07 不測の事態と思わぬ援軍
瓜子のバースデーパーティーが終了したのちも、合同稽古は粛々と進行されていった。
日を重ねるごとに、稽古の内容はどんどん充実していく。さまざまな相手とスパーリングを重ねていくことで、誰もが自分に必要な稽古の内容を自覚していくことになったのだ。それはやっぱり、これだけタイプの異なるトップファイターが集結しているからこその恩恵なのだろうと思われた。
瓜子もまた、今の自分にとってもっとも理想的なスパーリングパートナーを見出すことができた。
立ち技においては犬飼京菜と横嶋選手、寝技においては鞠山選手とグウェンドリン選手という顔ぶれである。もちろん誰が相手でも有意義であることに変わりはないが、仮想・メイにもっとも相応しいのはそれらの四名であるように思われた。
もちろんメイは規格外のフィジカルを有しているため、それを真似ることは誰にもかなわない。シンガポールの面々であればフィジカルにまさり劣りはないはずであったが、それでもやっぱりメイの特異な強さは誰にも似ていなかったのだった。
立ち技におけるメイのストロングポイントは、踏み込みの鋭さと打撃の回転力、そしてずばぬけた反応速度となる。
踏み込みの鋭さに限って言えば、犬飼京菜もまったく負けていない。
横嶋選手は相手の虚を突くことを得意にしているので、それを相手取ることで瓜子は集中力と反射神経の錬磨をすることがかなった。
寝技の技術面に関しては、メイよりも鞠山選手やグウェンドリン選手のほうが上回っている。そんな両名にスピード重視の動作をお願いすることで、メイを相手取るときと似た感覚をつかむことができた。また、大柄な相手であるとメイらしさが損なわれてしまうため、そういう意味でもこちらの両名が仮想・メイに相応しいようであった。
「本当は、仮想・メイにうってつけの人材がいるんだけどね。こればっかりは、しかたないか」
小笠原選手がそのように言いだしたときは、瓜子も俄然、身を乗り出すことになった。
「それって、誰のことっすか? メイさんに似た選手なんて、自分はまったく思いつかないんすけど」
「それは誰あろう、アンタだよ。アンタは体格もメイそっくりだし、反応速度も互角以上だからねぇ」
愉快そうに笑いながら、小笠原選手はそう言った。
「アンタが使う技を限定して、スタミナの消費を考えずにトップスピードで動きまくったら、きっと仮想・メイにぴったりなんじゃないのかな。他の誰かがメイと対戦することになったら、アンタがパートナーに選ばれるに違いないよ」
「あはは。寝技だけは、メイさんに太刀打ちできないっすけどね」
「笑ってる場合かよ」と立松に頭を小突かれてしまったが、瓜子はメイに似ていると言われただけで幸福な心地であった。
(まあ実際には、体格ぐらいしか似てないんだけどな)
だからこそ、小笠原選手も注釈をつけていたのである。メイほどのフィジカルを持ち合わせていない瓜子がメイを真似るには、スタミナの消費を考えずに動くしかないわけであった。
よって、メイ本人を相手取る瓜子は、異なるスタンスで自分の強みをぶつけるしかない。踏み込みの鋭さには機動力、打撃の回転力には技の多彩さで対抗して、寝技の勝負は徹底的に避けるのだ。その上で、おたがいがこの一年間で積み上げてきたものをぶつけあい――どちらがより強くなったかを競い合おうという所存であった。
「SNSなんかでは、うり坊の楽勝とか言われてるけどさ! メイっちょは、そんな甘い相手じゃないもんねー!」
灰原選手は無邪気な顔でそんな風に言っており、多賀崎選手に頭を引っぱたかれていた。
まあ、世間の人々はこれまでの対戦成績からそのように判じているだけであるのだろう。去年までともに稽古を積んでいた灰原選手が事実を誤認していないのであれば、瓜子の側にもひとまず不満はなかった。
いっぽう、ユーリである。
ベリーニャ選手という地上最強の選手を相手取るユーリもまた、過酷な稽古に打ち込んでいた。
