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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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16 苦境

 ベリーニャ選手の前蹴りでみぞおちを蹴りぬかれたユーリは、その直後に振るわれた両足タックルによってあえなくテイクダウンを取られてしまった。

 しかも、ベリーニャ選手の足を捕獲することもかなわず、腰にまたがられてしまう。


 あっという間に、マウントポジションの完成である。

 息を詰める瓜子の耳に、灰原選手の「マジかー!」というわめき声が飛び込んできた。


「テイクダウンはまだしも、マウントって! ピンク頭のやつ、油断しすぎじゃない!?」


「あの桃園が、試合中に油断なんてするもんか。きっと、前蹴りのダメージで動けなかったんだよ」


「うん。あの前蹴りは、まともにみぞおちに入ってた。たぶんまだ、呼吸をできてないんじゃないかな」


「クラウチングで新しい手を出すと見せかけて、一撃必殺のカウンターを狙ったんだわね。これは初っ端から、崖っぷちだわよ」


 さまざまな声が、横たわった瓜子の頭上を飛び交っていく。

 そんな中、絵に描いたような美しさでユーリの腰にまたがったベリーニャ選手が、右拳を振りかざした。


 ユーリはとっさに頭を抱え込んだが、その腕の外側からこめかみを叩かれてしまう。

 そしてさらに左のパウンドが、正面からユーリの顔面を叩いた。


 悲鳴のような大歓声の中、ベリーニャ選手は粛然とパウンドを落としていく。

 ベリーニャ選手はユーリとの初めての試合でも、彼女にしては珍しいぐらいパウンドを多用していたが――これは、そのときとも比較にならないぐらいの執拗さであった。


(ベリーニャ選手も……それだけ全力なんだ……)


 ベリーニャ選手は相手を無傷のまま制圧するのが理想であるというジルベルト柔術の理念を、ひときわ重んじている。ゆえに、グラウンド状態でパウンドを振るうことは、これまでほとんどなかったのだ。


 そんなベリーニャ選手が、無慈悲に拳を振りかざしている。

 決して昂ることなく、ガードの隙をついて的確な攻撃を叩き込んでいるのだ。ユーリは苦しげに身をよじるばかりで、まったく対処できていなかった。


「これじゃー、ヤバいって! いつもの調子で暴れろよー、ピンク頭!」


「無駄に暴れたってスタミナを失うだけだわし、そもそも暴れる余力もないようだわね」


「うん。まだ前蹴りのダメージがあるんだよ。これは……まずいかもしれない」


 ベリーニャ選手の拳は、すべてがユーリの顔か頭に届いている。いつまでもこの状態が続けば、レフェリーストップになってもおかしくはなかった。


 あのユーリがグラウンドの状態で、赤子のように制圧されてしまっている。それは瓜子にとって、悪夢のような光景であった。

 だが――ユーリはこの日を夢見て、数々の苦難を乗り越えてきたのだ。

 たかが前蹴りの一発で、そんな思いが砕かれることはありえない。瓜子はそのように信じて、ひたすらモニターを見つめるしかなかった。


 しかし、マットに片膝をついたレフェリーは、すでに真剣な面持ちで右腕をかざしている。

 もうレフェリーストップが目前であるのだ。

 瓜子は奥歯を食いしばり、心の中で(ユーリさん、動いてください……!)と念じた。


 すると――やおら、ユーリの右腕がにゅっとのばされた。

 拳を叩きつけるわけでもなく、ただベリーニャ選手の鼻先に右拳を突きつけたのだ。


 まるで、関節技を仕掛けてくれと言わんばかりの仕草である。

 ベリーニャ選手はその手に触れられないように少しだけ身を反らしながら、ユーリの顔面に左拳を叩きつける。右腕をのばしたことにより、ユーリの右半面は完全に無防備になってしまったのだ。


