19 白き怪物と黒き達人
ユーリは背筋をのばしたアップライトのスタイルで防御を固め、ひたすら前進していく。
同じアップライトのスタイルであるベリーニャ選手は軽やかなステップワークを駆使して、逃げの一手だ。
最終ラウンドの残り時間は、一分四十秒。ユーリとベリーニャ選手の一戦は、思わぬ形で最後の瞬間を迎えようとしていた。
一ラウンド目はベリーニャ選手がユーリのみぞおちを蹴り抜き、動きが鈍ったところでテイクダウンを取り、最後まで有利な形でラウンドを終えた。
二ラウンド目はベリーニャ選手がカウンターの右ストレートをクリーンヒットさせて、脳震盪を起こしたユーリは再びテイクダウンを取られてしまった。そうして再びグラウンドでも圧倒されて、終了である。
ベリーニャ選手の圧倒的な強さに、誰もがユーリの敗北を覚悟していたはずであるのに――この最終ラウンドで、様相が一変してしまった。
ユーリはやみくもに寝技の展開を狙い、ベリーニャ選手はひたすら逃げ続ける。それで、三分二十秒もの時間が過ぎ去ることになったのだ。
ユーリは打撃でダメージを与えてから寝技に移行するという戦略であったはずなのに、それをすべて打ち捨ててしまっている。
そしてベリーニャ選手も、ユーリが自ら下になってもグラウンド戦に移行しようとしない。
おたがいが、道理に反した行動を取っているのだ。
試合がここまで進んでも、瓜子にはその理由がさっぱりわからなかった。
しかし瓜子は、すでに思案することを放棄していた。
何にせよ、ユーリの陣営は自分たちの意志でこの状況を作りあげたのだ。それで試合がおかしな方向に進んでいるというのなら、こちらのペースであると言えるはずであった。
(ユーリさんはいつも、思わぬ形で逆転勝利してますもんね……)
瓜子は胸を高鳴らせながら、一心にユーリの勇姿を見守る。
まるで集中力の限界突破を迎えたかのように、瓜子は時間の流れをゆっくり感じていた。
ベリーニャ選手はまた関節蹴りを繰り出したが、ユーリの前進は止まらない。
それに今回は、カウンターのハイキックも出さなかった。きっと同じ攻撃を繰り返したら、ベリーニャ選手に後の先を取られてしまうためであろう。
ユーリは前足を浮かせているため、関節蹴りをくらっても深刻なダメージは生じない。それでまた、無遠慮に前進していった。
ベリーニャ選手はフェンスまで追い込まれないように、円を描きながら逃げ回っている。
そのステップの軽やかさに変わりはなかったが、ベリーニャ選手のしなやかな肢体もついにしとどに汗に濡れていた。
最終ラウンドに入ってからは完全にユーリのペースであるため、ベリーニャ選手もスタミナを失いつつあるのだ。
これほどに強いベリーニャ選手も、まぎれもなく人間であったのだった。
そんなベリーニャ選手のもとを目指して、ユーリはぐいぐいと近づいていく。
この戦法に切り替えてから、出した攻撃はカウンターのハイキック一発のみだ。迂闊に手を出せば、それこそカウンターの餌食であると考えてのことだろう。時おりフェンスの向こう側にプレスマン陣営の姿が映し出されると、ジョンや愛音やオリビア選手がしきりに声をあげている姿がうかがえた。
ジョンはのんびりした表情、愛音は肉食ウサギのごとき形相、オリビア選手は笑顔寸前の明るい表情をしている。
誰もユーリのおかしな戦法に取り乱している様子はない。
であればやはり、これはセコンドからの指示による作戦であるのだ。
そうしてついに、試合の残り時間が一分になろうとしたとき――ユーリがいきなり、両足タックルを見せた。
ユーリの両足タックルも、ベリーニャ選手に負けないぐらいフォームは美しい。
