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「ルーシー。あなたみたいな女性は、恋愛結婚より、お見合いが丁度良いのよ。あなただって人生の時間を恋愛に割く気はないでしょう」
ぐうの音も出ずルーシーは黙る。王太子妃は笑顔を崩さない。
「私ね、あなたに、この方がいいのではないかと思う殿方がいるの」
余計なお世話と言える立場にないルーシーは、困惑するばかりだ。
「ですが……」
言い訳は通じない。王太子妃は強かな女性だ。肝も据わっている。
「私ね、あなたと同時期に子どもが欲しいの。タイミングが合えば、あなたに乳母になってもらいたいわ。あなたの子どもと一緒に育って、良い友達か何かになれたら、願ったりではないかと思っているのよ」
ルーシーは悟る。本心はそこかと。
「婚姻している、年齢が若い、それだけで、子どもがいつ生まれるとは知れないわ。そばに寄せるにしても、内政上の力関係もありますもの」
「殿下は妃殿下以外の女性には関心がないように見受けられます。殿下がいらっしゃれば、お立場は安泰なのでは……」
王太子妃は眉を歪め笑むだけたった。
王太子は王太子妃を心底気に入っている。彼女以外眼中にはない。毎夜閨を共にしていれば、そう遠くなく彼女は懐妊すると見込まれている。
さすれば、王太子妃の心配は自身の子どもの将来だろう。
子をなせば、その子が次期王か女王になる。どこかの大臣、将軍、宰相など、特定の派閥に与した乳母を指定し、パワーバランスが崩れることを危惧しているのかもしれない。
「まったく、貴方様は何を考えているのかしらね」
半ば、ルーシーは呆れてしまう。周囲の者が、懐妊するかしないかをやきもきしている王太子妃はすでに、懐妊した後のことを見据えている。ただ花のように愛でられ、蝶のように惑わす少女がそこまで考えていると誰が思うだろう。宰相以下男性陣をよそに先々に目をむけているなど、彼女の見た目からは想像もできない。ただ麗しいだけの娘と蔑まれることを、王太子妃は逆手に取ろうとしている。
「あら、私は、自分に近しい侍女が独身でいることが心配なだけよ」
「先ほど、私を乳母にしたいとおっしゃられましたよね」
「それは願望ね。あなたの子どもと私の子どもが一緒に育ったら、とても楽しそうだわ。男の子同士で乳兄弟がいるのは、憧れるでしょう」
ただ甘えるように、愛らしく振る舞う彼女に、騙される男は、きっとその言葉を鵜吞みにするに違いない。
ここまで仕えてきたルーシーには、それが彼女の武器であるとよくわかる。
私が武器を取って構えるように、彼女は愛らしさを纏って戦う。そういう戦い方もあるのだと理解したとき、彼女に仕えることが心底楽しくなった。
王太子の寵愛を受けている今のうちに、懐妊しないといけないことを彼女は重々承知している。自身への寵愛が別の女に向けられても、子どもだけは守り通したい。そう彼女が考えていたとしてもおかしくない。
ルーシーの口角が自然とあがる。この王太子妃の見据える先に一緒に行ってみたいと自然と思えた。
「では、王太子妃様のお望みのままに」
「私、あなたのそういう聡いところがとても好きよ。明後日には紹介できるように手配するわね」
ただの好意なのよと王太子妃は微笑んだ。
一日の仕事を終え、ルーシーは宿舎に帰る。実家から通いで働くこともできたが、個室が与えられる宿舎になじむと、そこが気楽で離れがたくなった。
王太子妃は面白い女性だ。ルーシーが彼女に仕えることを楽しむように、王太子が彼女にはまる理由が何となくわかる気がする。
彼女がどんな男性を紹介するのか見当もつかない。片足つっこんでる王太子妃との関係上、もう手駒になってしまうのも悪くない。
