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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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11 女帝ジュニアとMMAマスター

 オルガ選手が控え室に凱旋すると、これまで通りに温かい言葉と拍手が届けられた。

 まだ試合の集中を残しているオルガ選手は、ぎこちない笑顔でそれに応える。まあ、彼女は普段から表情を動かすことを苦手にしているのだ。そういう部分はメイとも共通しているので、瓜子としては微笑ましい限りであった。


「お祝いのお言葉、ありがとうございます。みなさんからいただいた相手選手の情報で、的確な戦略を練ることができました。今日の勝利は、みなさんのおかげです。……と、仰っています」


 セコンドではないが通訳として同行していたいつもの男性が、キリル氏の言葉を代弁してくれた。

 今日は圧倒的な勝利であったが、それも的確な戦略あってのことであるのだろう。イーハン選手は波に乗せると強いので、出鼻をくじくのが肝要であったのだった。


「オルガ、おつかれさん。上手い具合に、アタシを追い込んでくれたね」


 小笠原選手が笑顔で呼びかけると、オルガ選手はむしろ真剣な表情を取り戻してそれに答えた。


「あれはすべて、本心です。トキコとの再戦を心待ちにしています。……と、仰っています」


「うん。アタシも、死ぬ気で頑張るよ」


 小笠原選手が手の甲で肩を小突くと、オルガ選手も表情をやわらげてはにかんだ。


「よーし! それじゃーお次は、ミッチーの出番だー! オルガっちに続いて、豪快なKOでも狙ってほしいところだねー!」


 灰原選手の声が呼び水になって、祝福タイムは終了した。

 モニターには、高橋選手の勇姿が映し出される。プレリミナルカードの第六試合は、高橋選手とレベッカ選手の一戦であった。


 高橋選手はゆったりとした面持ちで、花道を闊歩している。

 しかしまた、高橋選手はオルガ選手を凌駕する正念場だ。相手はユーリに敗れるまで絶対王者の名を欲しいままにしていた、レベッカ選手なのである。彼女は《アクセル・ファイト》のトップランカーにも引けを取らない実力者であるはずであった。


 しかし高橋選手はいっかな怯む様子も気負う様子も見せることなく、ボディチェックを済ませてケージに上がり込む。

 赤コーナー側から登場したレベッカ選手もまた、悠然とした足取りでそれに続いた。


『第六試合! バンタム級、135ポンド以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします! ……青コーナー、《アトミック・ガールズ》代表! 134.8ポンド! 天覇館東京本部道場所属! 《アトミック・ガールズ》バンタム級第四代王者……女帝ジュニア! 高橋、道子!』


 高橋選手は、《アトミック・ガールズ》でひそかに使われていた異名がそのまま転用されてしまった。

 しかし、来栖舞をこよなく敬愛する彼女であれば、不満はないことだろう。来栖舞も見守るモニターの中で、高橋選手は高々と右腕を掲げた。


『赤コーナー、《ビギニング》代表! 135ポンド! アディソンMMA所属! 《ビギニング》第三代バンタム級王者……MMAマスター! レベッカ・ジア・タン!』


 レベッカ選手は高橋選手よりもさらに柔和な面持ちで、右腕を軽く上げる。

 相変わらず、首から上はファイターと思えないぐらい優しげで、首から下は極限まで鍛え抜かれた肉体美であった。


 そんな泰然とした両名が、レフェリーのもとで向かい合う。

 身長は二センチしか変わらないので、ほとんど誤差であろう。やわらかい面持ちばかりでなく、均整の取れた長身の肉体も、どこかシルエットが似通っていた。


 ただやっぱり骨格の分だけ、レベッカ選手のほうが半回りほど分厚い体格をしている。

 同門のミンユー選手は鞠山選手に敗北を喫してしまったが、もちろん動揺などとは無縁であろう。本日もレベッカ選手は、果てしなく落ち着き払っていた。


「さあ、いよいよだ。高橋さんは、レベッカの牙城を突き崩せるかな」


 と、立松も気合が入っている様子である。

 レベッカ選手とイヴォンヌ選手はプレスマン道場にとって直近の対戦相手であったため、高橋選手と灰原選手には入念な助言を送ることがかなったのだ。それが実を結ぶかどうか、期待をかけているのだろうと思われた。