ただし、片目を閉ざしているために遠近感がおぼつかず、間合いの取り方とタイミングに難がある。ユーリが両足タックルを成功できる確率はもともと一割ていどであり、相手がベリーニャ選手であればいっそう確率は下がるだろうと見なされていた。
よって今回も、ユーリの両足タックルは不発に終わる。
だが――完全に回避されたわけではなく、相手の膝裏をつかみかけて、バランスを崩すことはできた。
おそらくは、十回に一回だけ訪れる、理想的なタイミングであったのだ。
相手がベリーニャ選手でなければ、成功していたのかもしれなかった。
バランスを崩したベリーニャ選手は足をもつらせながら、後方に逃げていく。
すると、マットに突っ伏したユーリは、その体勢のまま弾丸のような勢いで飛び出した。
両足タックルの、二連発である。
カエルのように跳躍したユーリの両腕が、再びベリーニャ選手の足もとに襲いかかる。
ベリーニャ選手は驚くべき反応速度で、後方に跳びすさった。
今度はベリーニャ選手の足に触れることもできないまま、ユーリの指先は空を切る。
そして、ユーリは――三たび跳躍した。
両足タックルの、三連発である。
ベリーニャ選手もまた、後方に跳躍する。
その背中が、フェンスに衝突した。
ベリーニャ選手が真っ直ぐ下がり続けたため、フェンスに達してしまったのだ。
つまりベリーニャ選手は自らの立ち位置を失念するぐらい、必死に逃げていたということである。
ユーリの執念が、ベリーニャ選手をそこまで追い詰めたのだ。
逃げ場を失ったベリーニャ選手の両足が、ユーリの両腕に捕獲される。
しかし背後がフェンスであるために、そのまま押し倒すことはできない。
そこでユーリはベリーニャ選手の下半身をつかんだまま身をよじり、横合いのマットにねじ伏せた。
ついにユーリが、ベリーニャ選手からテイクダウンを奪ったのだ。
これはある意味、二人の最初の試合の再現であった。
四年前のあの日の試合でも、ユーリは腕ひしぎ十字固めで肘靭帯を痛めつけられたのち、膝蹴りで逆襲して、逃げるベリーニャ選手からテイクダウンを奪取したのである。
しかし、その後はベリーニャ選手の防御を突き崩すことがかなわず、時間切れで判定負けを喫することになった。
あのときのユーリは右拳を骨折している上に右肘の靭帯を損傷し、ベリーニャ選手の側も肋骨の骨折という痛手を負っていたのだ。
そうして今回は、おたがいに五体満足の状態でグラウンド戦が開始されたのだった。
現在の体勢は、ベリーニャ選手がユーリの左足を両足ではさみこんだハーフガードのポジションだ。
フルガードを取られなかったユーリをほめるべきか、片足だけでも捕獲したベリーニャ選手をほめるべきか――ともあれ、上となったユーリが有利なポジションであった。
しかしまた、ベリーニャ選手がノーダメージの状態でグラウンド戦に持ち込んでも勝機はないと見なされている。だからこそ、一発だけでも打撃を当ててからグラウンド戦を目指すというのが、ユーリの基本戦略であったのだ。
その基本戦略をくつがえして、ユーリは五分の状態からグラウンド戦に持ち込んだ。
残り時間は、一分を切っている。
この試合は、いったいどのような結末を迎えるのか――瓜子はすべての気力を振り絞って、二人が躍動するさまを見守った。
ユーリは左足を引き抜こうとするが、ベリーニャ選手の拘束は固い。
するとユーリは上体を起こして、右腕を振り上げた。
フルスイングの、パウンドである。
こんなパウンドをくらったら、ベリーニャ選手もひとたまりもないだろう。
しかしベリーニャ選手が、みすみすそのような攻撃をくらうわけもない。
ユーリが腕を振りかぶった間隙を突いて、ベリーニャ選手は足を開き、マットを踏みしめて、ユーリの胴体を抱きすくめ、身をよじりながらブリッジをした。
それだけで、上下のポジションが逆転されてしまう。
