第16話:半休申請が通ったのはいいけど服がない
昼近くなり、私とフレディは部屋を出た。入れ替わりで、片づけるための侍女が入ってくる。
私たちを見て、彼女は不思議そうな顔をした。
誤魔化すように軽く会釈をして、そそくさと立ち去る。
妃殿下の元に戻ると、昼食の準備が整っていた。
「お待たせして申し訳ありません」と断り、いつも通り、お茶を淹れる。所作手順は慣れており、間違うことはないが、心はふわふわとし、どこか上の空だった。
(実家に行くのは三日後。明日から二日間、午後に急なお休みなんてとれるのかしら。人の配置だってあるでしょうに……)
フレディが何を考えているか。私はいまいちつかめなかった。
明日と明後日は二人で出歩くとして、しあさっては私の実家に挨拶する。大まかな予定はたっても、二人でどこに行くのか見当もつかない。
(平日に出歩くなんて、いつぶりだろう。ましてや、男性と出かけるのも、二年ぶりぐらいかしら)
表向き妃殿下につつがなくお茶を出していながら、フレディのことが気になって仕方ない。
好きとか、嫌いとか。そういう感情は見えない。ちょっと話しただけでは、彼がどんな人か分からなかった。穏やかそうに見えるのに、最後にちらりと見せた一面はそんな見た目とはかけ離れていた。
「どうしたの、ルーシー。ぼんやりして」
覗き込む妃殿下が、手のひらをふる。
「あっ、妃殿下。すいません……」
「フレディのことが気になるの」
「いや、えっと……。そういうわけでは……。ただ、彼が明日と明後日、午後休みましょうと言い出しまして。どうしたものかと……」
「あら、それはいいわね。二人で出かけるの」
「そのように彼は言っていましたが、そんな急な半休申請が通るものでしょうか」
「その辺は、大丈夫よ。殿下に任せておけばいいの。心配しないで」
夕刻、女官長が直々に妃殿下の元を訪ね、私の午後半休の申請が入ったことを知らせに来た。
妃殿下の了承を取り付け、私の二日分の休みが確定した。
急な休みは困ると言われることもなかった。
(殿下の指示で申請が入ったのね)
こんな私的なことに権利を乱用しても良いものかと思ったが、殿下にとって、フレディの置かれている状況は重要なことなのかもしれない。
ここまで来たら三日間、彼がどんな人なのか知るために、真剣に向き合わないと。
(結婚となれば、一生だもの。祖母や母に紹介する前に、どんな人か知ることは大事よね)
仕事を終えた私はうんうんと一人頷きながら、寮に戻った。
寮の食堂で夕食を食べ終え、共同風呂で汗を流して、自室にこもる。
寝間着に着替えて、タオルで髪を拭きながら、クローゼットを開けた私は固まった。
「服がない!」
寮に入るのは半年の予定だった。しかも、その期間は仕事中心で過ごそうとしていたため、仕事着と寝間着、簡易のシャツとパンツという最低限の衣装しか揃えていなかった。
(フレディはデートと言っていたのよ。なのに、スカート一枚ないとは……)
今さらながら、この半年間、私がいかに、色気のない生活をしてきたか痛感する。そのつけが、最後の最後で怒涛のように襲ってきたようだ。
とりあえず、身ぎれいに見える服を、ばさっとベッドの上にハンガーごと投げる。
ベージュとグレーのパンツに白いシャツ二枚。
出歩くときは、一人という想定しかしていなかったことをありありと見せつけた。
私は両手で顔を覆った。
「どうしよう……」
デートに行ける服がここにはない。
すでに夜半。実家にとりに行く時間もない。濡れそぼった髪で夜中に出歩く度胸はない。
(早朝早く、実家に戻る? 無理よ無理。だって、そしたら、遅刻しちゃう。無理な午後半休の申請が通されているのに、その日に限って、遅刻なんてできない)
それなりに、小奇麗な恰好で行くしかない。
にしても、こんな格好で現れたら、どれだけ、男っ気がなかったのかというのがばれちゃうわよね。
隠しても仕方ない。
明日はベージュ、明後日はグレーのパンツと履き替えていくしかない。
(実家に戻る時は仕事着でいいけど、フレディを連れていくなら、考えないとダメかしら。
夕刻、フレディと別れたら、急いでどっかで衣装を揃えた方がいいかも……)
ベッドに投げた衣類を持ち上げ、見比べる。
ため息が出た。考えてもないものはないのだ。
クローゼットに戻し、仕方ないので、そのままベッドに潜り、私は寝てしまった。
翌日、出仕すると、妃殿下が楽し気に報告してきた。
「今日のお仕事は、お昼は私のお茶を淹れるまでよ。
お茶を淹れてくれたら、仕事着から私服に着替えて、お出かけしてね」
「よろしいのですか。食後のお茶が冷めてしまいます」
「いいのよ。今日は私の侍女の大事な一日ですもの。私のお茶よりずっと大事だわ。
フレディは、王宮の正門で一時に待っているわ。一時間あれば十分準備出来るわよね」
寮に戻って着替え、王宮の正門へ向かうルートを脳内で振り返る。時間的にはギリギリかもしれない。
「わかりました。お茶をお淹れしましたら、すぐに戻らせていただきます」
「うん。楽しんできてね、ルーシー」
昼時。
お茶を淹れた私は、華やかな笑顔に見送られ、寮に戻った。
寮の部屋にて、クローゼットから、ベージュのズボンと白いシャツを出す。これしか持ち合わせがない私に、虚しさを覚える。
仕事一辺倒で走ってきたおかげで、気持ちは落ち着いても、新たな出会いを受け入れる準備はまったくできていなかった。
(そもそも、半年の期限。最後の最後で、こんな展開が待っているなんて思ってもみなかったもの)
妃殿下から男性を紹介されるなど、想定外だ。
シャツとパンツに着替えて、肩にひっかける小さな鞄に貴重品だけ詰め、急ぎ私は寮を出る。
早足で駆け抜ける。空は青く、風も心地よい。
王宮の正門前に着いた。周囲を見回す。
門から少し離れたところに、塀を背にしたフレディがいた。両手をぶらりと下げて、空を見上げる彼は、眩しそうに目を細める。
(綺麗な立ち姿)
彼もまた、シャツとパンツという軽装だった。
(良かった、服装のつりあいはとれそう……)
フレディが顎を引く。片手を口元に寄せ、まるであくびを噛みつぶしているかのような仕草をする。
どう声をかけたらいいのだろう。惑う私の歩みが遅くなる。
あと数歩というところで、足が止まりかけた。
気配を察したフレディがこちらを向く。
グレーの綺麗な髪が風になびき、彼の目元が和らぐ。
陽光に照らされた笑顔は、初対面の印象そのままに優しそうだった。
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