第7話:窮鼠は嘘をつく
「ルーシー。最初の夜会が終わって半年が経ったわ。そろそろ仕事にも慣れてきたでしょう」
目を輝かせる祖母に、私の頬は引きつった。そのまま、ひくひくと痙攣をおこしそうだ。
「待って、この前、二年は待ってと言ったはずよ。まだ数か月も経っていないじゃない」
「ええ、結婚は二年待ってもいいわよ。でもね、殿方は早い者勝ちよ。婚約者を決めておかないと、大変なことになるわ。残り物に福なんてないのよ」
びしっと言い放つ祖母に、私は苦笑する。
(これ以上、なにを言っても無駄そう……)
絶望感とともに、祖母と会うたびに、このやり取りを繰り返す様を想像し、うんざりした。
「でも、お婆様……。私、本当に、今、仕事が充実していてね。それこそ、お休みも取りにくくなっているの。王太子妃様付の近衛騎士なのよ。護衛も兼ねて侍女として侍るの。
これはとても大事な仕事で、殿方への気遣いなんて、到底できる余裕はないのよ」
「分かっているわ。それも含めて、納得してくれる良縁を探しましょう。伯爵家や子爵家に、侯爵家でそれなりの地位にいる独身男性の目星はつけているわよ」
鼻息荒い祖母は話を聞かない!
茶葉を生産する農園から、ハーブ畑、フレーバーティーへの加工まで幅広く手掛けるやりてだけはある。それは祖母の長所だけど、私にとってはいい迷惑。
この家にいれば、ずっとこんなやり取りが続き、私はきっと逃げられない。祖母が決めた相手と結婚する?
もし、マシューみたいに私が働いたり、出世したりすることを嫌がる相手だったらどうするの。婚約や結婚をしたら、後には引けないじゃない。
怖い。
こっぴどく振られた経験が蘇る。相手への未練はなくても、痛みだけはまだ残っている。
(ああ、いやだ。いやだわ。こんな話題に祖母が来るたびに、かわさなくちゃいけないなら、独身女子寮にでも入りたい! 一日しか休みがないし、寝に帰るだけの家なら、近い方が良いに決まっている)
困っている私とすまし顔の母と目が合う。
祖母に育てられた母は、余計なことを言わない静かなタイプ。
社交の場では、こういう沈黙できる女性の方が適している。領地経営を祖母が、社交の場は母が担うことで、うちは均衡がたもたれていた。
「ねえ、ルーシー。なにか言いたいことがあるようね」
母が助け舟を出してくれた。
「お母様、仕事が本当に忙しくて、今も寝に帰るだけなのよ。仕事以外のことを考える余裕はないの。
王太子妃様の元で侍女として働いている私の直属の上司も近衛騎士団長じゃなくて、女官長よ。仕事上関わる人も、侍女や侍従、文官、料理人といった人ばかり。こうなると、今までと雰囲気ががらりと変わって、慣れるのも大変なのよ」
「新しい方と接するのは気疲れするわね」
「そうよ、お母様。男性が多い騎士から、男女半々の職場に移って、出会う人も様変わりしたら、職場の新しい出会いだけで精一杯なのよ」
「今は、特定の殿方に気を使えるだけの余裕はない、と、言いたいのよね」
「ええ、そうよ。こんな仕事ばかりしている令嬢で休みもないのよ。一緒に過ごせないでいたら、相手の方から婚約破棄されても仕方ないわ」
私は一気に言いたいことをぶつけた。
淡々と頷き、冷静に受け止める母が私を見つめる。
「ルーシー。うちは三代一人娘。誰かを婿に迎えなければいけないのは、分かっているのかしら」
「はい……」
それは分かっている。
いつかは踏ん切りをつけて、相手を見つけなければいけない。
逃げてばかりはいられないのは頭では分かっている。
それでも、今はまだ、逃げていたい。
分かっていることと、納得できることは違うのよ。
「あまり結婚が遅いと、子どもを産むチャンスも逸するわ。うちも質素ながら、領地に特産品もあり、騎士としてもかつては名が知られた家なだけに、絶やすわけにはいかないの」
勢いで押してくる祖母も手ごわいが、静かに理詰めで攻めてくる母も怖い。
むしろ、母の方が手ごわい!
なにせ、ずっと家にいるのだ。
これからは顔を合わせるたびに、こんこんと諭されるかもしれない。
逃げたい。
家に帰りたくない。
やっぱり、忙しいことを理由に、女子寮に逃げたいわ。
「わっ、分かっているわ。
ちゃんと誠実に殿方と向き合うには時間がないといいたいのよ」
言い訳を並べながら私は、どんどん焦ってゆく。
母は静かに紅茶を飲む。
「なら、ルーシー。今、話をすすめても良いのではなくて。いずれは、結婚するなら、そのいずれ結婚する相手を、先んじて決めておいても問題はないはずよ。
あなたの立場を理解してくれる方を選べばいいのよ。たまにうちで夕食をともにするだけでも、理解は深まるわ。かしこまって外で会う以外にも、私たちがちゃんと場を設けます」
私は奥歯を噛んだ。
祖母なら誤魔化したり、逃げたりできても、母には下手な言い訳もきかないし、逃げられる気もしない。
どうしよう。このまま、話が進んだら、婚約者を決める方向で着地する。
母にはきっとこの会話の終着点は見えているわ。
ここで折れたら、流れるように、祖母が選んできた人に決定する気がする。
冷たい汗が背中に噴き出る。手はじっとりと汗ばんできた。
(ここで、いずれはちゃんと結婚するつもりよ、なんて答えたら、いずれなら今も一緒よね、と切り返されてしまうわ)
母ほど、頭は回らなくても、なにか、なにか……手はない?
あるはずよ。
女子寮に逃げる、時間を稼ぐのよ。
結婚する気はあるわ。
いつか婚約もする。
今は嫌。
女子寮の一人部屋で、頭を冷やす時間があってもいいわよね。
それだけよ。
そのために、ほんのちょっとだけ、時間を稼ぐにはどうしたらいい。
「ねえ、ルーシー。黙っていても困るわ。
この話は、家だけでなく、あなたの将来にも関わる大事な話よ」
母に追い詰められる。
じっとりと背筋に汗が浮き上がる。
天敵に睨まれた獲物の気分よ。
内心ザワザワする私は考えるより、先に口走ってしまった。
「ごめんなさい。実は……、新しい職場で、気になる人がいて……」
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明日からは毎日朝7時一話投稿していきます。最終話まで予約投稿済。
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