第1話:別れを突然切り出される
「ルーシー。君は俺がいなくても一人でやっていけそうだよね」
その一言に私の目は点になった。
恋人、のはずであるマシューは、床に視線を落とし、口元を引き結ぶ。
「なにをいっているの。マシュー」
答える声は震えていた。
真顔の彼が顔をあげて、無感情な瞳で見下してくる。
背をぞくりと悪寒が走った。
「俺は、そろそろ身を固めようと思っている。だから、君との関係も今日で終わりだ」
(私が何をしたというの!!)
せりあがってきた気持ちは空回り、一方的に突き付けられた別れの宣告に絶句した。
私、こと伯爵令嬢ルーシー・グレイスと子爵令息マシュー・バロウズは、騎士志望者が学ぶ全寮制の養成機関から気が合う仲だった。
養成機関の修了証書を受け取る卒業式は、恋愛禁止の養成機関において、唯一告白を許されている一日だ。卒業する者同士、卒業する者から後輩へ、後輩から卒業する者へ、想いを告げるカップルがたくさん見られる。
私とマシューもそんな卒業式で告白を遂げた普通の騎士同士のカップルの、はずだった。
あれから二年。なにがどう変わったのか、わからない。
私たちはそれなりに仲良くやっていたはずだ。
仕事始めの二年間はとても忙しい。それでも、なんとか休日をすりあわせ、遊びに出かけた。
博物館に動物園、美術館など近場にある定番から、流行の店も一緒に回った。少し遠出する時は海まで足を延ばしたこともある。
私たちはどこにでもいる普通の恋人同士だった。どう思い返しても、こんな唐突に別れを切り出される関係じゃなかったはずなのに。
さっと逃げるように背を向けるマシューの腕を私は掴んだ。
「ねえ、説明はなしなの。訳がわからないわ。突然切り出すにしろ、これはないんじゃない」
「突然じゃない」
「そりゃあ、最近はなにかとお互い忙しくて、時間を調整することが難しかったのは分かっているわ。でもね、こんないきなりじゃ、私の何が悪かったのかもわからない。
私たちって、それなりに気があって、半年前まではうまくやっていたと思うのよ」
マシューは前方を見つめたまま、私を一瞥もしない。
そんなにもう私に興味を無くしたの?
それはいつから?
なんで?
問いたい言葉は溢れても、彼の忌々しげな横顔に刻まれた目じりの歪みが怒りを湛えている様で怖かった。
無力感に襲われる。
(もう、ダメなの……)
取り付く島もない。力がすっと抜けてしまう。
その瞬間、マシューが腕を上下に払った。大きく振られた腕の動きについていけなくて、腕を掴んでいた手が離れると私は後方によろめいた。
そのままスタスタと早足でマシューは消えた。
私は見送るしかなかった。残された手が、虚しく空をかく。
「なんで……」
気持ちがついていかないままに、フラフラと職場に戻った。朝方、急に呼び止められて、ちょっと人気のないところに呼ばれたら、別れを切り出されるなんて。なんてひどい一日の始まりだろう。
職場に出ると、同僚から「顔色悪いけど、どうしたの?」と声をかけられ、曖昧に返事をした。女性特有の体調の悪さだろうと誤解され、「辛かったら、医務室へ行ってね」と心配された。
私情が顔に現れるなんて、護衛騎士として未熟な気がして、私はさらに落ち込んだ。
私は王太子妃付の近衛騎士に異動してきたばかり。王太子妃付の女性騎士が一人、妊娠のため長期休暇に入るため、入れ替わりで抜擢されたのだ。引き継ぎの指導を担当してくれる前任者は妊婦。無理をさせるわけにはいかない。
(教わる立場で、私情で医務室は利用できないわ)
頬を二回叩いて、活を入れる。
職場できびきびと動く人たちと接しているうちに意識が切り替わり、表面的には取り繕うことができた。
その日も頑張って働いて、伯爵家の家紋が彫られた馬車に乗り、私は帰路に就いた。
