07 戦慄の魔法少女とグレート・キング
「魔法老女、負けんなよー!」という灰原選手の激励を浴びながら、鞠山選手の陣営は出陣していった。
それと入れ替わりで、見事に勝利を収めた魅々香選手が凱旋してくる。
きっと鞠山選手は通路ですれ違う際に、可能な限りの祝辞を送ったことだろう。そんな想像に胸を温かくしながら、瓜子も魅々香選手に拍手を送ることにした。
「御堂さん、お疲れ様。最初から最後まで、集中を切らさなかったね。本当に、凄い試合でしたよ」
と、灰原選手を出し抜いて、同門の高橋選手が真っ先に声をかけた。
頭からタオルをかぶった魅々香選手は、無言のままに一礼する。勝利者インタビューもずっと涙声であったので、まだ胸を詰まらせているのだろう。そんな魅々香選手の逞しい背中を、来栖舞は背後から優しく見守っていた。
「みんな、ありがとう。次は、花子の奮闘を見守ってもらいたい」
来栖舞のそんな呼びかけで、瓜子たちは着席した。
フルラウンドの死闘を繰り広げた魅々香選手には、入念なクールダウンが必要であるのだ。その間も、ゆっくりと勝利の味を噛みしめてほしかった。
そして、モニターには鞠山選手が登場する。
開会セレモニーで纏っていたウェアは脱ぎ捨てて、魔法少女仕様の試合衣装だ。その珍妙にして華やかな姿に、客席からは歓声がわきたっていた。
次に登場するのは、《ビギニング》のトップファイターたるミンユー選手である。
去年の今日、この会場で、瓜子が対戦した相手だ。そのきっかり一年後に鞠山選手がミンユー選手と対戦することになろうなどとは、予測できるわけもなかった。
『第三試合! ストロー級、115ポンド以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします! ……青コーナー、《アトミック・ガールズ》代表! 115ポンド! 天覇ZERO所属! 《アトミック・ガールズ》ストロー級第六代王者……戦慄の魔法少女! まじかる☆まりりん!』
《ビギニング》や《アクセル・ファイト》では本名を名乗るのが原則であるが、このたびは《アトミック・ガールズ》と《JUFリターンズ》の規約でもってリングネームの使用が許されている。鞠山選手はにんまりと微笑みながら、ミニスカートを模したキックトランクスの裾をつまんで優雅に一礼した。
『赤コーナー、《ビギニング》代表! 114.9ポンド! アディソンMMA所属! 《ビギニング》初代王者……グレート・キング! ミンユー・ワン!』
ミンユー選手は落ち着いた表情で、ゆったりと右腕を上げる。
こちらも三十歳を超えた、ベテランファイターだ。《ビギニング》の設立から数年にわたって王座を守ってきた彼女には、斯様な異名が授けられていた。
一年ぶりに見るミンユー選手は、やはりいかにも頑強そうな印象である。
どっしりとした肉厚のレスラー体型で、沈着な面持ちでありながら、両目だけは炯々と光っている。身長は百五十五センチで、鞠山選手よりも七センチほどまさっていた。
小柄な鞠山選手もずんぐりとした体型であるが、やはり正面から相対するとミンユー選手のほうが分厚い体格をしている。
あらためて、上背がある上に厚みまでまさっているというのは、詐欺のような話だ。これもまた、日本人選手が乗り越えなければならない世界の壁であった。
「さー、油断するなよー、魔法老女! 寝技に持ち込めば、チャンスはあるからねー!」
仲のいいケンカ仲間である灰原選手は、弾んだ声で声援を送っている。
そんな中、試合開始のブザーが鳴らされた。
鞠山選手はお馴染みの、ぴょこぴょことしたステップワークだ。
そして――ミンユー選手は、そんな鞠山選手にすうっと近づいていった。
鞠山選手はお得意のアウトファイトに興じるべく距離を取ろうとするが、ミンユー選手はすいすいと間合いを詰めていく。
