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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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14 代償

 瓜子はスペシャルインタビュアーたるアダム氏の勝利者インタビューを受けることもままならず、満身創痍の状態で花道を引き返すことになった。


 左腕はアームホルダーでがっしりと固定されており、右腕はサイトーの肩に回されている。運営陣は担架を準備してくれたが、瓜子はそれを固辞して自らの足で花道を踏み越えてみせた。


「このまま駐車場に直行だ。蝉川、控え室の荷物を頼む」


 入場口をくぐるなり、立松が厳しい声で言いたてる。

 瓜子は左腕の痛みと全身にのしかかる虚脱感に耐えながら、「待ってください……」と声を振り絞った。


「病院は……ユーリさんの試合を見届けてから……」


「馬鹿を抜かすな。十中八九、肘の靭帯が断裂してるんだぞ。一刻も早く、治療が必要だ」


「でも……試合なんて、三十分もかかりませんから……」


「駄目だと言ったら――」と、立松はそこでうろんげに口を閉ざした。


「なんだ、六丸くんか。こんなところで、何をしてるんだ?」


「はい。弥生子さんに頼まれてきました。よければ、僕が応急処置をしましょうか?」


 瓜子が霞む目を向けると、通路の真ん中に六丸がちょこんと立っていた。

 いつも通りの、子犬のごとき笑顔である。


「……気持ちはありがたいが、猪狩はおそらく肘靭帯を断裂してるんだ。応急処置はもうされてるから、病院に向かうのが先だよ」


「病院までは、車で十五分ほどかかるそうです。僕が応急処置をすれば、より安全だと思いますし……三十分ぐらい出発が遅れても、支障は出ないと思いますよ」


「……言っちゃ悪いが、君は整体師だろう? 医者でもない人間に、こんな怪我人を預けるわけには――」


「僕は実家で、特別な指導を受けているんです。だから大吾さんの膝にも、適切なケアをすることができたんです」


 両膝の靭帯を痛めている赤星大吾は山科医院で治療を受けつつ、日常的には六丸に面倒を見られているという話であったのだ。それに、サキもまた、手術をしない限り回復は見込めないという左膝の負傷を、六丸の手によって治療されていたのだった。


「弥生子さんは、猪狩さんがユーリさんの試合を見届けたいだろうと考えたわけですね。余計なお世話でしたら引っ込みますけど、どうしましょうか?」


「……お願いします」と瓜子が答えると、立松が「おい」と怖い顔で振り返ってくる。しかし瓜子も、引くことはできなかった。


「どうか、許してください……この試合だけは、最後まで見届けたいんです……ユーリさんが無事に戻ってくる姿を見届けないと……自分は、駄目なんです……」


 そのように語りながら、瓜子は自分の頬が熱いものに濡れるのを感じた。

 泣くつもりなどまったくなかったのに、勝手に涙が噴きこぼれたのだ。


 立松は、苦悩の形相で考え込んでしまう。

 すると、六丸が恐縮しながら発言した。


「あんまり大口を叩くのは気が引けるんですが……試合場のバタバタした環境で施された応急処置より、僕のほうがより安全に患部を保てると思います。靭帯の他に異常がないかも、確認できますしね。もし骨折も併発していて、損傷した靭帯を圧迫していたら、取り返しのつかないことになる可能性もありますし……」


