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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
932/955

14 ザ・アイアンとスラッシャー

「それでは、イってきます」


 高橋選手が戻る前に、案内役のスタッフが控え室にやってきた。

 プレリミナルカード最後の出陣は、グウェンドリン選手だ。大部屋の控え室に慣れていないグウェンドリン選手はずっと黙々とウォームアップに励んでいたが、このときばかりは見送りの人間に取り囲まれることになり――その中で最初に声をあげたのは、瓜子に他ならなかった。


「グウェンドリン選手なら、きっと勝てます。頑張ってください」

「そーそー! ミッチーのカタキを取ってきてねー!」

「余計な重圧をかけるんじゃないよ。グウェン、頑張ってな」


 いちいち翻訳アプリを立ち上げるような場面ではなかったので、みんな簡素な日本語で激励を送る。グウェンドリン選手は気合のみなぎる顔で、「はい」と笑った。


「ワタシ、ガンバります。オウエン、よろしくです」


 そうしてグウェンドリン選手が出陣していくと、入れ替わりで高橋選手が戻ってきた。

 鬼沢選手に肩を貸された、力ない姿である。だけどやっぱり、その明るい眼差しに変わりはなかった。


「ごめん。あと一歩、届かなかったよ。次は頑張るから、勘弁ね」


「なーに言ってんのさー! あたしはミッチーが勝ったと思ったよー! 残念だけど、あやまる必要はないって!」


「そうだわね。わたいの知る限り、レベッカの試合がスプリットまで持ち込まれたのは、これが初めてなんだわよ。道子の実力がシンガポールのトップファイターにも引けを取らないという証拠だわね」


「うん。本当に惜しかったと思うよ。あの内容なら、《ビギニング》からスカウトが来てもおかしくないんじゃないかな」


 そのように述べた小笠原選手が、少し離れた場所にたたずんでいた来栖舞を手招きした。

 来栖舞は一歩だけ進み出て、温かい眼差しを高橋選手に送る。


「決して謝罪が必要な内容ではなかった。君はよくやったよ、道子。明日からも、精進だな」


 高橋選手は「押忍」と笑顔で答えながら、目もとに涙を光らせた。

 そして、同じ笑顔のまま、ユーリに向きなおる。


「桃園を見習おうと思ったんだけど、最後のツメが甘かったよ。あんな物凄いやつから一本を取れるなんて、やっぱりあんたは化け物だね」


「うにゃあ。キョーエツのイタリなのですぅ」


 そうしてユーリが気恥ずかしそうに身をよじらせたところで、ひとまず祝福の場は締めくくられた。

 次の試合が終われば、メインカードの開始までインターバルとなるのだ。たっぷりとゆとりのある時間設定であるため、次の試合が最終ラウンドまでもつれこんでも一時間近くは猶予ができる計算であった。


 ほどなくして、グウェンドリン選手の入場が開始される。

 グウェンドリン選手が日本で試合をするのは昨年の《アクセル・ジャパン》以来であるが、やはり対戦相手が瓜子であったため、それなり以上に名が売れていることだろう。また、瓜子やユーリの試合を追いかけてくれているファンであれば、《ビギニング》におけるグウェンドリン選手の活躍も見届けているはずであった。


 それに対するは、《アクセル・ファイト》の所属選手たるフアナ・オロスコ選手である。

 ストロー級におけるランキングは、第八位――《アクセル・ファイト》の四月大会ではブラジルの選手に、九月大会ではメイに負けたことでランキングがじわじわと下降しつつある、《スラッシュ》の元王者だ。彼女はここで負けたら三連敗となり、リリースの可能性も浮上するという噂であった。


(でも、だからこそ、死に物狂いになってるだろうからな)


 フワナ選手はグウェンドリン選手にも負けない気合をみなぎらせながら、花道を踏み越えた。

 フワナ選手は南米出身で、黒い髪と瞳に黄褐色の肌をしている。ゾエ選手も南米系であったし、《アクセル・ファイト》も軽量級はそちらの選手が席巻しているようであった。


『第七試合! ストロー級、115ポンド以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします! ……青コーナー、《ビギニング》代表! 115ポンド! ユニオンMMA所属……ザ・アイアン! グウェンドリン・タン!』


