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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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ACT.4 B×J×A Preliminary card 01 出陣

 翌日――運命の一戦を迎える、大晦日である。

 瓜子はその日の朝を、大変な息苦しさの中で迎えることになった。


 しかし瓜子は、これ以上もなく幸福な心地である。

 息苦しいのは、ユーリの甘い香りに鼻をふさがれて、ユーリの怪力で五体を拘束されているためであったのだ。


 ユーリは瓜子に対する接触嫌悪症の反応が解除されたが、それほどべたべたひっついたりはしない。自宅のマンションでも、おおよそ寝床は別々であるのだ。同じベッドで眠るのは、よほど特別な日のみであり――そして本日が、その特別な日であったわけであった。


 まだ目覚ましアラームは鳴っていないので、ユーリはすぴすぴと寝入っている。

 赤ん坊のように、無垢なる寝顔だ。瓜子が知る女子選手はおおよそ愛くるしい寝顔をしていたが、やはりツートップはユーリとメイであった。


 ここはユーリの寝室であり、二人が横たわっているのはユーリのベッドである。

 思えば、瓜子が初めてこのマンションに足を踏み入れた夜にも、二人は同じベッドで眠ることになった。あの頃はサキも同居していたので、寝床が足りていなかったのだ。


 あの時代はおたがいの存在を忌々しく思っていたため、しぶしぶ同じベッドにもぐりこむことになった。

 そしてユーリは、初対面の瓜子に接触嫌悪症の事実を明かしたのだ。それで瓜子は大いに驚かされながら、睡魔に身をゆだねることになったのだった。


(あの日から、もうすぐ五年も経っちゃうのか……)


 その五年弱で、二人の関係性はこうまで変わり果てた。

 まあ、最初の一年足らずでおおよその変革は果たされていたわけであるが――その後の歳月で、二人はどんどん絆を深めていくことになったのだ。去年よりも今年、昨日よりも今日のほうが、瓜子にとってのユーリは大切な存在であった。


(それで……明日や来年は、もっと大切な存在になってるんですよ)


 瓜子はまったく身動きが取れなかったので、頭をユーリの白い頬にすりつけることにした。

 ユーリは「むにゅう」と不平がましく声をあげてから、ゆっくりとまぶたを開いていく。その色の淡い瞳が、すぐさま幸せそうに瞬いた。


「わぁい、うり坊ちゃんだぁ……朝から幸せいっぱいのユーリちゃんなのですぅ……」


「それは何よりでした。ユーリさんの怪力に耐えた甲斐がありましたね」


「にゅふふ……朝から憎まれ口を叩くうり坊ちゃんも、ラブリーでならないのです……」


 寝ぼけた声をあげながら、ユーリはさらなる怪力で瓜子の身を抱きすくめる。

 瓜子がその息苦しさを満喫していると、枕もとから目覚ましアラームの音が鳴り響いた。


「むにゃあ……無粋な目覚ましさんなのです……」


「しかたないっすよ。今日は、待ちに待った大一番ですからね」


 ユーリはとろんとした目つきで「そうだねぇ……」とつぶやいてから、しかたなさそうに瓜子の身を解放した。

 瓜子は携帯端末のアラームをストップさせてから、ベッドの上に身を起こす。

 ユーリも同じように身を起こしてから、白い指先で瓜子の髪をつまんできた。


「どうしたんすか? 今日はひときわ、甘えん坊さんっすね」


「うん……初めて一緒にねむねむしたときは、うり坊ちゃんをベッドから突き飛ばしちゃったなあと思って……」


 ユーリもまた、あの日のことを思い出していたのだ。

 瓜子は胸を詰まらせながら、ユーリの髪をつまみ返した。


「あの日のことは、自分もしっかり覚えてますよ。自分から抱きついておいてベッドから突き落とすなんて、ひどい仕打ちっすよね」


「だってあの頃は、まだうり坊ちゃんのことをなんにも知らなかったんだもにょ……そのかわゆらしさでサキたんを奪われてしまうのではないかと、ユーリはセンセンキョーキョーだったのでぃす……」


「あはは。そういえば、自分もユーリさんに嫉妬してたんでした。サキさんは、罪作りっすね」


「うみゅ。あとで厳重に抗議させていただこうかのぅ……」


「そんなことしたら、試合前にダメージをもらっちゃうっすよ」


 いつも通りの、呑気な会話である。

 しかし今日の瓜子には、それがひときわ大切に感じられてならなかった。


「……ユーリさん、いよいよっすね」


「うみゅ……ユーリもうり坊ちゃんも、運命の大一番ですにゃあ」


 ユーリはふにゃんと、あどけなく微笑む。

 瓜子は全力で目もとにこみあげてくるものをこらえながら、笑ってみせた。


「出番は、自分が先ですからね。控え室のモニターで、ユーリさんの勇姿を見守って……お帰りを、待ってます」


 ユーリは同じ笑顔のまま、「うん」とうなずく。

 その姿を目の奥にしっかり焼きつけてから、瓜子は朝の支度に取りかかることにした。


                 ◇


 出発の準備は昨晩の内に整えておいたので、朝方にはなすべきこともない。体調を維持するために朝の八時には起床していたが、会場に向かうのは正午を過ぎてからである。


 その時間、瓜子とユーリはいつも通りに過ごした。

 毒にも薬にもならない言葉を交わし、昼食の前には少し身体を動かして、気が向いたならばベリーニャ選手やメイの試合映像を見返す。それらの時間が、瓜子にとっては光り輝いているように感じられた。