やはり、ベリーニャ選手のグラウンドテクニックは一級品であった。
だが、下になったユーリは、両足で相手の腰をはさんだガードポジションだ。
その体勢から、ユーリはすぐさま三角締めの攻撃に出た。
ユーリの白い両足が、ベリーニャ選手の右腕と頭部を捕獲しようとする。
ベリーニャ選手がその足を振り払うと、ユーリは腕ひしぎ十字固めに移行した。
ベリーニャ選手は顔にかけられようとするユーリの右足を払いのけ、立ち上がろうとする。
しかしユーリが右手をのばして左足を払ったため、ベリーニャ選手はあえなく尻もちをつくことになった。
先のラウンドでは、ユーリの攻撃をことごとくすかしていたはずであるのに――このたびは、回避しきれずにいた。
そしてユーリはベリーニャ選手が尻をつくと同時に、身をよじっている。
ベリーニャ選手に背中を向けながら、ベリーニャ選手の右足を両腕で抱え込む。足関節へのアプローチである。
しかし、ベリーニャ選手に背中を見せるのは、あまりに危険な行動であった。
右足を捕獲される前に、ベリーニャ選手は両腕をのばしてユーリの首を捕らえようとする。
すると、まるでそのさまが見えているかのように、ユーリはおもいきり身を丸めて前転した。
右足を取られかけていたベリーニャ選手もその勢いに巻き込まれて、二人で一緒にマットを転がる。
そして、二人の姿が蛇のようにのたうち回り――最後には、ユーリが上となるサイドポジションの形に落ち着いた。
ここでも、ユーリが有利なポジションを確保できたのだ。
その事実が、瓜子にひとつの理解をもたらした。
(ユーリさんは……ベリーニャ選手と互角以上の勝負ができるぐらい……寝技の技術が成長していたんだ……)
もちろん、真なる意味での技術に関しては、まだまだベリーニャ選手のほうが上回っているのだろう。寝技は時間をかけただけ強くなれるものだと言われており、ベリーニャ選手は物心ついたときから柔術の稽古に打ち込んでいたのである。たとえユーリがどれだけの熱情を燃やしていても、格闘技のキャリアは七年ほどであるのだから、その差は埋めようもなかった。
しかしまた、強さというものは技術だけで決定されるものではない。
ごく簡単な区分でも、テクニックにはパワーやスピードというものが並べられるのだ。たとえテクニックで劣っていても、パワーやスピードでまされば打ち勝つことはかなうのだった。
ユーリは一点、パワーだけは圧倒的にベリーニャ選手を上回っている。
そして寝技に関して、ユーリはパワー頼りの選手ではない。七年をかけて体得したテクニックを余すところなく活用できるように、パワーが使われているのである。
また、軽い人間のほうがスピードでまさると思われがちであるが、それは小回りや機動力が加味されるためとなる。速筋が発達していれば瞬発力だって上昇するのだから、一概に重いほうが鈍重であると見なすことはできないはずであった。
ベリーニャ選手よりも四キロ重く、全身が筋肉であるユーリは、寝技における瞬発力も尋常ではない。何せユーリは、ベリーニャ選手よりもさらに軽量である鞠山選手とも五分の勝負ができるのである。寝技に限って言えば、ユーリのスピードはベリーニャ選手にも負けていないはずであった。
あとは、一瞬の判断力や身体の柔軟性など、さまざまな要因が関わってくることだろう。
それらのすべてをトータルしたものが、競技者としての強さであり――そういう意味において、ユーリの寝技の力量はベリーニャ選手に追いついていたのだった。
だからこそ、ベリーニャ選手は最終ラウンドに入ってから、ひたすら逃げの一手を打っていたのだ。
五分の状態で寝技に入ったならば、どちらが勝つかもわからない――そんなリスクを避けるために、まずは立ち技でダメージを与えてから寝技に移行するという基本戦略を組み立てたのだろうと思われた。
