第6話:祖母と香り高い茶葉選び
初めての夜会から半年ちょっと経った。
二度目の夜会も開かれ、マシューの結婚式が終わったと風の噂で聞いた。招待状が来ていたけど、日にちさえ確認しないで、仕事を理由に欠席扱いにした。
送ってくるのもどうかと思ったけど、ここで届かないのも釈然としない。
招待状は握りつぶして、ごみ箱に捨てて、さようなら。
未練はない、ただ、心にしこりがのこっているだけよ。
王太子妃の侍女に扮して終日働くことにも慣れた。近衛騎士と言えないような仕事ばかりだけど不満はない。騎士養成機関でも女子のカリキュラムのなかには侍女教育も含まれており、身辺警護においては大事な役目もあるのだ。
剣技などの訓練以外は侍女として過ごすようになると、侍女や女官、料理人、侍従や文官の顔も覚えてきた。相手も覚えてくれるようになり、騎士以外の人脈が広がってきたのは、嬉しかった。
仕事はすこぶる順調だ。妃殿下との関係も良い。
今日も三時の軽食時間に合わせて、私はお茶を淹れている。
少食の王太子妃は軽食を一日五回食べる。ドレスを着る機会が多く、体つきに気を配る結果、胃が小さくなったのかもしれない。
甘すぎるお菓子も好まれないため、今日もメインは、季節の野菜を混ぜこみ焼き上げた卵料理だ。
それに果物が少々添えられたワンプレートの横にカップを置くと、王太子妃がウキウキとした顔を向けてくる。輝く瞳に射貫かれたら、問わずにはいられなかった。
「どうされました」
「ルーシー、そろそろ新しいお茶が出回る季節よね。お茶と言えば!」
「お茶と言えば……、なんでしょう」
「あら、いやね。新しいお茶の季節よ。グレイス領がなんの産地であるか、ちゃあんと知っているのよ。
私、ルーシーのご実家のおすすめの品を飲みたいわ」
王太子妃にお勧めしたいと祖母が言っていたことを私はふと思い出した。
「おすすめの品をお持ちすることはできますが、妃殿下へ私的な品をお贈りしてよろしいのでしょうか」
「かまわないわよ。熟れた桃の香りがする茶葉があるでしょう。あれは、あなたの前任者が私にくれた品だったのよ。
あの時も女官長に口添えしてもらったから、今回も女官長に相談すれば大丈夫よ。
グレイス領は茶葉の産地ですけど、お婆様がお作りになられるハーブティーも有名よね。フレーバーティーも作られていると聞くわ。果物の甘い香りがする茶葉があれば、あの熟れた桃の香りの茶葉の代わりが増えて嬉しいわ」
「分かりました。まず女官長に妃殿下のご意向を伝え、判断を仰ぎます。問題ないようでしたら、祖母に妃殿下の希望を伝え、品が用意出来しだいお持ちします」
「ありがとう。楽しみにしているわ」
話し終えた妃殿下は嬉しそうに軽食を食べ始める。
「いいえ、祖母も妃殿下がお茶が好きだと聞いて、ぜひにも我が領地のお茶を飲んでいただきたいと話しておりました。きっと祖母もよろこんでくれます」
「あら、お婆様と私、相思相愛だったのね。桃の茶葉も好きだけど、そろそろ、違うフレーバーティーやハーブティーも楽しみたいと思っていたのよ。詳しい方の推薦を飲めるなんて、わくわくするわね。
ルーシーに仕えてもらって得するのは、きっと私の方ね」
今、妃殿下の眼底がきらりと光った。
無邪気な様は少女のようだけど、時々、すっと抜け目のない目をされる。
笑顔の奥底に潜む光りは、まるで暗がりに潜む梟の目のようだ。
滅多に王都に出向かない辺境伯の元から、一人嫁いできた王太子妃にも、無邪気に見せながらも、人には知れない事情があるのかもしれない。