「ああもう、わかったよ! どいつもこいつも、好き勝手言いやがって!」


「ふふん。イノシシ娘と大怪獣のはさみうちじゃ、立松っつぁんもかなわねえわな」


 ふてぶてしい声で言いながら、サイトーが瓜子の身を抱えなおした。


「じゃ、控え室だな。きりきり歩けよ、イノシシ娘」


「押忍……」と、瓜子は足を踏み出した。

 しかし何歩も進まない内に、複数の人影と行き当たる。


 次の試合の出場選手――ユーリの陣営がやってきたのだ。

 ユーリはとても澄みわたった笑顔で瓜子のもとに近づき、無事な右手の先をぎゅっと握りしめてきた。


「うり坊ちゃん。これまでで、一番かっちょよかったよ。やっぱりメイちゃまは、うり坊ちゃんの一番のライバルだねぇ」


「はい……次は、ユーリさんの番っすよ……」


 瓜子が無理やり笑ってみせると、ユーリは天使のように微笑みながら「うん」とうなずき――そして、瓜子の目もとに手をのばしてきた。

 オープンフィンガーグローブからのびた白い指先が、瓜子の目もとをそっとぬぐう。


 そういえば、瓜子は涙をぬぐうこともままならなかったのだ。

 瓜子の涙をすくいあげたユーリは、その指先を胸もとにかき抱いた。


「ユーリもうり坊ちゃんに負けないように、すべての力を振り絞るよ。それで……絶対に、うり坊ちゃんのところに戻ってくるからね」


「はい……ユーリさんを信じて、待ってます……」


 ユーリはもういっぺん「うん」とうなずいてから、瓜子の額に自分の額を押し当ててきた。

 ユーリの温もりが、瓜子の体内にじんわりとしみこんでくる。

 そうして身を起こしたユーリは、立松と六丸に頭を下げた。


「うり坊ちゃんを、どうぞよろしくお願いします」


「はい。承りました」と、六丸は和やかに応じる。

 立松は頭をかきむしりながら、荒っぽく言い捨てた。


「そっちこそ、自分の試合に集中しろよ? ……ジョン、邑崎、オリビアさん、お前らもな」


「ウン。マカセてよー」と気安く応じてから、ジョンはにこりと瓜子に笑いかけてきた。


「ウリコも、スゴかったよー。キョウがイチバンのベストバウトだねー」

「でも代償は、あまりに大きかったのです。ユーリ様の勇姿を見届けたら、すぐさま病院にゴーなのです」

「ウリコなら、すぐに復活できますよー。頑張ってくださいねー」


 瓜子は精一杯の思いを込めて、「押忍……」と応じる。

 それから、サイトーの肩を支えにしている右腕を持ち上げて、拳をユーリに差し出した。


 ユーリは透明な微笑みをたたえつつ、瓜子の拳に自分の拳を押し当てる。

 そして、ふわりときびすを返し――ユーリは通路の向こうへと消えていった。


 その後ろ姿を心に焼きつけてから、瓜子もあらためて足を踏み出す。

 そうして控え室のドアをくぐると、大勢の人々が瓜子たちを取り囲んできた。


 しかし、一メートルほどの距離を置いて、それ以上は近づこうとしない。

 その人垣の中から、灰原選手が高らかに声をあげた。


「うり坊、お疲れ! 特等席を準備しておいたからね!」


 見ると、たくさんのパイプ椅子をおしのけて、モニターの真正面にマットが移動されていた。

 瓜子はどうしようもなく心を揺さぶられながら、「ありがとうございます……」と頭を下げる。


 誰もが温かい目で、瓜子を見守ってくれていた。

 そんな中、瓜子の身はマットの上に横たえられる。そして、六丸がのんびりと指示を飛ばした。


「そちらのキックミットを、枕にしてあげてください。マリアさん、僕のバッグを取ってもらえますか? 猪狩さんはそのまま仰向けで、ホルダーを外しても左腕を身体の上から下ろさないでくださいね」


「はい……」と応じてから、瓜子は人垣に視線をさまよわせた。


「あの……弥生子さんは……?」


「奥で、ウォームアップの締めくくりだわよ。御礼は後に回すだわね」


「はい……わかりました……」


 赤星弥生子ばかりでなく、すべての人々が瓜子を気づかってくれているのがひしひしと感じられる。

 それで瓜子がまた涙をこぼしてしまうと、立松がタオルで乱暴に顔面をかき回してきた。


「同時進行で、こっちはクールダウンだ。お前さんは、モニターでも眺めてろ」


 瓜子は「押忍……」とモニターのほうに首をねじ曲げた。

 周囲でも、人々がパイプ椅子に着席する気配を感じる。モニターでは、すでにユーリの入場が始められていた。


 ユーリは、いつも通りの輝かしさである。

 悲願であったベリーニャ選手との一戦が実現しても、ユーリの様子に変わるところはない。ユーリは幸せいっぱいの顔で両手を振り、時にはくるりとターンを切って、客席の大歓声と熱気を満身で受け止めていた。


