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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
902/955

07 不屈の努力家と褐色の荒鷲

「いやー、惜しかったねー! どっちが勝ってもおかしくない試合だったと思うよー!」


 プレスマン陣営が花道を舞い戻ると、入場口の裏に待ちかまえていた灰原選手がとびっきりの笑顔を届けてきた。

 そのかたわらでは、次の出番である多賀崎選手が穏やかな微笑をたたえている。


「こいつ、最初から最後まで覗き見してたんだよ。それぐらい、目を離せない名勝負だったみたいだね」


「うんうん! あたしも魔法老女に連敗しちゃったけどさー! 最後に勝ったもんの勝ちなんだから、めげずに頑張ろうぜー!」


 いつもは愛音に意地悪な灰原選手が、屈託のない笑顔で右の拳を突き出してくる。

 瓜子に肩を貸されている愛音は荒い息をつきながら震える腕を持ち上げて、自分の拳をちょんとぶつけた。


「多賀崎選手も、頑張ってください。モニターで見守らせていただきます」


 口をきけない愛音に代わって、瓜子が激励の言葉を送る。

 多賀崎選手は落ち着いた面持ちで、「ああ」とうなずいた。


「あたしも邑崎を見習って、死力を振り絞るよ。結果は、後からついてくるだろうさ」


 すると、愛音の首筋に氷嚢をあてがっていたユーリがにこりと微笑んだ。


「多賀崎選手なら、きっと勝てますよぉ。ユーリもひっそり見守っておりますので、頑張ってくださいねぇ」


「ありがとさん。でも、まずは邑崎の面倒をよろしくね」


「もちのろんなのですぅ。ではでは、またのちほどぉ」


 ユーリは愛音の頑張りが嬉しかったらしく、ずっと上機嫌であったのだ。おそらくはそんなユーリの思いが伝わって、愛音はずっと目もとに汗ならぬ水分をたたえていた。


 しかしそれでも、愛音は感涙にむせんだりはしない。

 前回、犬飼京菜と対戦した折には、ユーリに優しい言葉をかけられるなり大泣きしていたものであるが――そういう意味でも、愛音は大きく成長していたのだった。


 そうして通路を進んでいくと、次の出番であるサキの陣営と行き当たる。

 サキはすました顔のまま、グローブをはめた手の甲で愛音の右肩をぽんと叩いた。


「あともう一歩であのクソ生意気な犬っころをぎゃふんと言わせてやれたのに、ツメが甘かったなー。精進しろや、ジャリ」


 サキの荒っぽい物言いに変化はなかったが、普段よりもほんの少しだけ愛音をいたわっている雰囲気が感じられる――と、瓜子がそんな風に考えていると、同じ拳で頭を小突かれた。


「本当に、惜しい勝負だった。でも、次は絶対に勝たせてやるからな。ジョン、しっかりクールダウンしてやれ」


「ウン。そっちも、ガンバってねー」


 立松とジョンのやりとりを最後に、それぞれ逆の方向に足を踏み出す。じっくり語り合うのは、興行を終えた後のお楽しみであった。


 やがて控え室に辿り着くと、まるで勝者を迎えるようにたくさんの拍手が届けられてくる。

 そして、頬を火照らせた武中選手に浅香選手、にんまりと笑う鞠山選手、どこか凛々しい面持ちをした小柴選手などが取り囲んできた。


「邑崎さん、すごい試合でした! あたしは絶対、邑崎さんの勝ちだと思いましたよ!」

「あたしもです! なんだかもう、最後は涙が出ちゃいました!」

「ふふん。判定に勝負をゆだねた以上、結果に文句はつけられないだわね。でも、まごうことなきベストバウトだっただわよ」

「邑崎さんも犬飼さんも、すごかったです。わたしも置いていかれないように、頑張ります」


「ありがとうねー。アイネはまだクチをきくのもタイヘンだから、ボクからオレイをイわせてもらうよー」


 ジョンがのんびりした笑顔を振りまくと、人々はすみやかに道をあけてくれる。その道を通って、瓜子は愛音をマットに座らせた。

 瓜子とユーリは二人がかりでアイシングの作業に励み、ジョンは愛音の負ったダメージを確認していく。しかし本日の愛音は一発のクリーンヒットも許していないので、心配なのは大技をガードした左腕と左鎖骨のみであった。


 瓜子の背後のモニターからは、大歓声が聞こえてくる。多賀崎選手とマリア選手の一戦が開始されたのだろう。他の陣営の面々はそちらに注目していたが、もちろん瓜子たちは愛音のケアが最優先であった。