ミンユー選手はそれほど俊敏なわけでもなく、大きくステップを踏んでいるわけでもないのに、間合いはいっこうに開かなかった。
「あぶなっかしいなー! もっと距離を取れってば!」
灰原選手がそのようにわめきだしたが、鞠山選手も懸命に足を使っているはずだ。
しかし、ミンユー選手が放つ牽制の左ジャブが、頭部を守る鞠山選手の腕にヒットしている。両者は円を描くようにケージの内部を回りながら、常に一定の間合いであった。
(やっぱりこればかりは、どうしようもなかったか)
瓜子は息を詰めながら、食い入るようにモニターを見つめる。
瓜子も一年前にはミンユー選手に苦しめられていたし、それより前にはグウェンドリン選手も敗北を喫している。そんな瓜子とグウェンドリン選手がともに抱いていたのは、ミンユー選手の行動の的確さであった。
おそらくミンユー選手は、相手の動きに合わせることを得手にしているのだ。その場その場でどのように動くべきか、一瞬の判断が早いのだった。
そしてミンユー選手は、その最善の動きを迅速に行うだけのフィジカルを有している。それで現在もこうして、鞠山選手にぴったりと追いすがることができているわけであった。
もちろん鞠山選手にはミンユー選手の特性を伝えているし、そのための稽古も積んできている。
しかしまた、判断の早さなどというものは、真似をしたくてもできるわけではない。合同稽古の場においては、ミンユー選手に負けないスピードを持っているアトム級の精鋭に協力をお願いしていたが、やはりただ素早いのと判断が早いのとでは感覚が大きく違ってくるはずであった。
また、虚を突くことが得意な横嶋選手などは一瞬の判断力に秀でているはずであるが、残念ながら彼女は基本のスピードがそこまで足りていない。スピードの不足を判断の早さで補うということで仮想・メイにはうってつけであったが、仮想・ミンユー選手に仕立てることは難しかった。
「こいつは典型的な、強さがわかりにくい選手だよね」
と、後ろのほうから小笠原選手の声が聞こえてくる。
「イヴォンヌやレベッカも気づいたらポイントを取ってるっていうタイプだったけど、こいつはそれ以上に強さがわかりにくい。こういう相手は、攻略しにくいんだろうなあ」
小笠原選手が言う通り、ミンユー選手は対策を立てにくい対戦相手であった。
あらゆる技術に長けていて、パワーにもスピードにも穴はなく、そして最大のストロングポイントは判断の早さである。個性もクセもない代わりに、彼女は果てしなく地味で強かったのだった。
そんなミンユー選手を相手にして、鞠山選手はじわじわと追い込まれていく。
まだクリーンヒットは許していないものの、両腕にパンチをもらいまくっているのだ。ミンユー選手のパワーであれば、それだけでダメージが溜まるはずであった。
なおかつ、ミンユー選手はこれだけ優位を取っても、大きな攻撃に繋げようとしない。その堅実さが、また厄介であるのだ。それでミンユー選手は相手を追い詰めるだけ追い詰めて判定勝利をものにするというのが、勝ちパターンであった。
そんなミンユー選手は、七年にわたる《ビギニング》のキャリアにおいて三回しか負けていない。
彼女に勝つことができたのは、瓜子とレッカー選手とイヴォンヌ選手だ。
瓜子はミンユー選手の裏をかいた両足タックルからのパウンドで流れをつかみ、最後は乱打戦に持ち込んでKO勝利をもぎ取ることができた。
レッカー選手は際立った立ち技の技術と破壊力で、ミンユー選手を圧倒した。
イヴォンヌ選手は技術とパワーとスピードのすべてでミンユー選手を上回り、判定勝利を収めた。
では、鞠山選手はどのようにしてミンユー選手を攻略するべきか――光明は、寝技にしかなかった。自分のリズムで寝技に持ち込めば絶対に負けることはないと、鞠山選手は豪語していた。
ただ問題は、その自分のリズムという点である。