 グウェンドリン選手は、ゆっくりと右腕を持ち上げる。

 普段の愛嬌ある表情とはまったく似ても似つかない、怖い顔だ。かつては瓜子も、こんな顔をしたグウェンドリン選手と向かい合ったわけであった。


『赤コーナー、《JUFリターンズ》代表! 114.9ポンド! AFジム・コロラド所属! 《アクセル・ファイト》ランキング第八位……スラッシャー! フアナ・オロスコ!』


 フアナ選手は、過去の栄光をもじった異名にされていた。

 言わば、《スラッシュ》の代名詞的な選手であるのだろう。メイが離脱した後に《スラッシュ》の軽量級王者となった彼女は素晴らしい戦績を残しており、それでそのまま《アクセル・ファイト》のランカーに認定されたのだった。


 しかし、そんなフワナ選手も、今では崖っぷちだ。

 彼女の実力が落ちたのではなく、《アクセル・ファイト》のレベルが高いのだろう。メイはもちろん、四月大会で彼女を下したブラジルの選手も、それだけの実力を備えていたのだった。


 いっぽうグウェンドリン選手は《アクセル・ジャパン》に抜擢されながら、瓜子に敗北したことで早々に見限られてしまった立場となる。

 オルガ選手やイーハン選手と同様に、別々の場所で実績を築いてきた両名であったため、相対的な実力を比較することは難しかった。


(でも、グウェンドリン選手なら、やってくれるさ)


 グウェンドリン選手は夏の来日と今回の合同稽古で、めきめき実力を上げているのだ。その成長具合は、かつて対戦した瓜子も痛いぐらいに理解しているつもりであった。


 そうして、試合が開始されると――グウェンドリン選手が、弾丸のごとき勢いで飛び出した。

 決して逸っているわけではなく、最初からの作戦である。グウェンドリン選手は突進の勢いのままに右フックを叩きつけると、すぐさまアウトサイドにステップを踏み、左ローで相手の左足を払ってから、打ちおろしの右ストレートにまで連携させた。


 二発の重い拳をようようブロックしたフワナ選手は、怯んだ様子もなく左のショートフックを返す。

 グウェンドリン選手はバックステップで回避したが、またすぐに踏み込んで再度の右フックをお返しした。


 このたびのグウェンドリン選手が狙っているのは、第一ラウンドでめいっぱい攻め込むことである。

 理想はKOか一本を取ることであるが、それが無理ならば2ポイントを奪うぐらいの意気込みで攻める。どれだけスタミナを使うことになろうとも、それ以上のダメージを与えるべしという過酷な戦略であった。


 これはプレスマン道場や鞠山選手の助言とは関わりなく、ユニオンMMAのトレーナー陣とグウェンドリン選手自身で構築した作戦となる。


 グウェンドリン選手は本来的に王道のファイトスタイルであるが、それは相手も同じことであるのだ。なおかつ相手は《スラッシュ》と《アクセル・ファイト》という苛烈な戦場で、数々の鍔迫り合いを経験している。そんな相手にポイントゲームを挑んでも確かな勝算は見込めないということで、戦略の面で工夫を凝らしたのだった。


『フアナ・オロスコは連敗しているため、絶対に負けられないという心境でしょう。そういう選手は慎重になるか、より攻撃的になるかのどちらかです。相手が慎重であった場合は一気に攻め込んでペースを握り、攻撃的であった場合は冷静に対処してチャンスをつかむつもりです』


 合同稽古に参加した当初、グウェンドリン選手はそのように語っていたものであった。

 フワナ選手のファイトスタイルばかりでなく、ここ最近の行状から精神状態まで分析して、戦略を練ったのだ。


 もちろんフワナ選手は世界級のトップファイターであるため、勢いまかせで勝つことはできない。グウェンドリン選手は序盤からトップギアを入れながら、あくまで的確な攻撃を狙っていた。


 足を止めての乱打戦などは、もちろん論外である。グウェンドリン選手は持てる技術をフル稼働して中間距離に留まり、小刻みなヒットアンドアウェイを敢行した。


 パンチの届かない距離から一気に踏み込み、自分の攻撃だけを当てて、また同じ距離だけ下がる。それを理想のパターンとして、矢継ぎ早に攻勢を仕掛けるのだ。

 それを受けて立つフワナ選手は、すぐさま炎のごとき気合をみなぎらせた。

 彼女は慎重にやりすごすのではなく、同じだけの勢いで応じる道を選んだのだ。


 シンガポール出身のグウェンドリン選手と南米出身のフワナ選手は、フィジカルの面でも大きな差異はない。二人は同じだけの勢いで拳を振るい、同じだけの頑丈さで相手の攻撃を受け止めた。


