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「君は僕がいなくても一人でやっていけそうだよね」
その一言にルーシーの目は点になった。
「そろそろ、僕も身を固めようと思っているんだ」
弁を解する間もなかった。意味も分からず、立ちすくむ。踵を返す男の後ろを追いかけることもできず見送った。
『私が何をしたというの』
一人ぽつんと残されて、喉の奥にしこりのような言葉がごろっと転がった。
それきり男とは音信不通。追いすがる女らしさも、女特有の面倒くささも持ち合わせていないルーシーになすすべはなかった。周囲に知られていなかったことだけが、救いだった。
あらぬ噂をする者もなく、ただ密やかに幕は引かれた。
武門を誇る伯爵家を出自とするルーシーは何もしてない。しいて言うなら、出世したぐらいだろう。女性の近衛騎士だとて、姫や王妃、王太子妃がいる以上必要とされる役職だ。
男性ではできぬ護衛もあるということを、去って行く男も理解していたはずなのに。
何が悪かったのかと思案しても、ルーシーはルーシーでしかない。自身を折り曲げることが難しく、あれは仕方なかった、これは仕方なかったと、どのルートを想定しても、結局は別れて終わったような気がして、絶望した。
結婚を考えなかったわけではない。女から切り出すのはどうかと足踏みしていた。妙なところで男だとか女だとか気にしていたと我に返り、ルーシーは無意味に発揮された女心に笑いたくなる。
男との出会いは、騎士の養成機関だった。
そこでは、男女比は女性が三割に満たない。恋愛禁止の規則はあるものの、慕いあうことに歯止めはなく、三割に満たない女性陣はおおよそ養成機関を卒業するなり、同級か先輩と婚約することが多かった。
ルーシーも漏れず、付き合っていた……と、思っていた男から、卒業三年後に、めでたく別れを切り出されたのだ。
おそらく理由はルーシーが近衛騎士団入りしたことだろう。彼は通常の騎士団の一騎士であり、身分も子爵家の長男だ。家格が上、仕事も上の女と関係を続けることができないと早々に冷め切っていたのかもしれない。
女には計り知れない男のプライドや嫉妬が横たわっていたのかもしれない。家格が高く、実力もある女を口説いたという実績が彼の男心を満足させたものの、プライドや嫉妬により、飽きたという風体で捨てたのかもしれない。
悶々と過ごすも、数か月後には、同家格の子爵家の次女と男は結婚し、久しぶりに会った幼馴染に求婚したというなれそめを聞き、『二番手は私の方か』と、ルーシーは思い至った。仕事に執心するルーシーが喜ぶ、職場が同じだから黙っていようという提案を逆手に取られたのかもしれない。
一度見かけた彼の妻は小柄で柔和な雰囲気。小動物のようにくるくると回る笑顔に、『男の好みそうな愛らしい娘』と男目線で値踏みしていた。そんな自意識にルーシーは傷つくより、呆れ、自嘲した。
これ以上、考えても仕方がないとルーシーは、その部分の思考を切り捨てた。男はもうこりごりだ。半分本気でそう思うようになった。
二年前の話である。
それ以来、ルーシーは仕事に没入し、現在は王太子妃に気に入られ、近衛騎士と侍女を兼務するに至った。騎士養成機関と言っても、女は侍女教育も受ける。より身近で護衛できるように、その点は男性と教育科目が少々異なるカリキュラムとなっていた。
ルーシーは王太子妃のお世話をしながら、周囲に気を配る日々を送っている。
「ルーシー、ルーシー」と王太子妃は気安く名を呼び、遠慮なく呼びつける。周囲もルーシーが王太子妃に気に入られていると承知し、融通をきかせてくれるまでになっていた。
今日も、三時のお茶の席をルーシーは準備する。
女性の騎士とは、騎士としては名ばかりで、半分以上はこのような女性的な仕事となる。それでも、ルーシーは仕事内容に不満はなかった。
男性から見たら、女仕事が楽に見え、そんな簡単な仕事で出世しやがってという陰口をきいたこともある。男のやっかみは、とかくわずらわしい。
女のできることは、男より下と見下して、自尊心を満たす男もいるのだなとこの時ばかりは、内心腹も立った。余計に男に夢を見られなくなった。婚期も逃して当たり前だ。
王太子妃の三時はお茶の席とは名ばかりで、ほぼ食事の時間となっている。卵に季節の野菜を混ぜこみ焼き上げた逸品が、ソースと共にお皿にのっている。それに果物を少々。
小食で、甘すぎるお菓子を好まない王太子妃は、少ない食事を繰り返し食す。ドレスを多く着るため体つきに気をつけた結果、胃が小さくなってしまったのではないかとルーシーは考える。
自室での軽い運動につき合うこともある。王太子妃がルーシーを好むのは、色々と小回りが利くからだろう。
小さくフォークで切り分けた卵と野菜の破片にソースをつけ口に運ぶ王太子妃の横で、ルーシーはハーブティーを淹れる。
王太子妃はルーシーが淹れるハーブティーが好きだ。ポットの底に茶葉が落ち、茶こしで茶葉をすくいとりながら、琥珀色の液体がカップにそそぎ入れられる様を、童女のように待ちわびている。
「ねえ、ルーシー」
「はい」
「あなた、結婚する気はないの」
手がぴたりと止まったルーシーの、なんとも言えない表情が浮かび上がるのを見止めても、王太子妃はどこか楽しそうだ。
「さあ……、こればかりは、ご縁もありますし……」
ハーブティーをそそぎ終えたカップを王太子妃の前に差し出す。
「ねえ、ルーシー。私、あなたに結婚相手を紹介したいのよ」
王太子妃がにこやかな笑顔で、ルーシーの触れて欲しくないところに切り込んできた。
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