第12話:平民の文官
「こちらはグレイス伯爵家のご令嬢ルーシーよ。ルーシー・グレイスというの。グレイス領の茶葉は有名ですから、ご存知でしょう」
「はい、もちろんです。我が家でも家族が愛飲しております」
落ち着いた雰囲気を醸す、背の高いフレデリックを私は見上げた。落ち着いたグレーの髪色、一般的なブラウンの瞳、髪色に合わせた濃いグレーのスーツを身につけ全体的には地味目。装いは目立たないわりに、顔立ちは整っていた。
妃殿下に頭を下げる姿は、慣れているようで綺麗だった。
彼の視線が私に向く。ブラウンの瞳に見つめられ、私の心臓がびっくりした。
「お初にお目にかかります。ルーシー様」
「始めまして……。フレデリック・フォー……」
「フレデリック・フォーテスキューです」
「フレデリック・フォーテスキュー様、どうぞよろしくおねがいします」
苗字が長くて間違えそうになった。名乗ってくれたのは、フォローしてくれたということでいいのかな。
そういえば、さっき、妃殿下はフレデリック・フォーテスキュー『氏』と言わなかった?
尊称に『氏』を使うかしら。
どこかの貴族令息なら、どこどこの家のご子息とか、爵位に令息をつけて呼ぶはず。
殿下の傍で仕事を補佐する立場なら、普通なら有力な貴族から選ばれるところなのに……。
(殿下……、『貴族の娘を紹介したい』と言っていたわよね)
ということは、この殿下の傍で働いている人はもしかして……。
「フレデリックは平民だ」
背後から、王太子殿下の声が飛んできた。
目を見開いた私が振り向くと、腕を組んだ殿下が真顔で立っていた。
「彼に貴族としての後ろ盾が欲しい」
「後ろ盾……」
「かつては名をはせたグレイス家も昨今は男児に恵まれず落ち目なようだな」
殿下はグレイス家の痛いところをついてきた。
王太子妃付の近衛騎士になったことが、久しぶりの出世と喜んでいる家だもの。まったくもってその通りだ。
「はい、我が家は数代目立った出世も功績も残しておりません」
「そこがいいのだ。伝統を持ちながらも、どこの派閥にも組せず、表舞台から引いたところにいる立ち位置。そこが、今回の縁談では都合がいい」
にっこりと殿下が笑む。笑顔を向けられても、ほっとしない、むしろ、心はざわついてくる。
殿下の言葉を受けて、妃殿下が補足する。
「殿下はずっと彼が貴族だったらよかったのにと言っていたの。
平民の場合、下級文官試験までしか受けれないでしょう。
実質、上級文官並みの仕事をこなしているのに、平民と貴族という出生の違いだけで、彼に道が閉ざされていることを殿下は憂いているのよ」
「ジュリエット様……」
「殿下は、彼にずっと補佐でいて欲しいと思っているの」
私の家がおあつらえ向きだったということね。
家を優先しての婚約なんて、まるで時代を逆行しているようだわ。祖母の時代ならいざ知らず、この時代に、こんな婚約や結婚を求められるとは思わなかった。
いまだに平民に門戸が開いていない上級文官試験にしても、王宮内部で出世するには、能力とともに家柄が重視される。古い価値観に縛られて、融通がきかないことを伝統と守り続けているのだ。
殿下や妃殿下はその渦中にいる。二人の関係は、傍で見るよりずっと窮屈なのかもしれない。
(その余波が私に及んでくるなんてね)
思っていた恋愛や婚約、結婚と随分違う。
「ジュリエットからあなたはまだ婚約者がいないと聞いた」
殿下は、口元をほころばせながら、私を見ていた。ここまできたら腹をくくるしかない。妃殿下からの申し出を受けた時に、了承しているのだ。ここで怖気づいたら、武門を誇る家柄が泣くわ。
「はい、ございません。ただ、近々、家族と婚約者を選ぶ話にはなっております」
「そうか。ならば、その婚約者にフレデリックを選んで欲しい。彼は豪商の三男という平民だ。
学生時代に出会い、その有能さから下級文官の試験を受けてもらい、私の補佐をしてもらっている。
今後、私は彼を重用したい。私の仕事はもう彼なしではこなせないのだ」
殿下の意向による見合い、家柄を重視しての婚約、夫の出世のための結婚。貴族の令嬢らしい理由が並ぶ。
「事情を理解し、婿入りできそうな貴族の家はないかと思っていた時に、思いがけず王太子妃から良い侍女がいると聞いた。正確には、王太子妃付の近衛騎士か。
この申し出を受けてくれるね。伯爵令嬢ルーシー・グレイス。
この婚約の半分は政略結婚だ。結婚する気の薄いご令嬢と、私が重用したい平民の有能な男。なかなかいい組み合わせだと思う」
場がしんと静まり返る。
私はなんと答えればいい?
かしこまりました。
良縁、感謝致します。
謹んでお受けいたします。
答えなくちゃいけないのに、言葉がでない。
少し、がっかりしているんだ。
(私は恋愛を経て結婚すると思っていたんだわ)
今の時代に、家柄重視なんてない。
互いに好きになってから、結婚の話に進むものじゃないのかしら。家を考慮に入れるなんて……。
いや、違うわ。
思い返せば、マシューとの関係を安泰と思い込んでいた一部に、家格の違いを私は考えていた。家格の差や、私が一人娘であり、彼が次男であることを、良い条件と思っていたじゃない。
(私のなかにも、古めかしい考え方が根付いていたわ)
表面的には恋愛結婚を望んでいても、家柄や出生順を相手が離れない根拠にしていた私は、深いところで祖母と変わらなかったんだわ。
祖母と同じ家を重視している考え方は私の根っこに息づいていた。
(家や立場で相手を縛れなかっただけだったのね……)
私はマシューのことを好きではなかったのかしら。あの時は、確かに、好きだったと思うし、傷ついた痛みを感じている。
私が望んでいた恋愛って何だったんだろう。分からないわ。
(意外と古い考え方に毒されている私なら、こんな婚約や結婚が相応しいのかもしれない)
自虐的だが、私はそういう考えに至り、謹んでお受けいたします、と、言おうとした時だった。
「殿下、家を引き合いに出すのはやめてもらえますか」
背後から、フレデリックの声が飛んできた。
「さも立身出世や家を重視した婚約を望んでいるような言い方はわざとですか。
私がそんな理由で、婚約や結婚を承諾すると考えられているなら、こちらからお断りしますよ。
そんな結婚、長続きしませんから」