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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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06 チェイサーとスーパースター

 メインカードの第二試合は、エイミー選手の出番である。

 灰原選手が戻る前に、控え室のメンバー一同はエイミー選手を見送ることになった。


 グウェンドリン選手のときと同じように、なるべく簡素な日本語で激励が届けられる。エイミー選手はふつふつと情念をたぎらせながら、「はい」と首肯した。


「ワタシ、ショウリします。《ビギニング》、ツヨさ、ショウメイします」


 そうしてエイミー選手の陣営が出陣していくと、灰原選手の陣営が舞い戻ってきた。

 これもまた、グウェンドリン選手を見送った後に高橋選手を迎えたときと同じ状況だ。惜しくも判定で敗れて、精魂尽き果てた状態でセコンドに肩を借りており――さらには、そんな状態であるにも拘わらず、選手本人もセコンド陣も悲壮感ではなく充足感をあらわにしているというところまで一致していた。


「灰原さん、すごい試合でした! どうか、胸を張ってくださいね!」


 感激屋さんの小柴選手が真っ先に声をあげると、灰原選手は「おうよ……」と力ない声で答えた。


「正直言って、いまは悔しがる体力もないんだけど……たぶん、落ち込んだりはしないと思うよ……」


「ええ。灰原選手は、本当にすごかったっすよ」


 瓜子が横から声をかけると、灰原選手はへろへろの顔で白い歯をこぼした。


「じつは、自分でもそう思ってるんだぁ……あたし、強かったよねぇ……?」


「押忍。これまでで一番の強さだったっすよ」


「うん……あたしがこんなに強いなんて、あたしも知らなかったよ……」


 そんな言葉を残して、灰原選手は控え室の奥へと運ばれていった。

 瓜子が得も言われぬ感慨を噛みしめていると、立松が肩を小突いてきた。


「灰原さんは、これでまた化けるかもしれねえな。三十直前であんなのびしろを見せるなんて、なかなかのもんだよ」


「あはは。女性に年齢の話は禁物っすよ」


「笑ってねえで、ウォームアップの締めくくりだ。秒殺で終わっても、慌てるなよ」


 ついに、この次が瓜子の出番であるのだ。

 メイの面影が脳裏をよぎり、瓜子の心を自然に引き締めてくれた。


 あらためて、瓜子は立松のミットにパンチを撃ち込む。

 サイトーと蝉川日和も、すぐそばから瓜子の姿を見守ってくれていた。


 あとはユーリと赤星弥生子の陣営を覗いた面々が、モニターを取り囲む。バンタム級の一戦であるためか、ずっと控え室の片隅に控えていた青田ナナも、その輪に加わっていた。


 しかし今度こそ、瓜子はウォームアップに集中である。

 エイミー選手の勇姿はのちのち映像で確認させてもらうと決めて、瓜子は自らモニターに背を向けた。


(でも、エイミー選手も灰原選手に負けないぐらいの正念場だよな)


 この一戦は、グウェンドリン選手とフワナ選手の対比をより顕著にした図式であろう。かつて『アクセル・ロード』で敗退して《アクセル・ファイト》との正式契約を逃がしたエイミー選手が、《アクセル・ファイト》のランキング第一位であるアメリア選手と対戦するのだ。格式としては、アメリア選手のほうが遥かに上位であった。


 ただしアメリア選手はベリーニャ選手に敗北して以来、これが初めての試合となる。あれは四月のブラジル大会であったので、八ヶ月ぶりの試合であるのだ。

《アクセル・ファイト》においては、それぐらい試合の間隔が空くことも珍しくはないらしい。特にトップファイターは最高のコンディションを維持するために、長きの休養を取るのが主流であるとのことであった。


(それに、ファイトマネーで一生分のお金を稼いでいるから、精神的なゆとりもあるんだろうな)


 なおかつ、アメリア選手はオリンピックでレスリングのメダルを獲得したのちにMMAに転向して、長きにわたって絶対王者の名を欲しいままにしていた。世界的な名誉というものを、すでに二度も手にしているのだ。


 そんな選手が、どのようなモチベーションで選手活動と向き合っているのか――また、栄光の道を歩んでいた選手が王座を失ったあげく同じ相手に連敗したならば、その事実をどのように受け止めるのか――ユニオンMMAのトレーナー陣は、そういう点にも着目しているように見受けられた。


(まあ、あたしにはいまひとつ実感がわかないけど……もう一度栄光をつかみ取ろうと執念を燃やすか、むなしくなって意欲をなくすかのどっちかなのかな)


