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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
938/955

05 瀕死のウサギと壊れた機械

 最終ラウンドの残り時間、およそ二分。

 度重なるレバーブローでスタミナを削られまくった灰原選手と、顔の表面だけがひどく傷ついているイヴォンヌ選手は、大歓声の中で試合を再開させた。


 灰原選手はよたよたと、横合いに回り始める。

 イヴォンヌ選手は、変わらぬ勢いで躍りかかった。


 やはり、上体に対する組みつきだ。

 今度こそは逃がすまいという迫力に満ちみちている。

 しかし灰原選手は瀕死のウサギさながらの挙動で、ぴょんっと横合いに飛び跳ねた。

 そしてすぐさま、右アッパーを発射する。イヴォンヌ選手がしつこく追いすがってくると想定しての、乱暴な動きだ。


 実際に追いすがろうとしていたイヴォンヌ選手は急ブレーキをかけて、その右アッパーに空を切らせる。

 そして、灰原選手の足もとに右腕をのばしつつ、左腕を突き出した。

 テイクダウンを狙う、ニータップである。


 左膝裏を取られかけながら、灰原選手は左拳を射出する。

 もはやジャブともストレートともつかない、粗雑な攻撃だ。

 しかしイヴォンヌ選手は両腕を攻撃に使っているためガードもできず、その攻撃を真正面からもらってしまう。

 しかもこれは、カウンターである。灰原選手の左拳は、大きく腫れたイヴォンヌ選手の鼻をまともに撃ち抜いた。


 イヴォンヌ選手の鼻から、わずかばかりの鮮血が押し出される。

 おそらくは腫れがひどくて、鼻腔がふさがっているのだ。そうでなければ、盛大に鼻血が噴き出していたはずであった。


 ともあれ、その攻撃で勢いが削がれて、ニータップは不発に終わる。

 両者ともにたたらを踏んで、また至近距離から向かい合うことになった。


 灰原選手が右フックを繰り出すと、それをブロックしたイヴォンヌ選手が右ストレートで反撃する。

 顔をそむけるようにして回避した灰原選手は、レバーブローを繰り出した。

 これまでの攻撃は顔面に集中していたので、イヴォンヌ選手にとっても想定外であったのだろうか。灰原選手のレバーブローは、クリーンヒットした。


 しかしイヴォンヌ選手は恐るべき頑丈さで耐え抜き、自らもレバーブローを繰り出す。

 それを右腕でブロックした灰原選手は苦しげに顔を歪めつつ、無茶苦茶なフォームで右拳を振りかざした。


 今度はイヴォンヌ選手が首をねじって、それを回避する。

 すると、灰原選手の左フックが顔面をとらえた。

 右目の視界がおおよそふさがれているため、左の攻撃が見えにくくなっているのかもしれない。しかしやっぱり、その衝撃は太い首に吸収されてしまったようであった。


 その後も、息をつかせぬ乱打戦である。

 大歓声が吹き荒れる中、小笠原選手が不思議そうにつぶやいた。


「なんか……イヴォンヌの動きも、粗くなってない? こんな乱打戦にはつきあわないで、距離を取ってからテイクダウンを狙ったほうが利口だよね」


「ふふん。ついにイヴォンヌの歯車も狂い始めたのかもしれないだわね。だとしたら、原因は酸欠なんだわよ。おそらくは鼻呼吸がままならなくなって、脳にまで十分な酸素が行き渡ってないんだわよ」


 鞠山選手の分析を聞きながら、瓜子は納得する。鼻呼吸が阻害されれば酸素が欠乏して、正常な判断力を失うのが道理であった。


 それを証明するかのように、イヴォンヌ選手は荒っぽい攻撃を繰り出している。

 もはや『パーフェクト・マシーン』の名には値しない、野生の獣めいた荒々しさだ。


 だが――それでもイヴォンヌ選手は、世界級のトップファイターなのである。とてつもないパワーとスピードを持つイヴォンヌ選手が本能のままに暴れたならば、別種の脅威に転じるだけのことであった。


