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フレディの家は大家族だった。両親に祖父母、兄二人にその夫人に子ども数人。屋敷の広さ、揃えられた調度品、使用人の数、規模の違いに、フレディの教養の高さは折り紙付きであり、王太子が彼を見出した所以が知れた。
三番目の息子なだけあって、王太子に重用されることも、伯爵家へ婿入りするのも、勝手になさいという雰囲気だった。どうせ、何を言ってもきかないのでしょうと、半ば呆れられている風もあり、この穏やかそうな男性のどこにそんな気難しさがあるのかとルーシーは首をかしいだ。
両家へ顔を出し、体面は保たれた。気疲れしたルーシーがこれで帰れると思っていたところにフレディは提案する。
「これから、一緒に出掛けませんか」
言われて、はっと衣服をルーシーは見た。挨拶のため、着飾っており、このまま昼の街へ出るにははばかられる。それはフレディも一緒ではないか。
「さすがに、このままでは……ねえ」
「着替えは用意してますよ。遊びに行きましょう」
涼やかな笑顔に、『この人は最初からそのつもりだったのね』と鈍いルーシーも理解する。
「着替えられるなら……」
帰って休むだけなので、それもいいかと思いなおした。
屋敷で着替え、馬車にのり、街の中に送ってもらう。晴れた休日だけあって、人が多い。ルーシーは困った。こういう時は、どこに行けばいいものか。仕事して寝るを繰り返す生活を続けていただけに、遊ぶことはおろそかにしていた。
「ひとまず、お茶にしましょう」
フレディが示した沿道にテーブル席を並べる店があった。
『遊び慣れているのだろうか。それとも、彼にとってはこれが普通なのか』
ルーシーは計りかねる。
テーブル席に座ると、置いてあるメニュー表をフレディは手に取り、一目見てルーシーに手渡した。受け取り、まじまじとメニューを眺める。紅茶でいいと思っていたものの、珈琲、紅茶が数種類あり、眺めているだけで何となく楽しかった。
ふと視線に気づいたルーシーが、顔をあげるとフレディが目を細めていた。照れくさく、誤魔化すようにルーシーはメニュー表に再び視線を落とした。
注文し、フレディに珈琲とルーシーに紅茶を店員が運んでくる。フレディは珈琲を一口含んでから、話し始めた。
「ちゃんと話をしたかったんだ。すべて急に話がすすんでしまったから、色々順番もごちゃごちゃになっているだろう」
言われてみれば、その通りだとルーシーも同意する。
「ある意味、あの王太子と王太子妃の気まぐれというか、思い付きみたいなものだ。俺の方が気にしていなくても、まあ、女の子だし……早急に進む話に流されるままで大丈夫かと心配にはなるんだよ」
王宮では『私』としていた一人称が『俺』に変わった。しゃべり方も、ぞんざいになり、ルーシーは『こちらの方が素なのかな』と受け止めた。
「驚きはしますけど、あの王太子妃の発想にのるのも面白いと思ったのも正直な気持ちです。もともと、結婚したいとも思っていませんでしたし……」
そうなった事情は説明したくないなとルーシーは内心思う。
「こういう結婚もあるのかなと納得しています。実家もこれで安心と思っているようですし、王太子直々に話があって、私からやめることも難しいですよね」
フレディは目を細める。
「そうだね。
俺も気位が高そうな貴族のご令嬢じゃなくてほっとしているんだよ」
ルーシーが、はいっと顔をあげる。
「俺はあなたに断られたくない」
「断るも何も、あれだけ外堀を埋められたら、断り様ないわ」
すかさず言い返すルーシーに、フレディは満足そうに笑んだ。
「そう言ってくれると助かるよ」
フレディは背もたれに体をあずけ、珈琲を口にする。
「殿下に、貴族の家に婿入りする話を出された時、正直うんざりしてたんだ。俺の家はそこいらの貴族より裕福だ。そういうのを目当てに来られても困る。
手のかかりそうな女も嫌だった。あれ買え、これ買えと面倒なのも受け付けない。蝶よ花よとつくさないと、ひねくれそうな、わがままな娘の相手もしたくない」
気難しい……。
彼の実家で、家族が醸す雰囲気にルーシーは納得した。
「そもそも、俺は殿下の事務方の影武者みたいなポジションで良かったんだ。あの人の雑務をこなして、采配を振るっているだけの気楽なところにおいてほしい。そうでなければ、実家のように、事業に手を染めていた方が、面白みがある」
『優しそうな表の顔と全然違うのね』
ルーシーは半ばあきらめのような心境に至る。仕組まれた結婚であっても、ほんの少し期待していた乙女心は粉砕された。
ルーシーは姿勢を正す。両手を膝に置き、フレディを見据えた。
「御心配には及びません。私も本来、結婚より仕事と考えておりました。妃殿下のご意向でなければ、このような縁談を受けることも考えておりませんでした」
甘えるな。そう言われなくても、始めから、誰かに甘えようとは思っていない。ルーシーは、元の気構えをもって身を引き締める。
見据えるフレディの肩越しに、人影が揺れた。
二年前にルーシーの元を去った男が、妻と一緒に歩いていた。幸せそうに笑む妻に、彼に抱かれる小さな子どもと男は談笑する。
さっと表情が曇った。ルーシーはフレディに気づかれたくなくて、瞬時に口元を結ぶも遅い。
目の前の女性が流した視線の先をフレディは追い、そこにいた幾人かの人影に目星をつけた。
「……男か……」
フレディはかまをかけたに過ぎない。
ルーシーの表情は陰る。
「それが結婚したくなかった理由か」
フレディの目線上、カップル数人と親子連れ数組が見えたものの、誰が彼女の目にとまったかまでは把握できない。動揺しているルーシーがボロをだすことを期待した指示語に、特段意味があるわけではなかった。
「……そうよ。男なんてうんざり……」
珈琲を飲みながら、フレディはうつむく彼女を見つめる。
ルーシーはあからさまに眉間にしわを寄せる。
「まあ、色々あるよね」
相手を探ることをやめたフレディは空を仰ぎ、珈琲に口をつける。
「……男性は、自分より出世する女が嫌いなんでしょ……」
「王太子妃付の近衛騎士は必要な役職だ。男につとまるものじゃない」
ルーシーは黙る。
「仕事が理由でふられたのか」
沈黙はフレディにとっての肯定にすぎない。