 これではけっきょく、五分の勝負になりかねなかったが――ただし、この戦いを仕掛けたのは、グウェンドリン選手の側である。受動的な立場であったフワナ選手は、グウェンドリン選手ほど心の準備ができていないはずであった。


 そこから生じたわずかな粗さによって、グウェンドリン選手のほうがより的確に攻撃を当てることができている。

 また、想定していなかったタイミングでトップギアを余儀なくされたフワナ選手は、スタミナの消耗も著しいはずであった。


 それらの要素が積み重なって、時間が過ぎるごとにグウェンドリン選手が優勢になっていく。

 フワナ選手もさすがの手腕ですべての攻撃を的確にガードしていたが、第一ラウンドが三分も過ぎた頃には尋常でない量の汗をかき、動きもいよいよ粗くなっていった。


 そろそろフワナ選手も、いったん体勢を整えるべきかと考える頃合いであろう。

 そのタイミングで、グウェンドリン選手がテイクダウンを仕掛けた。

 相手の大振りの右フックをダッキングでかわしたならば、そのまま突進して片足タックルを仕掛ける。なんとか転倒をこらえたフワナ選手は、フェンスに押しつけられることになった。


 壁レスリングの開始である。

 しかしフワナ選手は、この三分間で存分にスタミナを削られている。フェンスに押しつけられたフワナ選手は苦しげに歪んだ顔を横に背けて、腰を落とすこともできなかった。


 グウェンドリン選手はセオリー通りに相手の脇を差し上げて、じわじわと有利なポジションを構築していく。

 そうしてフワナ選手の背筋が完全にのびきったところで、グウェンドリン選手は一気に身を屈めて相手の両足をすくいあげた。


 フェンスに背中を削られながら、フワナ選手はマットに引きずり倒される。

 グウェンドリン選手はその腹に左膝を押し当てながら、大きなスイングで右拳を顔面に叩きつけた。

 フワナ選手は横向きの体勢で、フェンスとマットの継ぎ目に押し込まれている格好だ。グウェンドリン選手は右膝ひとつで固定しているので、それほど重心は安定していないはずであったが、フワナ選手はスタミナの欠乏から動くことができなくなっていた。


 そんなフワナ選手に、グウェンドリン選手は容赦なくパウンドを叩きつけていく。

 その痛みと衝撃が、またフワナ選手から正常な判断力を奪っていくのだろう。フワナ選手は両手で頭を抱え込み、両足で力なくもがくばかりであった。


 ずっと攻勢であるグウェンドリン選手もかなりのスタミナを使っているので、背中が大きく波打っている。その脈動と同じリズムで、グウェンドリン選手は大きくパウンドを振るい続けた。


 腰を屈めたレフェリーは、迷うように両選手の動向を見守っている。

 すると、グウェンドリン選手は右手で相手の頭を、左手で相手の腰を押さえつけると、思い切り振りかぶった右膝を腹に叩きつけた。

 そんな不安定な体勢でも逃げられることはないと、冷静に判断を下したのだろう。

 そうしてグウェンドリン選手が二発目の膝蹴りを繰り出すべく右足を振りかぶると、ついにレフェリーが割って入ったのだった。


『一ラウンド、四分二十二秒! グラウンド・ニー・ドロップにより、グウェンドリン選手のTKO勝利です!』


 瓜子は小声で「やった」とつぶやきながら、拳を握り込む。

 それから隣を振り返ると、ユーリがふにゃふにゃ笑いながら瓜子のことを見つめていた。


「うり坊ちゃんは、嬉しそうだねぇ。グウェンドリン選手とは、すっかり仲良しさんだもんねぇ」


「うるさいっすよ」と、瓜子はユーリの髪をひとふさ引っ張った。

 モニターでは、レフェリーに右腕を上げられたグウェンドリン選手が、左腕も頭上に突き上げている。その顔には、歓喜の思いがほとばしっていた。


 サキとオルガ選手に続く第一ラウンドの圧勝であるが、決して楽な戦いではなかっただろう。グウェンドリン選手もまた、これまで積み重ねてきたものをすべて振り絞ることで勝利をものにしたのだ。

 瓜子が次にグウェンドリン選手と対戦するのは、いつのことになるのか――そんな風に考えると、瓜子の胸は高鳴ってやまなかった。

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