「こいつ、ナニしてんだよー! ダメージで、おかしくなっちゃったんじゃない?」


「いや、関節技を仕掛けられたほうが、逃げやすいって面はあるんだろうけど……ベリーニャが、こんな見え見えの手に乗るわけないよな」


「まったくだわね。だから、ピンク頭の本当の狙いは――」


 鞠山選手がそのように言いかけたとき、ベリーニャ選手の首にユーリの真っ白の足が絡みついた。

 マウントポジションに対する返し技、シザースである。腰にまたがられた状態で両足を振り上げて、相手の首を絡め取ったのだ。


「そうか! ベリーニャを少しでものけぞらせるように、腕を突き出したんだな!」


 柳原が快哉の声をあげると同時に、ベリーニャ選手の身が背中の側に引きずり倒された。

 さらにユーリは身をひねり、自身のポジションを安定させてから、足を四の字にクラッチさせようとする。

 しかしベリーニャ選手も黙っておらず、ユーリ以上の勢いで身をよじり、拘束されていた首を引っこ抜いた。


 おたがいが、マットに倒れ込んだ状態である。

 ベリーニャ選手はすぐさま半身を起こして、ユーリの上にのしかかった。

 しかしユーリも機敏に対応して、両足でベリーニャ選手の腰をくわえこむ。下でも不利なだけではない、フルガードのポジションだ。


 ベリーニャ選手はそこで場を落ち着かせることなく、ユーリの両足に腰を捕獲されたまま立ち上がる。足のクラッチをゆるめさせるための対処だ。

 するとユーリは右腕をのばして、ベリーニャ選手の足を払おうとした。

 それをすかしたベリーニャ選手は、前側に身を沈めて圧力をかけつつ、クラッチを解除するべくユーリの右足に手をかけた。


 するとユーリは自らクラッチを解除して、足先をベリーニャ選手の股座に差し込もうとした。フックガードに移行する動きだ。

 しかしベリーニャ選手はユーリの右膝に手をかけると、左足で強引に乗り越えてしまう。ベリーニャ選手はまだ身を屈めてユーリにのしかかっている体勢であるのに、驚くべきバランス感覚であった。


 するとユーリはぎゅりんっと腰を切り、横向きの体勢になりながら、ベリーニャ選手の右足を取ろうとする。

 ベリーニャ選手は左足を踏み込むことで正対の角度を取り戻し、そして――ユーリの顔面に、右の拳を打ちつけた。


 こんな不安定な体勢からパウンドを落とされると考えていなかった瓜子は、思わず息を呑んでしまう。

 しかしユーリは、顔面を叩いたベリーニャ選手の右手を両手でつかんでいた。

 ユーリの左足は、まだベリーニャ選手の股座にかけられている。ユーリであれば、十分に下からコントロールできる体勢であった。


 だが、ベリーニャ選手は再び左足を踏み込んで、ユーリの頭をまたぎ越した。

 ベリーニャ選手の身体の向きが入れ替わったため、股座にかけていたユーリの足先は外されてしまう。

 そしてベリーニャ選手が上からのしかかろうとすると、ユーリはまた凄まじい勢いで腰を切り、正対した。


 それと同時に、ユーリの両足が高々と振りかざされる。

 ユーリはまだベリーニャ選手の右手首をつかんでいるため、三角締めを狙えるポジションだ。

 ベリーニャ選手が上体を起こしてその仕掛けを無効化すると、ユーリは三たび腰を切って、腕ひしぎ十字固めに移行した。

 しかし右腕をはさみこまれる前に、ベリーニャ選手はユーリの右足に左腕をあてがってせきとめる。そして、再びユーリの頭をまたぎ超えることで身をひねり、その捻転を利用して右腕を引っこ抜いた。


 そうしてまた、ベリーニャ選手が有利な体勢からポジションの奪い合いが開始されるかと思われたが――ベリーニャ選手はたたらを踏んで、ユーリの身から遠ざかることになった。


