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王太子妃と王太子の二人は『午前中はこの部屋で二人でお話でもして、親睦を深めてね』と立ち去った。口答えは許されない。ルーシーとフレデリックは室内にぽつりと残された。
立っているフレデリックと座っているルーシーが同時にため息をついた。二人顔を見合わせる。
「……」
「……」
沈黙し、互いに反応に困りはてた。
こういった意味で男性と二人きりというシチュエーションも久しぶりのため、ルーシーは何を話していいか分からない。なにか話題はないかと周囲を見渡すと、紅茶を淹れるセットが置いてあった。
『邪魔しないから、自分で淹れてね』脳内で、王太子妃の言葉が再現される。まるでポットに言葉が埋め込まれて、語りかけてきたかのようだ。
「お茶飲みますか」
「はい。いただきます」
立ったままのフレデリックは貴族の端くれである女性を前に、緊張しているようにルーシーには見えた。
「座ってください。誰もいませんし、私も平民とか、出自とか立場を気にしませんから」
彼がソファーに座る気配を感じながら、ルーシーは紅茶を淹れる。
近衛騎士になっても、男とか女とか面倒だった。出世を願う女は目の上のたんこぶのように見られる。男だって出世したいと思うなら、同じじゃないかと思っても違うのだ。
家庭に入ってほしいとか、女のするような仕事で収まってほしいと思っている男も多い。察する女が意向を飲み、自分の選択と称して職を辞す背中を何人か見送った。
領分に入ってこようとしなければ、男は気安いけど、一歩領域を犯すと、異物を排除するように煙たがる。
平民出身であるフレデリックもまた、ある意味、王宮では異物である。彼がそれをどうとらえ、過ごしているのか、ルーシーはその点がひどく気になった。
「突然のことで驚かれたでしょう」
淹れおえた紅茶のカップを彼の前に置き、ルーシーは彼の前に座った。
「私のことは、ルーシーと呼んでいただいて構いません。私も、あなたのことを遠慮なくフレデリックと呼ばせていただきます」
グレーのサラサラとした短髪に、茶の瞳。色味が強くないから、見た目は穏やかそうに見える。
「……はじめまして、ルーシー。急な話に、あなたこそ驚かれたのではないでしょうか」
「はい、驚きました」
ルーシーは背筋を伸ばし、紅茶のカップに口をつける。
「三日前に、紹介したい男性がいると妃殿下に言われて、説明も受けぬままここにいますもの」
「私の方もです。殿下が数か月前から、『お前に貴族の肩書があればなあ』とぼやいておりまして、話半分に聞いておりましたら、今日という事態になりました。私の方は、今朝方うかがったばかりです」
「あなたの方も、大変そうね」
「殿下ですので……」
「私も、妃殿下だし、としか言えないわ」
ルーシーとフレデリックは、視線を絡めて、小さく笑いだした。おそらく似た者同士だと、直感したルーシーは、無性に楽しくなってきた。
王太子妃に気に入られてうらやましがる侍女もいないではない。しかし、彼女の内面を知れば、その狡猾な思考についていけるものは少ないだろう。彼女も愚かではない。自身の内面をさらして受け入れられないものには、清々しいまでに猫を被る。
ルーシーとフレデリックは互いに改めて挨拶を交わし、身の上をかいつまんで話した。
ルーシーが、武門を誇る伯爵家の令嬢であること。実際の家は落ち目であり、結婚の意志をみせないまま、実家がやきもきしていること。おそらくルーシーが近衛騎士になり、王太子妃に気に入られていることで最低限の体面を保っているが、内政的な強みは一切なく、父が武官を辞してからは、本当に風前の灯火のような家であることを説明した。
利点の少ない貴族の家であり、期待しないでほしいと言外にルーシーはにじむように話した。
フレデリックは紹介された通り、豪商の三男である。勉学と読書を好み、幼少より実家の手伝いもしていた。学生時代から、あらゆる学業で常に王太子の上に立ち、手を抜こうとして怒られ、気に入られ無理やり試験を受けさせられ、実家から王太子に献上されるように、追い出されたということだった。
フレデリックの王太子からの振り回され加減が半端なく、ルーシーは半ば同情した。
「そういえば、殿下は私の実家にも伝えていると言っていたわね」
フレデリックがこくんと頷く。
「私の実家には、王太子様から連絡が行っているのだとしたら、早急に一度顔を出した方がいいかしら」
「……ルーシーの直近の休みに私の休日を殿下はぶつけられました……」
「つまりは、その日に、挨拶に行けと」
「……申し訳ないのですが……」
「そっか……」
手の早い王太子夫妻にすっかりしてやられた、手駒二人が額をつき合わす。
「では、お休みの日の朝に馬車に来てもらって、待ち合わせ場所は……」
外堀を埋められた二人は事務的に約束を取り交わした。
ルーシーから見ると話が早く、好感が持てた。別れ際フレデリックは言った。
「差し支えなければ、フレディと呼んでください。ルーシー」
数日後、待ち合わせ場所にてフレディと合流し、ルーシーは迎えの馬車に乗り、実家へと向かった。約束通り顔を出した私たちを実家は喜んで迎え入れてくれた。私が平民出身の男を見染めてきたわけではなく、王太子自ら出向いて事情説明を受けていたため、すんなり話が通っていた。
伯爵家から見れば王太子自ら下す命である。内密な王命を授かったように受け取った父はうやうやしく、フレディを預かると殿下に約束していた。
恋や愛がなくても結婚はできるものなんだと、ルーシーは学んだ。
「うちにも顔を出してもらえませんか」
フレディの申し出にルーシーは素直に従った。
実家でお昼を一緒に食べてから、馬車に乗り移動する。
馬車の中では、王太子や王太子妃のトンデモ行動に振り回される仕事の話ばかりだったものの、今まで誰にも言えない話ができるのは楽しかった。平民故に弱みを見せられないと思われるフレディに、王太子妃の裏の顔を知る者は少なく口を固くせざるを得ないルーシーも気安い。こんなに楽に話せる内容ではないだけに、ルーシーの心が少し華やいだ。
降って湧いたような縁談でも良縁があるのね、とルーシーは驚く。
ところが、フレディの実家はルーシーの想像を超えていた。実家の数倍は誇る屋敷と庭の広さに立ちすくんだ。
当たり前に進もうとするフレディがルーシーへ手を差し伸べる。怖くて、見知った人の手にすがるようにルーシーは彼の手を取った。
招かれた屋敷は室内の調度品も、使用人の数も、閑古鳥が鳴きそうな伯爵家は足元にも及ばない。元々武門の家だけあって質素な方だが、それでも貴族の端くれを成していると思っていたルーシーの常識は打ち砕かれた。
フレディは平民であって平民でないと、ルーシーは確信した。
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