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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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08 青鬼ジュニアとピット・ブル

 逆転勝利を収めた鞠山選手が凱旋すると、青田ナナの陣営が出陣していった。

 もちろんその際にもあちこちから激励の言葉が飛ばされたが、青田ナナは適当にうなずくだけで口を開こうとしない。極限まで燃焼した気迫の内圧で、青田ナナは今にも爆発しそうなぐらい殺気だっていた。


 鞠山選手は控え室の奥で顔面の治療とクールダウンにいそしみ、残る面々はあらためてモニターを取り囲む。出番の近いオルガ選手と高橋選手はずっとウォームアップに取り組んでおり、そこにグウェンドリン選手も加わった。


 ここからは、バンタム級の三連戦である。

 これまでも強敵ばかりであったが、ここからはさらにレベルが跳ねあがる。とりわけ、《アクセル・ファイト》のトップファイターを相手取る青田ナナは正念場であった。


 しかし、この段に至っても、赤星弥生子は控え室の奥から動かない。

 六丸いわく、赤星弥生子は《レッド・キング》の興行でも自分が出場する際には他の選手の試合をいっさい目にしないのだそうだ。赤星弥生子もまた、そこまで徹底して精神の集中に取り組んでいるのだった。


 そんな赤星弥生子の分まで、瓜子は青田ナナの勇姿を見守ろうと考えている。

 やがて、別れたばかりの青田ナナがモニターに現れた。


 これまでの出場選手の中でもっとも闘志をあらわにした青田ナナが、力強い足取りで花道を踏み越える。

 それを追いかけるのは、青田コーチとマリア選手と是々柄だ。インターバルにおける回復に定評のある是々柄は、赤星弥生子ではなく青田ナナのセコンドであった。


(まあ、スタミナトレーニングも十分に積むことができなかった弥生子さんは、短期決戦を狙ってるのかもしれないし……そうでなくても、青田さんを優先するのかもな)


 それぐらい、青田ナナは難敵を迎えているのである。

 もしかしたら、青田ナナは赤星弥生子の交換条件によって出場が決定されたので、《アクセル・ファイト》の運営陣もことさら強敵をあてがったのかもしれなかった。


 その強敵たるパット選手も、青田ナナに続いて入場する。

 相変わらず、『ピット・ブル』という異名に相応しい勇猛なる面がまえだ。その迫力に、客席の人々もどよめいているようであった。


『第四試合! バンタム級、135ポンド以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします! ……青コーナー、《アトミック・ガールズ》代表! 134.9ポンド! 赤星道場所属! 《フィスト》バンタム級第三代王者……青鬼ジュニア! 青田、ナナ!』


 青田ナナは対角線上のパット選手をにらみ据えたまま、天を殴りつけるように右腕を振り上げた。


『赤コーナー、《JUFリターンズ》代表! 134.9ポンド! オーサム・ファーム所属! 《アクセル・ファイト》バンタム級第二位……ピット・ブル! パット・アップルビー!』


 パット選手は、丸太のごとき両腕を頭上に突き上げた。

 本当に、岩のごとき肉体である。予想通り、その身は前日計量の際よりもさらにひと回りは大きくなっていた。


 レフェリーのもとで相対すると、その体格差があらわになる。

 背丈はほとんど同等であるが、身体の分厚さは比較にもならない。青田ナナとて十キロ近くもリカバリーしているはずであるが、それは向こうも同様であるのだ。それで骨格の分だけ、体格差が生じるわけであった。


 パット選手は昨年の《アクセル・ジャパン》でユーリと対戦しているため、瓜子もその頃から研究し尽くしている。とにかく用心するべきは、その規格外の突進力であった。


 バンタム級には恐るべきパワーファイターが居揃っているが、彼女はその中でも群を抜いている。突進力と荒々しい打撃の破壊力だけで言えば、オルガ選手やジジ選手を凌駕するほどであった。


 なおかつ、ただのパワーファイターではなく、しっかりとしたボクシングの技術に裏打ちされている。しかもルーツはレスリングであるため、組み技や寝技の地力もトップクラスであった。


 それを真正面から打ち崩すことができたのは、《アクセル・ファイト》においてもアメリア選手ただひとりである。アメリア選手はパット選手に負けないぐらいパワフルであると同時に、より技術が洗練されているのだ。とりわけ、レスリング能力の差が勝負を大きく左右したようであった。


 あとは、ベリーニャ選手もノーダメージで完全勝利していたが、あれは誰にも真似できないだろう。


 そしてユーリは、寝技で圧倒した。立ち技では勝機がなかったため、コンビネーションの乱発と大振りのバックスピンハイキックであえて隙を作り、パット選手にテイクダウンを仕掛けさせて、寝技の勝負に持ち込んだのだ。