ユーリの課題は、立ち技と寝技の錬磨である。
打撃技でダメージを与えて、寝技の勝負を有利に持ち込む。それが、ユーリの基本戦略であった。
ただし、ベリーニャ選手はボクシングをルーツとするアウトファイトに加えて、達人めいたカウンターという新たな強さをも身につけている。そんなベリーニャ選手に有効な打撃を当てるというのは、生半可な話ではなかった。
それでユーリのスパーリングパートナーに任命されたのは、サキ、愛音、灰原選手、鞠山選手というアウトファイターの精鋭に、カウンターの名手である赤星弥生子と大江山すみれという顔ぶれであった。
その中でもっとも理想に近しいのはアウトファイトとカウンターの両方を磨きぬいているサキであったが、サキはサキで独自性が強いために、他の面々とのスパーリングも大きな糧になっていることだろう。そもそもサキが得意としているのは蹴り技であるので、グローブ空手を学んでいる愛音や野放図なパンチャーである灰原選手などは、サキにない強さを持ち合わせていた。
その中でとりわけ重宝されたのは、赤星弥生子と大江山すみれである。
古武術スタイルを体得している両名はその技術を通常のカウンター技にも応用しているため、サキともまた異なる厄介さであったのだった。
「ベリーニャはアメリアを相手に、強烈な前蹴りをくらわせてたからな。あんなもんを真似できるのは、サキと弥生子ちゃんと大江山の嬢ちゃんぐらいだろう」
立松などは、そのように評していた。
ベリーニャ選手はアメリア選手との二度目の対戦において、前蹴りの一撃でダウンを奪っていたのだ。パンチを主体とするアウトファイターにあんな妙技まで見せつけられては、こちらとしては戦々恐々であった。
(それで一番のストロングポイントは、立ち技じゃなくて寝技なんだもんな。本当に、ベリーニャ選手はどこまで強くなるんだろう)
しかし、ユーリはそんなベリーニャ選手にさえ勝てるのではないかという底知れなさを秘めている。瓜子もまた、ユーリが規格外の力でベリーニャ選手を打ち倒すのではないかと期待をかけているひとりであった。
そしてユーリは寝技にさらなる磨きをかけるため、さまざまな相手とスパーリングに取り組んでいる。鞠山選手を筆頭に、赤星弥生子、青田ナナ、多賀崎選手、魅々香選手、浅香選手、横嶋選手、エイミー選手、ランズ選手、グウェンドリン選手、オルガ選手と、各階級の寝技の熟練者たちと至福のひとときを過ごすことがかなったのだった。
そんな具合に、合同稽古はきわめて順調に進められていったのであるが――そこに暗雲がたちこめたのは、合同稽古を開始してから二週間目となる十二月の第一日曜日であった。
前日の土曜日には、蝉川日和が『G・フォース』のランキング戦に勝利した。
そしてこの日曜日には、《レッド・キング》の興行が行われたのだ。
瓜子も夜には身体が空いていたが、この大事な時期に遠出をしてまで観戦していただく必要はないと、赤星弥生子はそんな風に言っていた。それで瓜子も自宅で大人しく静養していたのであるが――その翌日の月曜日、合同稽古におもむいた大江山すみれの口から顛末を聞かされたのである。
「昨日の試合で、弥生子さんは負傷してしまいました。でも、大晦日の試合を欠場するほどの負傷ではないので、心配はご無用とのことです」
そのように語る大江山すみれはいつも通りの内心の読めない笑顔であったが――ともに来訪した青田ナナは、青鬼の眼光になっていた。
「師範は、できない約束をするような人間じゃない。当日は、這ってでも試合をするだろうさ」
瓜子が慌てて詳細を問い質すと、赤星弥生子は試合中に一発のミドルキックをくらったとのことであった。
ただし相手は、十五キロばかりも重い男子選手である。その一撃で、赤星弥生子は肋骨を痛めてしまったようであった。
「でも、骨折まではしていないはずです。今日の病院の検査で、はっきりするでしょう」
大江山すみれの言う通り、その日の昼前には赤星弥生子本人から電話の連絡が入れられた。