奇しくもそれは、ユーリとまったく同一の戦略である。
そして、ベリーニャ選手は二ラウンド目まで戦略通りに戦うことができたが、ユーリはやられるいっぽうであった。それでユーリの陣営は、基本戦略を打ち捨てて――五分の状態で寝技に持ち込むという、リスクのある戦略を選び取ったのだった。
(それで……その戦略が正しいかどうか、序盤で色々と試したんだ……)
ユーリが大きな隙を見せても、ベリーニャ選手は決してテイクダウンを仕掛けることがなかった。
そうしてベリーニャ選手の思惑を看破してから、セコンド陣は最終的なゴーサインを出して――そこでユーリの表情が切り替わったのではないかと思われた。
今もユーリは菩薩像のように静謐な面持ちで、ベリーニャ選手の上にのしかかっている。
その眼差しは透き通っており、まるで相手を慈しんでいるかのようだ。
残り時間は、三十秒足らずである。
サイドポジションを取ったユーリは、そのままトップポジションへと移行した。
柔道で言う上四方、MMAではあまりスタンダードではないポジションである。
しかしユーリは、このポジションからも数々の勝利をあげてきた。
それを知っているベリーニャ選手は、余念なく回避の行動を取っている。これまでの対戦相手のように慌てる素振りを見せることなく、的確にユーリの下から脱しようとしていた。
ユーリはベリーニャ選手に逃げられないように、深くのしかかる。
するとベリーニャ選手はユーリの背中に腕を回して、身をよじりながらブリッジした。
重心を崩されたユーリはマットの上に落とされたが、その頃には両足でベリーニャ選手の首をはさんでいる。
そうしてユーリが身をよじると、ベリーニャ選手はそれよりも素早く身をよじり、首の拘束を外してからユーリの上にのしかかった。
そしてベリーニャ選手はすぐさま九十度ばかりも旋回して、サイドポジションの形を取る。
ほんの数秒で、ポジションが完全に入れ替わってしまった。
さらにベリーニャ選手はユーリの脇腹に右膝を乗り上げて、ニーオンザベリーのポジションを取る。
そうしてベリーニャ選手がひと息に腰をまたぎ越そうとすると、今度はユーリが爆発的な勢いでブリッジをした。
ユーリの腰に股座を弾かれたベリーニャ選手は、横合いに倒れ込む。
そしてユーリがその上にのしかかろうとすると、今度はベリーニャ選手が三角締めを仕掛けた。
ユーリをも上回る、俊敏な仕掛けである。
しかし、ベリーニャ選手の両足がクラッチされるより早く、ユーリはおもいきり上体を倒して体重をあびせかけ――そしてさらに、マットを蹴って前方転回した。
その勢いで、ベリーニャ選手の足は完全に解除される。
そして、空中で身をよじったユーリはベリーニャ選手と正対する形でマットに着地して、再びトップポジションを取った。
さらにユーリは、ベリーニャ選手の首を上から抱え込んだ。
この近年でユーリの得意技に成り上がった、ノースサウス・チョークである。
しかしベリーニャ選手はすかさず横向きとなって、頸動脈の圧迫から逃れた。
するとユーリはすぐさまサイドポジションに移行して、ベリーニャ選手の左腕を両足ではさみこもうとした。
するとベリーニャ選手はユーリの重心をずらしながらブリッジをして、そのままマットを蹴って後方転回した。
両者の動きは、一瞬として停滞しない。
ユーリとベリーニャ選手がこれまでに積み上げてきた力が真っ向からぶつかりあい、純白と漆黒の火花を散らしているかのようであった。
そして――いつしか二人の瞳は、星のようにきらめいていた。
ユーリの淡い鳶色の瞳も、ベリーニャ選手の黒い瞳も、強く明るく輝いている。二人は最後の一分間で、ようやく戦略という枷から解き放たれて、思うさま自由に戦うことを許されたのだった。
