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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
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06 飛躍

 第二ラウンドは熾烈な鍔迫り合いに終始して、終わりを迎えた。

 コーナーに戻ってきた愛音は一ラウンド目よりも呼吸を荒くしていたが、今回は犬飼京菜もスタミナをつかっている。このラウンドこそ、両者は死力を尽くして互角の勝負を演じたように思われた。


「アイネ、シュウチュウできてるねー。すごくリッパだよー。サイゴのラウンドも、そのシュウチュウをマモってねー」


 ジョンは優しく言いながら、愛音の手足を氷嚢で冷やした。

 このラウンドも、攻撃らしい攻撃は受けていない。おたがいが、紙一重で相手の攻撃を回避しているのだ。ダメージがない代わりに、尋常でなくメンタルとスタミナを削られているはずであった。


 しかし愛音は、肉食ウサギの迫力を保持している。全身が汗だくで、声も出せないほど呼吸を荒くしていようとも、その気迫には陰りも見られなかった。


 そしてそれは、犬飼京菜のほうも同様であるのだろう。今は大和源五郎の大きな背中で姿を隠されてしまっているが、あちらもぎょろりと大きな目を爛々と燃やしているはずであった。


「イマのラウンドはどっちにポイントがついてもおかしくないから、アイネはツギのラウンドをカクジツにトらないとねー。でも、サイショのサクセンドオり、ネラうのはKOだよー。イッパツアてれば、カナラずチャンスはあるからねー」


 愛音はぜいぜいと息をつきながら、必要最小限の動きでうなずく。

 そして、左拳でドリンクボトルを指し示し、水分の補給を要求した。


 普段の愛音にはありえない、横柄な態度だ。しかしそれも、少しでもスタミナを温存するための所作であるのだろう。瓜子にとっては、心強いばかりであった。


「邑崎さんが奇をてらう必要はありません。奇をてらうのは向こうの役割ですから、それをかわして一発を叩きこみましょう。集中さえしていれば、絶対に可能です。時間が進んでも焦らずに、チャンスを待ってください」


 瓜子がフェンス越しに呼びかけると、愛音はまた数ミリだけうなずいた。


「ムラサキちゃん、すっごくかっちょいいよぉ。その調子で、最後まで頑張ってねぇ」


 ユーリが頭上からのんびり声をかけると、愛音はさきほどの倍ぐらい深くうなずく。それでもミリ単位の話であったが、こんな際でもユーリに対する親愛のほどがあらわにされていた。


 そうしてついに、最終ラウンドである。

 マウスピースをくわえた愛音はゆっくり身を起こし、大きく息をついた。

 本当に、この試合の十分間だけでも愛音は頼もしく成長したかのようである。瓜子が愛音の存在をこれほど力強く感じたのは、これが初めてのことであった。


 大歓声の中、試合再開のブザーが鳴らされる。

 さすがの犬飼京菜も、ここではロケットスタートを見せなかった。

 だが――おかしな動きで、前進してくる。前後にステップを踏んでいるだけであるのに、瓜子の目には犬飼京菜の身が膨張と収縮を繰り返しているように見えてしまった。


(なんだ、これ? ステップワークなのか?)


 犬飼京菜はただ敏捷なだけでなく、スイッチと軸足の切り替えが巧みであるために動きが読みにくい。左右の構えを変えるばかりでなく、前足と後ろ足で重心を移行させるので、余計に不規則な印象になるのだ。


 どうやらこの前後のステップにも、その特性が如何なく発揮されているようである。

 重心が左右と前後でひっきりなしに切り替えられているため、一歩ごとの歩幅や勢いがまるきり異なっている。なおかつ、犬飼京菜の首がゆらゆらと揺れているため、それも幻惑の一助になっているようであった。


(これは……距離感がつかみづらい。ステップワークでも、まだこんな隠し玉を持っていたのか)


