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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
950/955

17 制圧

 第二ラウンド開始のブザーが鳴らされると、ユーリは力強い足取りで前進した。

 その肩や胸もとは、自然な形で上下している。インターバルの間に、呼吸の機能が回復したのだ。それだけで、瓜子は安堵の息をついてしまった。


 しかし、勝負はこれからである。

 なんとか窮地は脱したが、まだユーリは何ら有効な反撃をできていないのだ。残り二ラウンドで、何としてでもベリーニャ選手の牙城を突き崩さなければならなかった。


(でも、やっぱり……ベリーニャ選手っていうのは、とんでもない強さだ……)


 あらためて、瓜子はそんな思いを痛感させられていた。

《アクセル・ファイト》に参戦して以降、ベリーニャ選手は一発の打撃技ももらったことがないのだ。スタンドの状態では自分の攻撃だけを当て続け、グラウンドの状態では無類の強さを発揮する、つけ入る隙のない絶対的な強さであった。


(怪物……っていうよりは……超人っていう印象だな……)


 それはきっと、ベリーニャ選手の静謐なたたずまいから生じる印象であるのだろう。ユーリやメイ、赤星弥生子や宇留間千花など、怪物の名に相応しいファイターは何名か存在したが、彼女たちはそれぞれ暴虐なる強さを備え持っているのである。そんな中、ベリーニャ選手だけはひとり流麗なファイトスタイルであったのだった。


(でも、ユーリさんなら……きっとベリーニャ選手に届くはずだ……)


 瓜子がそのように祈る中、ユーリはぴょこぴょことした足取りでベリーニャ選手に接近していく。

 酸欠の状態で一ラウンド目を乗り越えたとは思えないぐらい、常と変わらぬ足運びである。瓜子としては、心強い限りであった。


 しかし、ベリーニャ選手も軽やかなステップワークに乱れはない。あちらは自分のペースで試合を進めているため、スタミナの消耗も最低限に抑えられているはずであった。


 そんな両名が今度はどんな攻防を交わすのかと、瓜子が息を詰めて見守っていると――アウトサイドに踏み込んだベリーニャ選手が、ユーリの右頬に軽く左ジャブをヒットさせた。


 やはりスピードと機動力は、完全にあちらが上である。あとは、ユーリの破壊力に怯まない精神力の賜物であった。


 すると、ユーリがいきなり間合いの外で、ワンツーと左ミドルのコンビネーションを繰り出した。

 遠い位置からその挙動を見届けたベリーニャ選手は、ユーリが動きを止めるのと同時に足を踏み出しかけたが――途中でそれを取りやめて、また距離を取った。


 ユーリはただ、泰然と立っている。

 そして、ベリーニャ選手が遠ざかると、今度は逆ワンツーから右ハイとレバーブローというコンビネーションを見せた。

 そして、攻撃を終えた後はまた動きを停止させる。

 これは、ひとつのコンビネーションを終えたら即時にカウンター狙いに切り替えるという戦法であった。


 しかし、ベリーニャ選手はユーリが動きを止めても近づこうとしない。

 そして今回は、遠い距離から関節蹴りを繰り出してきた。


 どうやらこの戦法も、あえなく見透かされてしまったようである。

 そして今度は、ベリーニャ選手のほうがアクションを見せた。


 サイドステップを取りやめて、前後のステップだけで距離を測る。

 そして、遠い距離からの関節蹴りを繰り返した。


 ユーリはバックステップと膝蹴りの両方で対処していたが、やがてセコンドから指示が飛ばされたらしく、自らサイドにステップを踏む。

 このまま前後の動きだけで対応していると、やがて両足タックルの餌食になりかねないと判断したのだろう。これはシンガポールのヌール選手も得意にする、ジルベルト柔術の古典的な戦法であった。


 そうしてユーリが動いたならば、ベリーニャ選手も再びサイドステップを織り込んだステップワークに切り替える。

 そしてまた、ユーリの顔に左ジャブをヒットさせた。


「ふん。また同じ状況に引き戻されただわね。どうやらこれが、ベリーニャの基本戦略のようだわよ」


「基本戦略って、ヒットアンドアウェイでジャブを出してるだけじゃん。そんなの、普通すぎない?」


「普通ということは、それだけ一般的、すなわち効果的ということだわよ。怖いのは、ここからどういう攻撃に繋げられるかだわね」


 鞠山選手に言われるまでもなく、瓜子も緊張を強いられていた。

 二ラウンド目の中盤に差し掛かっても、ベリーニャ選手の流れる水のような流麗なる所作には何の澱みも見られない。ユーリはいまだ、ベリーニャ選手の静かな支配からまったく脱せられていなかった。