「ウン。ホネにモンダイはないみたいだねー。それでもイタむようだったらコテイしたほうがいいけど、イマはアドリナリンがデててワからないだろうねー。ちょっとオちついてから、またカクニンしてみようかー」


「押忍なのです……」と、愛音はかすれた声で応じる。

 それから、精魂尽き果てた眼差しをジョンに向けた。


「ジョン先生……今日の試合は、如何だったのです……? 愛音は本当に、勝ってもおかしくなかったのです……?」


「ウン。ボクは、そうオモったよー。きっとジャッジのヒトたちも、さんざんマヨっただろうねー」


「そうですか……愛音は何だか頭が回らなくて、試合の内容をしっかり思い出せないのです……」


「あははー。それじゃあ、シアイのホウエイがタノしみだねー。きっとアイネは、ジブンのファンになっちゃうとオモうよー」


 プレスマン道場のお母さんと称されるジョンは、いつでも優しい。試合直後のくたびれ果てた心には、その優しさが普段以上にしみこむはずであった。

 結果、愛音はまた涙ぐんでしまう。瓜子はユーリとともに、そんな愛音の姿をそっと見守ることにした。


 そうして愛音のケアを終えたならば、人垣の隙間からモニターの様子をうかがう。

 おそらくすでに、第二ラウンドに突入している頃合いであろう。モニターには、死闘と呼ぶ他ない激戦のさまが映し出されていた。


 構図としては、距離を取ろうとするマリア選手を多賀崎選手が追っている形である。

 マリア選手は名うてのアウトファイターであるので、何もおかしな話ではなかったが――ただ、多賀崎選手の前進の勢いが尋常ではなかった。多賀崎選手はアウトファイトのために学んだステップワークを駆使して、マリア選手を追い詰めている様子であった。


 そして、二人の顔はすでに激戦の痕にまみれている。多賀崎選手は左目の下を青紫色に腫らしており、マリア選手は大きく割られた右の目尻にワセリンを分厚く塗られていた。


 ワセリンの処置が施されているということは、一ラウンド目の時点でダメージを負ったということだ。しかし多賀崎選手の顔を見るに、マリア選手が一方的に攻め込まれたわけではないようであった。


 一年と四ヶ月前までさかのぼる、前回の試合――ユーリが退院してすぐに行われた去年の七月大会において、勝利したのはマリア選手である。多賀崎選手は序盤にくらったスープレックスで肩を痛めてしまい、最後まで苦戦を強いられることになったのだ。


 しかしそれでも判定の結果は、2対1のスプリットだった。試合の序盤に大ダメージを負ってなお、多賀崎選手は互角の勝負を演じていたのである。


 あのときの雪辱を晴らさんとばかりに、多賀崎選手はぐいぐいと前進していく。

 しかしマリア選手も、ただ逃げているわけではない。距離を取るためにステップを踏みつつ、時にはパンチの攻撃を返し、距離が詰まれば組みつきで対応した。


 しかし多賀崎選手もレスリングを得意にしているので、マリア選手に組みつかれても五分の勝負に持ち込むことができる。また、前回は組みつきからのスープレックスで苦汁をなめさせられたため、組み合いの稽古には大きく比重を置いていた。


「多賀崎さんは、上手い感じに戦ってるよ。こうまで距離を詰められると、マリアも得意の蹴りを出す隙がないからね」


 途中からの観戦になった瓜子たちのために、小笠原選手がそんな説明をしてくれた。

 隣の鞠山選手も、「そうだわね」と追従する。


「マリアは下がりながらのパンチも上手いだわけど、さすがに下がりながら蹴ることはできないんだわよ。それで組み合いでも有利を取れないから、じわじわメンタルを削られるだろうだわね」


「マリアは調子に乗せると、怖いからね。だから多賀崎さんも、妥協せずにどんどん攻め込んでるんでしょ」


「ただ、それで折れるほど、マリアさんも甘くないですよね!」


 武中選手も昂揚した様子で、言葉を重ねる。赤星道場の合宿稽古に参加していれば、マリア選手のしぶとさは嫌になるぐらい体感できるのだった。


 時おり見えるフェンスの裏では、灰原選手や大江山軍造がそれぞれ声を振り絞っている。青田コーチが不在であるために、愛娘のセコンドは赤星弥生子に託して、大江山軍造がマリア選手のセコンドについているのだ。いつも陽気なその顔は、赤鬼の形相になっていた。