屋敷に着くなり、迎えてくれた侍女に「今日は疲れているから、部屋で休みたい。夜食用にスープとパンだけ部屋に運んで欲しいの」と伝え、自室に引きこもった。
ベッドに机、一人掛けのソファに暖炉。備え付けのクローゼットという、質素な部屋だ。
私は腰に佩いた剣を机に置き、ふらふらと火のない暖炉前に置かれた一人掛けのソファに身を埋めた。
ため息を漏らし、天井を仰ぐ。
(私がなにをしたのだろう。悪いこと、なにかした? 突然じゃないって言うけど、前触れだってそんなになかったよ)
問いかけても返答はない。
なにが気に入らない、なにが悪かったと言ってくれれば善処できるのに、なにも言ってくれないからなおしようもない。
(私たちの関係は普通だったよね)
職場では関係を匂わせてこなかった。もちろん、家にも内緒だ。
恋愛禁止の養成機関の窮屈さを思うと、羽を伸ばしたくなるものだ。
養成機関時代から同期と遊んでくると嘘をつけば、休日に出かけても、家族は簡単に納得する。秘密でつきあうのも、楽しかった。本当に同期と遊んでいる時もあったため、上手く誤魔化せていた。
貴族の家同士だから、婚約話にすぐに進んで行くのが目に見えており、それはそれで窮屈だった。養成機関でくっついたカップルは、交際二、三年目までは秘密にし、時期を見計らい周囲に明かし、結婚へすすむ。
その間に別れるカップルもいる。
(まさか、自分がその別れる側に回るとはね……。絶対、別れることなんてないと思っていたのに。お母様は、遊び相手が男だって気づいていたのかしら)
わからなかった。気づかれていたら、結婚や婚約についてそれとなくにおわせてくるはずである。素振りを見せなかったことを思えば、気づいていないのかもしれない。
(今まで婚約の話はなかったのよね)
私は伯爵家の一人娘。
いずれはどこぞの貴族の男性を婿にむかえなくちゃいけない。
幸い騎士は、貴族の次男や三男の就職先として人気が高い。武門を誇る伯爵家の婿の座は、それなりに魅力がある。
(いずれは、両親に紹介する日がくると思っていたのに……)
マシューは子爵家の次男。
ルーシーは伯爵家の長女。
古くから騎士を輩出した伯爵家の先祖には、将軍まで上り詰めた者もいる古い名門だ。今は日陰で落ち目の伯爵家でも、子爵家のマシューからみたらけっして悪い縁ではないはずだった。
結婚したい。
私から言い出すことじゃないと思っていたのよ。できたら、マシューから言って欲しかった。
(一年前から、結婚しようって言ってくれるの、待ってたのに)
女の私から言い出すのはおかしい気がしていた。
(婿に入ってとはっきり言えばよかったのかしら? これって、言わなかったのが悪かったってこと? 言わないと伝わらないってことかな)
椅子に浅く座り直し、頭を抱えた。
別れを切り出されるにあたって、思い当たることはないかと思い巡らせば、いきつくのは出世したことぐらいだった。
辞令は四か月前に降りていた。そこから前職の引継ぎ、職場の異動、通常の近衛騎士としての業務経験を数か月積んでから、前任者からの引継ぎと続く。変化は怒涛のようで、ついついマシューのことをおろそかにしていたと言えば、おろそかにしていた。
王都内の治安維持や城内の警備とも違う、要人身辺の警護を中心とする仕事内容。覚えるだけで手いっぱいだった。
(仕事を優先しすぎたからかなあ。やっぱり、自分より出世する女って、煙たいのかなあ)
膝に肘を乗せ、額を手でぐりぐりと押すと、重いため息が漏れた。
長編版になります。
本日は4話投稿します。
ブクマ、お星さまのポイント、気に入っていただけたら、どうぞよろしくお願いします。
完結済。最終話まで毎日投稿していきます。