 ユーリが三度目のコンビネーションを見せると、ベリーニャ選手はその間にアウトサイドへと回り込み、左ジャブをヒットさせる。

 そしてユーリが動きを止めたならば、また前後のステップと関節蹴りだ。

 ユーリがサイドにステップを踏むと、ベリーニャ選手はそれよりも軽やかにステップを踏み、またジャブをヒットさせる。


 完全に、アリジゴクにハマってしまったかのようである。

 第二ラウンドは、あっという間に半分が過ぎてしまった。


 このままラウンドが終了すれば、ポイントはジャブを当て続けたベリーニャ選手のものである。

 ユーリの陣営は試合前からポイントゲームを放棄する方針であったが、それでも一発を当てない限り勝ち目はないという事実に変わりはなかった。


 その一発を当てるべく、ユーリは懸命に近づこうとする。

 そして、これまでよりも近い距離からコンビネーションを発動させたとき――ユーリが左ジャブから右フックに繋げたタイミングで、ベリーニャ選手がふわりと踏み込んだ。


 右拳を引いたユーリは、左のボディフックを撃とうとしている。

 それよりも早く、ベリーニャ選手の右ストレートがユーリの下顎を撃ち抜いた。


 ユーリは足をもつれさせながら、後方に逃げていく。

 完全に、脳震盪を起こしている人間の動きである。ベリーニャ選手のパンチにそれほどの破壊力は備わっていないはずであるが、攻撃を出そうと身を乗り出した瞬間に下顎を撃ち抜かれればカウンターの威力が加算されて、意識を飛ばされてもおかしくはなかった。


 ベリーニャ選手は、しなやかな足取りでユーリを追いかける。

 そうして何とか踏み止まったユーリが、右拳を振りかざそうとすると――それが射出されるより早く、伝家の宝刀たる両足タックルが繰り出された。


 脳震盪を起こしているユーリに、それを回避するすべはない。

 ユーリはあえなく倒れ伏し、再びマウントポジションを奪取されてしまった。


 ユーリの腰にまたがったベリーニャ選手は、再びパウンドを振るっていく。

 一ラウンド目の悪夢の再現である。


 すると――客席からは失意のどよめきがあがり、控え室にも重苦しい空気がたちこめた。

 ベリーニャ選手の見事すぎる手腕に、ついに脱帽してしまったのだろうか。ユーリがどれだけ奮闘しようとも、一発の攻撃で簡単にひっくり返されてしまうため、すべての希望を打ち砕かれてしまったのだろうか。


 瓜子自身、かつてないほどの焦燥と緊張を強いられている。

 ユーリが窮地に陥るのは毎度のことであるが、今回はあまりにつけ入る隙がないように思えてしまうし――何より今回は、寝技に持ち込めば逆転できるという芽が最初から摘まれてしまっているのだった。


(でも、ユーリさんなら……ユーリさんなら、なんとかしてくれるはずだ……!)


 拳を握り込む力もない瓜子は、ひたすらモニターを見つめ続ける。

 ベリーニャ選手は静謐そのものの表情で、無慈悲にパウンドを振るっている。それらのすべてがガードの穴をついて顔と頭にヒットしているため、レフェリーは今にもストップをかけそうな気配であった。


 すると――ユーリがやおら、暴れ始めた。

 左右に身をよじり、びちびちとのたうち回る、凄まじい躍動だ。その勢いに、沈みかけていた客席に歓声がわきたった。


 ただし、ベリーニャ選手の身はまったく揺らいでいない。

 ユーリがどれだけ暴れようとも、平然と腰にまたがり続けている。しかも、上体を倒してユーリの動きを止めようともせず、真っ直ぐ背中をのばしているのだ。いったいどれだけのバランス感覚を有しているのかと、瓜子は呆れ返るほどであった。


 たいていの選手は暴れるユーリの上でポジションをキープするだけでスタミナを削られるものであるが、ベリーニャ選手にはその気配もない。

 するとユーリは大暴れしながら、拳まで繰り出した。

 ベリーニャ選手がそれを回避するためにのけぞると、背後から両足を振り上げる。


 しかしベリーニャ選手も一ラウンド目と同じ轍は踏まず、わずかに上体を傾けてユーリの足をも回避する。

 その瞬間には重心も乱れるはずであるので、ユーリは足をおろすと同時にこれまで以上の躍動を見せたが――その頃にはベリーニャ選手も背筋をのばしており、何事もなかったかのように重心を安定させた。


 暴れている間はパウンドをくらう恐れもないが、これではスタミナを失うばかりである。

 するとユーリは大暴れをしながら、頭の方向にじわじわと移動し始めた。

 その先には、黒いフェンスが待ちかまえている。

 フェンスに近づいてから左右のどちらかに回れば、やがてフェンスを蹴ることも可能になるのだ。人間ひとりを乗せたままそこまで到達するのは果てしない道のりであったが、無為に暴れるよりは希望が存在した。