 マリア選手も頑強に対抗しているが、やはり主導権を握っているのは多賀崎選手のほうなのだろう。組み技でも寝技でも負けはしないという自信を武器に、多賀崎選手は絶え間なく攻勢を取っていた。


 そうして多賀崎選手優勢のまま第二ラウンドが終わり、最終ラウンドである。

 ここでマリア選手が、自ら前進した。追い込まれた場面で発露する、インファイトの仕掛けだ。


 正直に言って、マリア選手はインファイトでも怖い。メキシコの血をひく彼女は全身がバネの塊であり、踏み込みの鋭さもパンチ力も並ではないのだ。そんな彼女がアウトファイトを主軸にしているのは、単に当人の好みなのだろうと察せられた。


 そして多賀崎選手もインファイトを得意にしているため、今度は熾烈な接近戦が展開される。

 それも、随所に組みつきの仕掛けも織り交ぜられる、MMAらしい高度な攻防だ。二人の実力がいっそうあらわにされて、客席には大歓声が渦巻いた。


 もともと傷ついていた両者の顔が、さらに傷ついていく。

 多賀崎選手の左頬は視界をふさぐほどに腫れあがり、マリア選手の右目尻からは鮮血が滴った。


 マリア選手は、インファイトにも磨きをかけたのだろう。多賀崎選手を相手に、五分の攻防である。

 そして、左フックを右腕でガードされると、その手を首裏に回して組み合いの仕掛けを見せて――多賀崎選手がその腕を振り払うより早く、左膝を振り上げた。


 マリア選手の膝蹴りが、多賀崎選手の腹にめり込む。

 カモシカのごとき足から振るわれる、強烈な膝蹴りだ。多賀崎選手がたまらず身を折ると、マリア選手が背中に覆いかぶさるようにして、相手の首に腕を回した。


 フロントチョークを狙うのかと思いきや、マリア選手は背中からマットに倒れ込むようにして、多賀崎選手の身を後方に投げ飛ばしてしまう。

 MMAでは滅多に見られることのない、フロント・ネックチャンスリー・ドロップという名を持つスープレックスの一種であった。


「うわ、出たよ。赤星の選手は、こういうのが怖いよね」


「ふふん。キャッチ・レスリングの手管だわね。マコトは、正念場なんだわよ」


 膝蹴りとスープレックスをくらった多賀崎選手は後手を踏み、グラウンドでサイドポジションを取られてしまう。

 マリア選手はポジションキープを得意としているので、これは大ピンチだ。最終ラウンドの残り時間は、すでに半分を切っていた。


 マリア選手は袈裟固めの形を取り、多賀崎選手の右腕を両足ではさみこもうとする。

 これで腕まで固められたら、無防備な顔面にパウンドを叩き込まれることだろう。多賀崎選手は懸命にあらがいつつ、両足をのばしてマリア選手の足を捕らえようと試みた。


「厳しいね。……でも、最初の二ラウンドは多賀崎さんが優勢だった。ポジションキープだけじゃ、マリアの勝ちはなさそうだよね」


「そうだわね。次の動きが、勝負の際なんだわよ」


 腕のホールドをあきらめたマリア選手は、首だけを捕らえた袈裟固めの体勢でパウンドを落とし始める。

 多賀崎選手は背後からマリア選手の胴体に左腕を回して、なんとかポジションを崩そうとブリッジを繰り返した。


 マリア選手はさらに安定したポジションを確保するべく、袈裟固めを解除して通常のサイドポジションに舞い戻る。

 そして、マリア選手にしては珍しく、ニーオンザベリーの体勢を取った。


 やはりマリア選手も、このまま時間切れを待つのはまずいと考えたのだろう。なおかつ、マリア選手は寝技における攻め手がそれほど多いわけでもないので、さらなる攻勢を目指すにはマウントポジションの奪取が必要であった。


 しかしポジションの移行には、危険がつきまとう。移行の瞬間には重心がずれるので、相手にとって脱出のチャンスになり得るのだ。

 マリア選手が得意であるのはポジションキープであり、ポジションの移行に関しては並という印象である。多賀崎選手ならばそこで逆転を狙えるだろうと、期待をかけることができた。


