第5話:王太子代理主催の夜会にて
毎年、季節ごとに開かれる王家主催の夜会がある。王が倒れられてからは、王太子が代理の主催者となっていた。
王太子妃のジュリエットはその夜会で、私に護衛騎士として横についていてほしいと希望した。本来なら、伯爵令嬢である私も来賓者として参列するところであるものの、護衛騎士としてむかえる初の夜会であるため、実家の了承を得て、王太子妃の横で騎士として侍ることになった。
華やかな公式行事が始まる。
王太子の挨拶。傍には王妃と王太子妃がいる。少し距離を開けて、それぞれの護衛騎士が背景のように立つ。
ダンスと歓談が始まると、王太子妃はひっきりなしに入れ替わる人々に応じる。私はその横にじっと立っていた。
挨拶は公爵家や侯爵家が多い。伯爵家の娘から声をかけるのもはばかられる人たちにも、王太子妃は臆することはない。
(友好的な挨拶が続いているけど、本心はどこにあるか分からないのよね)
娘を連れた公爵家のとある当主は、挨拶直後にあからさまに懐妊の話に触れてきた。
「夜会にいらっしゃるとは、まだまだご懐妊の兆しも見えないようですね、妃殿下」
「ええ……」
王太子妃も困り顔になる。答えにくいことをよくあからさまに聞けるものと思ってしまうが、剣が向けられてない会話の応酬では、私も出る幕はない。
「体調が優れないようでいらっしゃいますか」
「そのようなことは、ないのですけどね」
「北からいらっしゃった方には、水があわないのでしょうか」
「どうでしょう、ねっ」
公爵の隣にいるご令嬢はうつむき、少しくらい顔をしている。
「過去、王妃に嫡子が望めない場合、側室を持つこともありますゆえ、お若い殿下ですし、私は心配はしていませんよ」
「ええ……、そうですね」
「世継ぎに恵まれませんと、飾りの王妃となりますが、それもまた、前例はございますよ」
王太子妃でありながら、世継ぎを身ごもらないことを心配するふりをした嫌味にうんざりする。
「ちょっと失礼」
そこに割って入ったのは、王太子であった。
「お久しぶりです。ダウセット公爵。
フローレンスも元気そうで何よりだ」
殿下と公爵が話し始めた隙に殿下付きの近衛騎士が、妃殿下に殿下の意向だと下がるよううながしてきた。
公爵と公爵令嬢、そして、殿下が話しはじめ、私たちはそっと場から離れる。
ちらりと視界の端に映った公爵令嬢は、眉を歪ませてほほ笑んでいた。笑顔なのに、どこか苦しそう?
そんなことは気にしていられない。私は妃殿下の護衛なのだから。
脇に用意された席に王太子妃は座った。私はそのすぐ横に侍る。
ほっと一息つく王太子妃に、女性の給仕が水が入ったグラスを渡した。一口飲んだ王太子妃が話しかけてくる。
「驚いたでしょう」
「ずっと挨拶が続くのですね」
懐妊の話に触れたくなくて話をずらしたものの、王太子妃は気にしていなかった。
「そう。今日はまだいい方よ。王太子妃になって二年。懐妊しない私は、まだ認められてないのよ。
いずれはこの地位にしがみついている私を引きずり降ろそうと思っているのよ。または、お飾りの王妃、日陰者にしようというところかしら」
王太子妃はふふっと笑った。
(そんなことをここで呟いていいの)
あからさまに返事ができない内容に仰天する。
沈黙した王太子妃は会場をぼんやりと眺める。
私もつられて、中央のフロアで踊る人々と周囲で歓談する人々を見つめた。
時が止まったかのように静かだ。
音楽が一旦止まる。フロアの中央で踊っていた人々が挨拶し、脇に避ける。楽団が楽器の調整を始めた。
人混みの中に、亜麻色の短髪がゆれた。見るつもりはないのに、目が追ってしまう。
(マシュー……)
もう忘れてもいい時期なのに! 視界に入ると気になるなんて、どうかしている。見た瞬間、見分けがついてしまうのも嫌だ。
まるで未練をのこしているようじゃない。
仕事に没入し、忘れようとしているのに!
