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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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07 軌跡

「さー、いよいようり坊の出番だね!」


 いつしかクールダウンを終えて観戦の輪にまじっていた灰原選手が、瓜子にとびっきりの笑顔を向けてきた。


「メイっちょは、このためにあれこれ頑張ってきたんだからさ! しっかり、応えてあげなよねー!」

「猪狩だったら、そんな心配はいらないさ。とにかく、頑張ってな」

「猪狩さん、頑張ってください! メイさんも強いですけど、猪狩さんなら絶対に負けません!」

「メイも成長してるだろうから、あまり熱くなりすぎないようにね。……まあ、猪狩だったら心配はいらないか」

「うん。とにかく平常心で、いつも通りにね」

「どんなちびっこ怪獣対決が繰り広げられるか、のんびり見守らせていただくだわよ」

「ウリコ、ガンバってください!」


 合同稽古をともにした盟友たちが、それぞれ熱い激励を届けてくれる。

 それに遠慮をして、一部の面々――赤星弥生子を筆頭とする赤星道場の一行に、来栖舞や魅々香選手などは、人垣の外から瓜子を見守ってくれていた。

 それから今度は、プレスマン道場の面々が瓜子を取り囲んでくる。サキとユーリの陣営の六名で、まだ手伝いが終わっていないオリビア選手もそこに含まれていた。


「ウリコなら、きっとカてるよー。ココロノコりのないように、サイゴまでガンバってねー」

「ふん。三連勝して、黒タコに引導を渡してやれや」

「サキセンパイは不謹慎なのです! ……どんな結果に終わろうとも、メイサンの気持ちに変わりはないのです。猪狩センパイには、メイサンの情熱を受け止める責任があるのです」

「もっと素直に激励してやれよ。とにかく、頑張ってな」

「メイもきっと、ワクワクしてますよー。二人で楽しんできてくださいねー」


 オリビア選手は、メイともっとも古くからつきあいのある立場なのである。

 瓜子が笑顔で「押忍」と応じると、最後にユーリが進み出てきた。


「……ユーリもココロして、うり坊ちゃんとメイちゃまの再会を見守らせていただくのです」


 ユーリは天使のように微笑みながら、すでにグローブを装着している右の拳を差し出してくる。

 瓜子もまた「押忍」と繰り返しながら、グローブごしに拳を押し当てた。


 ユーリの色の淡い瞳は、とても澄みわたっている。

 瓜子とメイが、どれほどこの瞬間を心待ちにしていたか――それをもっとも間近から見守ってくれていたのは、ユーリであるのだ。自分の試合を終えた後は、瓜子も精一杯の思いでユーリの出陣を見送る所存であった。


「それじゃあ、行くか。応援、よろしくな」


 立松の号令で、人垣がほどかれる。

 瓜子は最後にユーリの笑顔を目の奥に焼きつけてから、きびすを返した。

 ともに出陣するセコンド陣は、立松、サイトー、蝉川日和の三名だ。

 それらの面々と通路を歩き始めると、すぐに向こう側からエイミー選手の陣営が近づいてきた。


 エイミー選手も精魂尽き果てたらしく、頭にタオルをかぶった状態で、セコンドのランズ選手に肩を借りている。しかしもちろんランズ選手や二名の男性トレーナーは満面の笑みであった。