骨や臓器に異常は見られず、ただの打撲傷とのことである。
ただし――医師の診断は、全治二週間であった。
「ま、でっかい青痣とかできたら、きれーに治るのに一週間や二週間はかかるもんね! ただの打撲なら、心配いらないんじゃない?」
灰原選手はそのように言っていたし、他の面々もむしろ胸を撫でおろしているようであった。
しかし瓜子は、どうしても心中の不安をぬぐうことができず――そして、その不安は的中した。赤星弥生子はそのまま一週間も姿を現さず、その間に調整期間に突入してしまったのだった。
試合までは残り二週間で、今後は疲労やダメージを残さないように調整していかなければならない。
赤星弥生子はもっとも重要である追い込みの稽古を、まるまる一週間もふいにしてしまったのだった。
「皆には、心配をかけてしまったね。でも、試合には問題なく出場できるので、安心してくれたまえ」
一週間ぶりに姿を現した赤星弥生子は、これまで通りの凛々しさでそんな風に言っていた。
しかし、そのような言葉ひとつで安心できるわけがない。瓜子は誰よりも早く、赤星弥生子のもとに身を寄せることになった。
「弥生子さん、本当に大丈夫なんすか? この一週間は、まったく稽古をしていないんでしょう?」
「うん。ここで下手に動いたら、悪化しかねないからね。大事を取って、あと一週間は安静にしていようと思うよ」
「一週間って……そうしたら、調整期間も半分終わっちゃうじゃないっすか!」
「うん。それでも、無理をするよりはマシなはずだ」
とても静かな声音で語りながら、赤星弥生子は左の脇腹を撫でさすった。
「実はね、今でも胸部にコルセットを装着しているんだよ。骨にも臓器にも異常はないのだけれど、肋骨が浮いているような感覚で、鈍痛が消えないんだ。経験上、この痛みが完全に消えるまでは稽古を自重するのが賢明だと思う」
「そんな……そんな状態で、出場するんすか?」
「ああ。きっと一週間後には全快しているはずだから、試合を欠場する理由はないね」
そう言って、赤星弥生子は瓜子にだけ優しい微笑みを見せてくれた。
「だけど私は赤星道場の威信を守るために出場するのだから、猪狩さんが気に病む必要はないよ。戦略は練り直す必要があるだろうけれど、私は石にかじりついてでも勝利を目指すつもりだ」
瓜子は両手の拳を握りしめながら、「はい」と答えるしかなかった。
「弥生子さんがそう仰るなら、そのお言葉を信じます。どうか無理をせず、頑張ってください」
「ありがとう。今日から一週間は、指導役に徹するからね。調整期間だからといって、猪狩さんも気を抜かないように」
優しい口調でおどけたことを言う赤星弥生子に、瓜子は涙をこらえながら「押忍」と笑顔を返すことになった。
そうしてさらに、一週間ほどの日が過ぎて――赤星弥生子がついに稽古に復帰した日、最後の不測の事態がやってきた。
糸のように目が細く、お地蔵様のように柔和な面立ちをした男性が、プレスマン道場にやってきたのである。
それで赤星弥生子は、ひさびさに青白い雷光めいたオーラを放出することに相成ったのだった。
「なんだ、お前は? このような時期にやってきて、いったいどういうつもりだ?」
「どういうつもりとは、どういうことだろう? このプレスマン道場に不似合いなのは、俺じゃなくてそちらのほうじゃないか?」
そんな風に言ってから、その人物は大きな手の平を赤星弥生子のほうにかざした。
「あ、いや、決してそれを非難しているわけじゃない。俺はむしろ、お前がプレスマン道場の合同稽古に参加していることを喜ばしく思っているので、どうか誤解しないでもらいたい」
「御託はいい。何をしに来たのかと問うているんだ」
「それはもちろん、合同稽古に協力するためだ」
赤星弥生子がどれだけ物騒な気配を撒き散らしても、その人物ののんびりとした態度に変わりはない。
言うまでもなく、それは赤星弥生子の実兄たる卯月選手に他ならなかった。