 そうして昼にも節度のあるランチをいただき、のんびり食休みしていると、ついに道場から預かっている携帯端末がメッセージ受信の音を鳴らす。迎えのプレスマン号が、間もなく到着するのだ。


「それじゃあ、行きましょうか」


「うん。忘れ物のないようにねぇ」


 ユーリはそんな風に言っていたが、必要な物品はすべてボストンバッグに詰め込んでいる。財布を持ち歩く必要もないと言い渡されていたので、ポケットに追加するのは携帯端末とマンションのカードキーのみであった。


 今日は送迎してもらえるため、瓜子もユーリもウェアの上からスポーティーなアウターを纏ったラフな格好である。

 以前のユーリはこういう際にも着飾っていたが、プレスマン道場の正式な門下生となってからはオレンジ色のウェアを着込むことに大きな喜びを見出していたので、スポーティーな格好で出歩くことを嫌がらなくなっていた。


(ユーリさんも、成長したよな。あたしも、負けてられないや)


 そうして二人で階下に下りると、昨日と同じように大きなワゴン車が待ち受けている。ただ本日は、四ッ谷ライオットではなく武魂会の両名が最後列のシートに並んでいた。今日はセコンド役である彼女たちを同乗させるため、四ッ谷ライオットの両名は天覇ZEROの車両に拾ってもらうとのことであった。


「ユーリ様、猪狩センパイ、お疲れ様なのです! さあさあ、ずずいと奥のほうにどうぞなのです!」


 中列のシートにひとりで収まっていた愛音がわざわざ下車して、瓜子たちを迎え入れてくれる。そんな愛音とユーリをはさみこめるように、瓜子は真っ先に乗車させていただいた。


「どうも、お疲れ様です。二日連続、ありがとうございます」


「これが、トレーナーの役割だろ。こんなでかいイベントに三人も出場するなんて、嬉しい悲鳴が止まらねえや」


 立松は昨日と同じく、気合の入った顔で笑っていた。

 小笠原選手は朗らかな笑顔、小柴選手はやや緊張の面持ちである。昨日はダイニングバーを貸し切りにしたランチの後、道場で軽く稽古をこなしたので、誰もが半日ぶりの再会であった。


「さあ、いよいよだね。かぶりつきで、みんなの頑張りを見届けさせてもらうよ」


 気さくな小笠原選手に、瓜子も笑顔で「押忍」と応じる。

 そうして、埼玉までの優雅なドライブが開始された。


 大晦日の昼下がりであるが、道路の混雑はほどほどであるようだ。

 正直なところ、今日が大晦日であるという実感は薄い。この五週間はひたすら稽古の日々であったので、瓜子は世間から隔離されたような心持ちであった。


 しかしそのぶん、瓜子たちは濃密な時間を過ごすことができた。

 合同稽古など手慣れたものだが、これほどの長期間というのは初めての体験であったのだ。この合同稽古に参加した面々は、誰もが大切な盟友であった。


「セコンド役にありつけなかった面々は、みんなテレビや配信で観戦するんだよね。お客として会場まで出向くのは……それこそ、卯月さんぐらいか」


「ああ。VVIP席のチケットを調達したなんてうそぶいてたな。さすがは、セレブ様だぜ」


「あはは。卯月さんは格闘技一本でそこまでのしあがったんだから、アタシらにとっては一番の目標ですけどね」


 車中でも、いつも通りの和やかな会話が交わされる。

 愛音などは気合の塊であるが、まあそれはいつものことだ。メイとの一戦を目の前にして、瓜子も驚くほどリラックスできていた。


 そうして昨日と同じように、一時間余りで目的の地に到着する。

 日本でも最大規模の会場のひとつ、『ティップボール・アリーナ』である。今回も、入場チケットは一万枚以上がセールスされたとのことであった。


「みんな、おツカれさまー」


 立松がワゴン車をとめると、別なるワゴン車からジョンたちも降りてくる。今日はセコンド陣を含めて十二名という大所帯であるため、二台のワゴン車がフル稼働であった。


 瓜子のセコンドは、立松、サイトー、蝉川日和。

 ユーリのセコンドは、ジョン、愛音、オリビア選手。

 サキのセコンドは、柳原、小笠原選手、小柴選手という顔ぶれになる。


 もっと大規模なジムからすると、いささかならず手薄であると感じられるのかもしれない。チーフセコンドの三名はともかく、サイトーと蝉川日和はキック部門、愛音以外の三名は余所の道場の現役選手であるのだ。


