04 計画
「ベリーニャ、《アクセル・ファイト》、きょーはくしました」
無事にユーリからサインをせしめたアリースィは、満足げな笑顔でそのように語り始めた。
輪を作っているのは、瓜子とユーリと柳原の三名のみである。他には男子門下生しか来ていなかったので、まずはこの三名で話をうかがうしかなかった。
「……きょーはく、あってますか? にほんご、むずかしいです。ベリーニャ、《アクセル・ファイト》、こーしょー、しています」
「脅迫と交渉じゃ、ずいぶん中身が違ってきそうだが……まあいい。とにかく、続けてくれ」
「はい。ベリーニャ、《アクセル・ファイト》、やめる、フェイント、かけました。ベリーニャ、だいにんきなので、《アクセル・ファイト》、あわてます。それで、こーしょーです。ベリーニャ、《ビギニング》、たい……たいこーせん? けいかく、していました」
「《ビギニング》との、対抗戦? もしかして、《アクセル・ファイト》と《ビギニング》の選手同士でやりあおうって計画か?」
「はい。そうしたら、ベリーニャ、ピーチ=ストーム、しあい、できます。みんな、ハッピーです。《アクセル・ファイト》、こまっていましたが、こーしょー、つづいていました。……でも、ピーチ=ストーム、《ビギニング》、やめてしまいました」
たちまちユーリは、「あうう」と純白の頭を抱え込んだ。
「ベリーニャも、こまっていました。せっかくのけいかく、だいなしです。それで、わたし、れんらく、きました。みんな、ないしょです。わたし、ひみつ、メッセンジャーです」
「……ベリーニャ選手から、どんなメッセージをあずかってきたんだい?」
「はい。そのまえ、かくにんです。……ピーチ=ストーム、せんしゅ、やめますか?」
アリースィの真っ直ぐな目に見つめられて、ユーリは懸命に頭をもたげた。
「いえ……ユーリは選手を続けたいと思っています」
「そうですか。それなら、みんな、ハッピーです」
アリースィは満足そうに、にこりと微笑んだ。
「でも、あたらしいけいかく、ひつようです。あなた、つぎ、どのプロモーション、さんかですか? ベリーニャ、あなた、さんかするプロモーション、たいこうせん、けいかくします」
「それはちょっと、今の段階では答えようがないな。今はどのプロモーターも二の足を踏むだろうから、一週間や二週間は様子を見るべきだろうって話になってるんだよ」
と、柳原は明け透けに裏事情を明かしてしまった。
おそらくは、アリースィのテンポに引きずられたのだろう。彼女はそれぐらい、純真な内面を剥き出しにしているのだ。瓜子としても、柳原を軽率だとたしなめる気にはなれなかった。
「いっしゅうかん、にしゅうかん、ながいです。ベリーニャ、げんかい、ちかいです。《アクセル・ファイト》より、かぞく、せっとく、たいへんです。かぞく、みんな、はんたいです。ピーチ=ストーム、しあいする、かちがない、おもってます」
「価値がない? 桃園さんは、ベリーニャ選手の相手にならないってことか?」
「はい。だけど、ピーチ=ストーム、きけんです。ベリーニャ、かっても、けがする、かのうせい、あります。だから、かぞく、はんたいです」
ベリーニャ選手は、かつてユーリの膝蹴りで肋骨をへし折られているのだ。
ユーリはまた「あうう」と頭を抱えたが、柳原は立松さながらの不敵さで「ふふん」と鼻を鳴らした。
「ベリーニャ選手は《アクセル・ファイト》でもノーダメージをつらぬいてるのに、桃園さんが相手だと怪我をしかねないって見なされてるわけか。価値がないとか言いながら、ご家族のみなさんも桃園さんの実力をしっかりわきまえてるみたいだな」
「はい。みんな、ピーチ=ストーム、きけん、おもってます。だから、ベリーニャ、しあい、したいのに、かぞく、はんたいです。わたし、いみ、わかりません。つよいあいて、たたかいたい、とうぜんです。だから、わたし、ベリーニャ、きょうりょくです」
「なるほど。ベリーニャ選手とアリースィさんの気持ちは、理解できたように思うよ。……まずは桃園さんのためにそんな苦労を背負ってくれたことに、お礼を言わせてもらいたい。どうもありがとう」
柳原があぐらの体勢のまま深々と頭を下げると、アリースィは嬉しそうに笑った。
「あなた、サムライです。わたし、うれしいです。……きょうりょく、オーケーですか?」
「うん。協力したいのは山々なんだが……桃園さんが復帰するのに一番近道なのは、たぶん《アトミック・ガールズ》なんだよな。でも、言っちゃ悪いが《アトミック・ガールズ》と《アクセル・ファイト》で対抗戦ってのは……さすがに不可能だろう?」
すると、アリースィは「うーん?」と可愛らしく小首を傾げた。
