第28話:フレディの実家
元王妃の部屋を改装した特別室には、中央の居室部分に扉が三つ。おそらく扉の向こうは寝室であり、一つの扉は水回りに繋がっているのだろう。
(こんな部屋を用意されるってことは、妃殿下からの紹介だし、この話はまとまると思っているってことよね。フレディのお兄さんが……)
困った。
やっぱり、のこのこついて来ないで、ドレスもワンピースも断って、寮へとんぼ返りすればよかったかしら。
ここまで来て、逃げ出す?
言い訳が思いつかないわよ。
そもそも、こんな部屋に二人きりになってもねえ。中央の居室にいて、となりの部屋は見ないようにしよう。隣の部屋をのぞいて、ベッドなんてあったら、本当に困るわ。
慌てて、扉を閉めても恰好悪いだけじゃない。それなら、最初から知らんぷりしているべきよ。
変なところで気を使わなくてはいけなくて、ため息がでた。
フレディといて、彼はこういう人でもあるんだと、予想外のことにも慣れてきた。
だからこそ、この年齢まで一人でいたことも、なぞよね。
(もてそうなのに)
文官として働いている姿だって、雰囲気も穏やか。けっして、女性の目に留まらない男性ではない。
私が妃殿下につきっきりだから知らないだけで、誰かがフレディにアプローチをしていても不思議はない。それもなかったというなら、平民の文官、ということで、嫌厭されていたのかしら。
陛下の補佐をする文官なら、侍女や女官に目をつけられても良い気がしない?
こんな人が長年、結婚もしないで一人でいたことが不思議だわ。
「どうしたの」
「なんでもない」
私は、フレディを盗み見ていた視線を外す。
改めて、広い部屋をぐるっと見回した。
大きな窓があり、バルコニーにつながっている。宿泊施設の庭と街並みがかすかに滲む。
飾られている調度品も我が家よりも高価な品ばかりだ。活けられた生花からは甘い香りが漂ってくる。大きな暖炉、壁には風景画がいくつかかけられており、天井にも装飾がほどこされている。
入り口から部屋を眺めまわしながら、私は嘆息した。
「もう、なにが出てきても、驚かなくなってきたわ。フレディのご実家が桁違いの商家で、文官以外にもなにか仕事をしているようだというのだけは理解できたわ」
半日一緒にいただけで、私なりに彼を理解したと思う。だからこそ、疑問が浮かぶ。
「フレディは、こっちではいったいどんな仕事をしているの。実家はどんな家なのかしら。どうして、うちの祖母がフレディとの結婚に懸念を示すのかしら」
今までの驚く状況から得た問いがするすると口をついた。
再びフレディを見上げると、いつになく彼は驚いた顔をしていた。
「ルーシー、俺に興味を持ってくれたんだ」
「違うわよ。一緒に連れ歩かれたら、このぐらい不思議に思うわ」
「でも、俺に関心を持ってくれないとそんな質問出てこないでしょ。俺は嬉しいよ」
立っていても落ち着かないからと、部屋の真ん中にあるソファ席に私たちは腰を掛けた。
「兄貴も良い部屋を用意してくれたよね」
「良い部屋どころじゃないわ。普通なら、こんな部屋、一生、縁がないわよ」
「妃殿下からの紹介だから、やっと俺も結婚すると胸を撫でおろしたんだろうな、兄貴」
「待ってよ。それだと、外堀から埋められているようじゃない」
「気にしないで、断られたら、断られたで、俺からちゃんと説明するから、ルーシーには迷惑かけないよ」
「そういう問題じゃないわ。これで、妃殿下の紹介でありながら、縁がなかったなんて話になったら、私の方が立つ瀬がなくなりそうよ」
焦る私を見るフレディの目が笑っている。
「元々、俺は結婚しないつもりだったから、元に戻るだけだよ」
「それも、不思議なのよ。どうして、結婚しないつもりでいたの? フレディなら、文官としても、商家の息子としても、良縁に恵まれそうじゃない。
結婚しないつもりだったという理由が理解できないわ」
「俺に欠陥でもあると思う?」
「欠陥があるとは思えないから、聞いているのよ」
真正面からフレディを凝視する。
彼は、ふふっと笑って話を続ける。
「ルーシーには隠す気は無いから、話すよ。
まず、うちはこの宿泊施設のオーナーで、他にもいくつかの事業を保有している」
「はい?」
「実家の話だよ。うちの商家が何をしているか、聞いていただろ」
「ここ、フレディの実家が経営しているの?」
まさかと思っても、料理店、被服店を経てこの部屋にたどり着いた一連の流れを思えば、なにが出てきても不思議はない。
「直接、経営しているわけじゃないけどね。経営の責任者は別に雇っている。うちは、このホテルのそのものの所有者。そんなうちの現当主がさっき会った長兄なんだよ。
この部屋を用意したのも、そんな兄貴の計らいだね」
規模が大きすぎて、めまいしそう。
「俺は、家業を小規模で真似た仕事をしているんだ。
学生時代から準備していて、殿下に頼み込まれなければ、モーリスと一緒に俺なりに事業に携わっていたと思うよ」
「フレディは、その事業を蹴って、殿下のために文官になったの?」
「うーん。正確に言うと、両取りしたんだ。モーリスやパールのような優秀な人に任せて、俺は殿下を助けることに徹する。俺がいなくても、彼らは優秀だから、事業を円滑に進めてくれる。優秀な人間にチャンスを与えて、彼らの能力を自由に発揮する後ろ盾になったようなものかな。
意外と、このポジションもいいなって気づいたのは最近だよ」
「フレディがいなくても、事業はまわるのね」
「うん。俺は出資者だからね。モーリスやパールたちは優秀だけど、資本がない。彼らが独立するなら、もう少し下積み期間や、開業資金を溜めないといけなかっただろう。俺が出資することで、彼らの能力を活かす場を提供できたと思えば、活きたお金の使い方はできていると思うよ」
「ねえ、話を聞いている限り、フレディは堅実な印象があるの。性格も優しいし、仕事も真面目よね。あなた自身を見れば、祖母が反対する理由は思いつかないのよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「正当な評価よ」
「それでも、振り向いて欲しい人に、褒めてもらえるのは格別だよ」
「べつに、褒めてないって……」
「お婆様が、俺との関係を快く思わないのは、家名のせいだよ。ルーシーのお婆様世代の方だと、フォーテスキューという商家に良い印象はないはずなんだ」
「どうして」
「やっぱり、平民が成りあがっていくには、いくつもの汚名を被るものなんだよ。いまでこそ、綺麗な仕事ばかりでも、元をただせば、けっこうあくどい商売もしていた時期も長かったんだ。
そういう時代を知っている方なら、俺の苗字で毛嫌いしてもおかしくないんだよ」