「なんだなんだ、どうしてお前さんが日本にいるんだよ? どうしてこう、報連相のいきとどかない人間が多いのかね」
立松が大慌てで駆けつけると、卯月選手は粛然と一礼した。
「突然の来訪、申し訳ありません。事前に連絡を入れると、赤星道場の関係者が身を引いてしまうのではないかと危惧したんです」
「ここで弥生子ちゃんたちが帰っちまったら、おんなじことだろうよ。まったく、人騒がせな野郎だな」
立松は溜息をこぼしながら、赤星道場の面々の様子をうかがった。
赤星弥生子よりも剣呑な姿を見せているのは、青田ナナである。青田ナナは燃えるような眼差しで卯月選手のことをにらみつけており、マリア選手は心配げな顔をしている。ひとり普段と変わらないのは、内心の知れない微笑をたたえた大江山すみれのみであった。
「お前さんは、先月の試合で膝を痛めて休養してたんだろ? どうしてまた、そんな身体でのこのこ現れたんだよ?」
「その膝が完治したので、ようやく駆けつけることができたんです。動けもしないのに参加を願い出たところで、弥生子たちを不機嫌にさせるだけでしょうからね」
そうして卯月選手が視線を巡らせると、ユーリがおずおずと進み出た。
「あにょう、卯月選手……その節は、大変お世話になりまして……」
ユーリと卯月選手が顔をあわせるのは、二年以上ぶりなのである。
もちろんユーリは国際電話で、卯月選手にお礼を言っている。一昨年の十二月、宇留間千花との対戦で危急の事態に陥ってしまったユーリを瓜子のもとに送り届けるべきだと決断したのは、卯月選手なのである。ユーリにとっても瓜子にとっても、卯月選手は大恩人であったのだった。
「ああ、ユーリさん。やっぱり生身で相対すると、その魅力は段違いですね。筆舌に尽くし難い美しさです」
そんな風に述べてから、卯月選手は自分の頬をぴしゃんと叩いた。
「すみません。感激のあまり、本音がこぼれてしまいました。ずいぶん遅い参上になってしまいましたが、今からでもユーリさんに協力させていただけますか?」
「ほえ? 協力と申しますと……?」
「もちろん、寝技のスパーリングパートナーとしてです。俺もかつては打倒ジルベルト柔術にすべての情熱を傾けていた人間ですので、多少なりともお力になれるかと思います」
ユーリはたちまちぱあっと顔を輝かせたが、すぐさま恐縮の表情でもじもじとした。
「それはココロより嬉しいご提案なのですけれども……でもでも、ユーリばかりが勝手な真似はできませんので……」
さしものユーリが空気を読むぐらい、その場には生半可ならぬ気配がたちこめていた。
その場には犬飼京菜も参じていたのだから、それも当然の話であろう。犬飼京菜は青田ナナに劣らぬ凶悪な猛犬の眼光で、ずっと卯月選手の姿をにらみ据えていた。
かつては彼女の父親たる犬飼拓哉も、卯月選手を打倒するべく《JUF》に参戦したのである。
しかし犬飼拓哉はまったく結果を残すことができず、卯月選手と対戦することもままならなかった。そうして卯月選手は着々とスター街道を走っていき――犬飼拓哉は引退して、酒びたりの日々を送ることになったのだ。卯月選手にはまったく責任のない話であったが、そうであるからこそ、犬飼京菜の胸にはやりきれない思いが刻みつけられたはずであった。
ただ逆に、期待や感服の眼差しを向けている人間も少なくはない。
その筆頭は、ユニオンMMAの面々であった。
《アクセル・ファイト》で活躍する卯月選手の勇名は、世界中に轟いているのである。ミドル級に転向したのちも、卯月選手は初戦でジョアン選手に敗れて以降、連勝街道を突き進んでいたのだった。
さらに言うならば、この場にはキリル氏も居揃っている。
キリル氏こそ、《JUF》では卯月選手としのぎを削っていた張本人であったのだ。瓜子よりも上の世代の人間にとっては、二大スターの共演とでもいった状況であるはずであった。
「ま、そこの卯月とはひとかたならぬ因縁を持ってる人間が集まってるけどよ。ここは、プレスマン道場なんだ。文句があるなら、部外者のほうが出ていくべきじゃねえか?」
