第20話:彼の店
私をよそに話が進む。
状況がまったく見えないばかりではなく、フレディは私の肩を抱いたままであり、手も繋いだままである。
なんで、こうなっているの?
私は、お腹が空いて食べに来ただけじゃなかった?
目の前にいるフレディの兄は私たちの態勢を気にする風もない。
「婚約するなら、ちゃんと手順を踏むんだぞ。相手の家から見て、粗相はしないように」
「分かっているよ。その辺は、きっと大丈夫」
フレディの兄が椅子から立ち上がると、私の前に立つ。背が高いフレディよりもさらに高く、私は見上げるしかなかった。
彼は、私の目線に合わせて少し腰を屈ませる。胸に手を当て、にっこりと笑んだ表情は、最初にフレディと会った時の、優しそうという印象によく似ていた。
「初めまして。フレディの兄、トリスタン・フォーテスキューと申します」
「初めまして……、ルーシー・グレイスです」
「レディ・ルーシー。不肖の弟ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします」
不肖の弟って……。今後ともって……。
待って、待って!
まだ、なにも、決まってませんから!
反論したい気持ちがせりあがり、なにか言おうとした瞬間、私のお腹が、ぐううっと鳴った。
「……」
私の頬がかっと熱くなる。
なんでこんなところで、お腹が鳴るの?
助けを求めるようにフレディを見上げると、肩に添えていた手が離れ、ぽんぽんと頭を撫でられた。
「これはすまない。お昼を食べに来たところで、私が足止めしてしまったせいだね」
「兄貴と会うのも久しぶりだしな。話し込んで悪かったよ」
二人に謝られてフォローされても、私は恥ずかしくて、肩をすぼめてしまう。
身体の方が、普段の時間感覚を覚えていたのだろう。
妃殿下のお昼ご飯を給仕し、食後のお茶を淹れて、片づける。その後で、裏方で遅い食事をとるのが日課だった。
今の時間なら、食事を終えて、一息ついているところなのに、胃のなかになにもはいってこないことで、体の方がそのまま反応してしまったと考えられた。
「ルーシー、今の話もよく見えなかったでしょ。食べながら説明するね」
おずおずと顔をあげると、フレディは出会った時と同じ表情だった。昨日会ったばかりだけど、知っている人が隣にいると思うと、ほっとする。
トリスタンというフレディの兄は背を伸ばす。背後で店員が彼の背広を広げると、すっと袖を通し、襟を正した。
滑らかな生地に、無駄な皺がでない仕立ての良いスーツ。既製品ではないのは当然でも、仕立てられた衣装としてみても上等な品だ。
(そういえば、フレディは商家出身だと言っていたっけ……)
フレディの兄ならば、どこぞの大店の主人なのかもしれない。そうなると、このような店に出入りしていてもおかしくはないし、フレディ自身も、こういう店に慣れていることも納得できる。
昨今、貴族は立場を有してはいても、家々の資産格差は広がってきていた。反対に、平民から台頭してきた商家が資産を保有し、貴族より平民商家の方が大きな財産を有するようになる傾向もみられるようになっている。
(時代が刻々と変わっているのよね)
フレディも、そんな新興商家出身者なのかもしれない。
フレディの兄、トリスタンが店を出て、店内は私とフレディだけになる。窓際に向かい合って座った。
横に広がる景色はいつまでも見ていて飽きない。正門から、建物まで続く道を、小さな馬車や人が引きりなしに動いている様は、まるで人形が動いているかのようで楽しい気持ちにしてくれる。
景色を見ながら私は気持ちを落ち着かせていた。
いつもより高い値段でも、払えない金額ではない。支払うことになっても、なんとかなる。お金のことが何とかなると思えば、あとは、どうにでもなる気がした。
フレディの兄は、どんな仕事をしているのか。フレディの実家はどんな家なのか。
想像もできない。
ただの平民の文官じゃない。それだけは確信できた。
隣でフレディが店員と話を始める。
「モーリス。今日はさっと食べれる一品にしてほしい。向こうのランチで出している品と同じでも構わないから。夜のこともあるとなると、時間が惜しい」
「かしこまりました」
「予定より、ちょっと忙しくなるな」
「フレデリック様が女性を連れ歩く姿が珍しいのですよ。きっとご家族もルーシー様とお会いしたいはずです」
「物見遊山で見られるのもねえ」
肘をついたフレディが視線を天井に投げる。
「先にお飲み物をお持ちしますか」
「うん。任せるよ」
「かしこまりました」
モーリスと呼ばれた店員が店の奥へと消えていった。
横目で見送ってから、私はフレディをじっと見つめた。
視線に気づいたフレディが微笑する。
その笑顔に、私は嘆息した。
「色々、聞きたいことがありすぎて、なにから聞いたらいいか分からなくなったわ」
「兄貴のこととか、店のこととか」
「そうね。私、てっきり、もう一つの店に入ると思ったもの。まさか、こっちに入るとは思わなかったわ。値段を見たら、お昼なのに相当良い値段するじゃない。それだけじゃない。すごく、なんというか、違和感を感じるのよ」
「想像していた、平民の文官っぽくないからだろ」
フレディがにこにこしながら言葉を続ける。
なにかを隠し立てされているようで、私はもやもやする。
「文官の俺も、俺だけど。
これも、俺なんだ。
違和感を感じるかもしれないけど、両方とも俺なの」
「こういう店に出入りしてますよって話?」
「ううん。こういう店を持ってますよ、って話だね」
「えっ?」
理解が及ばない。
すると、奥からモーリスと呼ばれた店員が出てきた。
紅茶が入ったカップを私とフレディの前に置く。
「改めて紹介するよ、ルーシー。
こちらはモーリス・グドール。俺の右腕」
「以後、お見知りおきください。ルーシー様」
モーリスが深々と私に頭を下げた。
「モーリスはこの建物の支配人。でっ、この建物のオーナーが俺なの」
(はい?)
私は目が点になる。
行きつけの店が、自分の店?