 完全に互角の状態であった第二ラウンドでも、犬飼京菜はこの動きを温存していたのである。その周到さに、瓜子は歯噛みしたい気分であった。


 しかし愛音は心を乱した様子もなく、自分のリズムでステップを踏んでいる。

 スタミナを失ったぶん動きは重くなっているものの、自分のリズムを保持するという命題は忘れていない。実に立派な立ち居振る舞いであった。


 そして、最初に攻撃を出したのも、愛音のほうである。

 愛音は犬飼京菜のお株を奪うような、鋭いサイドキックを繰り出した。


 これは、サキから習い覚えた技である。

 であれば、ルーツは犬飼京菜と同じくダニー・リーであるのかもしれないが――サキはサキなりに、愛音は愛音なりに、技を磨き抜いている。たとえ根を同じくする技であっても、使う人間によってフォームやリズムに独自性が生まれるはずであった。


 愛音がサイドキックを選択したのは、おそらくもっとも射程が長くて、カウンターを取られにくいためであろう。

 すると、犬飼京菜はゆらりと身をひねって愛音の蹴り足をかわし――そのまま、大きく踏み込んできた。


 そして、犬飼京菜は右腕を振りかぶっている。

 しかも、横方向ではなく、縦方向である。背中の側から、頭上に大きく弧を描く軌道だ。

 これは大江山すみれとの試合で披露された、古式ムエタイの技――『指輪を捧げる猿王ハヌマン』の初撃であった。大江山すみれは、この後に振るわれた両拳のアッパーによって意識を飛ばされることになったのだ。


 しかしこの技が有効であるのは、よほどの至近距離にある際である。

 犬飼京菜は大きく踏み込んだが、まだそうまで距離は詰まっていない。これならば、愛音のリーチで簡単にカウンターを取れるはずであった。


(でも……!)


 だからこそ、これは誘いである公算が高い。

 瞬間的に、瓜子がそう思ったとき――愛音が、左ストレートを繰り出した。


 このタイミングならば、愛音の攻撃のほうが先に当たる。

 しかしその頃には、犬飼京菜の上体が沈んでいた。


 右腕は、まだ頭上に振りかぶったままである。

 その体勢のまま、犬飼京菜はマットに沈み込み――そして、左腕を愛音の足もとにのばした。


 古式ムエタイの大技をフェイントにした、タックルである。

 しかし、瓜子の瞬間的な思考はまだ止まっていなかった。


(そっちも、フェイントだ!)


 あるいは、打撃とタックルの二段構えであるのだろうか。

 右拳に注意を向ければ左足を捕獲され、左足を守れば右拳がヒットする。それが可能な軌道であることを、瓜子は瞬間的に理解した。


 しかも愛音は、左ストレートを繰り出しているさなかである。

 自分の攻撃に集中しているさなかに、上下からの攻撃に対応できるのか――遠い距離から見守っている瓜子よりも、それは困難な話であるはずであった。


 果てしなく長い一秒が経過して、両者の身が交錯する。

 結果――両者はどちらも、後方に引いていた。


 愛音もぎりぎりのところで犬飼京菜の思惑に気づいたらしく、左ストレートのさなかに右膝を振り上げて、カウンターの膝蹴りを繰り出したのだ。

 いかにも不安定な体勢であったため、破壊力などは度外視した攻撃である。とにかくテイクダウンだけは取られまいと、一瞬で判断したのだろう。


 その代償として、愛音は左の鎖骨のあたりに右拳をくらっていた。

 左ストレートのさなかであったため、そちらは防ぎようがなかったのだ。それでも咄嗟に首を傾けて、顔面だけは守ったようであった。


「ナイス判断っすよ! 相手も、ダメージを受けてます!」


 思わず瓜子は、声を張り上げていた。

 膝蹴りで弾き飛ばされた犬飼京菜の呼吸が、いっそう荒くなっていたのである。


 攻撃力を度外視した膝蹴りであっても、衝撃はそれなり以上であったことだろう。犬飼京菜の突進力が、そのままカウンターの威力として重ねられたのだ。

 そして、犬飼京菜は打たれ弱い。普通の選手であれば一瞬息が詰まるていどの衝撃でも、犬飼京菜にとってはダメージになり得るのだった。


「アイネ、シュウチュウだよー。ここからがショウブだねー」


 ジョンの声を背中で聞きながら、愛音は足を踏み出した。

 犬飼京菜はもとのステップに切り替えて距離を取ろうとしたが――その足取りも、やや鈍っている。やはり、愛音の膝蹴りが何らかのダメージを与えたのだ。


 しかしまた、愛音の攻撃も鋭さを失っていた。

 ステップの足取りに変化はないが、右のジャブばかりを使っている。そして心なし、左腕のガードが下がっていた。


(さっきの攻撃が、きいたのか? まさか、あれだけで鎖骨が折れるとは思えないけど……左の攻撃が出せないぐらいのダメージなのか?)


