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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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02 下準備

 ユニオンMMAとチーム・マルスの到着を待って、青コーナー陣営の四十八名は試合場を目指すことになった。


 さすがに本日は、誰もが定員いっぱいである三名のセコンドを引き連れている。オルガ選手は、キリル氏が交流を持っているフィスト・ジムから英語が堪能な選手に協力を仰いだとのことであった。


 赤星道場も赤星弥生子と青田ナナの両名が出場するため、セコンド陣もフルメンバーだ。赤星弥生子のセコンドは、大江山軍造、大江山すみれ、六丸。青田ナナのセコンドは、青田コーチ、マリア選手、是々柄という布陣であった。


 そして、ユニオンMMAのセコンド陣にはランズ選手も含まれているし、天覇館の陣営には鬼沢選手も雑用係に抜擢されている。天覇館も高橋選手と魅々香選手の両名が出場するため、余所の支部である鬼沢選手がもぐりこむ余地が生じたわけであった。


 合同稽古の参加メンバーでこの場に参じていないのは、柔術道場ジャグアルとギガント・ジムとドッグ・ジムの関係者、および武中選手ぐらいであろう。それらの面々は、すべての試合がリアルタイムで配信される《ビギニング》や《アクセル・ファイト》の映像を目にしてくれるはずであった。


「テレビで生中継されるのは、後半の五試合だけだもんねー! いやー、ぎりぎり入りこめて、ラッキーだったなー!」


 と、灰原選手はこの段に至っても、いつも通りのテンションである。灰原選手の出番は第八試合であったため、そこから地上波の生放送が開始されるわけであった。


 また、《ビギニング》や《アクセル・ファイト》の配信に関しても、そこからの五試合がメインカードという扱いになっている。そちらでは第七試合までのプレリミナルカードももれなく配信されるが、日本国内の地上波放送では三時間の放映枠で余剰の時間が生じたならば、プレリミナルカードの何試合かが後から追加で放映される手はずになっていた。


 そこで瓜子が思うのは、やはりこのイベントは《ビギニング》が主体であるという事実である。

 日本とシンガポールは時差が一時間しかないため、本日のイベントは瓜子たちにとって馴染みの深い午後から夜にかけて開催されるが、北米においては半日もの時差が生じるのだ。プレリミナルカードは深夜、メインカードでも早朝の配信という時間割になるはずであった。


 それでもなお、《JUFリターンズ》の親元である《アクセル・ファイト》はこのたびの合同イベントに参戦した。

 それはスター選手たるベリーニャ選手を穏便に残存させるための、苦肉の策であり――そこに、《アクセル・ファイト》の底力を見せつけようという計算も働いたのだろう。そのために、あちらはバンタム級のトップランカーを惜しみなく投入してきたのだった。


(もちろんバンタム以外だって、強敵ぞろいだけどな)


 そしてまた、《ビギニング》もトップファイターを取りそろえている。《ビギニング》の現役王者は瓜子ただひとりであったが、かつての絶対王者であったイヴォンヌ選手にレベッカ選手、そして元王者のミンユー選手やムーチェン選手をピックアップしたことが、運営代表たるスチット氏の心意気を表していた。


「ムーチェンなんかは、ベアトゥリスにベルトを奪われた直後だけどな。しかし、実績だけで考えたら、ベアトゥリス以上なのは確かだ。まったくもって、気は抜けねえよ」


 このたびのマッチメイクが発表された折、立松などはそのように言っていたものである。そのムーチェン選手が対戦するのはサキであったから、こちらにとっては死活問題であったのだ。


 しかし瓜子は、すべての盟友に大きな期待をかけている。

 さすがに全勝というのは理想が高すぎるのかもしれないが、誰ひとりとして恥ずかしい試合を見せるような人間はいないはずだ。五週間の合同稽古で、瓜子のそんな思いは確信に変わっていた。


「おー、いるいる! 海外の選手がこんなぞろぞろ集まってるなんて、やっぱ新鮮だねー!」


 試合場に到着すると、灰原選手がまたはしゃいだ声をあげた。

 黒いケージの周囲には、《アクセル・ファイト》や《ビギニング》の所属選手たちがあちこちに輪を作っている。今日は誰もが三名のセコンド陣を引き連れているため、昨日の前日計量を上回る迫力であった。


