領。
付き合いのある貴族から茶葉の贈答品としてもらうことがあったこととそれを兄の妻が愛飲していたことを歩きながら思い出した。
俺がルーシーについて、妃殿下の前で触れたのは、その一回だけだった。
殿下の前でも、妃殿下の前でも、それいこう彼女について触れることはなかった。
殿下から、朝突然、見合い話を持ち出された。それが妃殿下の紹介だと言われ、相手がルーシー・グレイスと知った時、俺はしてやられたと思った。
たった一度、ルーシーの話を持ち出したことをジュリエットは記憶していたのだろう。
王太子のぼやき。
俺の問いかけ。
些細な出来事から察するのは、さすがだ。
俺が特定の女性に興味を示したことがジュリエットを勘づかせた。あの時、問うていなかったら、ルーシーの紹介はなかったかもしれない。
辺境伯の屋敷で息を潜め、人の顔色をうかがいながら、何も知らないふりをして生きてきたなかで育まれた性質を、よもや、俺に発揮してこようとは思わなかった。
今回の婚約話は、王太子の策略というより、王太子妃の目論見だ。
殿下の紹介でないだけ、信頼が置ける。
王太子であれば、もっと華やいだ娘を選ぶ。妃の見目麗しさを見ていれば、蝶よ花よと愛でるような娘を好むタイプだと知れる。男は表面的に可愛らしければ、中身も可愛いだろうととらえるきらいがある。
顔だけ、愛らしい貴族令嬢など、俺の方が願い下げだ。
かと言って、王太子妃のような見目と性格がねじれている女もごめんこうむる。あれもあれで、曲者過ぎて、扱いに困る。そうそういては、たまったものではない。
中身の知れない見た目が似通った貴族令嬢を紹介されるなら、断る言い訳が必要だ。
俺の実家は、下手な貴族より、裕福だ。
落ち目の貴族から見れば、金づるを手に入れるに等しい。
俺の副業があることをいいことに、金持ち気取りになる妻の実家など、頭痛の種だ。
その点は殿下も分かっていただろう。だから、ぼやくだけで、実際に貴族令嬢の紹介は今までなかった。俺が結婚する意志を持たないことも熟知しているしな。
ルーシーと時間を割いたことで、結婚しないという壁が取り払われた。
ここで彼女に断られたら、きっと次の紹介が殿下からもたらされるだろう。
たまったものじゃない!
面倒くさい女性はごめん被る。一方的に尽くさなくてはいけないのは苦痛だし、してもらって当たり前、これぐらいしてくれてもいいでしょうなんて言われたら、嫌気がさす。自立していない、甘えるだけの女性も、足を引っ張られるようで嫌だ。
満たされない女のわがままに付き合っていられるほど、俺は暇ではない。
満たされないものを満たしてもらうために俺は贈答するわけでもない。
与えたいから与え、与えること、そのものが喜びになる相手が良い。
資産とは満たされないものを満たすためにあるのではなく、与えることを広げるためにあるのだ。
配偶者の浪費で、事業が傾くことだってある。余裕資金を残さず、事業を傾かせた商家も少なくない。
文官だけの収入で生活はできる。事業は事業。そのように分けて考えられない女性ならば、足を引っ張られる。
ルーシーは俺が与えなくても、すでに満たされている。
彼女がどれだけ、周囲の人々に大切にされてきたか、よく分かる。
なおかつ、グレイス家の家業がいい。あの茶葉の堅実な経営は信頼ができる。
生産量にも限りがあることを理解し、貴族だけに販売するのもブランディングとして貴重だ。
今の商家を見るといい。
かつての貴族を模して、夜会だ、ドレスだと着飾って、さも新興貴族であることを誇っている。
立身出世や家を重視した相手選びをしては、家庭に安らぎはない。
家に帰ってまでも、自分を隠す関係が待っていることは耐えられない。
俺の微細な関心を読み取り、王太子妃がルーシーを選んだとすれば、手玉にとられているような、掌で踊らされているような不快感もあるが、切羽詰まった殿下から変な貴族令嬢を紹介されるより、万倍マシだ。
目の前のルーシーは言った。
『誰かに好きになってもらいたいなら、自分の方から好きにならないといけないと言ったのはフレディでしょう。
もし、あなたが私を好いているなら、あなたの目に映るのは私だけであっても当たり前じゃない?』
その通りだ。
煉瓦色の髪が意志を灯し、光る。
振られた姿を目撃した日も、彼女の髪が陽光を照り返し、輝いていた。
あの時から、俺は不思議にも彼女を意識していたのかもれいない。
俺ははっきりと自覚した。
(ルーシーがいい)
離れようとする彼女を引き寄せる。
彼女の身体を抱きとめ、空いた腕で肩を抱いた。すっぽりと彼女を抱いていた。
「フレディ、どうしたの?」
「ルーシーがいい。俺は、君と一緒にいたい」
腕の中で、暖かい彼女がもぞもぞと微動する。
「フレディ? ねえ、どうしたの」
「妃殿下はやはり曲者だよ」
「なにを言っているの?」
「あれは、本性を隠している」
密着する彼女の耳もとに囁いた。
「俺はルーシーに断られたくない」