さらに追い打ちをかけるように、彼はすぐ横に小柄な女性を連れていた。
小柄な女性は柔らかい髪をアップにまとめている。
(うわ……)
見たくない光景なのに、目がそらせない。
二人が顔を見合わせ笑いあう。目の前には、騎士の同僚がいて、二人の仲をからかっているかのように見えた。
柔和な雰囲気が漂う女性で、小動物のような笑顔がくるくると回る。
(男性が好みそうな愛らしい娘。男だったら守ってあげたくなるかも)
騎士姿で二人を見たからか、男目線でマシューの相手を値踏みしていた。
凝視はしても、どこか額縁の向こうの世界のように、現実味を感じない。
ぽっかりと、感情が取り残されて、どう受け止めていいのか分からなかった。
目で追っている以上気にしているというのにね。
人知れず自嘲した。
(バカみたい)
この二年間、マシューとの時間は楽しかったけど、あんな風に誰かに紹介されたことはなかった気がする。
(人前で、つきあっているとか、恋人だとか、そんな風に扱われたこと……、無かったんじゃない)
黒々とした感情が沸き立ってきた。嫉妬というより、怒りに近い。ぎゅっと拳を握った。
(家格が高く、実力もある女を口説いたという実績が欲しかったの? つきあったはいいけど、仕事も家格も上なことが、じわじわと男のプライドを傷つけたのかしら。
私が別れないだろうって思っていた理由が、マシューの心が離れていった原因としたら……。
嫉妬があったから、飽きたみたいに、一方的に別れを切り出したのかも。
養成機関でつきあいだしたカップルは大抵、黙っているもの。それを逆手に取られたのかもしれないわね)
嫌な憶測ばかりが浮かぶ。
男は去り、輝く仕事は残った。もうそれしかない。
新雪を思わせる白銀の光を放つ王太子妃の護衛騎士。誰が見ても、騎士としては華々しい地位についた。武門を誇る伯爵家の未来の当主として相応しい地位だ。
その立場に寄りかかるように胸を張って毅然と立つ。
マシューと彼女の姿が人影に隠れる。会場を背にした王太子が、王太子妃の元へと人を振り払い近づいてきた。
「ジュリエット。気分はどうかな」
「大丈夫よ。人の熱気に当てられただけよ。水を飲んで静かにしていたら落ち着いてきたわ」
「そうか。無理はしなくていいからな。辺境に比べて、こちらは暖かい。熱気に弱く、こういう場での人慣れをしていないジュリエットが心配だ」
「気にしないで。つとめはつとめ。分かっていて、あなたの傍にいるの。ちゃんと王太子妃として役目をまっとうするから、ねっ」
すまなそうに眉を歪める王太子の頬に王太子妃は手を添える。添えられた手に自身の手を重ねた王太子は、王太子妃に微笑みかける。
(仲睦まじいとは、こういう関係をいうのね)
ほんの一瞬でも、相手を思いやる心をもっている二人を見ていると胸が痛んだ。
王太子と王太子妃の関係に比べると、マシューと私では、どこか殺伐とした情愛の薄い関係だったように感じられてきた。
さっき見た、マシューと寄り添う女性が笑い合う姿の方が、よほど目の前の殿下と妃殿下の関係に近い気がする。
仲が良かったと思っていたのは私だけで、実はマシューとの関係は、そんなに良いものではなかったのだと思い知らされ、胸が軋んだ。
一人で浮かれていた道化さに、果てなく黒く、淀みそうだった。
数か月後、仕事に忙殺されていた私にも、マシューの婚約話が同期から伝わってきた。相手は同家格の子爵家の次女であり、容姿も夜会で見た彼女と同じ。家ぐるみで付き合いがあった幼馴染に求婚したというなれそめに(私は二番手だったのね)と目を覚まさせられた。
冷や水をかけられたおかげで、僅かに残っていた恋心も洗い流された。これ以上、考えても仕方がないと切り捨てる。
(男なんて、もうこりごり!)
半分本気でそう思った。
本日は三話投稿です。よろしくお願いします。