「お疲れさん。まさか、KOで仕留めるとは思わなかったよ。《アクセル・ファイト》の運営陣も、真っ青だろうな」


 立松が遠慮なく日本語で語りかけると、チーフのトレーナーが笑顔で「アリガトウゴザイマス」と答えてくれた。

 そしてエイミー選手は頭にかぶっていたタオルをむしり取り ランズ選手を引きずるようにして瓜子の鼻先に駆けつけてくる。


「ウリコ、ガンバってください。オウエン、しています」


「ありがとうございます。エイミー選手も、おめでとうございます」


 エイミー選手はぎこちなく笑いながら、「はい」とうなずいてくれた。

 ランズ選手は目もとに嬉し涙を溜めながら、瓜子を見つめてくる。


「エイミー、みなさんのおかげ、カてました。ウリコ、カつこと、シンじています」


「押忍。全力で勝利を目指します」


 瓜子の表情に何を見て取ったのか、ランズ選手とエイミー選手は眩しいものでも見るように目を細めた。

 案内役のスタッフにせかされて、瓜子たちはあらためて進軍する。瓜子の胸に宿された熱は、じわじわと手足の先にまで広がりつつあった。


「では、合図があるまで待機をお願いします」


 入場口の裏手に到着すると、案内役のスタッフがインカムを装着した耳もとに手をやった。

 今ごろ、テレビではCMでも流されているのだろう。生放送のイベントでは、こういう時間調整が随所にはさまれるのだ。


 もはや身体を温める必要もない瓜子は、泰然と出番を待ち受ける。

 そんな瓜子に、三名のセコンドたちが語りかけてきた。


「いつも通り、落ち着いてるな。あとは、稽古の成果を見せるだけだ」

「ふふん。どんな大舞台でも、お前さんは相変わらずだな。その調子で、暴れてこいや」

「い、猪狩さんなら、絶対に勝てるッスよ! 自分の力を、信じてください!」


 プレスマン道場に入門する前からつきあいのあるサイトーと、二年ほど前に入門した蝉川日和――そして、入門当初は疎まれていたが、一年ぐらいをかけて確かな信頼関係を築くことができた立松である。

 それぞれ立場や関係性に差異はあれども、大切なチームメイトであることに変わりはない。瓜子は心からの感謝を込めて、「押忍」と答えた。


 そして思いは、メイのもとに飛ばされていく。

 メイの姿を初めて目にしたのは、きっかり四年前――この会場で大晦日に行われた《JUFリターンズ》のテレビ中継である。メイはベリーニャ選手と対戦する予定であったが、ユーリとの一戦で肋骨を折っていたことが判明して、当日に中止されてしまったのだ。


 あのときのメイは、野獣のように怒り狂っていた。

 そして、メイの本来の階級は五十二キロ以下級であったため、いつかはサキや瓜子が相手取ることになるのかもしれない――と、一緒にテレビを見ていたサキがそのように予見していたのだった。


 その予見が的中したのは、七ヶ月後のこととなる。

 サキはベリーニャ選手との対戦で左膝を痛めて長期欠場のさなかであったため、瓜子とメイで暫定王座をかけて戦うことになったのだ。


 当時の瓜子は新人選手で、まだ一年ていどのキャリアしか持ち合わせていなかった。その短い期間で、小柴選手、灰原選手、鞠山選手、イリア選手、ラニ・アカカ選手に勝利することで、王座挑戦の切符を獲得したのだった。


 いっぽうベリーニャ選手を追いかけて《アトミック・ガールズ》に参戦したメイは、山垣選手と亜藤選手を秒殺で下すことにより、早々にビッグチャンスを与えられた。それで、《アトミック・ガールズ》における新参者同士で暫定王座決定戦が執り行われたのだった。


 瓜子はその試合でKO勝利を果たしたが、メイのほうは納得していなかった。当時の《アトミック・ガールズ》は古い時代のルールを引きずっており、これでは実力を発揮しきれないと言い張っていたのだ。


 そしてその時期に、《アトミック・ガールズ》は未曾有の脅威に見舞われた。

《カノン A.G》にまつわる騒乱である。

《カノン A.G》の運営陣が反社会的勢力と繋がっていることを突き止めたメイは、ともに北米に行ってほしいと瓜子に持ちかけてきた。そして、瓜子がそれを断ると、事もあろうに《カノン A.G》のチーム・フレアに加入してしまったのだった。


《カノン A.G》では世界水準のルールに切り替えられたため、メイはその舞台で瓜子に勝利して、本来の実力を見せつけたかったのだという。それで二人で北米に出向き、《アクセル・ファイト》との正式契約を目指そうという計画であったのだ。


 しかし、その試合でも勝利したのは、瓜子であった。

 メイがあまりに強かったため、瓜子は限界の向こう側まで追い詰められて――そしてついに、集中力の限界突破ともいうべき不可思議な領域に足を踏み入れることになったのである。


