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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
905/955

ACT.2 One man live 01 出番待ち

《アトミック・ガールズ》十一月大会の六日後――十一月の、最終土曜日である。

 その日が『トライ・アングル』の、本年最後のライブ公演であった。


 その前日たる金曜日には、『トライ・アングル』のカバーアルバムが発売されている。よってこれは、いわゆるレコ発ライブというイベントに該当した。


 普通、『トライ・アングル』ぐらいの人気を博していたら、ニューアルバムのレコ発には大掛かりなツアーが組まれるものであるらしい。

 しかし『トライ・アングル』はユーリばかりでなく他の面々も多忙であるため、ファーストアルバムにおいては東名阪の三回きり、今回に至っては一回こっきりのライブイベントが企画されたわけである。


 その甲斐あって、入場チケットは即日完売であったという。

 会場は『中野ソリスプラテア』という歴史あるホール会場で、七千人の観客を収容できる。『トライ・アングル』単体としては過去最大の規模であったが、それでも世間ではチケットを取れなかった人々の悲嘆の声が渦巻いていたようであった。


 なおかつこちらの会場を押さえるにあたって、『トライ・アングル』の運営陣は特別な措置を取っていた。

 もしもユーリが前月の試合で大きなダメージを負った場合は出演を取りやめて、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』のツーマンライブに変更されるという告知が為されていたのだ。


 十月の試合からライブ当日までは一ヶ月以上の期間があったので、運営陣も大会場におけるイベントの開催に踏み切ったわけであるが、それでも最悪の事態は想定しておかなければならなかったのだろう。それで、たとえユーリが出演をキャンセルしても問題が持ち上がらないように、そんな予防策を講じたわけであった。


 しかしそれでも、チケットは即日で完売した。

 それは『トライ・アングル』のみならず、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の根強い人気があってのことだろう。

 さらに言うならば、そんな無茶な条件を快諾してくれた『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の善意あっての結果であったのだった。


「普通だったら、こんな条件を呑んでくれるバンドはそうそうないんでしょうからね。みなさんには、本当に感謝しています」


 ライブ当日の楽屋において、瓜子が心からの感謝を込めてそう告げると、ソファに座ってサインペンを走らせていたリュウが「何を言ってるんだよ」と温かく笑った。


「こうでもしないとでかいハコでのライブには踏み切れないって話だったんだから、俺たちに迷う理由なんてありゃしないさ」


「そうそう! ユーリちゃんは元気に戻ってくるって信じてたし、現にその通りになったからな!」


 ドラムのダイも元気いっぱいにそう言ってくれたし、他のメンバーもおおよそは笑顔であった。笑顔でないのは、いつも不愛想な山寺博人と内気な陣内征生ぐらいのものである。


 ユーリが帰国して、最初に『トライ・アングル』の打ち合わせで顔をあわせたときは、誰もが不安げな様子であった。ユーリの健康に不安はないのかと、誰もが心を痛めてくれたのだ。

 しかしそれから今日に備えた撮影や練習で顔をあわせるたびに、現場の空気はどんどん重苦しさを減じていった。ユーリが元気な姿を見せることで、彼らの不安も払拭されたのだろう。


 そうして今では、以前と同じだけの活力が復活している。

 それらのすべてをひっくるめて、瓜子は『トライ・アングル』のメンバーに絶大なる感謝の思いを抱いていた。


 ちなみに現在、『トライ・アングル』のメンバーは誰もがサインペンを走らせている。会場で販売されるCDやポスターにサインを施しているのだ。今回はその数も尋常でなかったため、ライブ当日にまで作業が持ちこされたのだった。


 テーブルには、サインを終えたCDがずらりと並べられている。瓜子はそちらのインクが乾くのを待って、片付ける役割である。ようやく段ボールひと箱分の作業が終わって、ふた箱目に突入した折であった。


 このたびリリースされたカバーアルバムのタイトルは、『Selfish -セルフィッシュ-』である。

 こちらはカバーアルバムであったものの、いずれも『ワンド・ペイジ』および『ベイビー・アピール』の楽曲であったため、セルフ・カバーの連想から生まれたらしい。さらに、セルフィッシュという言葉には、自己中心的な態度や行動を示すという意味合いも存在するようであった。


「それにしても、また二人そろって大晦日に大一番とはね! 本当だったら、会場に駆けつけたかったところだよ!」


「本当だよな! やっぱ年越しイベントは、前夜祭にしてもらうべきだったぜ!」


 と、二人そろって豪快にサインを書き殴りながら、タツヤとダイがそんな風に言いたてる。本年も、彼らは『ベイビー・アピール』で年越しイベントに参戦するのだという話であった。