 やがて花道を踏破したならば、《アトミック・ガールズ》公式のウェアを脱ぎ捨てる。

 その下から現れた肢体の色香に歓声がいっそうの渦を巻くと、ユーリは投げキッスのサービスをした。


 ユーリも、コンデションは万全である。

 ハーフトップとショートスパッツだけを身につけたその肢体からは、色香と同等の生命力があふれかえっていた。


 あらためて――生身の人間とは思えないような美しさである。

 髪と肌が純白に変じたことで、ユーリの美しさはいっそう浮世離れしていた。


 ボディチェックを終えたユーリは、スキップまじりの足取りでステップを駆けのぼる。

 ユーリはケージの内部を一周しながら、さらに輝くような笑顔を振りまき――そんな中、ベリーニャ選手の入場も開始された。


 一転して、ベリーニャ選手は落ち着いたたたずまいである。

 ブラックとグリーンのウェアに身を包んだベリーニャ選手は、野原を歩む若鹿さながらだ。その背後には、黒豹のごときジョアン選手も控えていた。


 ベリーニャ選手の胸には、いったいどのような思いが去来しているのか。その静謐なるたたずまいからは、うかがい知ることもできない。

 そうしてベリーニャ選手がボディチェックを終えて、ケージに上がり込んだタイミングで、瓜子の左肘に忘れていた激痛が走り抜けた。アームホルダーを外した六丸が、患部を触診し始めたのだ。


「ちょっと痛むでしょうが、辛抱してくださいね。……うん。靭帯の他に異常はないみたいです。前腕の打撲傷がひどくて、手首も炎症を起こしていますけれど、これはまた別件ですね」


「手首? 手首もひねられたのか?」


「いえ。これは瞬間的な衝撃による捻挫ですね。おそらく、グラウンド状態で掌打を出したときの負傷でしょう。ご自分も相手も骨が硬い分、手首の関節にダメージが集中してしまったようです」


 六丸と立松のやりとりを聞きながら、瓜子はモニターを見つめ続けた。

 全身にのしかかる虚脱感は増していくいっぽうであるが、もはや意識が薄らぐことはない。ユーリの輝かしい美しさが、瓜子の心を現世に引き留めていた。


『第四試合! バンタム級、135ポンド以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします!』


 リングアナウンサーの宣言に、割れんばかりの歓声が轟いた。


『青コーナー、《アトミック・ガールズ》代表! 133.8ポンド! 新宿プレスマン道場所属! 《アトミック・ガールズ》バンタム級初代および第三代王者……プリティ・モンスター! ユーリ・ピーチ=ストーム!』


 ユーリはひらひらと両手を振ったのち、優雅にターンを切った。

 どれだけ試合の開始が近づいても、やはり心を乱したりはしない。その幸せそうな笑顔だけで、瓜子は胸が詰まってしまった。


『赤コーナー、《JUFリターンズ》代表! 132.2ポンド! ジルベルト柔術アカデミー所属! 《アクセル・ファイト》バンタム級第二代王者……ザ・クイーン! ベリーニャ・ジルベルト!』


 ベリーニャ選手もまた変わらぬ静けさで、一礼する。

 そして両者は、レフェリーのもとで向かい合った。


 およそ四年ぶりとなる、ユーリとベリーニャ選手の対峙である。

 あのときの光景は、今でも瓜子の脳裏にくっきりと刻みつけられていたが――現在はユーリの姿が変容しており、それが過ぎた時間の長さを物語っていた。


 あの頃のユーリは五十六キロ以下級であり、無差別級にチャレンジするために増量していたが、それでも五十八キロ足らずのウェイトであったのだ。

 しかし現在は六十一キロ以下級で、リカバリーで三キロぐらいは戻している。あの頃のユーリよりも、六キロぐらいは重い計算になるのだ。


 よってユーリは、あの頃よりも半回りは大きくなっている。

 とりわけ背中と大腿部が厚みを増しており、バストとヒップも膨張している。それで腰や関節部のくびれがいっそう強調されて、あの頃を上回る肉感であった。


 しかしユーリは髪と肌が純白に変じたため、天使や妖精のような美しさになっている。

 蠱惑的なまでの色香とこの世のものならぬ神々しさが同居して、ユーリはあの頃以上に非現実的な麗人に成長を遂げていた。


 いっぽうベリーニャ選手は、外見上の変化はほとんどない。

 ウェイトもあの頃と変わっていないし、セミロングの黒髪をコーン・ロウに編み込んでいるのも同一であるし、そのしなやかな体躯も以前のままであった。


 ただ――雰囲気だけが、変わっている。

 もともとの静謐な雰囲気と瑞々しい生命力だけが、大きく上乗せされているのだ。


 当時のユーリは二十歳で、現在は二十四歳。

 当時のベリーニャ選手は二十六歳で、現在は三十歳。


 その期間でより大きく成長したのは、ユーリであるのかベリーニャ選手であるのか――それは、これから明かされるのだった。


(頑張ってください、ユーリさん……ユーリさんなら、きっと勝てます……そして、絶対に元気に戻ってこられます……)


 左肘に跳ねあがる痛みに耐えながら、瓜子は一心に祈った。

 そして――ついに、その運命的な一戦が開始されたのだった。

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