表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトミック・ガールズ!  作者: EDA
33th Bout ~Winter of Fate~
900/955

05 伯仲

「三分経過! いいペースですよ! そのリズムを守りましょう!」


 セコンドとしての本分を全うするべく、瓜子は声を張り上げた。

 試合時間が三分を過ぎても、試合の様相に変わりはない。愛音も犬飼京菜も果敢に攻撃を繰り出していたが、まだ一発として相手の身に触れていなかった。


 しかし、客席の歓声と熱気は増していくいっぽうである。

 おそらく誰もが、一発の有効打の重要性を理解しているのだ。それは、絶大な破壊力と極端な打たれ弱さをあわせ持っている犬飼京菜の特性ゆえであった。


 おたがいに、一発でもクリーンヒットをくらったら、それだけで試合が終わる可能性がある。

 その真剣の斬り合いめいた気迫と緊張感が、人々の熱狂を駆り立てているわけであった。


(つまり邑崎さんは、完全に五分の勝負ができてるってことだ)


 瓜子はそのように考えたが、まだまだまったく油断はできなかった。犬飼京菜は、古式ムエタイとジークンドーの技術を体得しているのである。その秘密兵器を隠し持ったまま、犬飼京菜は互角の勝負を演じているのだった。


(でもそれは、弥生子さんの大怪獣タイムみたいに出せば一気に有利になるっていうものじゃないし、邑崎さんが出す隙を与えていないって面もあるはずだ)


 たとえば、古式ムエタイの側転蹴りは、回避されると大きな隙が生まれることになる。今は愛音の迫力が、抑止力になっているのだろうと思われた。


(そういう意味でも、最初にダメージをもらったほうが、一気に不利になるはずだ。なんとか、一発でも攻撃を当てて――)


 そんな風に考えかけた瓜子の背筋に、悪寒が走り抜けた。

 そして次の瞬間、悪寒の正体があらわにされる。犬飼京菜が不規則な動きを見せて、その攻撃が愛音の身をしたたかに叩いたのだ。


 これまでに犬飼京菜が見せてきた古式ムエタイの技に比べれば、それほど不可思議な動きではない。

 ただそれは、瓜子が目にしたことのない動きであった。

 犬飼京菜は上半身を前方に倒しながら、縦方向に振りかぶった右足の全体を愛音の身に叩きつけたのである。


 空手の胴回し回転蹴りを、正面の向きで繰り出したような格好である。

 いったいどれほど柔軟な関節をしていたら、そんな動きが可能になるのか――そしてこれは、古式ムエタイの技であるのかジークンドーの技であるのか――惑乱する瓜子の目の前で、試合の形勢は一気に傾いた。


 犬飼京菜は足の全体をぶつけた格好であるので、破壊力が分散されて、ダメージのほどは大したものでもないだろう。ただし愛音はその衝撃でたたらを踏むことになり、そこで犬飼京菜が一気呵成にたたみこんできたのだった。


 まずは至近距離から鋭い肘打ちが繰り出されて、愛音は回避ではなくガードを余儀なくされる。その衝撃で軸が乱れて、次に振るわれたハイキックも腕で受け止めることになった。


 さらに犬飼京菜は身を沈めるや、再びの水面蹴りを射出する。

 ハイキックの次に水面蹴りが繰り出されるなど、なかなか予測できるものではないだろう。なおかつ、予測できたとしても、愛音はまだ体勢を乱しているさなかであったのだ。よって、足を払われた愛音は呆気なくマットに倒れ込むことになり――グラウンドで、上のポジションを取られてしまったのだった。


 寝技の技術に関しては、犬飼京菜のほうが圧倒的にまさっている。

 愛音もすでに三年以上の稽古を積んでいるが、犬飼京菜は幼い頃から寝技の稽古を積んでいるのだ。時間をかければかけるほど強くなると称される寝技で、愛音に勝ち目はなかった。


 しかしそれでも、愛音はユーリにもさんざん寝技の稽古をつけられている。テイクダウンを取られたからといって、すぐさま敗北を喫することはなかった。


 サイドポジションを取った犬飼京菜は右肘で愛音の咽喉もとを圧迫しつつ、さらに有利なポジションを取るべくじわじわと動きを詰めていく。

 犬飼京菜はこんなに小柄であるのに、体重の掛け方が秀逸であるのだ。そして、動くときには立ち技の猛攻にも劣らない俊敏さを見せるのが常であった。


「ダイジョウブだよー。アイテは、マウントをネラってるからねー。ヒザをタてて、ガードするんだよー」


「相手が腰を浮かせたら、逆転のチャンスだからねー! ブリッジすれば、ひっくり返せるよー!」


 ジョンの声はやたらと通りがよく、ユーリの咽喉は歌で鍛えられている。そんな頼もしい二人の助言が歓声の間をぬって響きわたり、窮地の愛音を救っていた。

 こういった助言は、相手に対するプレッシャーにもなりえるのだ。犬飼京菜がマウントポジションを狙っているならば、動きにくくなるはずであった。


 すると、犬飼京菜は愛音の身にべったりとのしかかったまま、新たな攻撃を振るい始めた。

 咽喉を圧迫していた腕をスライドさせて、下顎に肘をぶつけ始めたのだ。

 射程は短いし、体重を乗せることもできないため、あくまで嫌がらせの攻撃であったが――とたんに愛音は、狂ったように身をよじり始めた。嫌がらせでも、痛いものは痛いのだ。なおかつ、下顎に衝撃をくらい続ければ、頭蓋の内側にダメージが溜まる恐れもあった。


