第24話:縁談は白紙にしませんか
扉の外で立ち往生しているわけにもいかず、私は部屋に入った。フレディは、長椅子にかけられているワンピースを手にして、指先をこすり合わせるようにして生地に触れる。
柔らかそうな生地と厚手のしっかりした生地で作られたワンピースを交互に見つめてから、フレディは私を見た。柔らかそうな生地のワンピースを長椅子にもどす。
「ルーシー。このワンピースはどうだろう。きっと、似合うと思うよ」
赤みがかった薄灰色の一枚布のワンピースだ。スカートがふわりと広がる仕様で、採寸により綺麗な形が作られている。靴も、手に収まるほどの小さなポシェットもそろっている。
(いいんじゃない、って、言える金額の品じゃないはずよね)
フレディに近づく。
ここにある品々は私の手にはあまる商品ばかりだ。身分不相応な品であり、とても買えるような気がしない。
付き合いで、ワンピースを購入することもできるだろうが、そんなことをしては芋づる式に断りにくくなる。
こういう時に断るのは、最初が肝心だ。
「ごめんなさい、フレディ。
私、そんなに持ち合わせがないの。近衛騎士の給料から見ても、ここにある衣装を買えるほどの財はないわ」
伯爵家のうちでさえ、おそらくこの店のドレスを買うのは、それこそ結婚式のような大きなイベント時だろう。
目を丸くしたフレディが、二度瞬いた。
「俺のプレゼントだから、気にしないでいいよ」
「フレディ。私たちは昨日、妃殿下に紹介いただいたばかりなの。知り合って間もない背景で、こんな高価なものを、『はい、ありがとう』と、なんの気もなく喜んで受け取れないわ」
フレディがさらに目を丸くする。そして、ふっと笑みをこぼす。
「ルーシーは堅実だね」
「そう、ただ、借りを作りたくないだけかもしれないわよ」
「いいや。そういうところが、ルーシーの良いところだよね。グレイス領は非常に堅実な経営をされているのはよく知っているよ」
それとこれが、なにが関わるのかと私は小首をかしぐ。
「一般用に茶葉を出荷している以外に、貴族向けに香りの効いた茶葉やハーブティーを作っているのは知っているんだ。それらは、貴族のみで愛飲されており、俺たち一般人には手に入らないようになっている」
「それは、生産量に限りがあるからよ。あまり流通させられないだけだわ」
「うん。それが功を奏しているよね。貴族御用達としうお墨付きとして。さらには、妃殿下も愛飲されるようになり、ますますその希少性と価値が上がっている」
「私より詳しいのね、フレディ」
「蛇の道は蛇だよ」
この人は、ただの平民じゃない。
商家の子息だと言ってはいても、ただの商家の子息とも思えない。新興商家というには、こなれたところも多く、財があることを見せびらかすような真似もしない。
(余裕があるのよね)
殿下の傍にいて、殿下を助けることは厭わなくても、出世することには無頓着。それは、市井に本当にやりたい仕事を残してきたからだろう。
(フレディにとって、殿下の補佐役は腰かけみたいなものなのだわ)
そして、うちの内情もさらりと察知している。
いったい、この人は何者で、なんで私なんかとの婚約を了承しようとしているのかしら。まったく理解が及ばないわ。
「この際だから、はっきりお伝えするけど、私とフレディは不釣り合いだと思うの」
すっとフレディの目が真剣になる。私はかまわず話を続ける。
「あなたには、市井でしたい仕事があるのでしょう。
私との縁談はそもそも、殿下の補佐役として今後も働いてもらうための足枷だわ。一人娘の貴族の家に婿入りすることで、上級文官試験を受けることができ、フレディをずっと秘書官のようなポジションで殿下は重用したいのでしょう」
「そうだね。殿下の意向はその通りだ」
「私と縁談を受け入れることは、そんな未来を選ぶことになり、あなたの将来を狭めることになるのではないの」
フレディは首筋に手を当てた。
「俺、ルーシーに対しては本気なんだけど」
「本気とは?」
「本気で、結婚してもいいと思っているということだよ」
「信じられないわ」
正直な私の返答に、フレディが苦く笑う。
「堅実なルーシーらしいね。
俺には俺の事情があるんだ。結婚はしないなら、ずっとしないと突っぱねていたいところだけどね。俺の立場上、どこかで踏ん切りをつけていかないと、たぶん、またどこからか、こういう話が湧いて出てくるんだ」
「なら、もっと条件が良い女性を選べばいいじゃない。私は、あくまでも、あなたが文官として働き続けることを前提にしているご縁なのよ」
フレディが切なそうに目を細める。
店員がさっと長椅子にかけていた衣装や、ローテーブルに載せていた商品を移し始めた。
「ここで少し話をしようか」
「話しても、あまり変わりはないと思うのだけど……」
すっかり片付いたソファー席に、私とフレディは隣り合って座った。
店員が「お茶をお持ちします」と部屋を出ていく。
私はフレディのブラウンの瞳を見据えて、改めて告げた。
「私たちの縁談は、一旦白紙にしませんか」
フレディは淡々と受け止めている。
私とフレディはどこか違う。何が違うのかと言われたら、平民と貴族という違いだけでない。
私は代々の領地を受け継ぐ貴族の娘だけど、時代の流れからみたら落ち目。領地を手放すことになってしまった貴族ほど没落しているわけではないけど、恵まれているほどでもない。
フレディは平民であって、平民ではない。
この被服店にしても、さっきの飲食店にしても。彼にとっては、これが普通なんだと分かる分だけ、私とはなにかが決定的に違う。
過分な施しを受けていると、罪悪感が湧いてくる。
フレディが両手のひらを合わせて口元に寄せると、大きく息を吐いた。
「やっぱり、兄貴に会ったのがまずかったかな」
「お兄様は関係ないでしょ」
「そう? でも、兄貴に会ってなかったら、もう少し穏やかだったと思うんだよね。ちょっと高い店で食事したなってくらいで終わったと思うんだ。
その後は、街中をふらっとしようかと思っていたしね。
兄貴に誘われた以上、引けないし。俺もそこそこ立場があるんだ」
「立場って?」
フレディは前方の壁を見据える。
「悪いんだけど。俺、兄貴には従わないといけないんだ。誘われたなら、行かないと。その時に、どうしても一人だと都合が悪い」
下方から覗き込むようにフレディが私を見る。
「だから今晩だけ、俺につきあってよ。建前だけの婚約者役でかまわないから」