ミンユー選手も寝技の技術を磨き抜いているので、あちらに有利な状態でグラウンド戦に持ち込んでも勝機はない。ミンユー選手がポジションキープに徹すれば、さしもの鞠山選手にもひっくり返すことはかなわないだろうという見込みであった。
然して、鞠山選手はあまりテイクダウンを得意にしていない。
であれば、打撃の攻防で優位を取って、その間隙にテイクダウンを狙う他なかったが――現在は、その目も潰されてしまっていた。
鞠山選手はひたすら逃げ回り、反撃することもできていない。
下手に手を出すと、より強烈な攻撃をもらってしまうと警戒しているのだろう。
しかしまた、ただ防御を固めていても、相手を勢いづかせるだけである。それを証明するように、ミンユー選手の攻撃が鞠山選手の顔面にヒットし始めた。
ガードを固めた鞠山選手の腕をかいくぐり、的確な攻撃が顔面やこめかみを叩いていく。
いずれも浅い当たりであるが、パワーにも定評のあるミンユー選手の攻撃だ。単純な腕力だけでいえば、ミンユー選手はグウェンドリン選手以上であったのだった。
鞠山選手の劣勢に、客席には怒号のごとき歓声がわきたっている。
そんな中で、鞠山選手の顔はどんどん傷ついていった。
左右の目尻には血がにじみ、平たい鼻からも血がしたたる。頬や目の下も赤らんで、それが次第に紫がかっていった。
そしてそのまま、第一ラウンドは終了である。
ついに鞠山選手は一発の攻撃も出せないまま、五分間を終えてしまったのだ。最初から最後までサンドバッグ状態であったので、いかに浅い当たりであろうとも2ポイントを取られかねない大劣勢であった。
「ナニしてんのさー! そんな縮こまってたら、勝てる試合も勝てないっしょー!」
「落ち着けよ。きっと鞠山さんには、何か考えがあるんだよ」
多賀崎選手はそんな風に言っていたが、自分に言い聞かせているような口調であった。
確かに鞠山選手は誰よりも計算高かったが、ひたすら逃げ回ることでどのような作戦が可能になるのか。瓜子にも、まったく見当がつかなかった。
椅子に座った鞠山選手は余裕しゃくしゃくの表情だが、それすらも虚勢に見えてしまう。両方の目尻と鼻からの出血を止めなければならないカットマンのせわしない動きが、そんな印象をいっそう強めていた。
そうして、第二ラウンドである。
そこでいきなり、鞠山選手がインファイトを仕掛けた。
鞠山選手も、パンチはそれなりに重い。しかし純然たるグラップラーであるから技の引き出しは少ないし、このたびはリーチでも負けているのだ。
結果、鞠山選手はさらなる攻撃を被弾することになってしまった。
これまでよりも深い当たりで、ミンユー選手のパンチが顔面をえぐっていく。いっぽう鞠山選手の攻撃は、すべて腕でガードされていた。
ミンユー選手はKOパワーを有していないと見なされているが、これだけの攻撃をくらっていったら尋常でなくダメージが溜まってしまうことだろう。
しかし鞠山選手は至近距離に踏みとどまり、ひたすら拳を振るっていた。
蹴りはいっさい使わないので、完全に殴り合いである。どうやらおたがいにテイクダウンを警戒して、蹴り技を控えているようであった。
「バカバカー! そんな特攻で勝てる相手じゃないっしょ! あんた、立ち技はヘタなんだから!」
「鞠山さんは、ヤケクソで特攻するようなタイプじゃない。何か、考えがあるんだよ。……たぶん」
と、多賀崎選手の声はいっそう勢いを失っていく。
瓜子もまた、果てしない焦燥の中で鞠山選手の身を案じることになった。
ミンユー選手はきわめて堅実なタイプであるので、このような乱打戦でも隙を見せることはない。そして、自分から組みつこうという素振りも見せなかった。
ミンユー選手は立ち技で圧倒的な優位を取っているため、寝技に持ち込む理由がないのだろう。ミンユー選手とて、鞠山選手がどれだけ寝技を得意にしているかは研究し尽くしているはずであった。