 しかしまた、こういった乱打戦を得意にするのは、灰原選手の側である。

 得意というか、灰原選手の当て勘が功を奏するのだ。攻撃の勢いがまさるのはイヴォンヌ選手のほうであったが、有効打の数は灰原選手のほうがまさっていた。


 だが、灰原選手の攻撃をどれだけくらっても、イヴォンヌ選手は怯まない。

 右ばかりでなく左の目尻も割れて血が垂れ始めたが、やはり動きは落ちないのだ。どうあがいても、灰原選手の攻撃はイヴォンヌ選手の内側にまでは響かないようであった。


 いっぽう灰原選手はイヴォンヌ選手の攻撃をガードしても、その衝撃で揺らいでしまう。

 それでも倒れずに乱打戦を継続できているのは、ほとんど奇跡のように感じられた。


 そして、残り時間が一分を切ったとき――ひたすら拳を交わしていたイヴォンヌ選手が、ふいに右膝を振り上げた。

 まともに腹を蹴り抜かれた灰原選手は、苦悶の形相で後ずさる。


 イヴォンヌ選手は勇躍、右拳を振りかざした。

 ここでテイクダウンを仕掛ければまず間違いなく成功できたであろうに、大振りの右フックを繰り出したのだ。それもまた、彼女が正常な判断力を失っている証拠であった。


 灰原選手は声にならないわめき声をあげながら、左拳を真っ直ぐ突き出す。

 計算であったのか本能であったのか、イヴォンヌ選手はそちらの視界がふさがれている。よって、灰原選手の攻撃がクリーンヒットした。


 それで勢いを削がれながら、イヴォンヌ選手の右フックも灰原選手のこめかみに突き刺さる。

 灰原選手は大きくよろめいて、横合いのフェンスに衝突した。


 イヴォンヌ選手は怪物じみたしぶとさで、そちらに突進する。

 すると灰原選手は、決死の形相で横合いに跳びのいた。


 イヴォンヌ選手はフェンスに激突し、灰原選手は大きくよろめきながら、何とか踏み止まる。

 イヴォンヌ選手はフェンスにへばりついた状態で、灰原選手は両方の膝に手をつきながら、それぞれぜいぜいと空気をむさぼった。


 レフェリーは無情に『ファイト!』とうながすが、どちらも動けない。やはりイヴォンヌ選手も、酸欠の状態に陥っているのだ。


 そうしてしばしの休息をはさんでから、両者はどちらからともなく近づいた。

 そして再びの、乱打戦である。

 しかしどちらも目に見えて動きが落ちており、子供の喧嘩じみた様相に成り果てていた。


 しかし、客席は大歓声であったし、瓜子は胸の詰まるような思いであった。

 瓜子たちと初めての合同稽古に取り組んだ頃、灰原選手には基本的なスタミナが足りていなかったため、まだ高校生であった愛音とともに特別な練習メニューを組まれていたのである。

 それから、三年半の時を経て――灰原選手は、かつての絶対王者と壮絶な殴り合いに興じている。もういつスタミナが切れてもおかしくない状態で、懸命に歯を食いしばりながら、相手よりも数多くの拳をヒットさせているのだ。


