第26話:建前だけでも婚約者が必要なわけ
(フレディは私に好かれたかったの?)
考えてもみなかった。
フレディなら、好かれたいと思えば、誰でもうまくできそうに見える。
意外。
ドレスもワンピースもこのなかから選んでいいと値札も見ないで言えるなら、好きになってほしいと狙った相手から好意をもぎ取るなんて容易そうに見えるのに。
分不相応な贈り物に違和感を覚える私は怖気づくけど、これだけの品を見せられればたいていの女の子ならすぐになびき、お相手は見つかりそうじゃない。
私は改めて、周囲の衣装を眺めまわした。
ドレスは三着。宝飾品と一揃いで飾られている。薔薇を模した赤いドレス。紫陽花を模した紫のドレス。向日葵を模した黄色いドレス。
どれも植物をモチーフにしているとよく見ると分かる。
(パールさんは、あの短時間でこれだけの商品を用意して出ていったのかしら)
用意された衣装もすごいけど、これだけの品を急にぱっと支度して出てく彼女もすごいのだ。階段を駆け上がる間、いや、私を上から下まで見定めているように見せたあの時には、もうすでに、算段を組んでいたのかもしれない。
「どうしたの、ルーシー」
「私たち、急に押し掛けてきたはずなのに、これだけの品を用意して出かけるなんてすごいわね」
どのドレスも、女の子なら一度は袖を通してみたいと思う一級品だろう。
「彼女が優秀だっていう意味分かるだろ」
「分かるわ。
ねえ、フレディ。これだけのドレスを、はい、あげると言われたら、それだけで愛されている気がする女の子なんて山ほどいるわよ。
なのに、私に好かれようとするなんて、ちょっと変よ」
フレディが目を丸くする。
「それをルーシーが言うかな」
どの口が言う、と言われたら、否定できないわ。なびかない私が言うなってことよね。
「誰かに好かれるのって、意外と難しいんだよ。現に、俺はルーシーに好かれたいけど、全部裏目にでて、縁談は白紙にしましょうと言われているじゃないか」
平民の文官だと思っていた相手が、ただの平民じゃないと気づいて、怖くなった。分不相応な贈り物には、嬉しいより、警戒心が先立つ。
「好かれたくない相手にどれだけ好かれても。虚しいだけだ。相手に資産や財産という足元を見られていると分かるのもじつに心が渇くよ」
フレディは再び頬杖をつき、天井を見上げる。眉を潜め、少し悲しそうな顔に見えた。
「こちら側の俺とも、もう少しつきあってよ。少なくとも、今夜まで一緒にいてくれたら、俺が置かれている状況も見えてくると思うんだ」
「妃殿下からの紹介ですもの、その辺は義務だと思っておつきあいします」
前向きに検討しますとは答えられないけど、今日と明日は、相手がどんな人か知るための時間なのだから。
私たちは目の前にあるベルを鳴らし店員を呼ぶと、立ち上がり、三着のドレスの前に立った。
程なく戻ってきた店員が私たちの背後に控える。
柔らかい生地でふわりと仕上げられているスカート部分に対し、上半身は腰の細さと胸のふくらみを美しく強調するぴたりと体に沿ったデザインの赤いドレスが目についた。
薔薇をあしらったスカート部分の刺繍には細やかなビジューが縫い付けられている。一つひとつの石が丁寧に磨かれており小粒。手にすれば軽く、着ても見るほどに重さを感じないかもしれない。
髪飾りと胸元に飾るネックレスとイヤリングには大ぶりなルビーが使われていた。
「赤もいいけど、紫陽花を模した紫のドレスもいいんだよね」
赤紫の流れるような文様が綺麗に刺繍され、スカートのすそ部分には紫陽花がぐるりと刺繍されている。流水を模した流れるような模様の上には、よく見ると紫陽花の小粒な華があしらわれ、きらきらと光るのは添えられた濃い紫のビジューが照り返しているせいだ。
落ち着きがある。紫陽花をモチーフにしていても、基調色が赤紫色だから、煉瓦色の私の髪色とも喧嘩しない。
向日葵をモチーフにしたドレスは闊達な印象があり、元気が良く明るく見栄えがする。
フレディの顔色を見ていると、本命は紫だとすぐ分かった。
「フレディは、紫陽花のドレスを着てほしいの?」
「できたら」
「この落ち着いた色合いが好きなの?」
「ルーシーに似合うと思うし、なにより俺が着る正装と、バランスがいいよね。
向日葵はルーシーの印象そのままだけど、俺との釣り合いがちょっと悪い気がする。
片や、薔薇と紫陽花は、俺と並んだ時に見劣りしないようにと配慮してパールが選んでいる。俺の隣なら、赤を着た女性がいいだろうけど、この赤紫の紫陽花の方がルーシーの雰囲気を損なわずに良いとパールは考えたんだろうね」
フレディの隣に赤いドレスの女性?
優しそうな雰囲気を醸すフレディに、強い女性が立つ姿が思い描けなかった。フレディの横なら、もっと柔らかそうな女性が佇む印象がある。
「私も紫陽花のドレスがいいわ。赤だと主張が強すぎるもの」
「ルーシーにはその方が似合うと思う。時間がないから、すでにあるものをルーシーに合わせるしかないのは申し訳ないけど。俺は席を外すから、一度着てみるといいよ。
腰回りや、胸周りは、きちっと合わせてもらうといい」
(親切な人ね)
縁談を断ろうとしているのに、親切にする利点なんてないに等しいのに。
次いで、隅にかけられたワンピースを選びに行く。
大鏡の前で、数着合わせてみてから、最初にフレディが選んだ品が残った。
(結局、フレディの見立てに収まってしまったわ)
私は選んだワンピースを腕にかけ、彼を見上げた。
「このワンピースは、実家に挨拶に行くとき用なの?」
「その時に着てもいいし、これから行くところに着ていくために選んだんだよ」
「ドレスを選んだと言うことは、王宮で行われる夜会のような催しがどこかで開かれるのかしら」
「うん、そう。最初にルーシーが、食事をしに行く場所と間違えた、元王城の宿泊施設があっただろう。会場はそこだよ」
「あそこ、ね……」
元王城を改装した宿泊施設なら、それなりの規模のイベントが行われても不思議はないし、シャツとパンツ姿の軽装で建物に入るのもはばかられる。
最低でも、フレディが選んだワンピースを身につけていないと気後れしてしまう。
「有力貴族が着るような大袈裟なドレスまで用意して、いったいどんなイベントが開かれるのかしら」
私は嘆息しながら呟く。
フレディはドレスに視線を流した。
「定期的に開かれる商家の集いだよ。ひと財産築いた商家同士の社交の場で、古き良き貴族の風習を真似て定期的に開かれるんだ」
「へえ……、貴族同士のイベントは廃れてきているのに」
「商家が台頭してくることで、憧れだった貴族様を真似るようになっていくのは自然なことだよ。ルーシーは産まれた時から貴族だから、憧れなんて抱かないだろうけど。
平民はながく、華やかな貴族社会に憧れを抱いていたんだ。
こうやって、商家としてひと財産築くことができたら、憧れを現実に引き寄せたくなるものさ。
そして、今回の主催は兄貴だから、商家の集いのなかでも、一際大きなイベントになるんだ。
兄貴は現当主だから、俺としては声をかけられたら、断れないのさ」
(そのような行事に誘われたから建前だけの婚約者役が必要なのね)
それだけは何となく理解できた。