 愛音は右ジャブを振るいつつ追いかけながら、前足のローなども狙っていく。

 だけどやっぱり、左の拳だけは出そうとしない。そしてその手の先は、顔から胸、胸から腹と、どんどん下降していった。


(まずいな。奥手だったからまだマシだけど、片側のガードをあけるのは危ないぞ)


 もとより愛音は相手の攻撃を受けずに回避する方針であったが、こうまでラウンドが進めば完遂も難しくなる。そして、逆転勝利を狙うには、多少のリスクを背負う必要もあった。


 その中で、左腕が使えないというのは攻防の両面で致命的である。

 いかにダメージを負っていようとも、犬飼京菜はそれほど甘い相手ではなかった。


 試合が大きく動いたことにより、客席にはいっそうの熱狂が吹き荒れている。

 そうして時間は、じわじわと過ぎていき――折り返しの二分半が経過したところで、愛音は再びサイドキックを繰り出した。


 蹴りの鋭さは落ちていないが、遠い間合いからの有効ならぬ攻撃だ。それは、至近距離での戦いを避けたいという心情が透けているように感じられる所作であった。


 すると――犬飼京菜は必要以上に大きな跳躍で、そのサイドキックを回避した。

 そしてその勢いのまま、頭からマットに突っ込んで、両足を振り上げる。

 古式ムエタイの側転蹴り――『ヤシの実を蹴る馬』である。

 その足は当然のように、無防備な左側から愛音の頭部を狙っていた。


 もはや、バックステップで回避する猶予はない。

 それで瓜子が、マットに倒れ込む愛音の姿を幻視したとき――犬飼京菜の小さな身体が、吹き飛ばされた。


 愛音が左腕で頭部を守り、空中にあった犬飼京菜の胴体を蹴り抜いたのだ。

 しかし、たとえ腕でガードしようとも、全体重と跳躍の勢いが乗せられた側転蹴りである。愛音もまた、その勢いに負けて倒れ込むことになった。


 しかし、犬飼京菜は頭からマットに墜落して、そのままぐったりと倒れ伏す。その間に、愛音はよろよろと立ち上がることができた。


 まともに腹を蹴り抜かれた犬飼京菜は、鬼の形相で半身を起こす。

 すると愛音も両目に炎を燃やしながら、犬飼京菜のもとに駆けつけて、サッカーボールキックを繰り出した。


 犬飼京菜は弾かれたような勢いで、後方に跳びすさる。

 そうして二人が荒い息をつきながら対峙すると、あらためて大歓声が巻き起こった。


 愛音は、左腕をだらりと垂らしている。今度こそ、致命的なダメージを負ってしまったようだ。

 いっぽう犬飼京菜は、立ち上がっても前屈みの体勢である。愛音の蹴りをまともにくらったのだから、そちらこそ甚大なダメージを負ったはずであった。


(きっと邑崎さんは、左のガードをわざとあけて、相手の大技を誘ったんだ)


 ただし、犬飼京菜の拳に手応えが残されていなかったら、そんな目論みも看破されてしまうことだろう。鎖骨を打たれた愛音は相応のダメージを負ったからこそ、それを利用して策謀を仕掛けたのだった。


 その成果として、愛音は犬飼京菜に大きなダメージを与え――その代償として、愛音も左腕のダメージを大きく加算された。犬飼京菜の大技をくらえば、ガードした腕が折れても不思議はないのだった。