「ムラサキちゃん、慌てないで! きっとイヌカイちゃんは、それで隙を作って――!」


 ユーリがそのように言いかけたとき、犬飼京菜の身が躍動した。

 愛音の立てた膝を乗り越えて、腰にまたがろうと試みたのだ。


 その瞬間、愛音はバネ仕掛けのような勢いでブリッジをした。

 またがろうとした腰がいきなり跳ね上がったため、犬飼京菜の身は弾き返される。それで、もとのサイドポジションに舞い戻ることになった。


 さらに愛音は身をよじり、エスケープを試みる。

 犬飼京菜はあらためて重心を安定させて、ポジションキープに勤しんだ。


 その後も細かい寝技の攻防が繰り広げられて――第一ラウンドは、タイムアップである。

 犬飼京菜はさっさと身を起こして自分のコーナーに帰っていったが、存分にスタミナを消費した愛音はしばらく荒い息をついてから、ようよう立ち上がった。


 チーフセコンドのジョンだけがフェンスの扉をくぐり、椅子の準備をする。

 愛音がそこに腰を落とすと、ユーリが「よいしょ」とフェンスによじのぼり、腕をのばして愛音の首筋に氷嚢をあてがった。


 ユーリのほうが長身であるためにその役を任せたのだが、客席にはひさびさに不謹慎な歓声が巻き起こる。何せユーリはフェンスの上から上半身を突き出しているので、背後の客席に大きなおしりを向けている格好であるのだ。こんな体勢でも煽情的に見えてしまうのは、どうしようもないユーリの業であった。


 それはともかくとして――愛音は、疲労困憊の様子である。

 ダメージらしいダメージはないようだが、とにかくスタミナを削られてしまっている。苦手な寝技勝負に二分近くも取り組んでいれば、それも当然の話であった。


「アイネはレイセイに、マウントをフセいだねー。ショウブは、これからだよー」


 愛音の手足に氷嚢を巡らせながら、ジョンはのんびり声をかける。

 呼吸が整っていないため、愛音はうなずくことしかできなかった。


「キョウナはダゲキだけじゃカてないとハンダンして、ネワザをネラってきたんだねー。このアトもテイクダウンにキをつけながら、テをダしていこー。コウゲキは、サイダイのボウギョだよー」


「そうっすよ。邑崎さんのプレッシャーで、犬飼さんはずいぶん動きが封じられてるように感じました。上下に攻撃を散らして、揺さぶっていきましょう」


 瓜子も言葉を重ねると、愛音はまたうなずいた。

 口をきかないのは、スタミナの温存を優先させているためであろう。ジョンが差し出したドリンクボトルでうがいをする際にちらりと垣間見えた横顔には、試合前よりも激しい闘志がみなぎっていた。


「アイネのスタミナをケズったから、キョウナはスタンドでもリズムをカえてくるかもねー。シュウチュウして、コシキムエタイとジークンドーのワザをケイカイしておくんだよー? クビズモウをネラうのも、アリだからねー」


 そこで、『セコンドアウト!』のアナウンスが響きわたる。

 愛音はついに最後まで無言のまま、マウスピースをくわえて立ち上がる。そのさまは、瓜子から見ても心強かった。


 そうして試合再開のブザーが鳴らされると――犬飼京菜が、再び突進してきた。

 そもそも犬飼京菜は試合が第二ラウンドまでもつれることも少なかったが、このように連続でロケットスタートを仕掛けてくるのは前代未聞の話であっただろう。見ている瓜子のほうが、その勢いにぞっとしてしまった。


 そうして繰り出されたのは、再びの水面蹴りである。

 おそらく突進からの奇襲技の中では、この攻撃がもっともリスクが少ないのだ。


 愛音は一ラウンド目と同じように、跳躍してそれを回避した。

 どれだけ疲れていようとも、まだ動きによどみは生じていない。そうと見て取ってか、犬飼京菜も一ラウンド目と同じように横合いへと逃げていった。


 犬飼京菜は勝ちに焦っていないし、愛音の集中も途切れていない。

 最初の攻防で、その事実がはっきりとあらわにされていた。


 あらためて、犬飼京菜はステップを踏む。

 愛音も縮こまることなく、自分のリズムでステップを踏んだ。


 そうして最初に動いたのは、愛音のほうである。

 しかも、奥足からのハイキックだ。俊敏なる犬飼京菜をいきなりハイキックで仕留めるのは至難の業であったし、テイクダウンを取られる危険も高い行為であった。


 しかし犬飼京菜はバックステップで回避するのみであり、テイクダウンを狙おうとはしなかった。

 愛音のハイキックは誘いであると見なしたのであろうか。瓜子自身、驚きはしたものの、愛音が正常な判断力を失っているとは思わなかった。


(本人たちにしかわからない、高度な読み合いが繰り広げられてるような気がする。やっぱり、二人は……こんなに成長してるんだ)


