第14話:お茶を淹れながら考える
私とフレデリックは互いに苦笑いを浮かべる。初対面の者同士、なにをどう話せばいいものか困ってしまう。
「まず、座りましょうか」
彼はそう言って、私の背後へ視線を投げる。
振り向くと部屋の中央にあるソファ席が目についた。妃殿下の親切が盛り付けられたテーブルには、色とりどりの菓子が並んでいる。
フレデリックがすっと私の横に立った。彼はポケットから懐中時計を出し、時間を確認する。その時計をしまい、私に顔を向けた。
「時間もありますし、立ち話もなんですよね」
「……そうですね」
「差し支えなければ、フレディとお呼びください。ルーシー様」
「なら、私にも、敬称は不要です。ルーシーと呼んでもらってかまいません」
並んで歩き始める。
「よろしいのですか」
「どうぞ。誰もいませんし、私も平民とか、出自とか立場を気にしませんから。フレディ様こそ……」
「私こそ敬称不要です。殿下や妃殿下も私をフレディと呼んでいます」
たしかに、さっきの会話中、殿下も妃殿下も、彼をフレディと呼び捨てだった。
「殿下や妃殿下と親しいのですね」
「ええ、学生時代からの長い付き合いです。学友として親しくさせていただいていた縁もあり、卒業時に下級文官試験を受け、今に至ります」
「その頃からずっと殿下の補佐をされているのですか」
「ええ。そのために文官になりましたから」
近衛騎士になり文官や侍従とも顔を合わせることもあったのに、私は長く務める彼を見かけたことがない。殿下の傍にいて、まったく会わないというのも不自然な気がした。
「ずっとこちらにお勤めであっても、お目にかかったことがないですね」
「私は職務上、殿下の執務室に詰めていることが多く、あまり外に出ませんから」
「常に殿下と一緒にいらっしゃるわけではないのですか」
「書類仕事の補佐なので、表向きな行事などに顔を出しません。その辺は平民出なので、お察しください」
「妃殿下の傍で働くようになり一年半になります。その間、殿下の傍にいる方なのにお見かけしたことがないというのが解せなくて……」
「朝早くから夜遅くまで、執務室に詰めているので仕方ないですよ」
「あの執務室から出られないのですか」
「そういうわけではないのですが……。
殿下が出かける際に同行しないので、私を知らなくても当然なのです。殿下が出かけている間も、私はたいてい執務室で書類と向き合っていますから」
かしこまった態度に、丁寧な言葉遣い。
フレディは貴族の端くれである私に緊張しているのだろうか。
並んで歩き、ソファの背もたれにたどり着く。
ローテーブルの上に並べられた華やかな菓子類。
地味な下級文官と一般的な侍女の衣装を着た私たちには、似つかわしくない彩に、もう一度、ため息が漏れた。
ローテーブルのすぐ横に、ワゴンに載った紅茶を淹れるセットが置いてある。
『邪魔しないから、自分で淹れてね』
脳内で、王太子妃の言葉が再現される。まるでポットに言葉が埋め込まれて、語りかけてきたかのようだ。
「フレディはお茶を飲みます? 淹れますよ」
「では、お願い致します」
「先に座って、待っていてください」
私がワゴンに近づく。いつも通りの所作で紅茶を淹れ始める。
彼がソファーに座る気配がした。
(男性でも、平民の下級文官なら、殿下の傍にいることを疎む者もいるのではないかしら)
世間と国の中枢は価値観が違う。
国の中枢の価値観は貴族の価値観とも少し違う。
世間では、男女ともに仕事をしている。子育ては女親の家系を中心に育てる慣習が根付き、男性が婿入りする場合もあれば、女性が嫁入りする場合もある。
各家の背景の違いにより、貴族の考え方は様々だ。
領地経営に力を注ぐ貴族、領地も経営するが国の中枢にも深く関わる有力貴族、細々と領地を守りながらなんとかやっている貴族。すでに領地を無くし、肩書だけ細々と継ぎながら王都で暮らす貴族もいる。
貴族と言っても、ひとまとめで語れず、上を見ればきりがないし、下をみてもきりがない。
時代の変化と共に、少しづつ変わりながら進んでいるにもかかわらず、国の中枢だけ、未だに過去の価値観を頑なに守っていた。
貴族を優遇し、平民を冷遇する。平民が受けれない上級文官試験は一例である。
特権階級を維持する傾向は中枢に向かうほど強くなる。
(そんな力関係のなかで、殿下の傍で平民が働くのって大変なことよね)
貴族が平民を下にする制度が息づいている中枢。制度で作られた制約はそのまま、我知らず人の意識に浸透する。
(騎士の世界も男性優位だから、未だに女性を煙たがる空気は抜けないもの)
騎士においても、男の方が出世しやすく、女は出世しにくい傾向もある。その中で、女性王族を傍で警護する女性専用の職務は花形と言えた。
(女性の将軍なんて誕生したことがないもの。ここが女性騎士としては、最上位の出世なのよね)
出世の壁は不文律として残っている。
出産や育児による休暇制度が整い、表向きは男女ともに働くようになっても、男性はどこかで、女性が下であることを望んでいるのだろう。出産や育児により職から距離が置かれたら、自ずと出世からは遠のく。
出世したがらない女性も多いので、その点は均衡がとれている。
(でもね。すごく出世したいわけではないけど。正当に評価されたいとは思うものじゃない)
男性だって出世したいと野心を持つなら、女性だって同じはず。少なくとも、正当に認められたい。
そんな女は煙たい。マシューはそういう人だったのかもしれない。
今回の縁談や、王太子妃の近衛騎士に抜擢されたのも、年齢や実家の状況によるとすれば、実力の評価とは言えないかもしれない。
運が良かっただけと捉えることもできる。
マシューと縁が無かったことも、運が悪かっただけとなるのかしら。
分からないわ。
家庭に入ってほしいとか、仕事はそこそこにしてほしいと思っている男性もいる。察する女性が意向を飲み、自分の選択と称して職を辞す背中を何人か見送った。
(私はまだ働いていたいし、これからも働きたいと願っている)
仕事観、経済観、生活感。
色々、相手を知って行かなくちゃいけないことも多い。
(結婚とか、生活とか、仕事が関わると、確認することが増えるのね。惚れた、好きだ、だけじゃ、やっていけないのだわ)
現実と理想は違う。話をしないと始まらない。
お茶を待つフレディは落ち着いている。彼は焼き菓子を乗せた小皿を手にして、くるりと回し見て、テーブルに戻していた。
彼なりに、くつろいでいる様子だった。
紅茶をティーカップに注ぎ、私は彼の前に置く。
見上げたブラウンの瞳が笑む。
「ありがとう」
「いいえ、お気になさらず」
自分のティーカップを手にした私は、彼の真向かいに座った。