(しかもミンユー選手はKOを狙う気もないから、この状態をキープできるだけで満足なんだ)
そうして第二ラウンドも、あっという間に半分が過ぎてしまい――そこでレフェリーが、ストップをかけた。
鞠山選手の両目尻と鼻から、これまで以上の血が滴り始めたのだ。
リングドクターが招集されて、傷の具合を確認する。まだドクターストップをかけられるほどの深手ではないだろうが、もはや鞠山選手の平たい顔は真っ赤に腫れあがってしまっていた。
リングドクターはひとつうなずき、ケージの下に戻っていく。
レフェリーは鞠山選手に何かひと言かけてから、試合を再開させた。
すると、鞠山選手は初心に立ち返ったかのようにステップを踏み始める。
しかし、その足取りは重かった。やはり、ダメージが溜まってしまっているのだ。
ミンユー選手は一ラウンド目よりも余裕のある足取りで鞠山選手を追い、追撃のパンチを繰り出す。
ひょこひょこと逃げながら、鞠山選手は防戦一方であった。
「これはさすがに、まずいかもしれない。どんな策があるとしても、余力があるうちに仕掛けないと……」
多賀崎選手がそのようにつぶやいたとき、鞠山選手が弱々しい挙動で相手に組みつこうとした。
しかしミンユー選手は鞠山選手の身を突き放し、重そうな右フックを射出する。それでテンプルを撃ち抜かれた鞠山選手は、千鳥足でたたらを踏んだ。
いよいよ、絶体絶命である。
そうしてミンユー選手がさらなる攻撃を叩き込もうと肉迫すると――鞠山選手は、再び相手に組みつこうとした。
しかしミンユー選手は頑なに組み合いを避けて、サイドにステップを踏んだのち、右ストレートを打ちおろす。
左頬を撃ち抜かれた鞠山選手は、再びよろめきながら後ずさった。
ミンユー選手は戦闘マシーンさながらに、無表情で前進する。
そこで三たび、鞠山選手はミンユー選手に組みつこうとした。
これまでよりも、いっそう力ない挙動である。
するとミンユー選手は、逃げるのではなく右膝を振り上げた。
鞠山選手の腹のど真ん中に、ミンユー選手の膝蹴りがめりこむ。
瓜子は半ば、鞠山選手のKO負けを覚悟してしまったが――腹を蹴られた鞠山選手は、両腕でミンユー選手の右膝を抱え込んだ。
そうして鞠山選手が思わぬ勢いで身をよじると、ミンユー選手は完全に虚を突かれた様子で倒れ込む。
ミンユー選手がマットに背中をつけた頃には、鞠山選手が相手の右膝を抱え込んだまま腰にまたがっていた。
体勢が逆向きの、マウントポジションである。
そのまま相手の右足を両足ではさみこみ、真っ直ぐのばすことができれば、膝十字固めの完成であった。
しかし、ミンユー選手もそこまで迂闊ではないし、そもそも右膝は曲げた状態で抱え込まれている。いかに鞠山選手でも、ここから膝十字固めを狙うことはできそうになかった。
しかし、鞠山選手は相手の足をのばそうとはしなかった。
右腕は相手の曲げた膝の裏に通して、左手は相手の爪先をわしづかみにする。そして、右手で自分の左手首をつかむと、渾身の力で絞りあげ――膝から先を真横にねじ曲げられたミンユー選手は、絶叫をあげながら鞠山選手の背中をタップすることに相成ったのだった。
その瞬間にラウンド終了のブザーが鳴り響き、さらには試合終了のブザーが追加される。
鞠山選手はマットの上で大の字になり、ミンユー選手は自分の右足を抱え込みながら苦悶にのたうち回ることになった。
『第二ラウンド、四分五十九秒! 変形アンクルホールドにより、まじかる☆まりりん選手の勝利です!』
控え室に、どよめきと歓声がわきおこる。
あまりに唐突な逆転劇であったため、おおよその人間は理解が追いつかなかったのだろう。瓜子も、そのひとりに他ならなかった。
「最後の最後で、すごい動きを見せてくれたな。しかし……あれを、最初から狙ってたってのか?」