 両者はフェンス際まで下がらされて、試合開始のブザーが鳴らされる。

 両者は鏡合わせのように、落ち着いた足取りで前進した。


 どちらもややクラウチング気味の、MMAでは一般的な立ち姿だ。

 ただし、王道のボクシング&レスリングであるレベッカ選手に対して、高橋選手は空手や柔道の技術も積極的に取り入れている天覇館の選手である。その相違をぶつけることこそが、肝要であるとの話であった。


 もちろん高橋選手もレベッカ選手も、そうまで偏ったファイトスタイルではない。たとえボクシングやレスリングを主体にしていても、いまどき柔術やムエタイの技術を取り入れていないジムなどはそうそう存在しないだろうし、核となる技術は共通しているはずであった。


 ただやはり、空手と柔道は日本のお家芸である。

 シンガポールにも空手や柔道の道場は存在するのであろうが、日本は規模が違っているはずだ。そして天覇館はMMAという名称が生まれる以前から空手と柔道の融合に取り組んでいた、総合格闘技界の古豪であったのだった。


「お、いきなり来たな」と、立松がこらえかねたように声をあげる。

 相手との間合いが近づくなり、高橋選手がすり足に切り替えたのだ。


 言うまでもなく、これは空手や柔道に即した足運びである。

 少しでもレベッカ選手のペースを崩すべく、高橋選手はさまざまな戦略を練っていたのだった。


 しかしレベッカ選手は動じた様子もなく、前後にステップを踏んでいる。

 力強いが力んではいない、お手本にしたいようなステップワークだ。相変わらず、レベッカ選手はあらゆる技術が驚くほどに洗練されていた。


 レベッカ選手は牽制のジャブを放ったのち、関節蹴りを繰り出す。

 高橋選手はすり足でサイドに逃げて、自らも右ローをお返しした。


 おたがいに何気ない所作であるが、将棋やチェスのように先の展開まで想定しているのだろう。

 とても静かな迫力と、緊張感だ。知らず内、瓜子は両手の拳を握り込むことになった。


 両者ともに大きな動きは見せず、左ジャブと下段の蹴り、組みつきのフェイントだけで試合が進められていく。

 客席には焦れたような歓声があがり始めていたが、瓜子は両者のかもしだす静かな気迫にどんどん緊張を強いられていった。


 そうして、あっという間に二分半が過ぎた頃――高橋選手が、ふいに大きく踏み込んだ。

 それで繰り出されたのは、足払い気味の低いローキックだ。

 レベッカ選手は驚いた素振りもなく、バックステップで回避する。


 そして、レベッカ選手は無造作にも見える所作で左のショートフックを射出した。

 さらに踏み込もうとしていた高橋選手は右腕でガードして、左腕を相手の足もとにのばす。


 しかしそれは、フェイントである。

 それを見切っていたかのように、レベッカ選手は右拳を旋回させた。

 左腕を下げていた高橋選手は、ダッキングでそれをかいくぐる。

 するとレベッカ選手は、右拳を戻すより早く右膝を突き上げた。


 高橋選手は、とっさに腹部をガードする。

 そして、おたがいが相手の首筋に手をのばして、首相撲の組手争いが開始された。


 レベッカ選手はあらゆる技術を磨き抜いているが、ムエタイ流の首相撲にはそれほどの稽古時間を割いていないのではないかと見なされている。

 しかし、プレスマン道場で首相撲を磨き抜いた高橋選手と、互角以上の攻防を見せていた。


 パワーとスピードは少しずつレベッカ選手がまさっているため、これは危険な兆候である。

 それを感じ取ったのか、高橋選手は固執せずに腕を振りほどき、いったん距離を取ろうとした。

 そこに、レベッカ選手の右ミドルが飛ばされる。

 革鞭のようにしなる、鋭い蹴りである。高橋選手はガードを固めたが、いかにも痛そうな音が鳴り響いた。


「ふん。やっぱり、蹴りを磨いてやがるな。首相撲も、同様か」


 立松が、押し殺したつぶやきをこぼす。

 ムエタイの強豪であるレッカー選手が正式にアディソンMMAの一員となったため、レベッカ選手にも影響が出るのではないかと見なされていたのだ。それは、ユーリとの試合でも垣間見えていた要素であった。