 だが――マリア選手は、そこから意想外の動きを見せた。

 本来とは逆側の足で多賀崎選手の腰をまたぎこえて、逆向きのマウントポジションを取ったのである。


 多賀崎選手の下半身を見下ろす格好で、腰にまたがった状態だ。

 その状態から狙える技はただひとつ、足への関節技である。瓜子が知る限り、日本国内でそんな攻撃を狙うのは、ユーリと鞠山選手しか存在しなかった。


「うわ、マジか」と、人垣の片隅に陣取っていた沖選手が低い声をあげる。その彼女らしからぬ発言が、一同の心情を代弁していた。


 多賀崎選手はマウントポジションを防御するために、右膝を立てていた。その右膝に、マリア選手の両腕が絡みつく。

 そのまま足をのばされたら、危険な膝十字固めの完成である。

 そうはさせじと、多賀崎選手は背後からマリア選手の胴体を抱きすくめた。


 こうして相手に背後を取られるリスクがあるために、おおよその選手はこういったポジションを避けるのである。

 それでもマリア選手は強引に両腕をロックして、横合いに倒れ込んだ。

 多賀崎選手の右足が真っ直ぐにのばされて、瓜子は背筋に悪寒を覚える。

 しかし鞠山選手は、「ふふん」と鼻を鳴らした。


「ホールドのポジショニングが甘いだわね。もっと足の先端をつかまえないと、膝十字は完成しないだわよ」


 マリア選手がホールドしているのは、多賀崎選手の右膝のすぐ下だ。それでも右足は真っ直ぐにのばされていたが、膝靭帯に痛撃を与えるにはさらに反りあげる必要があった。


 多賀崎選手は決死の形相で、マリア選手の胴体を抱きすくめている。ここでマリア選手を自由にしたら、膝靭帯を壊されかねないのだ。知らず内、瓜子は息を詰めて見守ることになった。


「……そう。重心を上にずらすのです」


 と――ユーリのつぶやきが、瓜子の耳に忍び込んできた。

 いっぽう鞠山選手は、再び「ふふん」と鼻を鳴らす。


「マリアは、倒れる方向をミスっただわね。これなら、脱出可能なんだわよ」


 マリア選手が倒れ込んだのは左手側で、真っ直ぐにのばされた多賀崎選手の右足が宙に浮いている格好である。

 そして、多賀崎選手はじわじわとマリア選手の右側面にのしかかっていく体勢になっていき――最後には右腕一本で相手の胴体を抱えたまま、左手をマットについた。


 多賀崎選手が半分がた上体を起こした格好となったため、のばされた右足も内側にひねられている。そうすればホールドの力も弱まって、もはや真っ直ぐとも言えない角度になっていた。


 その瞬間、マリア選手は多賀崎選手の右足を解放して、背後に向きなおろうとする。

 しかし、多賀崎選手のほうが早かった。多賀崎選手は自由になった右足をマリア選手の両足の間から抜き取って、そのまま上体にのしかかった。


 今度は多賀崎選手が上になった、サイドポジションである。

 そして多賀崎選手は一瞬も動きを止めないまま、すぐさまマリア選手の腰にまたがった。従来通りの、マウントポジションである。


 大歓声の中、多賀崎選手はパウンドを振るい始める。

 マリア選手は頭部をガードしながら、凄まじい勢いでブリッジを繰り返した。

 全身がバネであるマリア選手のブリッジは躍動感にあふれかえっていたが、多賀崎選手はロデオさながらに乗りこなし、パウンドを落とし続ける。


 そして、試合終了のブザーが鳴らされた。

 天を仰いだ多賀崎選手は雄々しい咆哮をあげてから、マリア選手の横合いにばたりと倒れ込む。膝十字固めの脱出からマウントポジションでの猛攻まで、絶え間なく死力を振り絞っていたのだろう。瓜子もようやく、詰めていた息を吐くことができた。


「マリアもなかなか愉快な機転をきかせただわけど、マコトの地力がまさっただわね。どんな苦境でも勝負をあきらめない、マコトの粘り勝ちなんだわよ」


 鞠山選手の宣言通り、判定の結果は全員が29対28で、多賀崎選手の勝利であった。最終ラウンドはマリア選手優勢の時間が長かったためポイントを取られたようだが、多賀崎選手の勝利は動かなかった。


 勝利者コールが終了すると、両者はへろへろの笑顔で握手を交わす。

 マリア選手は敗れてしまったが、完全燃焼できたのだろう。試合前と変わらない、とても安らいだ笑顔であった。


 ただおそらく、両者の戦績はこれで二勝二敗のイーブンであるのだ。

 それも、勝ちと負けを交互に繰り返している。いつか再戦が実現すれば、そのときこそ決着戦になるのかもしれないが――瓜子も今は余念なく、二人の健闘を祝福したかった。

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