こっぴどく振られたことがあるルーシーからして見たら、どんな男性を紹介されても、あれより痛い目をみることもないとたかをくくることもできた。
三日後、王宮に入るやいなや、ルーシーは王太子妃に呼び出された。
指定された応接室へ、ノック数回し「どうぞ」という王太子妃の言葉を合図に、扉を開けた。
入るなり、ルーシーは凍り付いた。
そこには、王太子妃の他、王太子がいた。
今回の婚約結婚の話は、王太子妃独自の判断ではないとルーシーは悟る。
扉をしめて、侍女らしく足をそろえ、手を腹に重ねて、深々と頭を下げた。
「礼はいらない。こちらに来てほしい」
王太子の言葉にルーシーは素直に従う。頭をあげ、二人に近づく。
王太子妃がこちらに座ってと、隣を示すので、ためらわれたものの「失礼します」と応じた。
王太子の背後に人が立った。グレーの髪色にブラウンの瞳をした背の高い男性だ。この部屋にいるルーシーの知らぬ顔はこの男性だけだった。
「ルーシーに紹介したいというのは、殿下の後ろに立った男性よ」
すかさず、王太子妃が立っている男性を紹介する。
「殿下の補佐をされているフレデリック・フォーテスキュー氏よ」
王太子妃は今度は男性に目をむける。
ルーシーは、今の紹介にて彼の尊称に『氏』が使われたことが気になった。
「こちらはグレイス伯爵家のご令嬢ルーシーよ。ルーシー・グレイスというの」
「お初にお目にかかります。ルーシー様」
男性は丁寧に頭を下げた。
ルーシーが立ち上がり、挨拶しようとしたところで、王太子妃に止められた。彼女が頭を左右に振る。ルーシーは浮きかけた腰をもう一度座面に戻し、王太子妃の視線が流れる先に誘われて、王太子へと目をむけた。
「フレデリックは平民だ」
王太子が話し出す。
「彼に貴族としての後ろ盾が欲しい。かつては名をはせたグレイス家も昨今は男児に恵まれず落ち目なようだな」
王太子はグレイス家の痛いところをついてきた。
「一人娘のあなたも結婚する気配がない。しかも女子だ。どこぞの家から養子を迎えるか、あなたに婿入りしてくれる者を探している。ちがうか」
続いて王太子はルーシーの痛いところも容赦なくついた。ルーシーは苦悶の表情を浮かべ、目を閉じる。
「……おっしゃる通りです……」
「宿舎住まいも、家の喧騒から逃れるためでもあるのだろう」
王太子はルーシーの背中にザクザクと言葉の剣を突き刺していく。
「先にグレイス家へは申し出ている。私からの依頼もあり、承諾済みだ」
ルーシーは膝の上で拳を作った。この王太子妃にこの王太子ありという言葉が脳裏をよぎる。
「フレデリックは豪商の三男という平民だ。学生時代に出会い、有能なあまり、文官の試験を受けてもらい、下級士官に滑り込ませ、現在は私の補佐をしてもらっている。今後、私は彼を重用したい。事情を理解し、婿入りできそうな貴族の家でもないかと思っていた時に、思いがけず王太子妃から良い侍女がいると聞いた。
これは半分は政略結婚だ。結婚する気の薄いご令嬢と、私が重用したい平民の有能な男。なかなかいい組み合わせだと思う。受けてくれるね、伯爵令嬢ルーシー・グレイス」
殿下に睨まれるような申し出に、ルーシーに断ることなどできない。
その後、王太子妃と二人きりとなり、彼女がルーシーに語った。
「ルーシー。受けてくれてありがとう。殿下もお喜びだったわ」
「いいえ、妃殿下のお察しの通り、私は恋愛結婚などないものと思っておりましたので、この立場がお役に立ち光栄です」
ほうと王太子妃がため息を吐く。
「もちろん黙っていたのですけど……。
グレイス家は、なぜ娘が結婚を望まないままいるのか。その本当の理由は知らないのね」
私は王太子妃の言葉に黙るしかなかった。