 その後、メイは再び瓜子のもとにやってきた。

 雨の中、傘もささずにマンションの前で瓜子を待ちかまえており、おそらくは涙を流しながら、瓜子にすがってきたのだった。


「僕、どうしたらいい? 僕、君と一緒にいたい。一緒に、同じ夢、追いかけたい」


 ずぶ濡れのメイは幼子のような泣き顔になりながら、そんな風に言っていた。

 それで瓜子は、メイをマンションに招くことになり――そうして、プレスマン道場に入門してみてはどうかと持ちかけたのだった。


 瓜子にとっても、メイは特別な存在であったのだ。

 それぐらい、メイは当時から強かった。

 それに――その実力とは関係のないところでも、メイは放っておけない存在であった。


 メイは貧しい家族に健やかな生活を送らせるために、さる資産家の養女となった。その養父の言いつけで、MMAファイターとしての大成を目指していたのである。

 しかし当時のメイは、とても暗い情念を燃やしていた。メイは家族のために自分の人生を二の次にして、ひたすら選手活動に埋没していたのだった。


 きっとメイは、格闘技などに興味はなかったのだろう。

 しかし、愛する家族のために、過酷な稽古に明け暮れて、恨みもない人間と殴り合う人生を歩んでいたのだ。

 そんな暗い情念を抱きながら、山垣選手や亜藤選手を血祭にあげたメイは、ナイトメアというリングネームに相応しい悪夢の住人めいた迫力をかもし出していた。


 そんなメイが、瓜子との試合中では楽しそうな情感をこぼしていたのだ。

 だからこそ、メイは瓜子とともにありたいと望み――瓜子もまた、メイのことを放っておけないという心情に至ったのだった。


 それからおよそ二年にわたって、瓜子とメイはチームメイトとして過ごしてきた。

 道場での稽古をともにするばかりでなく、マンションでもお隣さんであったのだ。瓜子のそばにいたいという理由だけで、メイはもともとの住居者と管理人からその部屋の所有権を買い取ったのだった。


 そうしてともに過ごす内に、瓜子はどんどんメイに心をひかれていった。

 不愛想で、人見知りで、根っこの部分は優しくて、寝顔が可愛いメイの存在は、瓜子にとっても大切でならない存在に成り上がったのである。


 宇留間千花との対戦でユーリが窮地に陥ったときも、瓜子を支えてくれたのはメイだ。

 もちろんサキや立松たちもかけがえのない存在であったが、同じマンションに住むメイは何よりの支えであった。そもそもメイはユーリが渡米した時分から、瓜子を心配して同じ部屋に泊まり込んでくれたのである。むすっとした顔で寝袋を持参してやってきたメイを前にして、瓜子は涙をこらえることができなかったものであった。


 そして、およそ一年前――メイは、瓜子のもとから去っていった。

 それは、同門である瓜子との対戦を希望してのことである。

 瓜子は《ビギニング》、メイは《アクセル・ファイト》と、それぞれ異なる道を歩むことになったが、メイは最終的に瓜子と対戦する日を夢見ている。そして、同じジムで活動する限りは試合を組まれる可能性もきわめて低いため、篠江会長やレム・プレスマンが拠点とするフロリダに移る決断を下したのだった。


 そして今、メイの思いが成就しようとしている。

 瓜子は《ビギニング》の王者として、メイは《アクセル・ファイト》のランカーとして、同じ舞台に立つことになったのだ。

 これはユーリにまつわる騒動から発展した予定外の合同イベントであったものの、メイの決断があったからこそ瓜子との試合が実現したのだった。


(本当に……メイさんは、すごいですよ)


 瓜子はしみじみと、そう思った。

 そして瓜子も、メイの思いに引きずられているばかりではない。瓜子自身も、この瞬間を心待ちにしていた。


 瓜子はメイと対戦することで、新たな強さをつかみとることができたのだ。

 そして瓜子は、その後も成長し続けた。とりわけ印象的であったのは、赤星弥生子、サキ、そしてイヴォンヌ選手との試合である。瓜子はそれらの試合で何度も限界の壁を越えて、さらなる強さを手にしたつもりでいた。


 では――今のメイと対戦したならば、どのような結果が待っているのか。

 そのように想像するだけで、瓜子は胸が躍ってしまう。メイがどれだけ成長しているかはつい一年前まで間近から見守っていたし、この一年でメイはさらなる飛躍を果たしたのだった。


 相手が強ければ強いほど、瓜子は見知らぬ自分を見出すことができる。

 そうしてメイと対戦すれば、また見知らぬ自分を見出して――そしてメイにも、同じ機会を与えることができるのではないかと願っていた。


(だからあたしは、死力を尽くす。あたしは全力で勝利を目指しますよ、メイさん)


 瓜子がそんな決意を新たにしたとき、運営のスタッフがこちらに向きなおってきた。


「それでは、入場です。猪狩選手、よろしくお願いします」


 瓜子は「押忍」と応じて、扉の前に進み出た。

 ついに――この瞬間が、やってきたのだ。

 瓜子は自然に口もとがほころぶことを、どうしても止めることができなかった。

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