「しかも、瓜子ちゃんの相手はメイちゃんで、ユーリちゃんはベリーニャなんだもんな。たとえテレビ中継でも、リアルタイムで観戦したいもんだよ」


 リュウも笑顔で言葉を重ねると、西岡桔平も「そうですね」と賛同の声をあげた。


「三団体合同のイベントってだけでも凄いのに、マッチメイクも大盤振る舞いですからね。あんなの普通だったら、どの試合もメインイベント級じゃないですか?」


 合同イベントのマッチメイクに関しては、つい昨日になって大々的に告知されたのだ。月曜日の段階でユーリの参戦は告知されていたため、それに追い打ちをかける格好で世間は大騒ぎであるようであった。


「久子ちゃんや道子ちゃんは、瓜子ちゃんとユーリちゃんがあれだけ大苦戦した連中とやりあうんだもんな! 《アクセル・ファイト》の連中とやりあうメンバーより、キツいぐらいなんじゃねえか?」


「いや、青田さんや魅々香さんも、十分にしんどいと思いますよ。赤星さんも……今回は、楽観視できないでしょうね」


「へー! あの大怪獣が、ブラジル女に後れを取るってのか? あいつはこの前、ベリーニャに秒殺されたばっかじゃん」


「そうだよ! 大怪獣さんは、ベリーニャにも勝ったことがあるってんだろ? それなら、楽勝じゃね?」


「だけど赤星さんは、ユーリさんや猪狩さんにも大苦戦しましたからね。なまじウェイトのかさむ男子選手より、同じ階級のフィジカルモンスターのほうがやりづらい面があるんじゃないかって声もあがっているようですよ」


『トライ・アングル』のメンバーも赤星道場の合宿稽古に参加しているため、他の試合についても大きく盛り上がっている。また、メンバーの半数ていどは《アクセル・ファイト》の試合もチェックしているので、今回のマッチメイクの過酷さをまざまざと感じているようであった。


「一番期待をかけられるのは、やっぱりサキさんや鞠山さんあたりでしょうかね。それでも決して、楽な相手ではないんでしょうけど」


「サキちゃんは、なんだかんだで秒殺だろ! 花ちゃんさんは……ちっとばっかり、想像しにくいな。ミンユーって、なんか影が薄いんだよ」


「でも、ミンユーだって序盤は瓜子ちゃんを追い込んでたからな! 少なくとも、雑魚ではないだろ!」


「雑魚どころか、ミンユーは《ビギニング》の元王者だろ。まあ、瓜子ちゃんはもちろん、イヴォンヌほどのインパクトがなかったのは確かだけどさ」


「そうそう! 今では、瓜子ちゃんがチャンピオン様だもんな! メイちゃんは強敵だろうけど、頑張ってな!」


「はい、ありがとうございます」


 と、瓜子が笑顔を返したとき――千駄ヶ谷が不在であるために退屈そうにしていた漆原が、飄然と声をあげた。


「それより何より、ユーリちゃんが無事に戻ってくることを祈らないとなぁ。今日のライブをラストライブにはしたくねえからよぉ」


 瓜子は思わず息を呑み、ふにゃんと微笑んでいたユーリもたちまち縮こまってしまう。そして、タツヤとダイが大慌てで漆原のほうに向きなおった。


「お前、滅多なことを言うんじゃねえよ! ユーリちゃんは、無事に戻ってくるに決まってるだろ!」


「でも、現代医学では解明できない症状だってんだろぉ? お前らは、よく手放しで安心できるよなぁ」


「俺たちだって、心配ぐらいしてるよ! でも、外野がうだうだ言ったって、どうにかなる話じゃねえだろ!」


「そうだよ! これからライブだってのに、ユーリちゃんを不安にさせるなよな!」


 タツヤとダイが憤然とした面持ちになると、漆原は「あん?」と細い首を傾げた。


「この話題って、禁句だったのかぁ? だったら、あらかじめそう言ってくれよぉ」


「そんなもん、空気を読めって話だろ!」


「知らねえよぉ。そんな器用な真似ができるんだったら、俺だってもうちっとはマトモな人間になってたさぁ」


 漆原は飄々と笑いながら、そう言った。


「だいたい、どうして禁句にしなきゃいけねえんだよぉ? 俺たちには、関係ねえ話だろぉ?」


「関係ないって何だよ! ユーリちゃんだって、大事なメンバーだろ!」


「大事なメンバーだから、心配してるんだろぉ。まったく、わけがわかんねえなぁ」


 漆原はきわめてマイペースな人間であるが、それと同時にきわめて無邪気な人間でもあるのだ。タツヤやダイがどうして眉を吊り上げているのか、本当に理解できていない様子であった。


 バンドのまとめ役であるリュウや西岡桔平は、どうしたものかと思案顔になっている。もちろん瓜子もこの騒ぎを収めるべく、頭を悩ませまくっていたが――誰よりも早く口を開いたのは、ユーリ自身であった。