 あれもまた、パット選手を警戒させるほどの打撃技の勢いと、グラウンドで下になっても勝利できる技術をあわせ持っているからこそ可能な作戦であった。


 然して、青田ナナは――自分なりの武器を使って、勝利を目指す他ない。

 瓜子も心して、その結末を見届ける所存であった。


「さあ、踏ん張れよ。絶対、どこかに勝機はあるからな」


 と、多賀崎選手が気合の入った独白をこぼしている。

 かつて『アクセル・ロード』で青田ナナと大接戦を演じた多賀崎選手は、彼女に小さからぬ思い入れを抱いているのだ。

 また、高橋選手やオリビア選手もそれに負けない死闘を演じた経験があるので、多賀崎選手と同じだけの熱情を抱えているはずであった。


 そうして大勢の盟友が見守る中、ついに試合開始のブザーが鳴らされる。

 想定通り、パット選手は真正面から突っ込んできた。


 数々の敗戦を経てもなお、パット選手のファイトスタイルに変化はない。彼女は短所を補うのではなく、長所をいっそう磨きぬくことに注力しているようであるのだ。その突進力ですべてを薙ぎ倒そうという迫力でもって、パット選手は青田ナナに襲いかかった。


 青田ナナは鋭いステップでアウトサイドに逃げると、パット選手の左足にアウトローを叩きつける。

 パット選手は意に介した様子もなく青田ナナのほうに向きなおり、右腕を振りかぶった。

 その豪腕から振るわれた右フックを回避しつつ、青田ナナは関節蹴りで膝を狙う。

 左膝を正面から蹴られたパット選手は一瞬だけ動きを止めたが、またすぐさま青田ナナへと躍りかかった。


 青田ナナが左ジャブで食い止めようとしても、左右のフックを振るいながらぐいぐい近づいてくる。

 青田ナナはステップワークを駆使して、なんとかその猛攻を回避した。


「わーっ! ホントに、チョトツモーシンじゃん! こいつ、こんなんで三ラウンドももつのー?」


「それだけ、スタミナも鍛えてるんだよ。ダメージさえ与えれば、そのスタミナも削れるはずだけど……」


「これじゃあ、せっかくの蹴り技もなかなか出せないねー! 頑張れよー、青鬼!」


 青田ナナはこの日のために、蹴り技を磨きぬいたのである。

 しかし、パット選手の勢いが凄まじいため、なかなか蹴りを出すための間合いを作ることがかなわない。この突進力に対しても対策を磨いたはずであるが、やはり本物は迫力が違っていた。


(稽古でどれだけスピードのある選手とスパーをしても、こんな迫力は出せないもんな)


 青田ナナは、防戦一方である。

 ただし、パット選手の猛攻は可能な限り回避して、腕にダメージを溜めないように努めている。この猛攻を上手くさばいているだけ、大したものであった。


 思えば――前々回の『アクセル・ジャパン』において、青田ナナはアメリア選手に秒殺されているのである。

 あれは急遽の代役出場であったためにコンディションもよくなかったのかもしれないが、青田ナナもあの一戦で外国人選手の突進力に免疫ができたのだろう。荒々しさの極致であるパット選手を前にすると、青田ナナのステップワークが華麗に見えるほどであった。


(それでもグラウンドで上を取れれば、勝機はあるっていう見込みなんだ。なんとか、テイクダウンさえ取れれば――)


 瓜子がそのように考えたとき、灰原選手の「あれー?」という声が聞こえてきた。

 反射的にそちらを振り返った瓜子は、思わず息を呑む。灰原選手のかたわらに、赤星弥生子がひっそりと立ち尽くしていたのだ。


「やっぱり、青鬼のことが心配になっちゃった? ま、それが当然だよねー! 弥生子サンの出番はまだまだ先なんだから、めいっぱい応援してあげよーよ!」


 灰原選手が元気いっぱいに呼びかけても、赤星弥生子は「ええ」としか答えない。

 その切れ長の目には白刃のごとき輝きが宿されており、しなやかな体躯からは青白い雷光めいたオーラがたちのぼっている。そこまでは、以前から何度となく見せていた姿であったが――さらに瓜子は、その身の奥底にとてつもない殺気を感じ取っていた。


 きっと赤星弥生子はこのために、精神集中をしていたのだ。

 最近になって見せるようになってくれた人間らしい温もりが、完全に消え去ってしまっている。それは、この世のすべてを破壊し尽くそうとしている大怪獣のごとき迫力であった。


(でも、試合で向かい合ったときは、こんな殺気は出してなかった。きっとこれを自分の中に閉じ込めるまでが、弥生子さんのルーティンなんだ)