そのように声をあげたのは、本日も犬飼京菜に同行していた大和源五郎であった。
大和源五郎も卯月選手に対しては複雑な感情を抱いているはずだが、敵愾心にまでは至っていないのだ。その分厚い手の平は、犬飼京菜の細い肩にそっとのせられていた。
「部外者って言っても、ここに集まってる人らとは一ヶ月ばかりも稽古をともにしてきたんだ。それをこっちの都合で追い出すことはできねえな」
立松が厳しい面持ちでそのように述べると、赤星弥生子は鋭い声音で「いえ」と応じた。
「大和さんの、仰る通りです。プレスマン道場の関係者であるそいつが桃園さんの力になりたいというのなら、私たちにそれを邪魔立てする資格はありません。もちろん私たちはそいつと関与することを望みませんので、それぞれ自分たちの稽古に励ませていただきます」
「ありがとう。ただ、お前にそいつ呼ばわりされると、俺はとても悲しい心地になってしまうのだが」
「うるさい。黙れ。話を丸く収めようとしているのに、お前がかき乱すな」
卯月選手のとぼけた言葉をぴしゃりと跳ねつけてから、赤星弥生子は青田ナナのほうを振り返った。
「さあ、ナナ。稽古を開始しよう。まさか、逃げ帰ったりはしないだろうね?」
「誰がですか? あんなやつ、どうでもいいですよ」
青田ナナは卯月選手から視線をもぎ離すようにしてきびすを返し、赤星弥生子とともに遠ざかっていった。犬飼京菜もまた、大和源五郎に肩を押されて身をひるがえす。その末に、鞠山選手がずずいと進み出てきた。
「話が丸く収まって、何よりだわよ。ところでまさか、朝から晩までピンク頭の相手をするわけじゃないだわね?」
鞠山選手は、卯月選手の熱烈なフリークなのである。その眠たげな目は青田ナナたちと正反対の理由で爛々と燃えあがり、怒気と似て異なる気合の炎をたちのぼらせていた。
「ええ。俺に務まるのは寝技のスパーリングぐらいでしょうが、それでよければいくらでもお相手します。これは日本の女子格闘技界の存亡に関わる一大事でしょうから、俺も力を惜しむつもりはありません」
「それは幸いな話だわよ。ついでにシンガポールやロシアの皆々にも稽古をつけてもらえるんだわよ?」
「シンガポールやロシア……ああ、ユニオンMMAの方々やキリルの娘さんも合同稽古に参加されているという話でしたね」
悠揚せまらず、卯月選手はうなずいた。
「そちらの方々が対戦するのは《アクセル・ファイト》の所属選手なのですから、協力を拒む理由はありません。まあ、俺自身も《アクセル・ファイト》に身を置いていますが、団体の権威を守るのは運営陣の役割でしょうからね」
そのように答えてから、卯月選手は瓜子のほうに向きなおってきた。
「ただ俺は、フロリダでメイさんの面倒を見る機会がありました。それで猪狩さんにまで肩入れするのはあまりに不義理でしょうから、今回ばかりは中立の立場を取らせていただけますか?」
「ええ、もちろんです。卯月選手までメイさんに力を添えてくれただなんて、心強い限りですね」
瓜子がそのように答えると、卯月選手は逞しい首をわずかに傾げた。
「猪狩さんは、本心からそう言っているのですね。同門とはいえ対戦相手にそんな態度を取れるというのは、驚きです」
「そうっすか? まあ、メイさんはそれだけ大切な相手ですからね」
「そうですね。メイさんも猪狩さんに深く心を寄せている様子だったので、それを思えば不思議はないのかもしれません」
思わぬ反撃をくらった瓜子は、胸を詰まらせながら笑うことになった。
「やめてくださいよ。自分の闘争心を鈍らせようっていう作戦っすか?」
「いえ。猪狩さんなら、むしろ闘争心を上乗せされるのではないかと期待しています」
鈍いのか鋭いのかわからない卯月選手は、お地蔵様のような面持ちでそのように言ってのけた。
かくして、プレスマン道場は試合の一週間前に思わぬ援軍を迎え入れることになり――そのまま試合の前日まで、ひと息に駆け抜けることに相成ったのだった。