 しかしアメリア選手は、たしかサキやメイよりひとつ上の世代であるはずだ。そんな若さで意欲を失うというのは、まったくピンとこなかった。

 ただし、アメリア選手がどれだけのモチベーションを維持できているかは不明であったし――それに対して、いまだ《ビギニング》の王座にも届いていないエイミー選手は、とてつもない意欲と執念を燃やしているはずであった。


『第二試合! バンタム級、135ポンド以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします! ……青コーナー、《ビギニング》代表! 135ポンド! ユニオンMMA所属……チェイサー! エイミー・アマド!』


 瓜子の背後から、リングアナウンサーの声が聞こえてくる。

 エイミー選手の異名は、チェイサー――追跡者である。それはかつてライバルたるイーハン選手を追いかけていた時代に名付けられたものであるらしいが、今はその執念が《ビギニング》の王座とユーリに向けられているはずであった。


『赤コーナー、《JUFリターンズ》代表! 134.9ポンド! キャプテンMMA所属! 《アクセル・ファイト》バンタム級初代王者……スーパースター! アメリア・テイラー!』


 アメリア選手の異名もまた、直球ストレートである。

 そもそもは、彼女がMMAに転向したことで《アクセル・ファイト》に女子部門が設立されることになったのだ。運営代表のアダム氏を熱狂させて、鳴り物入りでプロデビューしたアメリア選手は、期待にそぐわない大活躍を見せて――そののちに、ベリーニャ選手の前に敗れ去ったのだった。


(アメリア選手がデビューしたのは、あたしとユーリさんが出会った年だから……もう四年も前になるのか。さすがに、懐かしく感じちゃうな)


 ウォームアップに集中しつつ、瓜子は頭の片隅でそんな想念を巡らせた。

 瓜子たちがその一報を知らされたのは、たしか千駄ヶ谷の愛車であるボルボの車内である。《アクセル・ファイト》に女子部門が設立されて、ベリーニャ選手がそちらに移籍するために《スラッシュ》から離脱した――ただし、契約上の問題で一年間は北米のプロモーションに参戦できないため、その期間は日本で武者修行することになった――であれば、《アトミック・ガールズ》に参戦する可能性が濃厚である――と、千駄ヶ谷は冷徹なる声音でそのように語っていたのだった。


(あの頃は、アメリア選手の名前も知らなかったけど……アメリア選手はそんな頃から、北米のスーパースターだったんだ)


 しかも、当時のアメリア選手は二十三歳、現在でも二十七歳である。男子選手よりも寿命が短いとされる女子選手でも、まだまだ全盛期であるはずであった。


 そして――奇しくもエイミー選手は、アメリア選手と同世代である。

 エイミー選手がひそかに打倒アメリア選手の執念を燃やしていても、なんら不思議なことはなかった。


(というか、エイミー選手もアメリア選手も灰原選手より下の世代なんだもんな。灰原選手は、中身も外見も若すぎるってことか)


 瓜子がそんな呑気なことを考えたとき、背後から歓声がわきたった。


「やっぱりアメリアは、すごい突進力だね。あのパワフルなエイミーが、まるでマタドールみたいだ」

「はい! 相手の勢いを、上手い感じにいなしてますね!」

「これも合同稽古の賜物だわね。この大舞台で、立派なもんだわよ」


 どうやらエイミー選手は、戦略通りに試合を進めているようである。

 エイミー選手の基本戦略は、とにかく相手の勢いを受け流すことだ。いかにエイミー選手でも、アメリア選手と正面衝突するのは分が悪いと判じられていた。


 客観的に、エイミー選手はパワーでもスピードでもテクニックでもアメリア選手に負けていると見なされている。

 しかもファイトスタイルは、おたがいに王道のボクシング&レスリングだ。これで勝利を目指すには、綿密に戦略を練るしかないはずであった。


(あとはもう一点、メンタル面と……そこから派生する、スタミナの問題か)


 ユニオンMMAのトレーナー陣は、アメリア選手が高いモチベーションを維持できていないと分析している。ただ期待しているのではなく、アメリア選手の身辺を調査した上で、そのように判断したのだ。


 最近のアメリア選手は、事業家としても台頭しているらしい。なんでもフランスで立派なシャトーを買いつけて、オリジナルブランドのワインを売りに出したという話であったのだ。

 アメリア選手はそのプロモーションのために世界中を飛び回り、ついでに観光も楽しんでいたらしい。それらの模様は、自身のSNSでめいっぱいアピールされていたのだそうだ。


 それだけをあげつらって、アメリア選手のモチベーションが低下していると見なすことはできないだろうが――ただし、アメリア選手が世界中を飛び回っていることは事実である。飛行機による長旅がどれだけ肉体に負担を与えて、トレーニングに支障をきたすかは、瓜子もそれなりに理解しているつもりであった。