「わたし、《アトミック・ガールズ》、たくさんみました。《アトミック・ガールズ》、いいせんしゅ、たくさんです。でも、《アトミック・ガールズ》、マイナーです」
「ああ。やっぱり、そうだよな。というか、日本に《アクセル・ファイト》と釣り合う団体なんて存在しないんじゃないか?」
「はい。カナダ、ロシア、コリア、メジャーだんたい、むりですか?」
「うーん。そっちには、まったく伝手がないんだよな。というか……《ビギニング》に契約解除された以上、メジャーな団体ほど及び腰になるだろうっていう見込みなんだよ」
「およびごし、わかりません。むりですか?」
「無理かどうかは、今後の交渉次第だ。何もしない内から、あきらめるわけにはいかないからな」
そんな風に言ってから、柳原は慌ただしくユーリのほうを振り返った。
「っと、ついつい熱くなっちまったけど、桃園さんも前向きに検討するって方針でいいんだよな?」
「はあ……でもでも、みなさんにこれ以上のご迷惑をおかけするのは……」
「出たよ」と、柳原は苦笑した。
「桃園さんは、なかなかチームメイトを頼ってくれないよな。猪狩からも、なんとか言ってやってくれ」
「押忍。……ユーリさんだって、ヤナさんたちが困っていたら力になりたいって思うでしょう? それで協力を拒まれるほうが、むしろショックなんじゃないっすか?」
「うにゃあ……でもでも、ユーリごときの協力などはキョゼツされて当然であるかと思われますので……」
「もう。どこまで自分を見くびってるんすか」
瓜子はユーリの顔を覗き込みながら、その白い指先を手に取った。
「ユーリさんに頼られることを迷惑に感じる人間なんて、プレスマン道場にはいませんよ。今回お世話になった分は、これから恩返しをしていけばいいんです。ベリーニャ選手と対戦できるように、頑張ってみましょうよ」
「ああ。どんなに見込みが薄くっても、こっちが動かない限り話は進まないんだからな。やるならやる、やらないならやらないで、桃園さんも覚悟を決めてくれ」
柳原もそのように言いつのると、ユーリは極限まで小さくなりながら「はい……」とうなずいた。
「ユーリは……ベル様と試合をしたいです……」
「よし。それじゃあ、全力で動くとしよう。まずは、立松さんとジョンさんに報告だ。下っ端の俺が気張ったって、どうにもならないからな」
柳原は満足そうに笑ってから、瓜子に向きなおってきた。
「それで……猪狩は、あのおっかない上司さんに話を通しておいてくれないか?」
「え? それって、千駄ヶ谷さんのことっすか?」
「ああ。桃園さんのマネージメントはこっちできっちり受け継いだけど、あの人は今でも協力的なんだろう? こういう悪だくみでは、一番頼りになりそうじゃないか」
「わかりました。この後、すぐに連絡してみます」
すると、アリースィも満足そうに笑った。
「みんな、きょうりょく、うれしいです。わたし、できるだけ、にほん、います。けいかく、きまったら、ベリーニャ、れんらくです」
「ありがとうな。アリースィさんは、いつぐらいまで日本に居残れるんだい?」
「わかりません。かぞく、つれもどし、くるまでです。でも、みんな、おおさわぎなので、つれもどし、むずかしい、きたいです」
「大騒ぎってのは……ベリーニャ選手の一件でかい?」
「はい。リオ、カリフォルニア、りょうほう、おおさわぎです。みんな、《アクセル・ファイト》、たいせつだからです」
リオデジャネイロはおそらくベリーニャ選手の生まれ故郷であり、カリフォルニアは移住先だ。そのどちらにもジルベルト一家が住まっており、どちらも大騒ぎになっているということなのだろう。
やはりベリーニャ選手は家族の反対を押し切って、こんな計画を立てていたのだ。
《アクセル・ファイト》からの離脱を交渉の材料として、《ビギニング》との対抗戦を実現させる――なんとも無謀な計画である。ベリーニャ選手はそうまでして、ユーリとの試合を実現させようと尽力していたのだった。
(だったら次は、あたしたちが頑張る番だ)
そんな思いを込めながら、瓜子はユーリの指先を握りしめた。
ユーリはまだ小さくなったままであったが――その不安に瞬く瞳には、わずかながらに希望の光が宿されているように感じられた。
「それじゃあ、トレーニング、オーケーですか?」
にこにこと笑うアリースィに、柳原は「うん?」と小首を傾げる。
「トレーニングって、なんの話だい?」
「わたし、トレーニング、きぼうです。ピーチ=ストーム、スパーリング、たのしみでした」
そう言って、アリースィは足もとに置いたボストンバッグを手の平でぽんぽんと叩いたのだった。
◇
「パラス=アテナの駒形さんは、やっぱりずいぶんな及び腰だったよ」
瓜子が立松からそんな言葉を聞かされたのは、夕刻になってからのことであった。