 その大事なルーティンのさなかに席を立って、赤星弥生子は青田ナナの奮闘する姿を見守っている。

 瓜子もまた胸を熱くしながら、モニターに向きなおることした。


 試合の情勢に、大きな変化はない。パット選手は恐るべきスタミナで猛攻を繰り出しており、青田ナナは懸命にステップワークで回避しながら反撃の隙をうかがっていた。


 青田ナナも時おり左ジャブを出しているが、それはすべてガードで弾き返されてしまっている。

 また、組みつきのフェイントをかけても、パット選手は意に介した様子もなく左右の拳を振り回す。これだけ躍動していてもパット選手の軸はいっさいぶれていないので、真正面から組みついてもテイクダウンを奪えそうになかった。


 青田ナナが培ってきた技術を帳消しにするような、パワーとスピードである。

 だからこそ、青田ナナもボクシング&レスリングの王道スタイルを捨てたのだ。ただし、その一歩目として錬磨した蹴り技を出す間隙は、いまだ存在しなかった。


(どうしても間合いが取れないなら、もう膝蹴りを狙うしか――)


 瓜子がそのように思案したとき、青田ナナが右膝を振り上げた。

 青田ナナの膝蹴りは、パット選手の腹に深々と突き刺さる。

 しかし、パット選手が振りかざした右フックはいっさい勢いを減じることなく、青田ナナが頭部をガードした左腕に叩きつけられた。


 それでたたらを踏んだのは、青田ナナのほうである。

 青田ナナの膝蹴りはクリーンヒットして、相手の右フックはしっかりガードできたのに、それでも勢いに押されてしまったのだ。


 そしてさらに、パット選手が思わぬ動きを見せた。

 よろめいた青田ナナの胴体につかみかかるや、そのままマットに押し倒したのだ。


 青田ナナは、両足で相手の右足を絡め取る。

 それで何とかハーフガードのポジションは取れたものの、その後に待ちかまえていたのはパウンドの嵐であった。


 二試合目の魅々香選手とも比較にならないほどの、暴虐なるパウンドの嵐である。

 パット選手はこれまでも、パウンドで数多くのTKO勝利を奪取してきたのだ。レスリングをルーツにするパット選手は、ポジションキープの能力も一流であったのだった。


「わー、やばいやばい! とにかく、立てー!」


 灰原選手がわめくまでもなく、青田ナナはエスケープを試みた。

 しかし、相手の胴体に抱きつこうとも、逆に両腕を突っ張って身を離そうとも、最後にはパワーで振り払われて、またパウンドを叩きつけられてしまう。ここでも、パワーの差があらわになっていた。


 青田ナナも寝技の技術は一級品であるため、上さえ取れれば勝機はあるという見込みであったのだ。

 しかし、相手に上を取られたならば、エスケープすることも困難である。それで、テイクダウンのディフェンスに関してもさんざん稽古を積んでいたはずであるのに、一瞬の間隙で窮地に陥ってしまった。


(頑張れ、青田さん! 弥生子さんも、見てますよ!)


 瓜子は拳を握りしめながら、心の中で懸命に激励を送る。

 しかし、青田ナナがどれだけ手を尽くそうとも、岩のごときパット選手の身はビクともしない。レフェリーも緊迫した様子で膝をつき、試合終了のタイミングを計っていた。


 そのとき――ユーリが、「そう」というつぶやきをこぼす。

 モニター上では、何も大きな変化はない。ただ、パット選手の右足を拘束していた青田ナナの両足が、開かれていた。


 パット選手はマウントポジションを奪取するべく、青田ナナの足を乗り越えようとする。

 その動きに合わせて、青田ナナは猛然と腰を切り始めた。


 パット選手は不敵な表情で、まずは重心を安定させる。

 さらなる重みが青田ナナを圧迫しているはずであったが、それでも彼女は懸命に腰を切り始めた。


 パット選手を上に乗せたまま、青田ナナの身はマットに円を描いていく。

 その過程で、パット選手がいきなり青田ナナの上体に覆いかぶさった。

 その円の軌道上で、青田ナナの足先がフェンスに到達することに気づいたのだろう。フェンスを蹴ることさえできれば、さらなるエスケープの手段を講じることもできるはずであった。


 しかし、パット選手が上半身にのしかかったため、青田ナナも動けなくなってしまう。

 すると、青田ナナは下からパット選手の身を抱きすくめた。

 相手も身を伏せたため、完全に正面から抱きすくめた格好である。その手はがっちりとクラッチされて、死んでも離すまいという決意をあらわにしていた。


 パット選手はすぐさま猛然ともがいたが、青田ナナのクラッチは外れない。

 それでようやく、瓜子も青田ナナの真意を悟った。第一ラウンドはもう終了目前であったため、青田ナナはこのまま逃げ切ろうという算段であったのだった。


 エスケープをあきらめて膠着状態を選択するというのは、きわめて後ろ向きな手法であろう。

 しかし、重要であるのは、最後に勝利することであるのだ。そのために、青田ナナは恥も外聞もなく相手にしがみついているのだった。


 そうして十数秒ばかりも膠着状態が続いたのちに、ラウンド終了のブザーが鳴らされて――勝負は、次のラウンドに持ち越されたのだった。

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