 さらに言うならば、エイミー選手はひたすら稽古に邁進している。

 家が豊かであるために働く必要のないエイミー選手は、自由な時間のほとんどすべてを過酷なトレーニングにあてているのだ。アメリア選手の行状を話半分でとらえたとしても、トレーニングの量は決して負けていないという自負が存在した。


 以上のことから、スタミナの面では負けていないという計算になっている。

 なおかつアメリア選手が得意にするのは、荒っぽい突進からのインファイトだ。その恐ろしさは誰もがわきまえていたが、スタミナを大きく消耗するファイトスタイルであることは事実であった。


 それにまた、レスリング出身であるアメリア選手のストロングポイントは、組み技と寝技である。

 もちろん打撃技の技術に関しても北米の名門ジムで磨き抜いているのであろうが、レスリングの技術のほうが上回っている事実は動かない。よって、組み技と寝技に持ち込ませず、立ち技の攻防で優位を取るのが肝要であるとされていた。


 なおかつ、アメリア選手がスタミナに不安を抱えているとしたら、序盤の攻防がとりわけ重要となる。

 その序盤を上手くしのいだエイミー選手に、控え室の面々が大いにわきたっていた。


「一ラウンド目をしのいだね。まあ、ポイントは向こうについただろうけど……これなら、十分に巻き返せるよ」

「はい! 相手はもう、口が開いてますもんね! スタミナが厳しい証拠です!」

「逃げに徹したエイミーは、スタミナも気合も十分だわね。勝負は、ここからだわよ」

「はい。エイミー、リッパです。エイミー、カてます」


 と、時おり聞こえるグウェンドリン選手の声が、瓜子の心を和ませてくれた。

 ただしそれは心の片隅の話であり、残りの大部分は時間の経過とともに鋭く引き締められていく。エイミー選手たちの試合が進むごとに、瓜子の出番も近づいていた。


「おっ、いいボディが入ったね」

「ふふん。ついに、アメリアの足が止まっただわね」

「こいつはチャンスだ。でもやっぱり、慎重にいくべきかな」


「おっと危ない! やっぱりアメリアは、油断できないね」

「はい! でも、エイミーさんは冷静ですね!」

「相手んアメリカ女は、今んでまたスタミナばつかったね。手は出とーばってん、足が出とらんばい」


「お待たせー! エイミーはどんな感じ?」

「一ラウンド目は逃げに徹して、二ラウンド目で挽回。ポイント上は、五分のはずだね」

「でも、相手は虫の息だよ。これなら、最終ラウンドも取れるさ」

「はい。エイミー、カてます」


 そうして試合が最終ラウンドに突入し、二分ほどが経過した頃――誰かが、「あっ!」と声をあげた。

 ちょうどコンビネーションの打ち終わりであった瓜子は、息をつきながら背後を振り返る。


 モニターではレフェリーが頭上で両腕を振りかざし、試合終了のブザーが鳴らされた。

 毅然と立ちはだかっているのはエイミー選手で、マットにうずくまっているのはアメリア選手だ。

 客席と控え室に、歓声がわきたった。


「やったやったー! 今のは、あたしも意表を突かれたよー!」

「狙いすました一撃だったね。このために、温存してたのかな」

「すごいですね! ただ勝つだけじゃなく、KO勝ちですよ!」


 そんな中、リングアナウンサーの声も響きわたった。


『三ラウンド、二分五秒! 左ミドルキックにより、エイミー選手のKO勝利です!』


 アメリア選手は、腹を押さえてうずくまっている。スタミナが切れかかっているところにミドルをくらって、動けなくなってしまったのだ。なおかつ、左ミドルということは、レバーに痛撃を受けたのだろうと察せられた。


 灰原選手はどれだけスタミナが切れても、どれだけレバーにダメージをもらっても、最後まで壮絶な殴り合いを見せていたが――アメリア選手は、一発で沈んでしまったのだ。

 もちろん別々の試合であるのだから、横に並べて考えることはできないものの、トレーニング不足と見なされていたアメリア選手がボディで沈むというのは象徴的であった。


 ともあれ――エイミー選手は、見事にKO勝利をつかみ取ったのだ。

 瓜子は心からの拍手を届けたが、その胸中は別なる理由から生じた熱に満たされていた。


(やっと……あたしの出番だ)


 ついに、メイとケージで向かい合う瞬間がやってきたのである。

 瓜子は頭上を振り仰ぎ、胸中に満ちた熱をしみじみ噛みしめることになった。

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