 よって、高橋選手も不意をくらうことはないようであったが――ただ、首相撲でも有利を取れないというのは、手痛い結果であった。


 高橋選手は痛撃をくらった左腕を軽く振ってから、すり足を通常のステップに切り替える。

 しかし、次の瞬間には右のミドルに右のストレートを繋げる、空手流の追い突きを披露した。


 レベッカ選手は、さすがの反応速度でその両方をガードする。

 そして、高橋選手が左の攻撃に繋げようとすると、すぐさま距離を潰して胴体に組みついた。


 五分の状態での、差し手争いだ。

 ここは柔道の足技を仕掛けるチャンスであったが――レベッカ選手の押す力に対抗するので手一杯で、なかなか上手く繋げられない。迂闊に足を出せば、逆に間隙を突かれて押し倒される危険があった。


 やはり、レベッカ選手は難敵である。

 高橋選手が練り抜いてきた技は、ひとつひとつ潰されてしまっている。

 しかし、この五週間の成果は、まだまだ残されているのだ。そのすべてを潰されるまでは――いや、たとえそのすべてを潰されたとしても、泣き言をこぼすいとまはなかった。


(本当に……なんてレベルが高い試合なんだろう)


 バンタム級の試合が三連戦となったことで、瓜子はそんな感慨に見舞われていた。

 青田ナナとパット選手、オルガ選手とイーハン選手も同じ階級であるのに、試合模様がまったく違っているのだ。とりわけ強く感じるのは、パット選手とレベッカ選手の相違であった。


 彼女たちはどちらも世界級のトップファイターであろうが、そのファイトスタイルは対極的だ。突進と乱打に特化したパット選手とあらゆる技術を洗練させたレベッカ選手は、同じ競技の選手と思えないほどであった。


 青田ナナや高橋選手は、どちらかというとレベッカ選手に近いタイプである。

 高橋選手はストライカーと称されているが、組み技も寝技もしっかり磨いている。瓜子から見れば、オールラウンダーと称するほうが自然なぐらいであるのだ。そして、青田ナナも高橋選手もきわめて実直な人柄であるため、すべての技術を二の次にできないと考えている節があった。


 そうして二人は、まったく異なるタイプの相手と対戦することになった。

 青田ナナは技術を駆使してパワーファイターの極みたるパット選手を相手取ることになり、高橋選手は同じ技術派であるレベッカ選手に技術で対抗しなければならないのだ。これほど正反対の苦労というのは、なかなか他に思いつかなかった。


(でも……高橋選手は、楽しそうだ)


 レベッカ選手の腕を振りほどいた高橋選手は、汗だくの姿でファイティングポーズを取る。

 次はどのように攻めてやろうかと、その目は熱っぽくきらめいていた。


 以前はどのような試合でも気負っていた高橋選手とは、まるで別人のようだ。

 そして、高橋選手はその泰然とした心持ちを体得したことで、いっそう強くなったのだった。


(頑張ってください、高橋選手。レベッカ選手は、うんざりするぐらい強いですけど……きっと、どこかに活路はあるはずです)


 そうしてまた、二人は静かに火花を散らしながら打撃技の攻防にいそしみ――第一ラウンドが残り一分となったところで、レベッカ選手が動いた。

 いきなり猛烈な勢いでフックを乱打したかと思うと、高橋選手をフェンス際まで追い込み、壁レスリングに持ち込んで、そこからテイクダウンを奪取したのである。


 何ひとつ、おかしなことはしていない。ただ、突如としてギアを入れ替えて、高橋選手のリズムを崩したのだ。

 そうして高橋選手をグラウンドに引きずり込んだならば、ポジションキープを優先しながら軽くパウンドを打ち込んでいく。それで一分という時間は瞬く間に過ぎ去って、ラウンド終了のブザーが鳴り響いた。


「やられたね。ポイントを取るためにラスト一分でギアを入れるってのは、定番中の定番だけど……高橋も、対処しきれなかったか」


「くっそー! でも、ダメージなんかはほとんどないからねー! 次のラウンドで盛り返せばいいのさ!」


 多賀崎選手と灰原選手がそのように語る中、上体を起こした高橋選手はふっと息をつく。

 惜しいところで、最初のラウンドのポイントを失ってしまったが――高橋選手の明るい眼差しには、何の変化も見られなかった。

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