 大歓声の中、愛音は大きく踏み込んで、三度目のサイドキックを射出する。

 犬飼京菜は両足で跳びのいて、ようようそれを回避した。


 犬飼京菜が負ったダメージは、どれほどのものであるのか。いかにも苦しげな体勢であるし、動きも粗くなっていたが、反撃の力が残されているかどうかは計り知れなかった。


 いっぽう愛音が失ったのは左腕のみであるが、今度こそ腕は上がらなくなっているのだ。迂闊に近づけば、どんな危険が迫るとも知れなかった。


 それでも愛音は、果敢に踏み込んでいく。

 機動力だけは、完全に愛音のほうがまさっている状態であるのだ。ここで攻めなければ判定勝負であるし、第二ラウンドが完全に互角であったぶん、勝敗はまったく読めなかった。


 愛音が確実に勝つには、KOを狙うしかない。

 あるいは、このラウンドで2ポイントを取れれば、最低でも引き分けに持ち込めるはずであるが――愛音がそんな消極策を選ぶはずはなかった。


 愛音は残されたスタミナを全開にして、油断なくステップを踏みながら、攻撃を繰り出していく。

 犬飼京菜は覚束ないステップで半分ほどは回避したが、残る半分は腕でガードしていた。

 しかしたとえガードしても、犬飼京菜の小さな身体は攻撃の一発ごとに大きく揺らぐ。愛音の果敢な攻撃は、着実にダメージを加算していった。


 だが、時間は無情に過ぎていく。

 試合が大きく動いた時点で、残りは二分半であったのだ。愛音が一方的に攻撃を出している間に、あっという間に残り時間は一分になってしまった。


「残り一分! 最後まで、集中しましょう!」

「アセらずに、イッパツずつテイネイにねー」

「ムラサキちゃん、がんばれー!」


 セコンド陣の声援を背に受けて、愛音は死力を振り絞っていく。

 そして、愛音が左のハイキックを叩きつけると、それをガードした犬飼京菜の身が横合いに吹っ飛ばされた。


 それと同時に、瓜子の背筋に悪寒が走り抜ける。

 いかに犬飼京菜の体重が軽かろうとも、ただのハイキックでそこまで吹き飛ぶのは不自然である。犬飼京菜は明らかに、自らの意思で跳躍していた。


(ダメージを逃がすために、跳んだのか? それとも――)


 答えは、すぐに明かされた。

 マットに着地した犬飼京菜が、その場で竜巻のように旋回したのだ。


 犬飼京菜を追おうとしていた愛音のもとに、暴風のごとき蹴り足が襲いかかる。

 何の変哲もない、バックスピンハイキックであったが――そこには犬飼京菜の生命力のすべてが乗せられているような迫力が満ちみちていた。


 そしてその蹴り足は、愛音がガードできない左側から肉迫している。

 もはや、首をひねってかわせるタイミングではない。そして愛音は前進のさなかであったので、後方に逃げることもかなわなかった。


(それなら――!)


 最善策は、ひとつである。

 瓜子であれば、その行動を選ぶはずだ。


 そして――愛音も、その道を選び取った。

 愛音はそのままさらに前進して、わずかながらに蹴りの打点をずらしたのだ。


 愛音が前進したために、犬飼京菜の硬いかかとではなくやわらかいふくらはぎが愛音の横っ面に激突した。

 それでも、犬飼京菜の渾身の一撃である。愛音は演技でも何でもなく、一メートルばかりも吹き飛ばされることになった。


 犬飼京菜は自らの蹴りの勢いに負けて、マットに倒れ込む。

 瓜子もこれまでの試合で、何度か見せたことのある姿である。


 そして、愛音と犬飼京菜はそれぞれ苦悶の形相で、よろよろと立ち上がり――それと同時に、試合終了のブザーが鳴らされたのだった。


 瓜子は天を仰ぎながら、深く息をつく。

 まるで自分が試合をしたように、精神が疲弊しきっていた。


 しかし、それと同時に、心が深く満たされている。

 判定の結果などは、まったく予想もつかなかったが――愛音も犬飼京菜も最後まで、勝利のために死力を尽くしたのである。これは、サキと犬飼京菜の王座を懸けた一戦にまさるとも劣らない名勝負と呼べるはずであった。