立松は夜の部の当番であったが、日中にもさんざん動き回ってくれたらしい。しかし、目ぼしい成果はあげられなかったようであった。
「まあ、あの人はあの人で、日本の女子格闘技界の未来を背負ってる身なんだからな。桃園さんを迎え入れることでアトミックが潰れちまったら、大勢の女子選手が活躍の場を失うことになるっていう不安が消えないんだろう。……ただそれとは別に、自分が出張っても役には立てなそうだって意識も強そうだったな」
「役に立てないっていうのは……アトミックじゃ《アクセル・ファイト》と釣り合わないって意味っすか?」
「ああ。お前さんと桃園さんを輩出してる時点で、もっと自信を持ってほしいところなんだがな。ただやっぱり、選手のレベルよりも興行の規模を考えてのことなんだろう。日本国内のプロモーションとしては、ぼちぼち立派なもんだろうが……天下の《アクセル・ファイト》とは比べ物にならんからな」
《アトミック・ガールズ》は隔月の開催で、最近の常打ち会場である『ミュゼ有明』は千六百名の収容人数となる。いっぽう《アクセル・ファイト》は月に一、二回のメイン興行では一万名以上、さらに数千名規模のセミ興行を月に複数回開催しているのである。《アトミック・ガールズ》の興行は、そのセミ興行よりも規模が小さいぐらいの話であったのだった。
「ただ、《フィスト》や《NEXT》や《パルテノン》だって、状況は似たり寄ったりだ。あちらさんは男子選手がメインだからアトミックよりは景気もいいが、《アクセル・ファイト》とは比較にならねえよ。《アクセル・ファイト》と肩を並べられるのは、それこそ《ビギニング》を筆頭とする世界級のプロモーションだけなんだろう」
「押忍。……それじゃあ、ユーリさんが《ビギニング》に契約解除されてなかったら、対抗戦は実現してたんすかね?」
「いやあ、そいつは心もとないけどな。いくらベリーニャ選手がドル箱ファイターでも、しょせんは選手のひとりに過ぎないんだ。興行の運営なんてその道のプロが何人も関わってるんだから、そいつを選手ひとりで説得するってのは並大抵の話じゃないだろう」
そんな風に語りながら、立松は稽古場に視線を巡らせた。
夕方になって女子選手の何名かが参上したため、自主的に寝技のサーキットが始められたのだ。そこで猛威を振るっているのは、朝から稽古に励んでいたアリースィであった。
まだ中学生の年代である彼女は瓜子よりも小柄であったが、やはりジルベルト一族の一員として申し分ない実力を持っていた。寝技のスパーで太刀打ちできるのは、ユーリひとりであったのだ。出稽古のメンバーでもっとも寝技巧者である多賀崎選手も、アリースィには手も足も出ないようであった。
「……ただ、ベリーニャ選手もあんな娘さんに協力を願うぐらい、切羽詰まってるんだ。桃園さんだって、同じ心持ちなんだろうから……なんとか、希望を持たせてやりたいよな」
「押忍。自分にできることがあったら、なんでも言ってください」
「お前さんは、十分に動いてくれただろ。……実はさっき、千駄ヶ谷さんから連絡があったんだよ」
千駄ヶ谷に連絡を入れたのは、瓜子である。その際には、冷徹なる声音で『なるほど』としか言っていなかったのだが――その後、なにか妙案を思いついたのかもしれなかった。
「千駄ヶ谷さんは、こういう話が得意そうですもんね。千駄ヶ谷さんは、なんて言ってたんすか?」
「スチットさんを巻き込んだら、どうだ。……千駄ヶ谷さんは、そんな風に言ってたな」
立松の返答に、瓜子はきょとんとしてしまった。
「スチットさんすか? でも、スチットさんだって相応の覚悟で契約解除に踏み切ったんでしょうから……今さら何を言ったって、ユーリさんに協力はできないでしょう?」
「ああ。だけどこっちは《ビギニング》のストロー級王者を抱えてるし、《アクセル・ファイト》との対抗戦なんてのは魅力的な話だろう。あのお人を味方につけることができたら、ずいぶん心強いんじゃねえかな」
そう言って、立松は力強く笑った。
「ま、何にせよ、こんなのは裏方の仕事だよ。お前さんは十二月に試合を控えてるんだから、みっちり稽古をつけてもらえ。ジルベルトの人間に胸を借りる機会なんて、そうそうないんだからよ」
瓜子はさまざまな感情を呑み下して、「押忍」と引き下がった。
確かに一介の選手に過ぎない瓜子には、手に余る話であったのだ。瓜子がどれだけいきりたっても、何かの力になれるとは思えなかった。
しかしそれでもベリーニャ選手は、たったひとりで無謀な計画に挑んだのだ。
ユーリのためであるならば、瓜子も力を惜しむつもりはない。ベリーニャ選手を見習って、どんな苦労でも背負う覚悟である。
そんな覚悟を胸に秘めながら、瓜子はユーリとアリースィが待ち受ける過酷なサーキットの場に舞い戻ったのだった。