 そんな中、二つの人影が音もなく忍び寄ってくる。

 それはどちらも黒ずくめの格好をした、ベリーニャ選手と兄のジョアン選手であった。


「ピーチ・ストーム、ブジなトウチャク、ウレしいです」


 穏やかに微笑みながら、ベリーニャ選手がそのように告げてきた。

 ユーリは昨日と同じく、恥じ入る幼子のような風情で「はいぃ」と応じる。


「ベル様もお変わりないようで、何よりなのですぅ。今日はよろしくお願いしますなのですぅ」


「ハイ。よろしくおネガいします」


 ベリーニャ選手は、常と変わらぬ自然体である。

 瓜子もまた、恐縮しながら声をあげることにした。


「あの、ひとつだけおうかがいしたいんすけど……アリースィさんは、大丈夫でしたか?」


 すると、ベリーニャ選手ではなくジョアン選手が「ハイ」と発言した。

 その黒豹めいた外見に相応しい、低くて落ち着いた声音である。その鋭い眼差しに見つめられただけで、瓜子は背筋がのびてしまった。


「アリースィ、とてもシカられました。でも、ブジです。アナタたち、プレゼント、ヤクにタったです」


「そうですか。それなら、よかったです。……ジョアン選手も、このたびはありがとうございました」


「いえ。ベリーニャ、タイセツなので、オレイ、ムヨウです」


 そんな風に応じながら、ジョアン選手は長身を屈めて瓜子のもとに顔を寄せてくる。厳しく引き締まった端整な顔を目の前に突きつきられて、瓜子はいっそう背筋がのびてしまった。


「でも、ワタシ、キョウリョク、ヒミツです。《アクセル・ファイト》、カンケイシャ、シられたくないです。ヒミツ、オーケーですか?」


「は、はい。承知しました。外部にはもらしませんので、ご安心ください」


「……カンシャです」と、ジョアン選手は身を起こす。

 そして、ベリーニャ選手が瓜子に向かって微笑みかけてきた。


「アリースィも、カンシャしてました。ウリコ・イカリ、ステキだったと、ヨロコんでいました」


「い、いえいえ、とんでもありません。……それじゃあ今日は、よろしくお願いします」


 ベリーニャ選手は「ハイ」とうなずき、もういっぺんユーリにも微笑みかけてから、ジョアン選手ともども立ち去っていった。

 瓜子が汗をぬぐっていると、灰原選手たちが周囲を取り囲んでくる。


「うり坊があの男前にクチビルを奪われるんじゃないかって、ヒヤヒヤしちゃったよー! あんたって、誰が相手でもビビらないよねー!」


「まったくだわよ。あんたの鋼のハートも、大したもんだわね」


「で、でもやっぱり、あのお二人は空気からして違ってますよね! なんだか、同じ世界の人間だとは思えないぐらいです!」


 すると、小笠原選手が「まあまあ」と仲裁してくれた。


「あんまり騒ぐと、余計に注目を集めちゃいそうだよ。友好的なのは、あのお二人ぐらいみたいだしね」


 小笠原選手の言う通り、瓜子はあちこちから非友好的な視線を感じていた。

 非友好的というよりは、探るような眼差しとでも言うべきであろうか。とにかく日本陣営の一団は、主に《アクセル・ファイト》の陣営から鋭い視線を向けられているようであった。


(《アクセル・ファイト》の所属選手には、裏事情なんて伝えられてないんだろうけど……やっぱり、ベリーニャ選手と対戦するユーリさんは、注目されてるんだろうな)


 なおかつ、アメリア選手は『アクセル・ロード』のサブコーチとしてユーリとスパーをした経験があり、パット選手などは『アクセル・ジャパン』で対戦して敗北を喫しているのだ。そちらの両名ははっきりと、きつい眼差しをこちらに向けていた。


(あとはもちろん、対戦相手のことも意識してるんだろうしな)


 こちらには、彼女たちと対戦する青田ナナとエイミー選手も控えているのだ。《アクセル・ファイト》のトップランカーたる彼女たちは、余所の団体の選手に負けることは許されないという心持ちであるはずであった。


 そして瓜子は、近からぬ場所にメイの姿も確認していたが――自分から近づく気にはなれなかった。

 再会の挨拶はすでに果たしているし、メイと向かい合っても心拍数があがるばかりであるのだ。できることならば、試合を終えた後にじっくり語らせてもらいたいものであった。


『それでは、ルールミーティングを開始いたします。出場選手は、ケージにお集まりください』


 と、ふいにアナウンスの声が響きわたった。

 その後には英語で同じ言葉が繰り返されたらしく、赤コーナー陣営の選手たちがゆっくりとケージに集まり始まる。


 いよいよ、本日のイベントが開始されるのだ。

 試合の本番はまだ数時間先のことであったが、瓜子の胸はメイと対峙する前から高鳴ってやまなかった。


                  ◇


 その後、ルールミーティングは無事に終了した。

 三団体の間でもルール上に大きな違いはなかったため、問題が持ち上がることもない。運営面ではあれこれ折り合いをつけるのに苦労をしたのだろうと思われるが、出場選手にその余波が及ぶことはなかった。


 ルールミーティングの後に待っているのはメディカルチェックとバンテージのチェックであり、そちらの面でも問題は生じない。ただ、ユーリがメディカルチェックを行う際には三団体の運営代表までもが集結して、小さからぬ緊張が走り抜けることに相成った。


 また、三団体というのはあくまで《ビギニング》と《アトミック・ガールズ》と《JUFリターンズ》であるが、本日は《アクセル・ファイト》の代表たるアダム氏も参じている。スキンヘッドで厳つい容貌と陽気な気性を兼ね備えるアダム氏は、食い入るような眼差しでメディカルチェックを受けるユーリの姿を凝視していた。