 しかしまた、瓜子にとってはまったく不足のない顔ぶれである。

 チーフセコンドさえしっかりしていれば試合の進行に不安はないし、他の面々は精神的な支えになってくれる。瓜子が何より重視しているのは、チームとしての一体感であった。


(ただ……やっぱりサキさんは、あたしとユーリさんを優先させたんだろうな)


 サキのチーフセコンドはもっとも若い柳原であり、残る二名は外様である。普通は先輩格であるサキこそが、もっとも手厚く遇されるはずであったが――サキ自身が、このように取り計らったのだろうと思われた。


(まあ、サキさんはセコンドなんて誰でもかまわないってスタンスだからな)


 そもそもサキは独自に磨いたワンアンドオンリーのスタイルであるため、立ち技に関しては助言も無用と公言している。助言が必要なのは組み技と寝技であり、それに関しては柳原でも立派に務まるはずであった。


 それでもやはり、サブセコンドは長いつきあいであるサイトーのほうが望ましいように思われたが――そうすると、同じキック部門である蝉川日和もセットになる公算が高い。それで蝉川日和が瓜子に思い入れを抱いているものだから、サキはこのような布陣にするべきだと提案したのだろうと察せられた。


「他の連中は、とっとと会場に向かったぜー。さすがに試合の本番では、じっとしてられねーみたいだなー」


 と、サキは意味もなく瓜子の頭を小突いてくる。

 瓜子はサキの優しさを噛みしめながら、「押忍」と応じてみせた。


 かくして、プレスマン道場の一行は関係者専用の出入り口を目指すことになった。

 そちらには、案内役のスタッフとセキュリティのスタッフ――そして、カメラクルーが待ちかまえている。《ビギニング》や《JUFリターンズ》では、選手の会場入りのシーンを放映するのが定番であるのだ。瓜子やサキは粛然とその場を通りすぎ、ユーリはひとりでカメラに手を振っていた。


「それでは、こちらにどうぞ」


 どことなく日本人らしからぬ雰囲気を持ったスタッフが、一行を控え室に案内してくれる。

 瓜子がこちらの会場で試合を行うのは、はや四回目となる。赤星弥生子と対戦した《JUFリターンズ》に始まり、《アクセル・ジャパン》に《ビギニング》日本大会と、瓜子は国内の女子選手としてもっとも大舞台に立つチャンスをいただいていたのだった。


 ただし本日は、これまでと異なる場所に案内されていく。

 そちらのドアの前で、スタッフは社交的な微笑みをたたえた。


「こちらが、青コーナー陣営の控え室です。そして、ここから奥に向かって三つの部屋が個室になっていますので、必要な際はご自由にお使いください」


「ああ。こんな素っ頓狂な提案を快諾してくれて、感謝してるよ」


 立松は、しかつめらしく頭を下げる。

 こちらの会場では全選手に個室の控え室が準備されるのが常であったが、このたびは青コーナー陣営の選手をすべて収容できる大部屋を準備してもらいたいと提案することになったのだ。


 普通であれば、きっとそんな提案は通らなかったことだろう。

 しかし今回は、快諾された。おそらく十二名の出場選手がひとり残らず長期間の合同稽古に取り組んでいたという一件が、運営陣の心を動かしたのだ。そんな顔ぶれであれば選手間のトラブルも起きないだろうと、信頼を勝ち取ることができたのだろうと思われた。


 そうして控え室のドアをくぐったならば、半日ぶりの再会となる盟友たちが群れ集っている。

 おそらくは、団体競技のイベントで控え室として使用されている部屋であるのだろう。普段の『ミュゼ有明』や『恵比寿AHEAD』よりも、遥かに広々としている。十二選手の陣営であれば最大で四十八名という人数になるはずであったが、まったく窮屈な思いをせずに過ごせる規模であった。


「おー、来た来た! みんな、お疲れー! あとは、グウェンとかオルガっちだけだねー!」


「ああ。あっちはまたマイクロバスの送迎だろうから、定刻ぐらいに到着するのかな」


 灰原選手が言う通り、その場に集っていたのは日本の陣営のみであった。

 四ッ谷ライオット、赤星道場、天覇館、天覇ZERO――そして、プレスマン道場である。


 この中で、《ビギニング》の陣営であるのは瓜子だけだ。

 しかしこの後にはユニオンMMAの陣営もやってくるし、瓜子たちは団体の枠を越えて結束したのである。今日は青コーナー陣営の十二名が一丸となって、勝利を目指そうという意気込みであった。

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