 灰原選手はインファイトを得意としていたが、もはやそんな次元ではない。

 灰原選手の気力と根性が、この試合をこれほどの大混戦にしたのだ。

『パーフェクト・マシーン』と称されるイヴォンヌ選手の歯車を狂わせて、五分の状態に持ち込んでいる。それは、瓜子にも成し遂げられなかった所業であるはずであった。


 そんな灰原選手の無茶苦茶な乱打をくらって、イヴォンヌ選手の顔面から鮮血が弾け散る。

 いっぽう灰原選手はおおよその攻撃を防御できているが、その一発ごとに頼りなく倒れかかってしまう。

 しかし灰原選手は倒れずに、また不十分な姿勢から粗い攻撃を繰り出して、何発かに一発はクリーンヒットさせた。


 今にも倒れそうなのは灰原選手のほうであるのに、イヴォンヌ選手の顔だけがどんどん傷ついていく。

 第二ラウンドの終盤から始まった現象が、最終ラウンドの最後の数十秒でさらに激化した。


 そして、灰原選手の右フックがイヴォンヌ選手の顔面を撃ち抜き、イヴォンヌ選手のボディブローが灰原選手の腹を撃ち抜いたとき――ついに、試合終了のブザーが鳴らされた。


 レフェリーが割って入ると、二人はともにマットにへたりこんだ。

 客席には大歓声が吹き荒れて、控え室も熱気とどよめきに満ちている。

 いつの間にか、瓜子の目には涙がにじんでいた。


「灰原さんは、すごかったですね! でも、これ……どっちが勝ったんでしょう?」

「さてね。アタシもすっかり見入っちゃって、それどころじゃなかったよ」

「わたいに言わせれば、どっちも勝者には値しないだわね。ルールで許されるなら、引き分けが妥当だわよ」


 そんな声を聞きながら、瓜子は大きく息をつく。

 するといきなり、背後から温かくてやわらかい物体に抱きすくめられることになった。


「にゅふふ。隙ありなのです」


「ユーリさんは、平常心っすね。まあ、一度も寝技の展開にならなかったっすもんね」


 瓜子が目もとににじんだものをぬぐいながら冗談口を返すと、ユーリは瓜子の頭に頬ずりをしながら「うみゅ」とうなずいた。


「でもでも、灰原選手の根性はさすがであったのでぃす。相手の御方は、痛々しさのキョクチなのでぃす」


 確かに表面上は、イヴォンヌ選手のほうが大きく傷ついている。

 しかし、右脇腹を抱え込んでうずくまった灰原選手も、痛々しさに変わりはない。灰原選手はセコンド陣に背中を支えられながら、酸素スプレーを口もとにあてがわれていた。


「何にせよ、灰原選手は死力を尽くしたっすよね。自分もまた、灰原選手とやりあってみたいっすよ」


「にゃはは。これからメイちゃまと夢のようなひとときをすごすというのに、うり坊ちゃんはゴーヨクなのですぅ」


 そうして瓜子たちがじゃれあっている間に、ジャッジの集計が完了した。

 疲労困憊の両名が、レフェリーの左右に並ばされる。灰原選手は苦しげに身を折っており、イヴォンヌ選手は傷だらけの顔で天を仰いだ。


『判定の結果をおしらせします! ……ジャッジ、横山。29対28。青、バニーQ!』


 大歓声が、いっそうの勢いで渦を巻く。

 しかし灰原選手は、顔を上げることもできなかった。


『ジャッジ、ルドマン。29対28、赤、イヴォンヌ!』


 今度は同じ勢いで、ブーイングだ。

 高橋選手の試合と同様に、どうしても日本びいきになってしまうのは致し方ないだろう。やはり瓜子は、文句をつけることもできなかった。


(灰原選手も凄かったけど、イヴォンヌ選手も凄かった。というよりも、あんなに凄いイヴォンヌ選手に一歩も引かない灰原選手が、凄かったよ)


 つまり瓜子の中では、イヴォンヌ選手のほうが優勢であるという感覚であったのかもしれない。

 しかしまた、もっと早い段階でイヴォンヌ選手の歯車が狂っていれば、違う結果になっていたのではないか――そんな思いも、確かに存在した。


『サブレフェリー、チャン。29対28、赤、イヴォンヌ! 以上、2対1をもちまして、赤コーナー、イヴォンヌ選手の勝利です!』


 そんなアナウンスとともに、さらなるブーイングが吹き荒れる。

 まるで、津波のような勢いだ。それぐらい、灰原選手は大接戦を演じたということであった。


 また、灰原選手はいかにも苦しげな姿であるが、顔は綺麗なままである。多少の擦過傷は残されていたものの、右目が完全に潰されて鼻が倍ほども腫れあがっているイヴォンヌ選手とは比較にもならなかった。


 そうして大ブーイングの中、イヴォンヌ選手はレフェリーの腕を振り払うようにして灰原選手のもとに身を寄せて、膝に置かれていた手を両手で握りしめる。

 それでも灰原選手が反応を見せずにいると、イヴォンヌ選手は強引にその身を引き起こして、抱きすくめた。

 灰原選手は顔をそむけながら、「カンベンしてよー」とばかりに苦笑を浮かべる。

 そんな両者の睦まじい姿が、ようやくブーイングを歓声に転化させた。


 試合の終盤では酸欠を起こしたイヴォンヌ選手であるが、きっと今はもう元の体力を取り戻しているのだろう。

 それで瓜子も試合直後には、イヴォンヌ選手の頑丈さに呆れ果てることになったのだ。灰原選手は、あのときの瓜子と同じ感慨に見舞われているはずであった。


(イヴォンヌ選手は、正真正銘の化け物です。でも、その化け物をここまで追い詰めた灰原選手も、立派な化け物のひとりですよ)


 そんな思いを込めながら、瓜子はモニターの灰原選手に拍手を送り届けた。

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