二人が本当に求めていたのは、この瞬間であったのだ。
四年間という歳月を経て、ユーリとベリーニャ選手はついに想いを成就することがかなったのである。
しかし、残り時間は数秒だ。
この美しい技の連鎖も、あと数秒で終焉してしまうのだった。
二人の身体はマットの上でもつれあい、躍動する。
そして、バックを取られかけたユーリが凄まじい勢いで反転して、ベリーニャ選手をマットに押し倒す。
それは、常に流麗なるベリーニャ選手の動きを、激流のごとき迫力で呑み込むかのような所作であり――ユーリが、マウントポジションを取っていた。
そしてユーリは星のようにきらめく眼差しのまま、右腕を振りかざす。
あのユーリが、迷うことなくパウンドを繰り出したのだ。
重い鉈のような一撃が、ベリーニャ選手の顔面に振り下ろされる。
瓜子はベリーニャ選手の端整な顔が無茶苦茶に粉砕される図を幻視してしまったが――ベリーニャ選手は素晴らしい反応速度で首を傾けて、ユーリの凶悪な拳を回避した。
ユーリの拳は地響きをたてそうな勢いで、マットに打ちつけられる。
そしてその腕が、深く傾けられたベリーニャ選手の首の裏にねじこまれた。
さらに逆の前腕が、ベリーニャ選手の咽喉もとにあてがわれる。
そうしてベリーニャ選手の腰にまたがったユーリは、ぎゅっと抱擁するように身を縮めた。
前後ではさんだ両腕で首を締めあげる、柔術の技――エゼキエル・チョークである。
常に躍動していた二人の身体が、ぴたりと静止する。
そして、画面の左下に表示された残り時間が、ゼロのカウントを打とうとしたとき――ベリーニャ選手の手の平が、ユーリの背中をそっと叩いた。
レフェリーが頭上で両腕を交差させ、大歓声が爆発する。
技を解除したユーリは、ベリーニャ選手の横合いにくにゃりと倒れ込んだ。
「い、今の、どうなったの? 時間切れ? タップが先だった?」
灰原選手が眠りから覚めたように惑乱した声を張り上げたが、瓜子はモニターから目を離すことができなかった。
いつしか、視界がぼやけている。ユーリとベリーニャ選手の攻防があまりに美しく鮮烈であったため、瓜子は知らぬ間に落涙していたのだ。
ベリーニャ選手のタップが時間内であったのかは、瓜子にもわからない。
しかし、ベリーニャ選手がタップしたことは、事実であるのだ。ユーリは真正面から寝技でベリーニャ選手とわたりあい、そして最初にタップを奪ってみせたのだった。
ベリーニャ選手に憧れて格闘技の道に踏み込んだユーリが、ついにここまでの躍進を果たしたのである。
ユーリは七年もの歳月をかけて、ついに憧れの存在に追いついたのだ。
それが最終目標ではなかったにせよ、ユーリはひとつの大きな目標に達したのだった。
(だから、あとは……)
あとは、無事に生還するのみである。
ベリーニャ選手は身を起こしたが、ユーリは横たわったままだ。
それでもカメラがリプレイ映像に切り替えられたりもしない。ユーリの不調を隠すのは欺瞞であるという非難を受けたため、《ビギニング》の陣営は今後そういった処置をしないと事前に通告していた。
しかしもちろん、医療スタッフは準備されている。
人目をひかないようにイベントTシャツを着込んだ医療スタッフが、すでにケージの内部に駆け込んでいた。
そして、カメラクルーもそれを追いかけるようにしてなだれこみ――マットに横たわったユーリの姿が、大映しにされた。
ユーリは、まぶたを閉ざしたまま微笑んでいる。
左の目尻が大きく割れて、唇にも血がにじんでいたが――その顔は、微睡む天使のように安らかであった。
瓜子もよく知る、赤ん坊のようなユーリの寝顔だ。
その白い頬には、汗とも涙ともつかないしずくが滴っている。
そして――