 その段に至って、ベリーニャ選手はようやく上体を倒してユーリの上に覆いかぶさった。

 やはり、ユーリの怪力でフェンスを蹴られるのはまずいと判断したのだろう。数十秒ばかりもかけて、ようやくユーリは一歩手を進めることがかなった。


 上半身にのしかかられたユーリは、自らもベリーニャ選手の背中に両腕をのばして、抱きすくめる。

 そして今度は左右に身をよじりながらの、ブリッジだ。

 しかしこの体勢でも、ベリーニャ選手の重心は完璧なまでに安定している。ユーリがどれだけの爆発力を発揮しても、ベリーニャ選手の身は揺らがなかった。


 するとユーリはクラッチを解除して、大きくブリッジをしたのちに、右腕をベリーニャ選手の股下にもぐりこませた。

 そのまま右腕を拘束されかねない、危険なポジションである。

 しかし、その右腕でベリーニャ選手の身をずらせれば、さらなる展開を望めるはずであった。


「よし! ブリッジの勢いで、相手をはねのければ――!」


 と、立松がひさびさに声をあげかけたとき――ベリーニャ選手が、ふわりと横合いに移動した。

 上半身はユーリにのしかかったまま、下半身を横合いに逃がす。サイドポジションに移行したのだ。


 そしてその頃には、両手でユーリの左腕を捕獲している。

 サイドポジションから、アームロックを狙っているのだ。

 ユーリが両手をクラッチしてそれを防ぐと、ベリーニャ選手は右拳で顔面を殴りつけた。


 ユーリが顔を守ろうとすると、再び左腕にアームロックのプレッシャーをかける。

 それでユーリが左腕を守ろうとするならば、再びのパウンドだ。


 今度はサイドポジションで、逃れようのないアリジゴクが完成された。

 客席と控え室に、また失意の気配が満ち始める。

 しかし瓜子は、ユーリの底力を信じていたし――そこに、鞠山選手の声が響き渡った。


「サイドポジションは、それほど安定したポジションじゃないんだわよ! ベリーニャといえども、どこかに隙があるんだわよ!」


 するとユーリは、再び暴れ始めた。

 自由な両足を使って、先刻以上の躍動を見せる。それだけで脱出することはかなわないが、ベリーニャ選手もポジションをキープするために動きを止めることになった。


 そうして時間は、じわじわと過ぎていき――ついに第二ラウンドも、タイムアップである。

 けっきょくユーリは二分間、まったく反撃もできなかったのだ。その事実が、人々の失意に拍車を掛けたようだった。


「マジかー。あのピンク頭が、ここまで手も足も出ないなんて……ちょっと予想外だったなー」


「うん。最初の対戦では、もうちょっといい勝負ができてたように思うけど……今日はベリーニャが、堅実だからね」


「堅実でありながら、パウンドの割合は増えてるしね。MMAファイターとしての成長が見られるよ」


 そのとき誰かが「あっ」と声をあげ、瓜子も思わず息を呑んだ。

 力なく身を起こしたユーリが、そのままがくりと膝をついてしまったのだ。


 レフェリーが厳しい表情で声をかけると、ユーリはぷるぷると頭を振ってから立ち上がる。しかしその足取りは、完全に千鳥足であった。


「……あれだけパウンドをくらったら、ダメージが溜まるのが当然だよ。そもそも桃園は右ストレートをくらって、ダウン寸前だったんだからね」


 小笠原選手が感情を押し殺した声で、そのようにつぶやいた。

 ふらつきながらコーナーに戻ったユーリは、くずおれるようにして椅子に座り込む。その勢いで、左の目尻から鮮血が滴った。もともと割れていた目尻が、度重なるパウンドで大きく広がってしまったのだ。


 そしてユーリは、どこかぼんやりした眼差しになっている。

 かつてユーリが、試合中にそんな目つきを見せたことはない。おそらくは、脳震盪を起こしているのだ。重い攻撃は右ストレート一発であったが、細かいジャブとパウンドがユーリの頭に大きな負荷をかけているはずであった。


 ユーリが大きなダメージを負うことは、決して珍しくはない。能力の偏りが著しいユーリはいつも大きな苦境に陥りながら、逆転勝利を収めてきたのだ。

 これまでの試合に比べても、今のダメージがそれほど深刻なわけではないだろう。


 だが――客席と控え室には、かつてないほど不安げな空気が満ちていた。

 おそらく誰も、ここからユーリが逆転する道筋が見えないのだ。

 立ち技はもちろん寝技においても、ユーリは完全に制圧されてしまっている。その事実が、人々の心から希望を奪い去ってしまったのだろうと思われた。


(でも……勝ち負けなんて、どうでもいいんです……後悔のないように、すべての力を振り絞ってください……)


 瓜子は、そのように念じるしかなかった。

 瓜子の中には、まだユーリの全力を見ていないという思いが渦巻いていたのだ。ユーリがユーリらしい力を思うさま発揮して、それでも敗れ去るというのなら――瓜子も笑顔で、ユーリを迎えることができるはずであった。

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