出立
「あびゃ…………やっちゃった……やってしまった……!」
夜半、格納庫から練習用バイクをパチる。何という悪行であろうか。罪の重さが身に染みる。
本当なら夜は戸締まりされて入れない格納庫も、罰として掃除をしなければいけないので、と整備係に伝えたら、案外簡単に鍵を預けてもらえた。
街中を、音を立てないようこっそり手押しで進む。正直かなり重いし、気を抜けば倒してしまいそうだ。
本当は正式なバイクを持ち出したかったが、誰かの愛車を勝手に借りるというのは良心が咎める。
(カワイイだけじゃなくって思いやりの心もある完全無敵なアトリちゃんなのでしたー、なんて)
自分を鼓舞してみても、この暗い夜を一人で往くというのはやはり、怖い。
暗いということは紙魚を目視しにくくなるということだ。プロの配達人でも、夜間の移動は出来る限り避けるという。
門番が欠伸をしている隙をつき、とうとう街の外に出てしまった。
満月が煌々と照ってはいるが、ちょっとした影が全て紙魚に見え、心臓に悪い。加えて、紙魚以外の危険生物や、野盗にだって気をつけなければいけない。
「やっぱり、斧とか持ってきたほうが良かったかな……」
苦し紛れに独り言を続けながら、アトリはジェムバイクのエンジンをかける。
配達人用に作られたジェムバイクは、その名の通り内燃機関石という特別な鉱石を核にして、そのエネルギーで動く。
一般的な動力に比べ、パワーと静音性共に優れた高級品だ。配達人にとっては、自分のトレードマークにもなるので、改装や改造を施している者も多い。
性能の分、精密な調整も必要になる為、運搬局では整備専門の部署があり、日々メンテナンスと改善を続けている。
まあ、アトリはそのバイクを今までに五台ほど壊しているのだが。
荷台に子どもたちから受け取った手紙をセットし、アトリは遂に、夜道を走り出した。
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「昔のカルヴェルくんに似てると思わない? アトリちゃんって」
「そんな訳あるか」
煩雑な繁華街の裏路地にある古いアパート。ベランダの、錆びついた手すりにもたれかかって、サラミルエは笑った。
隣の部屋で、同じようにベランダに出てきていたカルヴェルが安眠用の夢見タバコを吸い始める。
「なんていうのかしら、『旅がしたいから配達人になりたい』って感じで」
「俺は最初っから金の為だけだって言ってるだろ」
「素直じゃないのね〜」
眼下ではまだまだ眠れない民衆が、酒に料理にと騒いでいる。道にまばらに置かれた机を囲って賭け事をしたり、美女を口説いたり。
サラミルエはホットミルクを一口飲んで、昔を懐かしむように言う。
「最初はカルヴェルくんより私のほうが先輩だったのに、気づいたら君の方が上の立場。きっと、アトリちゃんも同じように、とんでもない配達人になるわ」
「ハハッ! 壊したバイクの数ならとっくに世界一だよ、アイツは。請求書を叩きつけてやりたいな」
「その腹いせで難癖つけて不合格にしたの?」
非難するような口調で、サラミルエが問う。しかし、カルヴェルは頭を振ってそれを否定した。
「まさか。………………アトリは、速さが何でも解決してくれると思い込んでるらしい。そんなやり方をしていればそのうち死ぬよ。今日のバイクの壊れ具合見たか? あれで何で本人が無事なのか俺には全く理解出来ない」
「あら、心配してあげてるのね。見直したわ」
「馬鹿言え、アレを世間様にお見せしたら王国配達局の恥ってだけだ」
喧騒の中、夢見タバコの煙が、満月に向かって上っていった。