「アイネは、ガンバったねー。キョウナも、リッパだったよー」


 ジョンがそんな言葉をもらすと、ユーリが「あやや?」と小首を傾げた。


「それはユーリもココロから賛同のかまえなのですけれども、ジョン先生が試合結果が出る前に相手の選手をおほめするのは、珍しいようにお見受けするのですぅ」


「あははー。ついホンネがこぼれちゃったねー。それぐらい、フタリともスゴかったからさー」


 ユーリは「にゃはは」と笑っていたし、瓜子も心から二人に賛同することができた。

 そこでフェンスの扉が開かれたので、一丸となって愛音のもとに駆けつける。ジャッジペーパーの集計が終わるまで、選手のケアをするのがセコンドの役割であった。


「アイネ、スバラしいシアイだったよー。アイネにとって、イチバンのベストバウトなんじゃないのかなー」


 マットにへたりこんだ愛音は、「押忍なのです……」と答えることしかできなかった。

 少し離れた場所では、犬飼京菜がドッグ・ジムの面々に取り囲まれている。そしてそちらには、リングドクターも駆けつけていた。


 最後に大技をくらったのは愛音のほうであったが、犬飼京菜のほうがダメージは深いと判断されたのだろう。瓜子にも、それは適切な判断であると思えた。


 瓜子とジョンは二人がかりでアイシングに励み、ユーリはタオルで汗をふいていく。すると愛音が、くたびれきった顔で慌てた声をあげた。


「ユ、ユーリ様……タオル越しでも、ユーリ様のご負担になってしまうのでは……?」


「ムラサキちゃんは、優しいねぇ。こんなときぐらい、自分のことを一番に考えないとぉ」


 ユーリが屈託なく笑うと、愛音は涙をにじませる。

 そこに、リングアナウンサーの声が響きわたった。


『ジャッジの集計が終了いたしました! 両選手は、ケージの中央に!』


 瓜子が手を貸して立ち上がらせると、愛音は自力でよろよろとレフェリーのもとに向かっていった。

 いっぽう犬飼京菜もマー・シーダムの手を振り払っていたが、その足取りは愛音よりも覚束なかった。


 愛音は何とか背筋をのばしつつ荒い息をついているが、犬飼京菜は前屈みの状態で両膝に手を置いている。やはり、空中で蹴りをくらったボディのダメージが著しいのだ。


『それでは、判定の結果をおしらせいたします! ……ジャッジ横山、29対28、青、犬飼京菜!』


 一票目は、犬飼京菜である。

 大歓声がうねりをあげたが、犬飼京菜は顔を上げることもできなかった。


『……ジャッジ大木、29対28、アイネ・チェリー=ブロッサム!』


 二票目は、愛音に投じられた。

 やはり、二ラウンド目の評価が分かれたのだろう。あれは本当に五分の勝負であったので、ドロー裁定が許されるならば引き分けが妥当なぐらいであった。


(それに、最終ラウンドも……犬飼さんが最後に大技で逆転しかけたから、2ポイントがつくことはないんだろうな)


 であれば、すべてを天にゆだねるしかない。

 勝利できれば、それが至上の結果であったが――そうでなくても、愛音は素晴らしい試合を見せてくれたのだった。


 最後の結果を聞くために、歓声がいくぶん鳴りをひそめる。

 そんな中、リングアナウンサーは朗々たる声を響かせた。


『サブレフェリー原口、29対28、犬飼京菜! ……以上、2対1で、青コーナー、犬飼京菜選手の勝利となります!』


 歓声に、感じ入ったようなどよめきが入り混じったように感じられた。

 愛音の敗北は承服しかねるが、さりとて犬飼京菜の敗北も認め難い――と、そんな心地であるのだろうか。とりあえず、瓜子はそういった心境であった。


 どちらの選手にも、勝利が相応しい。

 格闘技には、時おりこういう試合が生まれるのだ。

 だから瓜子は心を乱すことなく、両者に同じだけの拍手を捧げることにした。


 愛音はいったん強くまぶたを閉ざしてから、決然と犬飼京菜のほうに向きなおる。

 そして、不明瞭な面持ちをした犬飼京菜の手の先をつかみ取り、強引に握手をした。これはまるきり、前回の試合の再現である。


 前回に引き続き、二人の勝負は判定にまでもつれこみ、そして犬飼京菜が勝利した。

 結果だけを見れば、何も変わっていないように思えるが――二人ともに、大きな飛躍を果たしたのだ。それは、前回の試合を上回る大歓声が証明していた。

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