 ユーリがベリーニャ選手の右足首をつかんだため、それを振り払うためにバランスを崩したのだ。

 ユーリはマットに背中をつけたまま腰を切り、遠ざかったベリーニャ選手と正対する角度で両足を開く。


 ベリーニャ選手は沈着なる眼差しでユーリの姿を見下ろしたが――新たなグラウンド戦に興じることなく、身を引いた。


 大歓声の中、レフェリーはユーリに『スタンド!』と命じる。

 控え室では、あちこちから安堵の息がもらされた。


「いやぁ、思わず見入っちゃったね。この二人のグラウンド戦は、目が追いつかないよ」


「ホントだよねー! でもやっぱ、ピンク頭でも寝技はベリーニャにかなわないのかー!」


「マウントからスタートしてブレイクまで持ち込んだんだから、立派なもんだよ。ただ……ダメージがちょっと心配かな」


 ゆっくりと身を起こしたユーリは顔のあちこちが赤らみ、左の目尻と唇に血をにじませていた。ベリーニャ選手の的確なパウンドが、ユーリの身にダメージを刻んだのだ。


 しかし瓜子は、それよりも大きな異常を見出していた。

 ファイティングポーズを取ったユーリの胸や肩などが、微動だにしていないのである。あれだけ激しく動いたからには、スタミナのオバケであるユーリも少なからず消耗しているはずであるのに――ユーリは、呼吸の気配を見せていなかった。


(ユーリさんはみぞおちのダメージで、まだまともに呼吸できていないんだ……)


 そんな状態であれだけの攻防を見せられるのは驚異的な話であったが、これは危機的な状況であった。呼吸できなければ酸素が欠乏して、まともな判断力が失われてしまうのである。


(第一ラウンドは、残り一分……! ユーリさん、なんとかしのいでください……!)


 瓜子が祈る中、ユーリはいきなりベリーニャ選手のもとに突進した。

 そして、野球のようなスライディングで、ベリーニャ選手の足を絡め取ろうとする。

 ベリーニャ選手が危なげなくステップを踏んで回避すると、ユーリはまた背中をつけたまま向きなおり、両足を開いた。


 きっとユーリも、この状態で立ち技の攻防に臨むのは危険であると判じたのだ。

 寝技であれば、本能に身を任せるだけで五分に近い状態に持ち込むことができる。しかし立ち技では、ひとつのミスで致命的なダメージを負う危険がともなうのだった。


 ベリーニャ選手は若鹿のように澄みわたった目でユーリを見下ろしたのち、ユーリのふくらはぎを蹴りつけた。

 ユーリは上半身を浮かせた状態で、ベリーニャ選手のほうに近づこうとする。ベリーニャ選手は同じ距離だけ後ずさりつつ、またユーリの左足を蹴りつけた。


 そんな攻防を三回くりかえしたのち、ユーリは再び『スタンド!』と命じられる。

 第一ラウンドの残り時間は、三十秒だ。


 すると――立ち上がったユーリは、いきなりコンビネーションの乱発を見せた。

 その迫力に、客席はわきかえる。しかし、控え室には困惑のどよめきがあげられた。


「なんでここで、暴れ回るのさ? そんなの、作戦になかったでしょー?」


「ああ、こいつは危ないよ。コンビネーションの繋ぎ目にカウンターやタックルを合わせられたら、大ピンチだ」


 灰原選手たちはそんな風に騒いでいたが、ユーリはいっさい動きを止めようとしなかった。ひとつのコンビネーションが終了したならば間髪を入れずに次のコンビネーションを発動して、暴風雨のように暴れ回ったのだ。


 それはひたすら、ベリーニャ選手を近づけまいという思いであったのだろう。

 まともに呼吸ができていない状態で、どうしてこうまで動き回ることができるのか――ユーリの化け物じみた精神力に、瓜子は涙をにじませてしまった。


 最初から間合いの外であるベリーニャ選手は、必要最低限の動きでステップを踏んでいる。

 かつてのレベッカ選手はあえてこの暴風雨の中に飛び込むことでコンビネーションを中断させていたが、それには最低でも一発はユーリの猛攻を受け止めなければならない。ベリーニャ選手はそんなリスクを負うことなく、ひたすらユーリの暴れるさまを検分していた。