「いやいや! あんな膝蹴りは、予測できないっしょ!」
「でも、咄嗟の反撃にしては技の入りがスムーズすぎるよ。そもそも、あんな技は見たこともないしね」
それは瓜子も同様であったので、指南を仰ぐべくユーリのほうを振り返った。
するとユーリは、うっとりとした眼差しでモニターを見つめている。そして瓜子の視線に気づくと、ユーリはふにゃんと微笑んだ。
「やっぱりまりりん殿は、すごいねぇ。うちむきふぃぎゅあふぉーとーほーるどなんて、初めて見たよぉ」
「え、何? なんです? それが、あの技の名前っすか?」
「うみゅ。たぶんユーリも、初めて口にしたのでぃす。教則ビデオとかで見たことはあるけど、試合で見たのは初めてなのでぃす」
すると、いつの間にかパイプ椅子に座していた魅々香選手がおずおずと発言した。
「う、内向きフィギュア4トーホールドですよね? 柔術で言う、足取がらみですけれど……倒れた相手にまたがった状態ですから、けっきょく変形技に分類されそうです」
「はぁい。あれって相手の足先をつかまないといけないから、グリップするのが大変ですよねぇ。それでタップを奪えるなんて、まりりん殿はさすがですぅ」
ユーリがゆるんだ笑顔を向けると、魅々香選手も傷だらけの顔で子供のように微笑んだ。どうやら柔術の熟練者には、それなりに馴染みのある技であったようである。
そうして客席も控え室もざわめく中、ミンユー選手は担架で搬送され、鞠山選手は勝利者インタビューであった。
『不屈の闘志で逆転勝ちを収めた、まじかる☆まりりん選手です! まりりん選手、試合が開始してからずっと苦しい場面が続いていましたが、最後の最後で素晴らしい逆転技を成功させましたね!』
『そうだわね……ミンユーがなかなか隙を見せないから、わたいの美貌も台無しだわよ』
荒い息をつきながら、鞠山選手は軽妙な態度を崩さない。目尻と鼻の出血はひとまず止められていたが、真っ赤に腫れあがった顔はどうしようもなかった。
『まるでミンユー選手の膝蹴りを予測していたかのような動きでしたが、あれは最初から狙っていた技だったのでしょうか?』
『そうとも言えるし、そうでないとも言えるだわね……わたいの作戦は、堅実なミンユーの打ち気を誘うことだったんだわよ……ポイント狙いではなくKO狙いの攻撃を出させるのに、第二ラウンドの終わり間際までかかったんだわよ……そこまでは作戦通りで、あとは臨機応変だわね……』
『臨機応変! では、あのサブミッションも咄嗟に出したということでしょうか?』
『打ち気になったミンユーが、パンチとキックと膝蹴りのどれをチョイスするかで、三パターンの対策を練ってただわよ……あと五秒でも時間があったらタップを待てただわけど、そんなゆとりはなかっただわね……柔術家として、ミンユーのあんよを傷つけてしまったことだけが無念だわよ……』
では、鞠山選手はあの状況で、試合時間まで正確に把握していたというのだろうか。
それに、ミンユー選手の打ち気を誘ったということは、あの弱々しい挙動も芝居であったのだ。なおかつ、一ラウンド目でいっさい手を出さなかったのも、二ラウンド目でいきなりインファイトを仕掛けたのも、すべては最後のあの瞬間に向けた布石であったわけであった。
(やっぱり……鞠山選手ってのは、とんでもないお人だなぁ)
瓜子は、そんな思いを新たにした。
鞠山選手は、決して完全無欠のファイターではない。むしろ、寝技に特化した穴だらけのファイターであるのだ。そんな自分が、いかにしてミンユー選手に勝利するか――それを考え抜いた末に、こんな突拍子もない作戦を成功させてしまったのだった。
ともあれ、青コーナー陣営はこれで三連勝である。
ようやく驚きの思いから覚めた控え室の面々は、じわじわと喜びの思いをわきたたせ始めたのだった。