「あのぉ、どうかケンカはしないでくださぁい。ユーリなんかのせいでみなさんの関係にヒビでも入ってしまったら、ユーリは居たたまれないのですぅ」


 ユーリは、冷たい雨に打たれるゴールデンリトリバーのような風情である。

 漆原を除く『ベイビー・アピール』の三名は、大慌てでそちらに向きなおった。


「こいつらは別にケンカをしてるわけじゃないから、ユーリちゃんが気にする必要はないよ」


「そ、そうだよ! ウルがおかしなことを言って、こっちこそごめんな?」


「そ、そうそう。ウルは昔っから、空気を読めないからさ」


 すると、ユーリは困惑の面持ちでいっそう小さくなった。


「でもでも、ウルさんはユーリのことを心配してくださっただけですので……そんなウルさんが責められてしまうのも、居たたまれないのですぅ」


「だよなぁ。お前らこそ、ユーリちゃんのことをハレモノ扱いしてるんじゃねえの? ユーリちゃんが大事なメンバーだってんなら、言いたいことは言っちまえよ」


 漆原がへらへら笑うと、ダイはまた眉を吊り上げた。


「俺たちは、ハレモノ扱いなんてしてねえよ! ただ、ユーリちゃんを気づかってるだけだろ!」


「気づかうって、何に対してだよぉ? 馬鹿な決断をしたユーリちゃんを、落ち込ませないようにかぁ? 馬鹿は馬鹿なんだから、言葉を飾ったってしかたねえだろぉ?」


 今度こそ、瓜子は愕然と身を震わせることになった。

 しかし、へらへらと笑う漆原は、いつも通りの呑気な姿である。彼は人を食った人柄であるが、決して悪人ではない――そのように信じながら、瓜子は漆原に問いかけた。


「ウルさんは、ユーリさんのことを馬鹿だと思ってるんすか?」


 瓜子が真正面から切り込むと、漆原はサインを書き終えたCDをテーブルの上に放りながら「そりゃそうだろぉ」と言ってのけた。


「心臓が止まるかもしれないのに格闘技を続けるなんて、馬鹿まるだしじゃん。まあ、だから俺たちみたいな大馬鹿集団と気が合うんだろうけどさぁ」


「……みなさんも、大馬鹿なんですか?」


「当たり前じゃん。もしも俺たちがユーリちゃんと同じ立場になっても、音楽をやめたりはできないだろうからさぁ」


 へらへらと笑いながら、漆原はそのように言いつのった。


「ま、ライブの直後に原因不明でくたばるなんて、あまりに芝居がかってて恥ずかしいぐらいだけどよぉ。それでも、引退するよりはマシだよなぁ」


「……そうですね。俺には家族がいますんで、軽はずみなことは言えませんけど……ライブが直接的な原因だっていう医学的な根拠を示されない限り、バンドをあきらめる気にはなれないと思います」


 と、ついに西岡桔平も口を開いた。


「だから俺たちは、ユーリさんの決断を尊重していますよ。その上で、ユーリさんの身を心配しています。どうか、無事に戻ってきてくださいね」


「はいぃ。それに関しては、お約束いたしますぅ」


 ユーリが迷うことなく無垢なる笑顔を見せたため、瓜子は胸が詰まってしまった。

 そして漆原は、「そら見ろぉ」と顎をしゃくる。


「俺は、その返事が聞きたかっただけなんだよぉ。それなのに、わけのわかんねえことで騒ぎやがってさぁ。お前ら、猛省しろよなぁ」


「う、うるせえな! だいたいお前は、デリカシーがなさすぎるんだよ!」


「そうだよ! そんな台詞は、西岡ぐらい真人間になってから吐きやがれ!」


 タツヤとダイは同じ調子で騒いでいたが、最前までの怒気は消えていた。

 それを察したらしいユーリも、ほっと息をつく。そしてさらに、天使のような笑みを浮かべた。


「みなさん、ユーリなんかのことを心配してくださって、ありがとうございますぅ。それに、こんなユーリを見捨てずにいてくれて、感謝いっぱいなのですぅ」


「そんなの、当たり前の話だろ。心配はしてるけど、ユーリちゃんが無事に戻ってきてくれるって信じてるよ」


 リュウは、とても優しい笑顔でそう言ってくれた。

 タツヤもダイも、漆原も西岡桔平も――そして、最後まで無言であった山寺博人と陣内征生も、きっと同じ気持ちでいるのだろう。そう考えると、瓜子はいっそう胸が詰まってしまった。


 かつてユーリが宇留間千花との対戦で大変な目にあったときも、彼らはユーリを信じて待っていてくれたのである。

 そして彼らはただ待つだけではなく、新曲のデモテープに温かい声援まで込めて送り届けてくれた。あのときの感動は、痩せ細った頬に涙をこぼすユーリの笑顔とともに、瓜子の胸に深く刻みつけられていた。


 ユーリは格闘技に人生を捧げているが、この『トライ・アングル』も大切なホームであるのだ。

 たとえどのような目にあおうとも、ユーリは必ず戻ってくる。ユーリの誕生日に見た笑顔と聞かされた言葉を思い出しながら、瓜子はそんな思いを新たにすることになったのだった。

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