 そうして三十秒間、ユーリは絶え間なく暴れ続け――そのまま、第一ラウンドは終了した。

 ようやく動きを止めたユーリは胸もとに手をやりつつ、肩を震わせる。

 これだけ時間が経過しても、ユーリはまだ呼吸を阻害されているのだ。苦悶に眉をひそめるユーリの姿が、痛々しくてならなかった。


「最後の動きは、よくわからなかったけど……とりあえず、無事に終わったね」


「無事じゃないでしょ! 無駄にスタミナをつかっちゃったじゃん! たぶん、ポイントも取られてるし!」


「たぶんじゃなく、百パーセント確実だわよ。前蹴りでダメージを負ったあげくグラウンドでも下のポジションだったんだわから、ピンク頭にポイントをつける理由は皆無だわね」


 そんな風に言ってから、鞠山選手は「ふん!」と勢いよく鼻を鳴らした。


「まあどっちみち、ポイントゲームじゃ勝ち目はないんだわよ。一発を当てて逆転できるように、限界まで頭をひねるしかないだわね」


「うん。桃園だったら、きっとやってくれるさ」


 そんな言葉を聞きながら、瓜子は一心にモニターを見つめている。

 すると、その口もとにタオルをあてがわれた。

 瓜子が目だけを動かすと、蝉川日和が緊迫した面持ちで瓜子の口もとにタオルをあてがっている。蝉川日和はぎゅっと口もとを引き締めてから、無理やりのように笑顔を作った。


「猪狩さん、口からドバドバ血が垂れてるッスよ。口の中の傷が、ふさがってないんスね」


 そういえば、瓜子は下唇の内側が裂けていたのだ。気づけば、口いっぱいに鉄の味が広がっていた。


「すいません……迷惑ばかりかけちゃって……」


「なに言ってんスか。これも、セコンドの仕事ッスよ。……猪狩さんは何も気にせず、ユーリさんを見守ってほしいッス。ユーリさんは、絶対に勝ってくれるッスからね」


「勝負に絶対はねえがな。何にせよ、勝負はここからだ」


 そんな言葉とともに、立松の手が口もとのタオルに添えられた。


「こっちは俺が受け持つから、蝉川はウェアの下だけでもはかせてやってくれ。なるべく、上半身を揺らさないようにな」


「了解ッス。痛かったら、言ってくださいね?」


 瓜子は目だけで、我が身を見下ろした。

 いつの間にか、左腕は再びアームホルダーに収められている。瓜子が試合に集中している間に、応急処置もクールダウンも終わっていたのだ。


「患部は心臓より高い位置にするのが原則ですので、猪狩さんはそのまま寝ていてください」


 別の方向からは、六丸の声が聞こえてくる。


「押忍……六丸さん、ありがとうございました……自分はもう大丈夫なんで、弥生子さんのところに戻ってあげてください……」


「はい。僕は名ばかりのセコンドなので、やることもないんですけどね。それじゃあ、お大事に」


 六丸の声が遠ざかっていき、下半身にはウェアをはかせられている感触が生じる。

 何もかも人に頼りきりで、申し訳ない限りであったが――瓜子はいまだに、指一本動かすのもしんどい状態にあった。


(でも……泣いても笑っても、あと二ラウンドだ……)


 モニターでは、チーフセコンドに抜擢されたオリビア選手がユーリの背中をマッサージしている。きっと、呼吸をうながしているのだろう。女性をチーフセコンドにするのは少しでもユーリの精神的負担を軽減させるためであるが、玄武館で指導員の仕事を果たしているオリビア選手であれば不安はなかった。


 パイプ椅子に座した面々は口々に意見をぶつけあいながら、やはりモニターを注視している。

 この場では、誰もがユーリの勝利と無事な生還を祈っているのだ。そこにたちこめた熱気が、何より瓜子を力づけてくれた。


(このラウンドは、一発の前蹴りで主導権を握られちゃいましたけど……ユーリさんなら、絶対に大丈夫です……頑張ってください、ユーリさん……)


 そうしてユーリとベリーニャ選手の一戦は、第二ラウンドを迎えたのだった。

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