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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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06 接戦

 最終ラウンドを目前にしたインターバルの間も、青コーナー陣営の控え室には大変な熱気がわきかえっていた。

 二ラウンド目は魅々香選手がやや優勢であったように思えたし、そもそも魅々香選手は《アクセル・ファイト》のランカーを相手に互角の勝負を演じているのだ。灰原選手を筆頭に、誰もがこのまま勝利をもぎ取ってほしいという熱意をあらわにしていた。


「御堂は、さすがの地力だね。でもやっぱり、相手もしぶといよ」


「うんうん! ミミーのパンチをくらってもぐらつくだけだし、テイクダウンも取らせないもんねー! でも、ミミーだったら最終ラウンドで豪快に勝ってくれるさ!」


「だけど、リズムをつかみきれなかったんだわよ。二ラウンド目のポイントも、確実に取ったとは言い切れないだわし……何よりこれは、ゾエのペースだわね」


 鞠山選手はそのように評していたし、瓜子はそれと似て異なる印象を抱いていた。

 瓜子は、いかにも《アクセル・ファイト》らしい試合だという印象を強めていたのだ。


 一ラウンド目にも感じた印象が、二ラウンド目で決定的になったようである。

 おたがいが高度な技術を持っているがために、戦況が大きく動かない。玄人ウケする、渋い試合になっているのだ。客席にはまだ歓声が渦巻いていたが、それは魅々香選手がこの小康状態を打破してくれることを祈っての激励であるように思えてならなかった。


(豪快なKOなんて、狙って達成できるわけじゃない。だから何も、焦る必要はないはずだけど……)


 しかし、このペースでは最終的に、ゾエ選手に呑み込まれてしまうかもしれない。

 おそらくゾエ選手は毎回こういった試合を乗り越えることで、《アクセル・ファイト》のランキング第七位にまでのぼり詰めたのだ。このじりじりとした消耗戦に手馴れているのは、ゾエ選手のほうであるはずであった。


(かといって、ここでがむしゃらになるのが正しいわけじゃないし……そもそも魅々香選手は、そういうタイプじゃないはずだ)


 瓜子はおそらくKO決着が多いことで高い評価を受けているはずであるが、それもおおよそは結果論であるのだ。試合を有利に進めようと一歩ずつ地道に進んだ末に、KOのチャンスが生まれる――瓜子はプレスマン道場でそのように学んでいたし、自分の経験則からもそれが真実であろうと信じていた。


 もちろん世間には、勢いに乗じてKOチャンスをつかみ取る選手も少なくはない。

 しかし魅々香選手は、決してそういうタイプではないはずだ。KOパワーと寝技で一本を奪える技術を持つ魅々香選手は堅実に相手を追い詰めることで、そのチャンスをものにしているのである。それで相手を追い込みきれない際には、判定勝負までもつれこむのが常であった。


(魅々香選手は、そのスタイルで実績を積んできた。でも、世界クラスの強豪を相手に……それで通用するのか?)


 これはある意味、青田ナナを見舞ったジレンマに通じているのかもしれない。

 青田ナナは王道MMAのスタイル磨いていたが、シンガポールの強豪選手にはまったく通用しなかった。恵まれた練習環境と屈強なフィジカルを有するシンガポールの強豪選手は、青田ナナの上位互換とでも言うべき存在であったのだった。


 魅々香選手は青田ナナよりも個性的なファイトスタイルであるが、その本質は堅実だ。

 その堅実さが、ゾエ選手を相手に好勝負を演じさせているのかもしれないが――ラウンドが進むにつれて、瓜子の内には焦燥が生じていた。ゾエ選手の土俵で戦っていたならば、最後には勝利を奪われてしまうのではないかという気持ちがぬぐえないのだ。


「泣いても笑っても、最終ラウンドだー! 頑張れよー、ミミー!」


 灰原選手の声援のもと、最終ラウンドのブザーが鳴らされた。

 目尻を割られた魅々香選手は、血止めのワセリンを傷口に盛られている。それに、こけた頬にも数多くの擦過傷が刻まれていた。


 いっぽうゾエ選手は内部にダメージが響いたようで、綺麗な顔のままである。そして、最終ラウンドに至っても、その躍動感あふれるステップに変わりはなかった。


 ゾエ選手はこれまで以上に小刻みのステップを踏んで、ジャブを当てていく。

 ひとまずテイクダウンの仕掛けは引っ込めたのだろうか。遠い距離から魅々香選手の腕にジャブを当てて、ここぞというタイミングで蹴り技を繰り出した。


 いっぽう魅々香選手は組みつきのモーションを見せるが、いずれも不発である。

 ゾエ選手は打撃技に照準を絞り、組み技のディフェンスを固めたのだ。第二ラウンドでは自分も組み技を狙っていたがために、相手の組みつきを許す場面も増えたのだろうと察せられた。