 愛音とは毎日のように稽古をともにしているが、試合中には試合中ならではの集中や気合というものが生じる。それで見慣れているはずの愛音が、こんなにも頼もしく思えるのかもしれなかった。


「うん。アイネのプレッシャーがきいてるねー。キョウナもスコしシンチョウになったみたいだよー」


 ジョンの言う通り、犬飼京菜は慎重であるように見えた。愛音のスタミナを大きく削りながら、一ラウンド目と同じように距離を取って戦っているのだ。秘密兵器の大技も、なかなか披露されなかった。


 しかし一ラウンド目も、三分を過ぎたところでたたみかけてきたのだ。

 あの犬飼京菜が、様子見だけでラウンドを終わらせるとは考えられなかった。


 そうして大きな変化もないまま、第二ラウンドの三分が経過したとき――犬飼京菜ではなく、愛音が動いた。

 犬飼京菜の鋭いサイドキックを回避するや、おもいきり踏み込んで首相撲を仕掛けたのだ。


 しかし犬飼京菜は、組み合いから逃げるのも上手い。どうやらジークンドーの手管で、するりと相手の腕から逃げてしまうのだ。小柄で腕力の足りていない犬飼京菜は、五分の状態で組み合うことを回避できるように稽古を積んでいるのだろうと察せられた。


 よってこのたびも、犬飼京菜は愛音の勢いを軽くいなして、易々と逃げていった。

 しかし愛音は、執拗に追いかける。近い距離をキープすれば、大技をくらう危険も大きく減じるのだ。用心するべきは、ジークンドーのワンインチパンチとボディを狙う拳の連打であった。


 犬飼京菜は持ち前の敏捷さで逃げ惑うが、愛音もまた大股のステップで追いすがっていく。

 拳を出せば当たる距離であるのに、おたがいが移動だけに集中している。その常ならぬさまに、客席からは歓声がわきたった。


 これはきっと、愛音が至近距離での攻撃を誘っているのだ。

 ワンインチパンチであろうと何であろうと、それをガードして反撃する。そんな覚悟が、瓜子のもとまで伝わってきた。


 すると――犬飼京菜が逃げながら、右の拳を腰に溜めた。

 いかにも、重い攻撃を示唆する動きである。

 本来は、腕力のない犬飼京菜に重いパンチを出すすべはない。それを可能にするのが、ジークンドーのワンインチパンチであった。


 だがあれは、組み合いなどの密着した状態でしか披露されたことはない。おたがいがこれほど激しく動いている中で、ワンインチパンチを出すことがかなうのか――そもそも瓜子はワンインチパンチの原理を把握しきれていないので、まったく判然としなかった。


 そんな中、愛音が右腕をのばして犬飼京菜の首裏をとらえようとする。

 それと同時に、犬飼京菜が腰に溜めていた右拳を繰り出した。


 愛音はすかさず身をよじり、犬飼京菜の拳を回避しようとする。

 だが――その拳は、最初から愛音の身を狙っていなかった。犬飼京菜の右拳はショートフックの軌道で虚空を走り抜け、その代わりに、右肩が愛音の脇腹に衝突した。


 犬飼京菜は拳を振った勢いで上体を突き出し、愛音の脇腹にショルダータックルをかましたのだ。

 そうして愛音がバランスを崩すと、右肩で脇腹を押しながら右足を絡め取り、マットに組み伏せたのだった。


 だが――愛音はマットに倒れ込むと同時に、右足を突き上げて、犬飼京菜の身を弾き飛ばした。

 その右腕はかろうじて犬飼京菜の首裏をとらえていたため、結果的に巴投げをくらわせたような格好になる。ただでさえ軽い犬飼京菜は自らの突進力も勢いに加算されて、虚空で大きく一回転することになった。


 しかし犬飼京菜は驚異的な身体能力を発揮して、虚空で身をよじり、足からマットに着地する。

 そして愛音も巴投げの勢いで後方転回してから、すぐさま身を起こした。


 結果――両者は立った状態で、真正面から向かい合っている。

 目まぐるしい勢いでさまざまな攻防が交わされた上で、五分の状態に回帰したのだ。

 けっきょくおたがい、なんのダメージを与えることもできず、ふりだしに戻っただけの話であったが――客席には歓声が渦巻いていたし、瓜子の胸も大きく高鳴っていた。


(すごい……これがただのワンマッチだなんて、信じられないぐらいだ)


 おたがいが、おたがいの力を引き出し合っているのだろうか。

 たとえ勝敗がどのような結果になろうとも、これはおたがいにとって屈指のベストバウトになるはずであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