妃殿下の意向を受け、その日の帰宅時に女官長の元を訪ねた。事情を説明すると、その場合の手続きの流れを口頭で教えてくれた。女官長から、侍従長、料理長などと話を通し決めるという。表向きは、グレイス領へ注文し納品する流れになるらしい。
帰宅してから、私は急ぎ、妃殿下の希望を伝える手紙を祖母へ書いた。
数日後、女官長から納める商品は事前に検分したいと言われた。
祖母に、早急に領地から品を運ぶお願いをしないといけない。手紙を出すため急いで帰宅すると、商品を抱えた祖母が領地から飛んできていた。
「お婆様! どうしてここに!!」
「なにを寝ぼけたことを言っているの。王太子妃様から直々のお願いでしょう。私が馳せ参じなくてどうするというの!」
目を丸くする私の腕を引っ張った祖母は、すぐさま別室に飛び込んだ。テーブルには、たくさんの茶筒が並べられていた。
私と祖母は、そのテーブルの前に並んで立つ。
「用意できる品は一通り馬車に載せて持ってきたわよ」
祖母の行動力に度肝を抜かれるが、元来この人はこういう人だ。
片頬がひくっと動きそうになったのをこらえて、私は真顔で祖母と向き合う。
「ちょうど良かったわ。女官長から、納める品を検分したいと言われていたの。妃殿下直々に希望されたことだもの。早い方がいいわ」
「妃殿下とは、良い関係が築けているのね」
「もちろんよ」
「滅多に夜会に顔を出さない辺境伯を父に持つ方よ。気難しい方ではないのね」
「気難しいなんて、まさか。不敬な言い方になるけど、とても愛らしい、優しい方よ。とても良くしていただいているわ」
「では、茶葉の話以外に変わった話は、ないかしら」
「変わった話? 変わったって、なに?」
「思い当たらないならいいのよ。なにもないのが一番だわ」
一瞬、苦笑した祖母が、満面の笑みを浮かべる。
「ああ、王太子妃様から直々に、なんて! なんと名誉な響きでしょう」
「ここにあるいくつかを持って行っていいのよね。明日、さっそく持っていきたいわ」
「もちろん、良いわよ。ぜひ持って行って!」
「ありがとう、お婆様。
実は妃殿下は果実の香りがするフレーバーティーを好まれているの。できたら香りが強い茶葉がいいわ。甘い香りが特にお好きよ」
「アップルやストロベリーで香り付けしたのもいいけど、ハーブティーもいいわよ。香り高い品が好みなら、きっと喜ばれるはずだわ」
五つの茶筒を取り上げた祖母が、私の前に並べてくれた。
私はその茶筒を一つづつ開けて香りを確かめる。ストロベリーとアップル、オレンジの香りがし、あとは香りが強いハーブティーだった。
「良い香りね。きっと喜んでくれると思うわ。そういえば、特に好まれていた桃の香りがする茶葉が少なくなっていたの。ねえ、お婆様、桃の香りがする茶葉はないのかしら」
「あるわよ」
薄桃色の茶筒を祖母は取り上げ、私に手渡す。蓋を開けて、香りを確かめる。確かに、桃の香りがほのかに感じられたものの、妃殿下がいつも飲まれていた茶葉の香りとは少し違った。
(熟れた、と表現するほど強い甘さのない香りね。まだ若い、爽やかな印象の香りだわ。やっぱり、産地や造り手によって、香りのつけ方は違うのかしら。わからないけど、これだけ種類があれば十分よね)
「ありがとう、妃殿下もきっと喜ばれると思うわ」
私はいくつかの茶筒をまとめ、明日運ぶ用意を侍女に頼んだ。
そのまま私は祖母と食堂へ向かう。父も今日はおらず、母と祖母、私の三人で食卓を囲んだ。
楽しい食事になるはずが、祖母の一言で私は凍り付く。
「茶筒を選んだ次は、ルーシーのお婿さん探しね」
ちらっと母を見るとすまし顔。
祖母は一人、うきうきとしている。
妃殿下にお茶を、私に婚約者を、生き生きと輝く祖母の瞳にめまいがしてきたわ。