 そして、魅々香選手は組み技の仕掛けにも意識を割いているため、打撃の防御がやや手薄になっている。

 それでリズムに乗ったゾエ選手はますます踏み込みが鋭くなって、左ジャブの当たりが深く始めた。


 魅々香選手の目尻から、新たな血が滴り始める。

 第二ラウンドでつかみかけた主導権が、すみやかに奪われつつあった。


「よくねえな。きちんと対処しないと、一気に持っていかれかねないぞ」


 立松も、深刻そうな顔でつぶやいている。

 瓜子は歯噛みしながら、(でも……)と考えた。


(これで魅々香選手まで打撃主体に戻したら、一ラウンド目の再現だ。それじゃあけっきょく、ポイントを奪われるかもしれない)


 であれば、一ラウンド目とも異なる作戦に切り替えるべきであるのだろう。

 では、魅々香選手にどのような策が残されているのか――それはすぐさま、モニターの中に提示された。


 立松や多賀崎選手が、「おっ」と期待の声をあげる。

 魅々香選手がいきなり大きくステップを踏んで、サークリングし始めたのだ。

 細かく動くゾエ選手を包み込むようにして、大股で円を描き始める。ゾエ選手は、明らかに困惑の表情になっていた。


 魅々香選手はこの近年で、アウトファイトのスタイルも磨いていた。

 しかしまた、俊敏なるゾエ選手を相手にアウトファイトを挑むというのは、いささかならず無謀な話であるのだろう。魅々香選手がそんな無謀な動きを見せたことで、ゾエ選手は困惑し――そして、瓜子たちは期待をかきたてられたのだった。


(こういう展開を喜んじゃうのは、ユーリさんの影響なのかな)


 魅々香選手はゾエ選手の周囲を回りながら、ジャブを振っていく。

 ジャブはジャブだが、魅々香選手の豪腕だ。明らかに、回転数を重視しているゾエ選手よりも迫力のある攻撃であった。


 最終ラウンドでこれほど動きを大きくするというのは、地獄の苦しみだろう。魅々香選手はスキンヘッドからだらだらと汗を流し、それが目尻の鮮血を洗い流した。

 それに対するゾエ選手は、いっそうせわしなく動いて遠い間合いをキープしようと努めている。魅々香選手の動きが止まらないため、蹴り技で対抗することも難しいのだ。


 それでも俊敏さはゾエ選手のほうがまさっているので、逃げ続けることは難しくないだろう。

 ただし、ゾエ選手も最終ラウンドで主導権を取り戻しかけたタイミングである。このまま逃げ続けてポイントを奪取できるかどうかは、あやしいところであった。


 よって、ゾエ選手も何らかの攻め手を出さなければならない。 

 ただし、リーチは魅々香選手のほうがまさっているし、しきりに繰り出されるジャブも危険な勢いだ。どうにか蹴り技を当てるか、組み技に切り替えるか――瓜子には、それが妥当であるように思えた。


 そこでゾエ選手が選択したのは、蹴り技である。

 魅々香選手がアウトサイドに回るタイミングで、その進路をふさぐ格好でミドルハイを繰り出した。


 その瞬間、魅々香選手が防御を捨ててゾエ選手につかみかかる。

 魅々香選手が大きく踏み込んだため、ゾエ選手の蹴りは膝のあたりが肩口に衝突した。


 その衝撃に揺らぐことなく、魅々香選手はゾエ選手の首裏をとらえる。

 そして、ゾエ選手が蹴り足を戻す前に、軸足を内側から刈った。


 ゾエ選手は背中からマットに倒れ込み、魅々香選手はその上に覆いかぶさる。

 この試合で初めての、グラウンドの攻防である。瓜子はモニターを見つめたまま、隣のユーリが身を乗り出すのを気配で察した。


 ゾエ選手もさすがの反応速度で、魅々香選手の腰を両足ではさみこんでいる。

 下のポジションでも決して不利なばかりではない、ガードポジションだ。


 すると――魅々香選手はおかまいなしで、豪腕によるパウンドを振るい始めた。

 相手のガードポジションを放置していたら、上下をひっくり返される恐れもある。しかし魅々香選手は得意のポジションキープやガードポジションの解除を二の次にして、丸太のごとき両腕を振り回した。


 その勢いに、ゾエ選手は頭部のガードを固めている。

 すると魅々香選手は、脇腹にもパウンドをぶつけ始めた。


 まるで、このパウンドで勝負を決めようとしているかのようである。

 しかしゾエ選手は、そうまで甘い選手ではない。今も防御を固めつつ、逆転のチャンスを虎視眈々と狙っているはずであった。


(でも、魅々香選手だって勢いまかせで勝負を急ぐような人じゃない)