 しかしやっぱりメディカルチェックの結果は、オールグリーンである。

 ユーリの不調は、現代医学の範疇の外にあるのだ。だからこそ、試合に出場することが許されて――そして、治療のすべも見つからないのだった。


 余計な干渉を避けるためか、スチット氏もアダム氏もユーリに近づこうとはしない。

 その代わりに近づいてきたのは、《アトミック・ガールズ》の代表たる駒形氏であった。


「ユ、ユーリ選手。メディカルチェックを無事に通過されたようで、何よりです。お身体のほうは、問題ありませんでしょうか?」


「はぁい。ユーリは元気いっぱいですぅ。駒形さんこそ、ちょっぴりお痩せになられたんじゃないですかぁ?」


 小柄で丸っこい体格をした駒形氏は「いえいえ」と気弱げに微笑みながら、額の汗をハンカチでぬぐった。


「分不相応な大舞台に引っ張り出されて、胃がしめつけられるような思いですが……本当に大変なのは、選手のみなさんですからね。わたしはこの身が砕け散ろうとも、本日のイベントをつつがなく進行させる所存です」


「はぁい。駒形さんには、ホントのホントに感謝してますぅ。ユーリも頑張りますので、駒形さんも頑張ってくださいねぇ」


 そうしてユーリが天使のように微笑むと、駒形氏はハンカチを額から目もとに移動させた。


「……ありがとうございます。ユーリ選手の笑顔で、気合を注入された心地です」


「ユーリこそ、駒形さんのおかげで百人力ですぅ」


 かつてユーリが駒形氏を相手に、こうまであけっぴろげな笑顔を向けたことはなかっただろう。ユーリは身を張ってこの一大イベントを実現させた駒形氏に、絶大なる感謝の思いを抱いているのだった。


(……明日からも、ユーリさんをお願いします)


 瓜子は胸を詰まらせながら、心の中で駒形氏に頭を下げることになった。


 そうしてメディカルチェックを終えたならば、バンテージのチェックに備えて着替えである。バンテージを巻くと着替えが面倒になるので、この時点で試合衣装に着替えるのが通例であった。


 ここでまた、本日のイベントならではの現象が生じる。

《アトミック・ガールズ》と《アクセル・ファイト》の所属選手はそれぞれの公式ウェアと試合衣装で、《ビギニング》の所属選手のみ自由な試合衣装であるのだ。


 青コーナー陣営においては、オルガ選手だけが《アクセル・ファイト》で、瓜子とグウェンドリン選手とエイミー選手だけが自由ということになる。他の皆々は《アトミック・ガールズ》の公式ウェアで、鞠山選手は魔法少女仕様、灰原選手はバニーガール仕様の衣装を纏うことが許されていた。


「ふん。相手が《アクセル・ファイト》の連中だったら、その妙ちくりんな格好に難癖をつけられてたのかもなー」


 サキがそのように言いたてると、レオタード姿の灰原選手は「へっへーん!」と大きな胸をそらした。


「そんなケツの穴のちっちゃい連中は、こっちからお断りだよ! 《ビギニング》ってのは、やっぱフトコロが深いよねー!」


「それに関しては、遺憾ながら賛同するしかないだわね」


 魔法少女仕様の鞠山選手も、にんまり微笑んでいる。両名は、どちらも《ビギニング》の元王者と対戦するのだった。


 そして今回は赤星弥生子と青田ナナも《アトミック・ガールズ》の代表という名目であるため、ひさびさに公式ウェアを纏っている。

 赤星弥生子は赤と白、青田ナナは赤と青というカラーリングだ。

 あらためて、二人がこんな大舞台で《アトミック・ガールズ》の試合衣装を纏っているのは感慨深かったが――瓜子自身は、今年になって新調した『P☆B』デザインの試合衣装である。


 ユーリは《ビギニング》との契約が解除されて《アトミック・ガールズ》に出戻ったため、『P☆B』とのスポンサー契約も打ち切られている。《アトミック・ガールズ》では公式の試合衣装を纏う義務があるため、致し方のない話であった。


 よって、瓜子とユーリはひさびさに、異なる試合衣装で試合に臨むのだ。

 これは、《アトミック・ガールズ》で公式の試合衣装が義務づけられる前、三年以上ぶりの話であるはずであった。


 ユーリはピンクとホワイトのカラーリングである《アトミック・ガールズ》公式の試合衣装、瓜子はブラックとホワイトのカラーリングである『P☆B』の試合衣装だ。

 そんな姿で向かい合うと、ユーリはふにゃんと笑いながら、瓜子の耳もとに唇を寄せてきた。


「うり坊ちゃんとペアルックでないのは、ムネンの限りですけれども……でもでも、ココロはひとつなのです」


「……やだなぁ。自分の台詞を、横取りしないでくださいよ」


 瓜子が笑顔で文句をつけると、ユーリは無邪気に「にゃはは」と笑う。

 そうしてその後は、バンテージのチェックも終了させて――瓜子たちは軽く身体を温めながら、開演の時間を待つことに相成ったのだった。

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