 瓜子が息を詰めて見守る中、魅々香選手が右腕を大きく振りかぶる。

 その瞬間、ゾエ選手が驚くべき瞬発力で上体を起こした。

 その頃には、魅々香選手の腰をはさんでいた両足が開かれている。その足でマットを踏みしめて、魅々香選手の空いた右脇に上体をもぐらせようとした。


 しかしその頃には、魅々香選手が前側に倒れ込んでいる。

 ゾエ選手はあっさりとマットに押し戻されて、しかも開いた右足を乗り越えられていた。

 ハーフガードのポジションとなった魅々香選手は、あらためてゾエ選手の上体を圧迫しながら、今度は鉤状に曲げた右腕で横合いからパウンドを叩きつける。


 魅々香選手は、エスケープしようとする相手の動きを利用して、さらに有利なポジションを確保したのだ。

 柔術茶帯の魅々香選手らしい、確かな技術に裏打ちされた作戦であった。


 ゾエ選手は何とか腰を切って逃げようとするが、魅々香選手はポジションキープの能力が高い。フィジカルでまさるゾエ選手が相手でも、そう簡単に逃がしはしなかった。


 そうしてパウンドの合間には、ゾエ選手の両足にはさまれた左足を引き抜こうと試みる。

 ゾエ選手はそうはさせじと二重がらみの防御を取ったが、それではエスケープの手段もなかった。


 ゾエ選手のほうは、少なからず冷静さを欠いているのだ。

 魅々香選手がいきなりアウトファイトに切り替えたことも、蹴り技にテイクダウンを合わせられたことも、ガードポジションにおける荒っぽいパウンドも――すべてが、想定外であったのだろう。それらの積み重ねが、ゾエ選手の歯車を狂わせたのだろうと察せられた。


 左足を引き抜くことをあきらめた魅々香選手は、再びパウンドを振るい始める。

 そのパウンドに、さらなる力感が込められた。ここからさらに手を進めるには、ゾエ選手の危機感を煽るしかないのだ。


 だが――おそらくは、そのパウンドの勢いこそが、ゾエ選手の動きを硬直させていた。

 それぐらい、パウンドを振るう魅々香選手は鬼気迫る迫力であったのだ。

 結果、ゾエ選手はガードを固めたままいっさい動くことができず――そのまま試合終了のブザーを迎えることに相成ったのだった。


「やったやったー! これは絶対、ミミーの勝ちっしょ!」


「いや、最終ラウンドは取っただろうけど、第二ラウンドはわからないよ。もしも手数重視のジャッジがいたら……危ないかもね」


「そんなことないよー! 最初の二ラウンドはほとんど五分だったんだから、最後のラウンドで圧倒したミミーのほうが強いじゃん!」


 灰原選手はそのように主張していたが、ジャッジの判断基準は別にある。あくまでポイントは、各ラウンドごとで優劣をつけるのだ。また、最終ラウンドは明らかに魅々香選手の優勢であったが、2ポイントを奪取できるほどではないはずであった。


(それでも、ぎりぎり勝てる……と思うんだけど……どうなんだろう?)


 瓜子もまた、息を詰めてジャッジの集計を待つことになった。

 レフェリーの左右に並ばされた魅々香選手とゾエ選手は、それぞれ異なる姿を見せている。最後に死力を振り絞った魅々香選手は荒い息をついており、ひたすら防御を固めていたゾエ選手は仏頂面だ。外傷を負っているのも魅々香選手のほうであるし、この場面だけを見ていたらどちらが優勢であったかもわからなかった。


 そしてついに、ジャッジの結果が読み上げられる。

 ちなみに今日のジャッジは、各団体から一名ずつ選出されていた。たとえ合同イベントであろうとも、そうそうありえない手法であろう。しかしまた、自分の所属する団体を優遇するような恥知らずはいないものと信じるしかなかった。


『判定の結果をお知らせいたします! ……ジャッジ、横山。29対28。青、魅々香!』


《アトミック・ガールズ》から選出されたジャッジは、魅々香選手に票を入れていた。


『ジャッジ、ルドマン。29対28、赤、ゾエ!』


《JUFリターンズ》が選出したジャッジは、ゾエ選手だ。

 結果は、《ビギニング》が準備したサブレフェリーに託された。


『サブレフェリー、チャン。29対28、青、魅々香! 以上、2対1をもちまして、青コーナー魅々香選手の勝利です!』


 客席と控え室に、歓声が爆発した。

 瓜子は脱力して、パイプ椅子の背もたれに身をゆだねる。灰原選手は「やったやったー!」と多賀崎選手に抱きついていた。


 レフェリーに右腕をあげられた魅々香選手は、まだぜいぜいと荒い息をついている。

 しかし、横合いに控えていた来栖舞が近づくと――魅々香選手はその胸もとに顔を埋めて、大きな背中を震わせ始めた。


 この一戦で、魅々香選手がどう評価されるかはわからない。

 しかしそれでも、魅々香選手は《アクセル・ファイト》の強豪選手に打ち勝ったのだ。それも、フルラウンドを戦い抜いての、粘り勝ちであった。


 長きのキャリアを築いてきた魅々香選手にとっても、これは一世一代の大勝負であったことだろう。

 いまだ若年の瓜子に、その心情を察することはできなかったが――それでも、来栖舞の胸でむせび泣く魅々香選手の姿には、涙を誘発されてならなかったのだった。

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